MOCO'S

物を作ること、アートが好き。生きることを考えます。

自分を受け入れること

2022年10月11日 | 生きること

自己肯定感に関する本などには、「ありのままの自分を認める」とか「そのままの自分を受け入れる」ということが書かれています。

未だに「受け入れる」とはどういうことなんだろうなどと思ってしまうのは、きっと受け入れられていないからだと思うのです。どうやったら受け入れたことになるのだろうか、と疑問に思ってしまう。自己主張が苦手なところとか、人の目を気になって結局自分がどうしたいかよくわからないとかのコンプレックスを抱え、何か悲しい思いをするたびに割り切れない気持ちになる。どうすれば改善できるのかもわからないが、拘ってしまうのはきっと諦めきれていないのだ。受け入れるということは、おそらく仕方がないと投げやりに諦めることとも違うし、改善しようとしないこととも違うのだとは思うのですが。

人を値踏みし、ないがしろにする身近な人々に嫌悪したり、偉そうな人やお金持ちが偉くなっていく社会に暗い気持ちになったり、はたまたそういうことに自分が加担していないとも言い切れない。

どうやら人があまりいない場所にいたほうが平和に過ごせる気がするけれど、子供を放って家を出るわけにもいかず、いや子供がいなくてもどこかへ向かう勇気も便利な街を捨てる勇気もなく月日が過ぎる。

そして最大の問題は、こんな私に育てられた子供達が、この世を生き抜いていく力を持てるのかどうかだ。

 

 

 


いつまでも迷い

2022年08月24日 | 生きること

今更自分探しという年齢でもないのですが

子供が生まれてからというもの余裕がなく、すっかり自分がなくなって。

コロナも感染したりや濃厚接触者になることの繰り返しで

その間何もできないストレス。

一度退職して自分の時間を取って

これからどうしたいかゆっくり考えたいなあと思ってしまいます。もっとも、辞めてもゆっくりできない可能性も高い。

毎日のように物の値上げのニュースが流れ

子育てにもお金がかかると思うと仕事を手放してしまってよいのか迷いに拍車がかかります。

お金のためだけにしがみついている仕事も

仕事があるだけでありがたいことなのか。

 

 

 


夫のただ乗り

2022年06月19日 | 生きること

私が時短勤務をして子供のお迎えに行くことで、夫は以前と変わらず仕事が出来る。
それはつまり、私が仕事量を減らす分、職場の同僚がその仕事を引き受けているから成立する。
夫は、結果的に私の同僚に負担をかけている。
そういうのを、夫の職場が妻の職場の制度に「ただ乗り/フリーライド」する、という言い方をする記事を目にし、その通りだと思った。
仕事以外のことでも、子供関連の用事を私が調整して、夫は言われた通り行くだけ(それも行ける時だけ)。
ママ友達とは特別仲が良くなくても、付き合いで参加しているものだったりする。疲れることもよくある。
ママ友達とその子供達と遊べば、夫はその間の自由時間を得て、その情報網の恩恵にも与っている。
そういう、私のする全てにただ乗りしているのに、まるで自分も半分はやっている見たいな顔でいるのが気にくわない。

時短勤務については、時短できない日も増え、給料も低いので、今はもう時短勤務をしていない。
育児と仕事の両立などできていないし、家事はできていないことがありすぎてイライラする。夫に頼もうとすると、忘れられたりいつまでもやらずにいるので結局イライラするので諦めた。
仕事を辞めることを常に考えるも、躊躇する一つの理由は、私の仕事を減らしても、その分育児家事負担が増えてしまうだけで楽にならないんじゃないかという心配があるからだ。
時短勤務の時「どうせ時短だろ」と言って手伝ってくれなかった夫が、今度は「専業主婦だろ」「パートだろ」、と全く何もしなくなるのではないか。
でも夫がしていることって?
食洗機での食器洗い、燃えるゴミ、燃えないゴミを出すこと。排水溝のゴミを取る。
お風呂掃除(浴槽のみ)半分や週1程度の夫自身の物の洗濯。
保育園の送迎半分。食事用意半分。

夫の食事は、一皿料理でも時間がかかるとか、味が濃すぎるとか我慢...。

保育園を卒園し、子供達が手伝ってくれたら、大した量ではないのかもと思い始める。

 


今日も生きています

2022年05月18日 | 生きること

一時期は、夜寝てこのまま目が覚めなかったらどうしようという恐怖があった。両親が亡くなって、死が身近だったせいだと思う。

もっとも、そうなった場合には、自分は死んでいるからどうしようもない。

ただ、自分でも死んだと知らないまま死んで、子供達の成長も見られないかもしれない、と思うと恐怖だった。

今はそこまでは思っていなくて、

何故か今日も生かされたんだなあと思う 。


自分と子育て

2022年05月09日 | 生きること

さて、自分はほかの人になってみることはできないからほかの人の心の内はわからないのだけれど

人がどう思うかばかり気にせず、自分を貫く、愚痴を言わない(少なくとも人前で)など素晴らしき人たちは存在していて

前向きなのはなぜなのだろう。

そのままの自分では許されない、誰かに認められる自分でなくては価値がない、そんなことはないはずなのに

そういう価値感が、親から刷り込まれてしまったままだろうか。

小学生のころには、自分には何でもできるような自信みたいなものがあったのに、

「誰からも褒められることはなく、欠点はすぐに指摘され、誰かと比較される」ことが続けられた結果か、

まるで自信も存在感もない自分になってしまった。

夫は「褒めもせず、欠点や間違いを指摘し、誰かと比較する」人にみえるが本人は意識していないだろう。

こんな夫と、自信のない自分が子育てをして、ちゃんと子供が育つか、かなり心配なのだ。