衆議院選挙がひと段落し、政治家の皆さんが揃いました。
報道などで、選挙に行ったかどうかインタビューがありましたが、行かなかったと言う人が多いように感じた。
投票率は52%台で前回の選挙の時より低かったとのことです。
それについて、報道などは「戦後最低の投票率で国民の意識は低かった」等のコメント。数字の上では国民の半分位の人の承認のように感じますが、ここの点についても指摘していました。
国民の方々の意見は、政治に対する絶望感、不信感などが要因に挙げられました。他にも、他の人が行かなかったから、という意見もありました。
意見の中に、「選挙に言っても何も変わらないから」と言う意見がありましたが、初期段階として、選挙に行かなければ、変わるわけないでしょう。
選挙に行かない人は、スタート台に立たない人です。・・権利を放棄すれば変わるはずないでしょう。政治に対して意見を言う権利を放棄しているのです。・・何事も無駄と言う事はありません。これらの意見の人は、他の場面でも同じような考えになるでしょう。「何をやっても、変わらないだろう}と言う意見になります。
この考えの人は、私生活、会社でも基本的な考えは同じでしょう。この考えを持っている人々が務めている会社は用心が必要です!
仕事に対する情熱の欠如、チャレンジ精神の欠如、すぐふてくされる、などの性格のひとでは会社が存続するはずはありません!
入社時や、会社の査定に於いて選挙に行ったかどうか、会社側は考慮に入れるべきでしょう。意欲がない人間を会社に入れても、発展する要素がないからです。
この考えは、報道などでは問題にしません。日本経済の復活、再生などと言われるが、50%近くの人が権利を放棄している状態で、再生する?・・やる気のある人間は、最後までチャレンジしますけどね。日本の状況を真剣に考えていない連中が、進歩します?(きつい表現いなりますけど)
ノーベル賞を取った人は、愚直に努力した結果なのです。一生懸命努力した人に対して、努力しない人間が感心するのは、筋違いでしょう。
感心するのは、同じ体験をした人、している人が共感出来る事なのですよ。そう感じません?こう感じない人は、心から共感してない人です。
低投票率とか各報道局の考えで政党の弱点などを突くが、本来の報道は真実を伝える事が使命です、出演者がコメントを言う場合は、広い見識を考えて意見は述べるのですよ。
報道の基本は真実を伝える事が基本です。現在の報道は、各人間【各報道局)の思想や偏重によって作られている場合が多いのです。
人間は完全な人はいないでしょう。(特別な使命を持って生れてきた人以外は)
報道は、真実を伝える事が使命であるから、伝える人は人格が比例しています?人格者になろうと努力していますか?偏った考えの人や広い見識を持っていない人は、コメントを伝えない事です!人々に与える影響が大きいから。
・・人間ひとりひとりは、その人が経験した範囲内の事でしか、経験していない為に範囲が限られる。人間は其々個性があり生活様式、経験も差があります。よって、コメントする人はその限られた範囲内の事しか話せません。そのコメントが、多くの人に当てはまるでしょうか?よって、コメントする人はより慎重に、広い見識の元で発言する事が肝心です。
コメントにより、変な方向に影響された人が出た場合、コメントした人は同罪と考える事です。それは「自然の摂理」です。
報道で、政治家ばかりを責める事は駄目です。政治家にも責任は当然あります。投票に行かない国民にも多いに責任があるから。
投票率が云々と言われるが、投票に行かない人は政治、社会に対して意見を言う資格を自分で放棄していると考えよ。投票を放棄した人は、社会に対して意見や不満を言う資格がない!
共産党が今回躍進したと言うが、投票した人の意見として「反自民」を掲げ投票したと言う。普段、共産党支持でない人が。それではその人に問いたい!・・共産党が日本に悪影響を与えてきた事を知っているのか?と。その場限りで判断するから、トンチンカンな方向しか分からないのです。真剣さがないのです。
国民は、自分の住んでる日本の事を真剣に考えれば、トンチンカンな事にはならないのです。真剣になる事です。
いい加減に考えていて、正当な結果は得られない!(きつい表現ですが) 何かをやろうとする場合、いい加減にやればいい結果は出ないでしょう?怪我もするでしょう?・・違いますか?
基本的な考えは、私生活でも政治でも同じです。自分たちの暮らしを良くしたいのであれば、全てに於いて冷静に真剣に考える事ですよ。