へんくつゃ半睡の「とほほ」な生活!

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【悼】亜米利加・同時多発・航空機突入事件・・・!@紐育の惨劇

2009年09月11日 | 居眠り放浪記

9.11 紐育の惨劇」 同時多発・航空機突入事件

 

2001年9月11日に亜米利加合衆国で発生した、航空機を使った4つの無差別暴力(テロ)事件の呼称である。
航空機による無差別暴力(テロ)事件としては未曾有(みぞう)の規模であり、全世界に衝撃を与えた。
 
 炎上する世界貿易センタービル 
 

 崩壊した世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受けて爆発炎上した。
 この時点では多くのメディアがテロ行為ではなく単なる航空機事故として報じた。
ジョージ・W・ブッシュ大統領も「第一報を受けた時点では航空事故だと考えた」と発言した。
 1機目の激突は、数日前から地元消防署の日常を取材していたフランスのテレビ局によって偶然撮影されている。


 
 

 続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。
2機目の激突は1機目の激突後に現場のテレビ中継を行っていた際に発生し、世界各国に1機目の衝突を

臨時ニュースとして国際中継していた間に起こった事件であったため、
前代未聞の衝撃的な映像を多くの人たちがリアルタイムで見る事になった
(この時点で、事故ではなく故意に起こされた事件であることが認識された)。
また、2機目の旅客機が激突する瞬間はプロやアマチュアを含む多くのカメラマンにて撮影されている。

 ツインタワーは、建設当時の主力ジェット旅客機が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずだった。
だが、実際に高速で突入したボーイング767によってビル上部は激しく損傷、漏れ出したジェット燃料は

吹き抜けを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。
次いで火災による鉄骨の破断でタワーは強度を失い、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。


 

 

 北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。
かつて世界最高とされたツインタワーは両棟ともに完全に崩落した。
 
 ツインタワーは、特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。
特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われている。
 

 それは航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され炎上し、避難経路が遮断されたためである。
南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を
免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができた。
 

 また、突入前の未然避難者も含めると約7割の人が生還している。
ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、
消防士や避難者の一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落とした。
また崩壊時の破片や煙により、ビル外でも数人が命を落としている。
一方、タワー崩壊後も館内で奇跡的に生き残っていた人も数名おり、それらの人々は当日夕方に救助された。
 
 北棟および南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上し、8時間後に敷地北隣の
高層ビル・世界貿易センター7号棟もともに崩落。
 道路は完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた地下鉄やパストレインもトンネルの
崩落で走行不能に陥った。
これらのことからニューヨークでは合計で2,749人が死亡するという大惨事になった。           《合掌》


   
 

 この事件以降、世界貿易センタービル跡地は「グラウンド・ゼロ(爆心地)」とも呼ばれている。 

亜米利加合衆国では、奉仕と追悼のための国民のに制定された。 

この大惨事で、大事な友人知人を亡くし、2001年11月に傷心で帰国した。 《合掌》

 

  

《出典・引用・参照》:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

コメント
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