へんくつゃ半睡の「とほほ」な生活!

 奇人・変人・居眠り迷人。医療関連を引退⇒
某所で隠遁準備中。性質が頑な、素直ではなく、
偏屈でひねくれています。

【学】医師の資質!@医師問題

2009年01月12日 | 医師問題

医師不足 「資質」考え直す好機

 

2009年1月12日読売新聞「地球を読む」に
劇作家・中央教育審議会長の山崎正和
 

 

医師不足 「資質」考え直す好機 

 

 医師不足がにわかに大きな社会問題になって、文部科学省も急遽、
大学医学部の入学定員を増大することになった。これまで医師の総数を
抑制するのが国の政策だったから、これは画期的な方針転換であり、
それだけ事態の深刻さを物語っている。

 

 

 

 患者にとって医師の増加は喜ばしいことだが、これを聞いて私の頭には
突然かねての思いが蘇った。これはあまりにも得難い機会だから、ついでに
将来の医師の資質について考え直してみる好機ではないかと思うのである。

 

   

 

 現在の医師の資質に欠陥があるわけではないが、かねがね医師の人材には
もっと供給源の広がりと、多様性があってもよいと考えていたからである。

 

 現在の受験界では、医学部理系中理系と考えられていて、予備校でも
医進系という特別のコースを置いて、科学の基礎となる数学物理の教育に
力を注いでいる。

 

 

 

 医学部を受ける秀才たちの誇りも、とくにこの二つの難問を突破することに
あると聞いている。だがいったん入学してしまうと、数学は理学部や
工学部や薬学部ほどにも必要とされず、むしろ人間の心身の複雑で、有機的な
構造の理解がもとめられるのが実情なのである。

 

 

 

 この間の奇妙なねじれを象徴するように、わが国でも一校だけは数学物理
受験科目とせず、代わりに国語の試験と面接を重視している医学部がある。

 またもう一校、とくに学士入学に大きく門戸を開いている学部が存在して、
ここでも数学物理には重点を置かず、より広い学識を問う試験を課している。

 

 

 

 この二つの大学の医学観をたずねたことはないが、しかし素人が考えても、
こうした医学教育がありうることは理解できる。なぜなら医学の根本が科学で
あることには毫末
(ごうまつ)の疑いもないが、治療にあたるはきわめて
特殊な科学だというのも事実だからである。

 

 ひとことで言えば、すべての科学は普遍性をめざす知識であるのに、医療
最終的に個別を扱う知識だということである。

 

 


 もちろん人体も一面ではただの物質であって、蛋白質や脂肪の数的、物理的
秩序に従ってはいるが、医師が向かい合って生きた人体はそういう物質ではない。

 体質も症状も一人ずつ異なっているし、普遍的な治療手段を適用するにしても、
その適用方法が個別的に異なるのである。

 

 

 

 おまけに人間はただの人体ですらなく、生涯の履歴を持ち、特定の社会環境を
持った人格である。
 医学はそれが科学であるのと同じ程度に、総合的な人間学だというべきだろう。

 

 


《2009年1月12日「読売新聞」 2面に続く》

 

【引用・参考・出典】

2009年1月12日読売新聞 地球を読む

※本文と写真は全く関係ありません。

コメント (20)
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【習】手習い事始め!@江戸を歩く

2009年01月11日 | 江戸を歩く

  手習い(てならい)とは、寺子屋において行われた教育のこと。
文字の読み書き書道の練習を指す。

風流てらこ吉書はじめけいこの図(部分)
 歌川豊国(初代)画 公文教育研究会蔵

 

 寺子屋では読み書き算盤を教えたが、その根本は手習による文字の習得にあった。
子供達は師匠の指導の下、墨をすり紙を真っ黒にするまで練習したと言われている。
 それによって基礎的な文字の習得を経て、初めて往来物などによる教科書を用いた
教育が行われた。

 

一掃百態 寺子屋図 渡辺崋山画 文政元年 田原市博物館蔵  

 
 手習い参考に用いられた手習本も日常の生活に必要な基礎知識が盛り込まれており、
単に文字を練習する以上の意味合いがあった。

 

 「寺子屋」の名称は主に上方(京都・大坂・伊勢など)で用いられ、
江戸では「手習指南所」「手跡指南」などと呼ばれた。


 寺子屋の「子屋」が「こや(小屋)」に通じる点や、「屋」が屋号に通じる事が
教育の場の名称に適切ではないとされたからである。

 

 

◆一掃百態 寺子屋図(部分) 渡辺崋山画 文政元年 田原市博物館蔵

 

 寺子屋江戸時代に広まった民間の教育機関。そこでは日常生活に必要な読み書き、
そろばんなどを学ぶことができた。

 

 寛政期(1789~1801以降になると、江戸、大坂、京都などの都市はもとより、
寺子屋は農漁村にも広まっていた。

 その教え手は、僧侶のほかに書家、神官、医者、浪人など。寺子屋では
書道の神・菅原道真が崇拝され、毎月25日(道真の命日が2月25日であったため)には
祭壇に天神像が飾られ学業成就が祈られていたとか。


寺子屋の図 公文教育研究会蔵

 

 この寺子屋の普及によって、江戸時代の日本の識字率は、世界最高の水準であったといえる。

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【愛】犬 わんこ!@村松 誠

2009年01月09日 | 犬好き・猫好き

もう 食べない わん・・・ 

なめた だけ なの わん (・υ・)``わん

 

村松 誠 犬カレンダー 2009」 3月から

 

      

 1月11日()は、 

ф 鏡開き
その年の年神様に供えた餅を小さく割り、おしるこお雑煮などにして食べる行事。
もともとは具足開き(鎧や兜に供えた餅を雑煮などにして食べた) という武家社会の
行事で、鏡餅は刃物で切ると切腹のようだと、手や小槌で割って開くようになった。

 

Ж 蔵開き
商売をする家では、新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈る行事う。鏡開きのように
鏡餅を割って食べる。

 

Ъ 塩の日
戦国時代1569年のこの日、上杉謙信が、塩不足に悩む宿敵・武田信玄の領民に牛を
連ねて越後の塩を送ったとされている。このことは「敵に塩を送る」という故事となって

美談のたとえとして使われている。  

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【愛】猫 にゃん!@村松 誠

2009年01月08日 | 犬好き・猫好き

もう 呑めない にゃん

村松 誠 猫カレンダー 2009」1月から

 

 なめただけなの にゃん

 ねむくなった にゃん ー…(__).。oO

 

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【記】今年を記す 文庫手帳!@安野光雅

2009年01月07日 | 書く・撮る・記す

安野光雅 文庫手帳  2009

 

文庫手帳 2009 安野 光雅 絵  筑摩書房 税込価格:¥630(本体:¥600)

 

見た目は文庫で中身は手帳安野光雅画伯の図案・意匠。
飾り気のない簡単で、使いやすさ抜群!

 

 

表紙を・・・開くと扉にも。「ローマピアッツァバルベリーニ」 

 

 samsさまの頁で、安野光雅画伯を紹介されています。
http://4leaf-clover.iza.ne.jp/blog/entry/824713/

 

 さらに開くとまた絵が。「ピアッツァの旧市街」

  

さらにもう一枚。「サン・ジミニアーノ(イタリア)」

 

昨年までのはこれ!   


筑摩書房 文庫手帳 2009  ちくま文庫
http://www.chikumashobo.co.jp/special/bunkotecho/ 
 

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