昨日、新浦安駅近くのスーパー内を歩いていると、母親が子どもに「夜ご飯何にしようか」と言っていた。「夜ご飯」という言葉を聞くと、カナダに留学をしていた頃、TAとしてお世話になっていた日本語クラスを思い出す。
そのクラスでは、挨拶表現との関連から、「朝」「昼」「夜」を一緒に教えていた(と記憶している)。挨拶表現は基本中の基本なので、初期段階で導入することになる。よって、「朝」「昼」「夜」も学習初期段階で導入する。
そして、その後、「ごはん」という単語も導入する。ここで、「朝」と「ごはん」をくっつけると「朝ごはん」(breakfast)になるという説明がなされる。それから、日本語学習者は「朝ご飯」「昼ご飯」「夜ご飯」という単語を作れるようになる。しかし、問題が残る。そう「夜ご飯」だ。少なくとも、私はこの言葉に抵抗を感じる。私なら「晩ご飯」と言う(疲れているときなど注意を払えないときや、おどけるときなどは「夜ご飯」と言うかも知れないが)。日本語学習をはじめたばかりの学生はそのような語感など持っていないから「夜ごはん」を使ってしまう。当然、日本語教師はその言葉は使わないと教えるが、なかなか定着しない。
そんなことを思い出しながら、ふと体系的に考えてみた。○は存在する語、×は存在しない語、△はゆれを表す。
朝食 ○ 朝ご飯 ○ 朝めし ○ 朝はん ×
昼食 ○ 昼ご飯 ○ 昼めし ○ 昼はん ○
夕食 ○ 夕ご飯 ○ 夕めし ○ 夕はん ○
晩食 ○ 晩ご飯 ○ 晩めし ○ 晩はん ×
夜食 ○ 夜ご飯 △ 夜めし △ 夜はん ×
なかなか興味深い結果だ。生産的順序で並べると「~食」>「~ご飯」=「~めし」>「はん」となる。なぜこのような順序になるのだろうか。なぜ「朝めし」は存在するのに、「朝はん」は存在しないのか。そもそも、「~はん」も「~めし」も同じ漢字「飯」を使う。訓読みか音読みかの違いだけだ。となると、中国語ではどうなのだろうか(確か、中国語では「朝ご飯」は「早飯」と言ったような記憶がある)。なぜ「夜」についてだけユレが存在するのか。「朝・昼・夜」と言うのと、「朝・昼・晩」というのでは、印象が違う。前者は後者に比べ若干幼稚な響きがする(ひょっとすると、「朝・昼・夜」に抵抗を感じる人もいるかもしれない)。この語感の違いが何か関係があるのか。いろいろと考えてはみたが、納得できる説明ができない。
意味の上での疑問は次の二つが挙げられる。なぜ「容易なこと」を表す表現は「朝飯前」で、「朝ご飯前」ではないのか。なぜ「夜食」と「夜ご飯」が意味するものは違うのか。こちらも納得できる説明ができない。
考えれば考えるほど、こんがらがるが、この感覚が楽しい。言葉への興味は尽きないのである。【大塚孝一 M1】
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