人間の生活が自然に根ざすのではなく、今や科学的人為的世界に根付いているわけです。ハイデガーは、人間は「大地」に住まうと言いましたが、ハイデガーは近代技術が「大地」の上にコンクリートを敷きつめていると指摘しています。科学技術は人間を「大地」から離脱させ、コンクリート(科学技術で覆われた世界の比喩)の上で生きていて、その科学技術によって生産された商品の享受を幸福感とするのだと見抜きました。それこそ地球の自転に合わせて生きていた人間は、もはや昼夜逆転で生きることも可能にし、それを自由と自惚れているということでしょうか。
山本竜隆『自然欠乏症候群』には、ある新聞広告が引用されています。倉本聰の富良野塾開設時の起草文ですが、ここでも引用させてもらいましょう。
あなたは文明に麻痺していませんか
石油と水はどっちが大事ですか
車と足はどっちが大事ですか
知識と知恵はどっちが大事ですか
批評と創造はどっちが大事ですか
理屈と行動はどっちが大事ですか
あなたは感動を忘れていませんか
あなたは結局なんのかのと云いながら
我が世の春を謳歌していませんか
この起草分に加えて、山本さんは次のように加えます。
薬品と食品はどちらが大事ですか
工業と農業はどちらが大事ですか
治療と予防はどちらが大事ですか
整理されたこれらの文意を頭で理解を務め、心に聞いてみてください。僕たちの生活がいかに自然なものではないかという指標になるでしょう。ただ絶対ではありません。例えば「治療と予防」ですが、ここでの予防は人間に備わる自然治癒能力や免疫力のことでしょうが、予防するために、意味もない検査をする必要があるかと言われれば、現在予防のための検査がいかに多いかという反省も生じるかもしれません。予防は自然に属する意味で使われていますが、今や予防は科学技術の問題となるわけです。
ここで科学技術をおしなべて否定するわけではありません。ですから知恵が必要ということになります。それは広く深い教養から、科学を位置づけるような知的営みが必要ということです。もともとある自然に備わった力を科学技術で失わないようにという知恵の問題です。
ガンジーの言葉を思い出します。
「速度を上げるばかりが、人生ではない」
(つづく)