前回デモクラシーには2つの方向があると記しました。1つは政治的なデモクラシーで選挙への参加に収斂します。2つ目が社会的デモクラシーで、何の事は無い、そのまま日本語にすると社会民主主義です。これは人々の生活条件を平等にしようとする運動で、社会保障や福祉となって現れます。
これがデモクラシー(民主主義)の基本の見方の1つですが、政治的デモクラシーにも、それを実現するにはただ選挙に行けばいいのかという問題があります。政治的水準での大衆の知識というかリテラシーが不十分でれば、どうなるかということです。
ここではフランス革命を取り上げていますが、当初の投票率は大変低く10%とか20%程度であったと記憶しています。つまり政治に関心を持つものは少なかったということです。とすれば、現代の日本ではおおよそ50%程度ですから、なんと投票行動をするか否かだけで判断すれば、デモクラシーが発展しているという驚く見方さえ可能です。
当然豊かな社会(ガルブレイスの用語affluent society)になるまで投票率は上がり、この豊かさの中で政治に無関心である層が増加するということは指摘されます。ここではこの指摘だけにしておいて、総括すると、デモクラシーの発展途上なのか?デモクラシーの限界になってしまったのかは、そう簡単に判断できないということだけ判断しておきます。
ご存知の通り、フランス革命はアンシャンレジーム(旧体制)の破壊を目指しました。その標的は特権階級に向かいました。そこで自由と平等が掲げられます。しかしながら、ここで社会層の利害の対立がありました。ブルジョアと民衆や農民です。特に富裕なブルジョアからすると、参政権が示す平等はまだしも財産まで平等にされたとしたら危ういのです。つまり社会的平等は認めがたい。
しかしながら、それでは貧しい層、民衆や農民の不満が高じます。どうも経済活動が自由になると、貧富の差が拡大することが見えたからです。それはパンの価格が上がったことから見出したのです。そこでパンも普通に買えないような社会になってはいけないと、物価の統制を求めます。これが社会的デモクラシー(社会民主主義)への要求となって行きます。
現在物価高になっています。世界では現在の物価高に対してデモが起きています。これはフランス革命の時と基本的には同じです。民衆は物価統制ができないと生活できないのです。つい先日フランスで年金の受給年齢引き下げに反対してデモがありました。これもその基本は社会的デモクラシーの現れに他ならないのです。