今日はテレ朝2chで15時から新日本プロレス真夏のG1クライマックス決勝を視聴。昔は会場で観戦していたものだが、最近はもっぱら家でケーブルテレビを観るばかり。昔は年間70興行を観戦していたのだから、足が遠のいたものだ。それでもプロレス熱は維持している。
決勝戦は棚橋弘至対飯伏幸太。いい試合で十分堪能させてもらった。棚橋に勝って欲しいと思っていたので、その通りではあるが、自分自身が保守的であることに気づかされた。構図としては、新日本プロレス道場からはじめた中でアイデンティティを獲得した者達(棚橋や柴田)とインディーやバックヤードからはじめた中でアイデンティティを獲得した者達(飯伏やケニー)の対立として解釈できる。僕としては前者こそがプロレスラーとしてのあるべき姿を見てしまっているのだから、多分古い考え方なんだろうとも思う。
今回の決勝では過剰な演出というかギミックが排除されていたと思う。テーブルなど小道具を使ってスペクタクルなシーンを作るのではなく、体と体だけで表現するプロレスに僕としては好感を抱いた。正直にいうと、テーブルのような小道具を仕掛けとして演出するプロレスを「プロレス頭がある」かのように位置づける風潮があるが、あくまでギミックであるし、プロレスを表現行為として見た場合でも、安易な方法のように思えてしまう。あくまでギミックであり、本質ではないと感じる。特にG1というブランドを確立しているのだから、G!決勝は肉体と肉体の闘いという本線をはずさないでもらえればと切に願っています。
他にも色々意見はあるけれども、またの機会にしようと思う。
ちなみに本ブログはプロレスブログというわけではありません。あしからず。
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