猪木さんに変わるネットの記事やYoutube映像を見ていると、いつの間にか涙が滲んでくる。
燃える闘魂。「闘い」を体現し、それを表現し、人々に伝える。
旧約聖書にこんな記述がある。レスリングのシーン「神とレスリングした男」。
(旧約聖書32章)をとりあえず引用しておきます。
24ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。
25 ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。
26 その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。
27 その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。彼は答えた、「ヤコブです」。
28 その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。
29 ヤコブは尋ねて言った、「どうかわたしにあなたの名を知らせてください」。するとその人は、「なぜあなたはわたしの名をきくのですか」と言ったが、その所で彼を祝福した。
30 そこでヤコブはその所の名をペニエルと名づけて言った、「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」。
31 こうして彼がペニエルを過ぎる時、日は彼の上にのぼったが、彼はそのもものゆえに歩くのが不自由になっていた。
32 そのため、イスラエルの子らは今日まで、もものつがいの上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブのもものつがい、すなわち腰の筋にさわったからである。
ここである「組打ち」とはwrestlingである。ヤコブは神(天使)と闘い、その闘いぶりから神に認められる。イスラエルとは神と人との間にある存在である。これは「闘い」の神的な意味である。
猪木さんはヤコブである。なんと闘ったのであろうか。それは我々ありきたりの人間では理解できない、人間の普通の理解を超える何がしかと闘ったのである。その何がしかが、現象として、ブラジルでの過酷な労働、プロレス、モハメド・アリ戦、イラクの人質開放、北朝鮮との問題、そして環境問題。
死を間際にして、人間が出したゴミの問題を解決したいと、そういう闘いをしようとしていた。だから猪木さんはヤコブと同様、神にその「闘い」という存在として認められた。そういう事だ。
猪木さんの「闘い」は、「闘い」の本質を表現している。そして、理屈ではわからない面が出てしまうが、その真実をどこかで受容するからこそ、「闘い」の意味に感染する。
本当にありがとうございます。