さてやっと帰国日である。休暇に来たというのに、ただ忍耐の日々であったのだが、しょうがない。色々計画準備して、心待ちにしていた娘には申し訳ない気持ちで一杯ではあるが。
9月16日朝10時ごろ、娘の運転する車で空港に向かう。妻も一緒に帰国なので心強い。娘の友人が付き添いで空港までは一緒である。頼りなさそうだが、ありがたい。1時間とかからず空港に到着。
ところがだ。全然歩けないのだ。もうこの時点で、歩くことさえままならない状況で、この1週間の僕の様子を見ていた妻と娘は空港で長い距離を歩くのにどうすればいいのか考えてくれていた。友人のアドバイスもあったようだ。車椅子で空港内を移動できるように調整してくれた。
専門のカウンターに行き、そこで事情を話すと、空港スタッフが空港内を車椅子で案内してくれるというサービスである。そこで手荷物も預けられる。結構このサービスを利用する人がいるもので、多くはご老人向けではある。身体障害者も利用している。僕が一番若いという印象であった。
45分ほど順番を待っていると、スタッフが僕の名前を呼んだ。そして車椅子を押して荷物検査などをして、かなりの距離を案内してくれるわけだ。ちなみにいつもより荷物検査のスタッフが丁寧だったのはたまたまだったのだろうか。ところで空港なので、移動距離が長い。自力で歩かなければならないとしたら、まず無理だ。本当に助かった。
そのまま飛行機の搭乗口まで連れていってもらって、そのまま優先搭乗である。並んでいる人を追い越して、少し“VIP待遇”のように進むことができた。妻も一緒だ。まだ機内は“準備中”という感じではあったが、当然のように席まで案内された。飛行機内は頑張って歩いたが、席まで車椅子移動で行くのが通例のようだ。そりゃそうだ、足が不自由であれば歩けないわけだし。
さあここから13時間のフライトだ。座ってホッとしたのもつかの間、呼吸困難な感じが強くなってくる。席に座って、強弱はあるにしてもずっと「ハアハア、ゼエゼエ」していた。隣の席に座ったおばさんはフライト中よく寝ていてくれたので、あまり気にはならなかったかもしれない。少しばかりの幸運である。
正直に言う。地獄のフライト13時間であった。二度と味わいたくない。今考えてみれば、飛行機の中でずうと溺れているようなものなわけだ。13時間は長い。苦しかった。横になったり移動したりという小さな避難もできないのだ。妻もずっと心配してくれていたが、背中をさすったりする程度のことしかできないわけで、しょうがなく「頑張って」と繰り返すのみであった。
妻はずっとさすってくれていた。本当に愛情深い人だと再確認だ。と同時に、そんなことを感じているわけで、僕自身に少しの余裕が残っているなとも考えたりした。
ちょっと症状が軽い時に機内食を食べたりするが1/5ぐらいしか食べられない。いつもならビールやワインを飲むが飲みやすそうなジュースを頼んだりしたが、なかなか進まない。映画も見る気にはならない。前の席で見ているのをたまにチラチラ見て気を紛らわす、そんな感じである。
羽田空港に「どうにか」到着。「どうにか」といったって、通常通りでしかなく、僕個人にとってでしかないのだが。飛行機から乗客が全て降りてから、僕自身は案内があるとの指示があった。そこでまた車椅子移動を行ってくれる。ちゃんと連携が取れている。本当に助かる、空港の女性スタッフが僕たちを迎えに来た車の駐車場まで押してくれる。結構な距離があるので、本当に申し訳ない。
ホント、このサービスがあって、ホント、良かった。
(つづく)