透析終了後は単調な日が続いた。
午前6時起床。
7時ごろから看護師が採血などを行う。
8時朝食(パン食、食パンとバターロールが交互)
10時胸部レントゲン(透析の間はポータルのレントゲンでベッドにて)
11時妻見舞い
12時昼食
午後予定なし、二度ほどエコー検査があったぐらい
16時リハビリ(透析終了後から)
17時妻帰宅(妻もやることもなく疲れるだけである)
18時夕食
21時消灯(すぐ眠れてしまう)
合間合間に着替えや身体拭き血圧確認、足の浮腫のチェック、点滴薬剤のチェックや補充といったところである。午前か午後のどちらか1時間位寝てしまう。読書しようとしても、字を読む気にさえならない。
正直にいうと、退屈である。ただ身体が元気ではないので、何もやる気にもならない。テレビをかけておくが、つまらないし、ずっと見てはいられない。入院して1週間経過したぐらいで、読書することができるようになった。ただちょっと集中する必要がある本だと、全く頭に入らない。どうにか趣味のプロレス本が読める程度である。
その時読んだのが雑誌の『Gスピリッツ』の「山本小鉄と昭和・新日本」とカブキとタイガー戸口の『毒虎 シュート夜話』であった。まあプロレス本なら考えながら読む必要もあまりないということで、負担が少ないので読みやすいということだろう。一緒にプラトン解釈本もあったのだが、少し読むと、面倒になってしまった。退院して2ヶ月、この本を現在はきっちり読むことができる。
少し話を脱線させて、『毒虎 シュート夜話』の感想を少しだけ。彼らのプロレス評価はアメリカ的なプロレス観に傾きすぎている。もちろん彼らがアメリカで成功してきたからでもあるだろう。
しかしながら、プロレスはアメリカだけのものではない。日本には日本独自のプロレスが構築されるのもまた当然である。プロレスを日本社会という文脈に組み込めば、その形式や趣向にも変化が生じるだろう。そこの変化を作り上げたプロレスラーは当然アメリカのプロレスとは異なる。そうであるにもかかわらず、アメリカンプロレスをプロレス自体と捉えてしまうのは、本質主義的な錯誤がある。
などと、入院中に思ったりした。まあ、少しずつ元気が出て回復してきたということだろう。
ちょうど透析終了2〜3日して、理学療法士がリハビリをやると告げてきた。最初はベッドサイドに立って、爪先立ちをしたりする作業である。その前後で血圧を測って状態を観察していた。正直に言うと「なんだこれ?」という感じで拍子抜けした運動でしかない。
リハビリ2日目は前日の状態から見て、「少し歩いて見ましょう」とのことで、入院病棟の中を一緒に歩くことになる。150メートルぐらい歩いたのかと思う。考えてみれば、入院する直前、まともに歩くことができず、空港で車椅子移動を強いられたときと比べると、雲泥の差である。
ただ、カナダでの3週間、入院して1週間、計4週間歩いていなかったわけで、微妙に変な感覚は残っていた。運動で血圧の上昇はそれほど見られなかったが、そもそも血圧が高いということで理学療法士は心配していた。それでも160程度にまでは治まって来てはいたのだが。
(つづく)