今日妻とランチをした。その時の話。
妻はいつも通り、海鮮タンメンを頼んだ。僕は定食。
タンメンが運ばれて来て、妻が怪訝そうな顔である。
僕「どうしたの?」
妻「エビとイカが少ない」
僕「どうでもいいじゃない」
妻「いつもそれぞれ3つ入っているのに、2つしかない」
僕「そんなこともあるよ」
妻「いや、おかしい。店に言うよ。私が正しい」
というのは月2回ほど来店し、いつも同じものを注文しているので、自信があるようだ。1500円もするし、ちゃんとした料理を出す店だ。
僕「カッコ悪いからやめてよ」
妻は不満そうに食べているが、どうもイカとエビを探しながらである。そこで妻が手をあげて、店員を呼んでしまった。そこでホールの店員と中国語で話をしている。別にクレーム言っている感じではなく、お互い普通に話しながら笑っている。ちなみに妻は中国人。このお店のホールは、多分だけど、みんな中国人のようである。
ホールが店の奥(厨房)に行って、席まで戻って来た。笑いながら、話している。結局妻が正しかった。どうも海鮮タンメンなのに五目焼きそばのイカとエビの量で作っていたそうだ。その後、小さなスープカップで足りなかった分を持って来た。
妻とホールの店員は楽しそうに話しながら、妻は僕が「言わなくていい」と言っていたと伝えている。それで、2人で笑っている。妻は勝ち誇ったように僕に「私が正しい」と。
勉強になりましたよ。以前このブログで日本と中国や韓国の文化の深層(文明)が違うなどと論じたのだが、今回の事例も同様、文化の違いを再確認させてもらった。
このようなケース、日本人なら大抵何となく何も言わないでおくと思うのだが、中国人ははっきり疑問を言う。日本人がその場で不和が生じないようにとの規範が重視されるのだろうが、中国人は疑問を解決しようとする。だから自己主張をして、解決を図る。非常に合理的だ。
だから、思ったことはすぐに口に出す。妻は僕に対して「何でそんなこと言うの?」という事が多いのだが、「そんなこと言われたら、傷つくでしょ」などと思っていた。でも、日本人からしたら「何でそんなこと言うの?」と思うようなことでも、中国人からしたら当然のことなので、「傷つかない」のである。両者の自明性の水準が違うのである。
妻と20年も一緒にいるというのに、まだまだわからないことがあることを自覚したのでした。そう簡単に理解できるわけでもないからこそ、新しい発見があるということなのでしょうね。
だから、わかっているというのは不遜なのだと思う。