今日はあの阪神・淡路大震災からちょうど10年という日です。私も当時学生で西宮に住んでおりましたが、私自身は無傷でしたし、住んでいた家も崩れることはなく、親しい友人も全員無事でした。しかし、住んでいた場所のすぐ近くのTVでもよく報道された土砂崩れ現場に駆けつけ、そこにいたみなさんと共に救助活動をしていました。人が瓦礫や土砂に埋まり、火に囲まれていました。そこで私は「人の死」というものに直面させられた気がしました。駆けつけた人たちはバケツリレーで水を運んだり、足に挟まっている瓦礫を取り除いたりなどしていましたが、何十人もいてもほとんど何もできないほど自然の前に私たちは無力でした。その後、消防車などがやってきて土砂に埋まっていた人たちが救助されたと聞きました。本当によかった・・・。
今、私は震災のことをほとんど考えることもなく暮らしています。人は忘れていく生き物だから生きていけるのかもしれませんが、逆にこの記憶が風化していくのも怖い気がします。明石家さんまが「生きてるだけでまるもうけ」と言っていますが、本当に深い言葉だと思います。仕事をするのも、恋をするのも、スポーツをするのも、まず命がなければ。以前メンタルトレーニングの目指す状態にも出てきたことですが、スポーツができることに感謝することができれば、より豊かな競技生活を送れると思います。生きていることに感謝する、そういうことを私に思い出させてくれる大事な日をこれからも大切にしていきたいと思います。
今、私は震災のことをほとんど考えることもなく暮らしています。人は忘れていく生き物だから生きていけるのかもしれませんが、逆にこの記憶が風化していくのも怖い気がします。明石家さんまが「生きてるだけでまるもうけ」と言っていますが、本当に深い言葉だと思います。仕事をするのも、恋をするのも、スポーツをするのも、まず命がなければ。以前メンタルトレーニングの目指す状態にも出てきたことですが、スポーツができることに感謝することができれば、より豊かな競技生活を送れると思います。生きていることに感謝する、そういうことを私に思い出させてくれる大事な日をこれからも大切にしていきたいと思います。