先ほどアップした本、ラストの対談が似鳥氏。
彼は70歳でADHDと診断された、と話している。
調べた、以下に。
対談では小学生から闇米配達なども手伝った。
勉強が全くできない長男。6年で自分の名を漢字で書けないのは
彼だけ。
父母に言われできることだけをした。
漫画が好きで絵をかきこっそりうるなど。
当時、引揚者、北海道、子供を診る医師などはいない。
発達障害という言葉もない。仕方がないとは思うが、
父母は勉強より、仕事を優先しさせていた。
今なら児童虐待だろう。
寝るときだけが楽しかったとある。
他の社2つで解雇され、23歳でお見合い結婚。
ニトリ創業は父母、妻の大きな支援もあってのことだが、
家で仕事をさせられるって貧しい北の日本、普通だったのか・・
私と9歳差でこうかと驚いた。
妻が社交的で営業、社員とのコミュニケーションを任せられた。
これがニトリ発展の大きな力となった。
昭雄の発達障害は、どこまでが真実かはわからない。
大げさかもしれない。日経の履歴書は、概してその感じはある。
二人、子供がいるが息子は他のメーカー勤務。
継いではいない。父の死後、相続でもめているとのこと。
〇2015年、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載を開始。大きな反響があり、それをまとめた本も出版された[7]。
その著述の内容の一部について、実母から事実誤認のクレームを受けている
2018年頃、テレビ番組での発達障害に関する特集が切っ掛けで専門医などによる診断を経て、
注意欠陥・多動性障害(ADHD)であることが判明したことを公表している[11]。ただし、先述の実母から指摘された事実誤認とADHDとの関連については不明である。
〇私は昭和19年(1944年)に樺太で生まれた。
父・義雄の先祖は南部藩で家老を務めていたと聞くが、戊辰戦争で敗れ、
岩手県から北海道の花畔(ばんなぐろ)村(現在の石狩市)に
開拓民として移ってきた。私は開拓民の4代目に当たる。
似鳥という名前は、今も岩手県に残る「にたどり」という地名だ。
似鳥一族のうち、本家筋が「にたとり」の名前のまま札幌に入植し、
分家の当家は「にとり」という名前で入植した。
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