チケットを頂き家族と見にいった。25日、朝日新聞夕刊にも掲載。
22日、朝日新聞、折々の言葉も山下だった。
「地球でグリニッチの裏側はどこなのかな。
そこにも線がひいてあるだろうな」
英国で地面にひかれた子午線を見て
不思議に思った時の言葉。
山下清、W新潮の表紙担当だったこともあったか?
障害があり、切り絵を多数作成した・・
展覧会を見て、イメージ、感じが変わった。
200点近い多数のきりえ、ペン画、水彩画の展示。
これは切り絵。唯一撮影可。
1922年浅草、生まれ。3歳で高熱かで障害が出る。吃音もあった。
10歳の時父がなくなり母は再婚するが2年で離婚。
清は、千葉の擁護施設に預けられる。
そこが嫌で逃げたい、徴兵もあるか?
長い放浪の旅にでる。その間、描く道具はもっていかない。
北海道、沖縄以外は全国、すべての県くらい放浪している。
それだけの体力、知力があった。
食べ物をもらい、簡単な仕事も合間にしていた。
今でいう、発達障害の何か・・知的障害のあるグレーゾーン。
切り絵の気が遠くなるような細かい紙の数。
集中力がとてもいる。
好きな事に熱中する性格からだろう。
普通なら投げ出してしまう。
字も思ったよりずっときれい。
放浪先から母にまめにハガキを出している。
放浪の合間に実家に戻り、記憶の絵を描いている。
切り絵から、ペン画、水彩へ。
30代あたりからか切り絵はあまりない。
油絵も少しあったが、乾くまでの時間が嫌いだったという。
絵によっては当時のイラストレーターともいえる。
ヨーロッパ、北欧などへ旅をしている。
兄が支えた。個展も開くと、かなりの人が見にきた。
モノクロのペン画が良かった。
いろいろな絵を描いていたのだと、知った。
脳溢血、49歳で急逝。
購入グッズ、ノート。
放浪の線路か・・
中にカエル、少年の頃昆虫が好きで、よく書いていた。
ベニス。1961年、サンマルコ寺院。水彩画。
両国の花火。今の隅田川?ペン画。制作年不詳。
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