旅人のにちじょう

ねごと・たわごと・よまいごと

帰ってから日記(14)

2005-10-25 |  中央アジア
橋の真ん中から見るアムダリア川

8月15日(月)

<この日のスケジュール>
・バスで国境を越えウズベキスタンのブハラへ

カラコム砂漠を抜けて
やれやれもうじきバシの国ともお別れね
とかバスの中で寛いでいると
添乗員からアナウンスが

「アムダリア川は歩いて渡ってもらいます」
え?なんで?アムダリア川って国境だっけ?
まさか道がないとか言うんじゃないでしょうね

確かに国境近くではあるが国境越えではない
渡ろうとしているのは浮橋で
あんまり重いと沈んでしまうかもしれないので
とのこと
しかも橋は軍事施設なので写真厳禁ですと

春になると水位が上がるので
浮橋の方が都合がいいらしいんだけど
それにしても沈むとは恐ろしい
おとなしくバスから降りて歩くことにした

暑いよう
日陰がないよう
突然沈み始めたらどうしよう
いくら注意されても写真を撮っちゃう人がいるので
いつ後から撃たれるかと気が気ではない(笑)

トボトボと歩いていると
普通車に乗った地元の人が
思いっきり冷やかしながら追い越して行く
そりゃそうだよねえ
笑っちゃうようねえ
他に歩いている人いないんだもん
ちなみに橋の長さは約800mと結構長い

橋の真ん中あたりで進行方向のみ写真可となったけど
無闇に振り返らないでくださいって注意されたけど
そんなに重要な施設なのかしら
さすがにエジプトのスエズトンネルのように
ライフル持った軍人がずらっと並んで狙ってる
なんてことではなかったけどさ

ああ怖かった
でも楽しかった
バングラデシュでガンジス川を渡って以来の面白さ

ところで
私たちのバスよりはるかに重いと思われる
たくさんの荷物を積んだトラックは通れるんだろうか
重量オーバーでしょっちゅう沈んでたら
商売命がけなんですけど

トルクメンバシの国
最後の最後までおもしろすぎである


帰ってから日記(13)

2005-10-24 |  中央アジア
メルブ・大キズカラの裏に回るとロバが・・・
今年の年賀状はこれできまり!と皆で激写

8月14日(日)

<この日のスケジュール>
・メルブ観光
・マリー観光

トルクメニスタンが一番暑いというので
持って行ったヒエロンを使ってみた
結局使ったのはこれ1個だけ
暑さのピークは7月なんだそうだ

そうは言っても40℃を超える中の観光
昼食後ホテルに戻って一休み
古銭コレクターの社長2人が
非合法(!)の古銭商を別室に呼んだと聞き
取り引き現場を是非見たいと思ったんだけど
ベッドに横になったら不覚にも眠ってしまった
ちょっと残念(笑)

その後行ったマリー博物館にて
館内は薄暗く専属ガイドが説明をしている所だけ
電気がついて明るくなる
2階の小さな部屋は係が鍵を開けて
見学が終わると閉められてしまうので
戻ってもう一度見たいといっても無理

カザフでもキルギスでも
小さな博物館はこんな感じだった
ウズベク・ウルゲンチのホテルの廊下は
人が通ると電気がつく仕組みだったし

電気は大切にしなきゃね
ホテル併設のディスコがきっちり11時終了なのは
同じ理由なんだろうか
近くのレストランでの結婚披露宴は
結構遅くまでやっていたみたいだけど


帰ってから日記(12)

2005-10-13 |  中央アジア
トルクメニスタン風天ぷら

8月13日(土)

<この日のスケジュール>
・アシュハバード観光
   ニサ遺跡、国立博物館、中立のアーチ
・昼食後バスでマリーへ 
   途中アナウ遺跡見学

アシュハバードのホテルは立派であった
前日遅く到着したにもかかわらず
イタリア人シェフのいるレストランでは
コースメニューを選ばなければならないほど

そんなホテルなのに・・・
朝モーニング「ノック」で目が覚めた
最初部屋を間違えられたのかと思って
一瞬身構えたんだけど
さらにノックされたのでとりあえず
返事だけするといなくなった
モーニングコールはなかったので
どうやら電話が故障していたようである

そしてテレビは白黒
バスの中でそのことを言うと
「うちの部屋はカラーだったよ」とな
どうやら私の部屋は特別だったようである(笑)

さてピカピカだけど人のあまりいない
トルクメンバシの国立博物館
(最初にバシの偉業を長々と説明された)
の見学を終えての昼食はこじゃれたレストラン

メインの料理は魚と野菜のフリッターである
美味しかった~~皆完食しちゃう勢い
トルクメニスタンってご飯が美味しい国なのねっ

何て料理かと聞いてみると「天ぷら」との答え
え!?トルクメニスタンでも天ぷらっていうの!?
どういうルートで伝わったんだろうと思ったら
私たちのための特別料理なんだそうな

初めての日本人の客をどうやって
もてなそうと悩んでいろいろと調べた結果
天ぷらにしようと決めたんだって

ウェイトレスのおねえさんが
はにかみながらそう教えてくれた
なんて素敵♪
一気にトルクメニスタンが好きになった


帰ってから日記(11)

2005-10-11 |  中央アジア
クニャ・ウルゲンチのスルタン・アリ廟
木に布を結びつけて願い事をします

8月12日(金)

<この日のスケジュール>
・バスで国境を越えトルクメニスタンへ
・四駆に分乗しクニャ・ウルゲンチ観光
・夕方飛行機で首都アシュハバードへ

四駆をバンバン飛ばしてきたので
空港に着いたらみんなでトイレへダッシュ
なのに教えてもらったトイレは鍵がかかっていた

仕方なく引き返したんだけど
そのうちおねえさんとおばちゃんが走ってきて
トイレを開けてくれた
ってことはチップはいるよねえ

ドアの向こうはガランとしていてしかも暗い
数メートル先に浮かび上がる
「1000MANAT」の文字
有料トイレであった

公式レートでは1ドル=約5000マナト
日本円にしてだいたい20円くらいである
(流通レートは1ドル=約25000マナト)
金額的には些少だけどまだ両替していない
まあいいや入っちゃえ~~

う~~ん有料な割には厳しいトイレだ
微弱な電気がところどころついてるだけの
くら~~~いトイレ
ドアもあちこち閉まらない
トルクメニスタンのトイレは和式のように
一段上がったところにあるのね

なんてのん気に出てきたら
出口が閉められておねえさんとおばちゃんが
仁王立ちしている
どうやら先発隊がお金も払わず
強行突破しちゃったらしい

「お金を払わないと出さないわよっ」
おねえちゃんは大変怒っていた
いや払う気はあるんだけどマナトがないのよ
おばちゃんに「ウズベクのスムでいい?」
と聞いてみるとおっけえらしいので
暗がりでごそごそとお財布を出し
懐中電灯で照らして100スム札を出してみた
日本円にして10円くらいである
スムとマナトのレートがわからなかったけど
受け取ってくれたから大丈夫よね?

無事解放されたけど
後発隊は大声出してまた強行突破しちゃったらしい
有料トイレなんだからちゃんとお金払おうよ
そういう場所なんだからさ

日本人はどうしてトイレのお金をケチるのかなあ
って私も計算上は半額だったけど(笑)


帰ってから日記(10)

2005-10-05 |  中央アジア
記念撮影用のラクダ休憩中

8月11日(木)

<この日のスケジュール>
・ヒワ観光
   カリタ・ミナル、クニャ・アルク、ジュマ・モスク
   イスラーム・ホジャ・メドレセ、タシュ・ハウリ宮殿
                         など

この旅行中初めて観光地らしいところに来た
土産物屋が並びちゃんと客寄せもしている
うわ~久しぶりだわ、この感じ、値切りバトルの予感・・・

観光中はふらふらと買い物すると怒られるので
目だけは物をチェックしつつグループについていく
○○のメドレセ(神学校)と△△の廟に
交互に案内されるのでもう訳がわからない
説明を聞いていると個別に絵はがきセットなどを
売りに来るので気が散ってしょうがない(笑)

屋台のおばちゃんに強引に呼びつけられ
勝手に魔除けをバッグにつけられたり
同じ木彫りのまな板(?)売りの少年に
何度も何度も出会ったり
買うならウチでと懸命にアピールする少女が
ちょっとおしゃべりしていたら
店の奥の父親らしき人に怒られちゃったり
さすがに観光地活気に溢れていた

外国人だけでなくウズベク人も訪れるヒワ
そんなウズベク観光客にとっては
日本人は珍しく見えるらしい

道端で出会うと「日本人?」と聞かれ
そうだというと何組にも
「一緒に写真撮って~~」と頼まれた

自分たちのカメラで記念撮影をすると
「ありがとう~~」と言って去っていくのである
何だかよくわからないけど
いろんな人のカメラに納まってみた
今頃「これがヒワで会った日本人でさあ」
とか言いながら写真を誰かに見せているのかも

トルクメニスタンでも同じことがあったけど
日本人は今ブームなんだろうか(謎)


帰ってから日記(9)

2005-09-29 |  中央アジア
タシケントの大通り

8月10日(水)

<この日のスケジュール>
・飛行機でウズベキスタンのタシケントへ
・昼食とちょっとだけ観光して
 夕方飛行機でウルゲンチへ

朝食は各自バラバラにとることも多い
時間が合わないと誰にも会わないこともあり
そんな時は一人で適当に食べる

二人がけくらいの小さなテーブルを
ジュースを置いて確保して次に戻ってくると
見覚えのある男性が座っていた
夕べエレベーターに乗り合わせた
韓国人ビジネスマンである

まあこれも何かの縁と一緒に食べることにした
カザフと韓国を行ったり来たりで
冬は寒くてかなわん~とか
夏はイシククル湖畔に1週間滞在するなんて
いいなあ~とか
楽しく話がはずんでいたのに
彼は突然
「郵政民営化法案が否決されたね
 君はどう思う?」と聞いてきた

ええええ~~~!?
辛うじて否決されたことは知っていたが
どう思うっていわれても・・・

外国人と政治について語り合えるほど
私に英語の力はない
ってか
日本語でも滅多に語らないし(汗)

とりあえずちょっと語ってみた
彼は小泉首相が気に入ってると聞いて
少し意外な気がした
自民党が大勝して彼は今どう思っているだろう

韓国でどのように政治が動いているかなんて
ちっとも知らない
日本もアメリカのことばかり報道していないで
もっと隣国を大きく扱わなくては
って私が知らないだけかも

その後ロビーで再び会って別れを惜しんでいると
ツアーのおっさんが
「誰?夜のガイド?」とかましてくれた
誰かと一緒にしないでちょうだい
朝から頭しぼって勉強してたんだから


帰ってから日記(8)

2005-09-28 |  中央アジア
蒸し餃子マントゥ

8月9日(火)

<この日のスケジュール>
・タムガリ・タスの岩彫刻
・グリーン・バザール
・夕食後希望者はガイドさんとお別れ会

夕食の時伝統料理の写真を撮っていたら
隣に座っていたセクハラ大王が言った
「食べ物の写真なんて撮って何が面白い」

ムッとしたので
「おねーちゃんの写真撮るよりずっと楽しいですよ」
と言い返してしまった
なるべく穏やかに言ったつもり

ガイドさんのお別れ会の後
彼女に住所とメールアドレスを書いてもらってて
部屋に戻るのが最後になったところ
添乗員が「大丈夫ですか?」と聞いてきた

何のことかよくわからなかったので聞き返すと
「今日はいろいろとキレてらしたから」とな
しまった見られていたらしい

「あら顔に出てました?修行が足りないわあ」
とにっこりと言い放ってみた
彼の言動は不快であるとアピールしておかないと

すでに駄目だと言われているのに国境で写真を撮り
兵士に足止めされた他いろいろと前科もあり
トラブルに巻き込まれては堪らないし
何よりセクハラがこれ以上増長するのはイヤだったから

だってあと10日もあるんだもん


これ買いました(2)

2005-09-25 |  中央アジア
カザフスタンの国立博物館で買ったTシャツ

旅行に行くと必ず買いたい物のうちの一つTシャツ
自分用だったりお土産用だったり
3~4枚は買ってくる

今回は5カ国も行くし19日間だし
さぞやたくさん買えるものと思っていたのに
全然ないんだこれが
添乗員も現地ガイドもTシャツはないと言うし

日程7日目の朝アルマトイのホテルにて
前の晩ご飯で一緒だった香港人のおじさんが
キルギスタンの国旗をデザインした
Tシャツを着ているのを発見!
思わずどこで買ったの~~?聞いてしまった
ショップで買ったと当たり前の答え

キルギス過ぎちゃったけど売ってるんじゃん
何か悔しいぞ
でもカザフにもあるかもしれない
と希望も持った

急激ゲーリーに襲われた国立博物館での
見学をヘロヘロと終え一縷の望みを持って
博物館内の絨毯屋さんへ

小物はあるけどやっぱりTシャツはないのか
と諦めかけてふとディスプレイの奥の棚を見ると
一番下の段に何やら布が重ねてあった
も、もしやこれは・・・
おねえさん、ちょっとそれ見せてくださいな

あった~~~~
これは紛れも無くTシャツ
しかもふたこぶラクダやユキヒョウや
ユルタや岩絵のデザインの山羊やら
カザフてんこ盛りのデザインじゃないの
買いよ買い!絶対買わなきゃ~~!!

博物館なので値切っても高かったけど
即買いしてツアーの人に見せびらかしたのであった
同じようにTシャツを集めている人が
悔しがったこと(笑)

その後ウズベキスタンでも探しまくった
Tシャツを扱う店は本当に少なくて
しかもデザインも質も今ひとつだった
ヒワとサマルカンドで一枚ずつ買ったけど

民芸品はたくさんあったので
Tシャツをお土産で売ろうという発想が
ないのかもしれない
それともこれから増えていくんだろうか
まあバザールがTシャツで埋まっちゃうのは
それはそれでイヤだけど(笑)


帰ってから日記(7)

2005-09-24 |  中央アジア
日本人墓地の入り口

8月8日(月)

<この日のスケジュール>
・アルマトイ市内観光
   日本人墓地、パンフィロフ公園、考古学博物館
   国立博物館など
・その後希望者はツム百貨店とスーパーへ

中央墓地の中にある日本人墓地に行く朝は
珍しく雨模様であった
第二次世界大戦中ソ連軍の捕虜となった人たちが
強制労働に従事させられていたという

墓地の中まではバスは入れないので
皆で黙々と歩いていく
ロシア正教風やイスラム風のお墓を
横目に見ながらぬかるんだ道を歩く
墓地だけど敷地内に人は生活しているみたいで
時折犬の鳴き声が聞こえたりする


道端に男の人が一人倒れていた
どうやら酔っ払いらしい
うつ伏せに寝ていてピクリとも動かない
現地ガイドの「酔っ払って寝ているだけ」の
言葉を信じて通り過ぎた

一通り墓を参って戻ってくると
男の人はまだ寝ていた
ホントに寝ているだけなのかな
まさか・・・

現地ガイドが言葉をかけたけど動かない
揺すってみたけど何の反応もない
それでも「大丈夫、生きてるから」という

よくある光景なのだろうか
ロシア系の人だったみたいなんだけど
ウォッカなんかを飲み過ぎて道で泥酔しちゃったのかな
ちゃんと生きてるといいなあ

その日の昼食後
とうとう地元の菌にやられて
スーパーゲーリー状態に陥った私も
道端で倒れそうだったけど
抗生物質を飲んで驚異的な早さで復活しました


帰ってから日記(6)

2005-09-16 |  中央アジア
キルギスタンの国土の
平均海抜は2750mだそうです

8月7日(日)

<この日のスケジュール>
・バザール見学
・遊牧民のお宅拝見
・バスで国境を越えカザフスタンのアルマトイへ

日程の変更でアルマトイは3連泊になった
連泊する時は洗濯をすることにしていて
ズボンなんかの大物を洗うつもりでいたんだけど
フッと魔が差して洗濯出しちゃおうと思った

部屋に専用の袋とカードがあるのは見たことあるけど
今まで一度も利用したことはないので
仕組みがよくわからない
しかも今回の部屋にそれらしい袋はなかった

添乗員の説明では
「専用番号に電話すれば部屋に取りにきます
 電話が通じないときは
 各フロアにランドリーレディがいるので
 そこで頼んでください
 代金はチェックアウトの時にドルで払えます」
だそうである

夕食後早速電話してみた
電話に人が出たけどカザフ語だかロシア語で
しゃべるばかりで全然通じない
英語じゃ駄目なんだね

しょうがないので電話を切って
ランドリーレディの部屋までいってみた
レディはいたけどやっぱり言葉が通じない
これはもう実物を持ってくるしかないなあ

一度部屋に戻って
ズボンを2本持って再びチャレンジ
「これよろしく!」と日本語で言いつつ渡すと
レディはジェスチャーで「アイロン?」とやった
「違うよ~洗って欲しいの~」と身ぶりで返す

どうやらわかったらしい
ちょっと不安だったけど鍵を見せて部屋番号を伝え
撤収した

一日観光して戻ってきたら
部屋に置いてあるのかと思ったら
翌朝ご飯に行く前に部屋がノックされ
見覚えのある2本のズボンを提げたレディがきた

「仕事速いね~~ありがとう~~」と受け取ると
レディは数字の書いてあるメモを見せた
どうやら今お金を払えということらしい
カザフではまだ両替をしていないので払えない

「チェックアウトの時フロントで払う」は
どんなジェスチャーをすればいいんだろう(汗)
でも何とかわかってもらったみたい

2日後出発の前に代金を払おうとしたら
「ドルじゃ駄目」とフロントで言われ
ダッシュでホテル内の両替屋に走った・・・

添乗員の言うことって結構当てにならないよね