佐川官兵衛は、武勇に秀でているが人情にも厚く、後に山川浩は「佐川の人望は薩摩における西郷のようだ」と語ったそうです。
熊本県南阿蘇村にある鬼官兵衛記念館 興梠館長によれば、
『地元の人々は、官軍も略奪を働くのではないかと恐れましたが、官兵衛は不正の行為がないよう巡査を戒め、物資を買うための資金も充分に渡してあったので、不祥事は起きませんでした。村人達は親しみをこめて込めて「鬼さま」と呼んだといいます。
・・・薩軍一揆勢の小隊長、鎌田雄一郎が官兵衛に対して、一騎討ちを挑んできました。会津藩随一の使い手であった佐川の剣はするどく、鎌田危うしとみた薩軍の長野さばくは、卑怯にも鉄砲で官兵衛を狙い討ちし、ここに官兵衛は非業の最期を遂げたのです。享年四十五才。強い意志を持ちながらも歴史のうねりに翻弄された短い生涯でした。』
合掌
南阿蘇村には、官兵衛関連の碑がいくつも建立されています。折しも昨日、白河にやって来た「くまもん」の愛らしさと機敏なステップワークに、熊本の人々の真摯な心根と官兵衛の人となりがオーバーラップするようでした。