フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

「モーゼの井戸」見学など忙しい一日の始まり        

2021-04-24 00:06:46 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

一泊した後、スケジュールに沿って、動き始める。長ーい1日の始まりだ。

 

まず午前中は、ディジョンに行き、「モーゼの井戸」を見学し、お昼は家に帰って食べ、

午後から大阪のフランスフェアに来ていたジャムを作っていた農家を訪問。

そして夕方は、やはりフランスフェアに来ていたディジョンのマスタード大使との約束があり、マスタードの原料の畑に行くことになっている。

 

一日目から、ハードなスケジュールである。

 

朝食を済ませると、台所で早速奥さんが、お昼の用意とデザートの用意をしている。

昼は「ブッフ・ブルギニヨン」(牛肉の赤ワイン煮)で、ブルゴーニュの名物だ。最初に訪問したときから奥さんのご自慢の料理で、年季の入った煮込み鍋に、アルマニャックというフランスの有名なお酒を入れて、火をつけるところまで、エスカレーターは見せてくれた。

デザートにはリンゴのタルトを準備していた。

そして、エスカレーターとともに、ディジョンまでトラムに乗っていく。トラムは、ディジョンの名物カシスの色だ。

シャンモル修道院のモーゼの井戸は、今は修道院は病院になっているそうで、庭にある井戸を見学することができる。

六角柱には、旧約聖書の予言者が彫刻されている。ぽつんとそれだけがある。

屋外でこの日は冷えたこともあり、あまり時間を取らず、ブルゴーニュの生活博物館というところへ行った。

未訪だったので、生活様式や文化理解もでき、とても興味深く、ゆっくり見ることができた。



そして、家に戻り、お昼ご飯。もちろん奥さんの料理はおいしそうにできていた。

付け合わせも、出来ていた。

どうやら、夜の準備もしているらしい。

 

この年代くらいの、ザ・フランス人は、朝こそワインは飲まないが、昼も夜もワインを必ず飲み、チーズも昼夜ともに食べ、デザートももちろんという人が多い。

ここでは、私もいつも同じように頂くことになる。


本当の席のムッシュさんありがとう。

2021-04-21 10:04:08 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

エスカレーターにホームですぐに切符のことを言ったのだが、彼は会ったうれしさのあまりか?(笑)耳に入らなかったようだ。

 

そして、駐車場に行き、30分余りで家に到着し、荷物を整理した後、切符を見せて

6月2日というところを見せたら、大変驚いた様子で、「コントローラーは来なかったのか?」と言うので「幸運なことに来なかったよ」というと、胸をなでおろし、ほーっという表情を見せた。

 

元国鉄職員(エスカレーターのこと)の予約ミスだったら、罰金の免除はしてもらえるかと聞いたら、「Impossible!!」ということだった。無料パスでフランス国鉄にどこでも乗れる彼だが、そこまではさすがに無理だということだ。

もしペナルティーを取られていたら、日本人なら責任を感じ、ペナルティーの金額を弁償すると思うが、フランス人はどうだろう!?

 

それにしてもあの席の本当の予約者だったムッシュに、お礼を言わないといけないと思ったのだが、降りるときに見つけられなかった。たとえダブルブッキングがよくあることだとしてもよくあっさり引き下がって、他の席へ行ってくれたなと、後からその人の「ムッシュぶり」に大いに感謝した。

 

教訓:切符は必ず乗る前に確認すること!!!エスカレーターにはできるだけ、直前に旅行計画を話すこと!!!

とは思うものの、2019年のクリスマスの時、最初は双方とも列車の予定だったので、その時も窓口まで行って予約や、ストライキのため結局車で行くことになり、キャンセルもお願いすることになってしまった。

しかも、窓口の料金のほうがわずかだがHP上より高いことが帰宅後わかり、国鉄(SNCF)にメールで問い合わせをしたり、窓口が休みだったりして、何度も行ったとか。

彼はパソコンは使えるし、どちらかというと理系だが、やはり年齢的なこともあり、時間がかかろうとも、最終的には電話やこのように対面して解決していくタイプということがわかったのである。

エスカレーターは、今回の滞在でも三食分の家の料理のメニューや外食の予約まで4日分完璧にスケジュールを書いていて、そういうところは立派としか言いようがないが、やはり80代になると、こういう「うっかり」がある。さらに頑固なので、説得するのが難しい。

 

本当にまだその緊張感が解けないくらいだったが、奥さんの用意してくれていた懐かしい料理の数々を見ると、少しずつ忘れて、ディジョンでの滞在のスケジュールに気持ちが向いていく。

お土産の浴衣を羽織る奥さんの写真を撮るエスカレーター↓

いつものように移動中の列車内で簡単に食事を済ませているのだが、ここでは遠来の客人のために夕食の準備をしないということはあり得ないことだった。

 

まるで待ち焦がれていた恋人か、大切な家族のためのように感じるほどの二人のおもてなしのスタートだった。ディジョンに住む娘夫妻も招待して。

 

 


リヨンからディジョンへ。その時の大事件!!!

2021-04-20 09:00:18 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

リヨン駅から今度はTGVに乗った。来た時は在来線でポールボキューズのレストランが車窓から見えたが、残念ながら路線が違うため、TGVの車窓からは見えなかった。

 

リヨン17時4分発で、ディジョン着は18時39分着の予定。

TGVで1時間35分、在来線で2時間なので、列車の時刻に合わせてどちらを選んでもよさそうだ。

 

座席について、ほっとして車窓を楽しんでいると、1人のムッシュがやってきて、切符を見せ「ここは私の席なのだけど」という。

びっくりして、私も自分の切符を確かめた。

やはり同じ席だったので、私の切符をムッシュに見せた。

このムッシュは「あれ!?ダブルブッキングかなあ」と、空いているほかの席に移ってくれた。

 

そんなこともあるのだなあと、親切なムッシュの移動に感謝して、何度も切符を見たが、やはり同じ席だった。

 

しかし、しばらくしてよーく見ると、なんと!!!5月2日ではなく、6月2日になっているではないか!!!!!!もちろん私の切符が。

それからの私は、ディジョンに着くまで、気が気ではなかった。

もし、コントロールの車掌が回ってきたら、罰金だ。

ドアが開くたびに、ドキドキ!!!

カウントダウンではないが、あと1時間余りの間、ディジョン到着時刻へ向けて、時間ばかり気にしながら、その席に座り続けた。

席を移動してくれたムッシュは、近くにはいなかったが、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。



エスカレーターは元国鉄職員なので、今回の旅にあたり、旅程を相談した時、国鉄のサイトを何度も送って、「この切符を今取れば、この値段だから取ってあげよう」と言ってきたのだった。

だが、お金の精算もややこしいし、何といっても日本から簡単にネット予約もできるので、大丈夫だと答えたのだが、この区間に限って、彼が示した料金は、私がネットで確認した料金より安かったのだ。それで「じゃあお願いしようか」とこの区間だけ、切符を彼にお願いした。

 

そのこともあって、リヨンへ旅立つ前に、ディジョン駅に来てくれて切符を渡してくれたのだった。

 

しかし、その切符が、1か月後の切符だったとは!!!!!

そりゃ、安いはずだ。フランスの国鉄切符は予約する時期によって値段は変動する。

1か月後なら安くて当然のこと。

うかつだった。もちろんちゃんと確認できなかった自分を責めた。

予約時にも、最悪でも受け取った時に確認できたはずだったのに。

 

前年バスク(時系列を逆行しているので、これは次の旅行記になる予定)に行ったときもチケットの確認ミスで痛い目に遭っていたというのに。

 

そんな思いが交錯しながら、ディジョン到着を、祈るような気持ちで待っていた。

その思いが通じたのか、幸運なことに車掌がコントロールに回ってくることはなかった。

 

フランスでは、ほんの短い距離でも回ってくることもあれば、長距離でも回ってこないこともあるのは知っていた。でもこの時ほど、回ってこないことを願ったことはなかった。



やれやれ、どうにか、到着。

エスカレーターは奥さんとともにホームで待っていてくれた。

まず、エスカレーターに会ったら、このことを言わなくっちゃ。

 


リヨンで働く日本人女性2人、とても感じのいい人達だった。

2021-04-19 09:03:56 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

今日は夕方、ディジョンへ向かうことになっている。

それまでリヨン散策だ。

 

マリーアンジュは在宅で仕事をしているが、子供たちやマニュエルとは朝、お別れだった。

昨日マニュエルが買ってくれた赤いプラリネで有名な店のブリオッシュを食べた。

そして、今日はまず広場をいくつか通って、お昼くらいにポールボキューズの市場へ行き、ランチの予定だ。

パッサージュという小さなアーケード街もあったので、歩いてみた。パリより物価が安いので、ゆっくり見たかったが、ポールボキューズの市場で約束があったので、市場へと向かった。

これが市場↓

ここで、日本人の知人と会うことになっていた。

彼女は日本のワインやチーズなどのお店で働いていて知り合ったのだが、フランス好きが高じて?チーズ屋さんで働くためにリヨンに来ている。

 

少し予定の時間より早く着くと、彼女はいなかった。

そこで、市場の店を回ることにした。

何人か日本人観光客にも出会った。

日本語で書かれているものまであった。↓

チーズ屋さんによると、日本人の知人は働き者だそうだ。

大変評判もいいようで、日本人の働きぶりを評価され、嬉しくなった。

彼女からネット利用しない地図アプリを教えてもらい、その後の滞在でもこれが大変役に立ち、フランスによく来る友人にも教えたら、喜んでもらえた。



目移りするくらいケーキの店も沢山あって、とりあえずランチの後、公園で食べようと思い買ってみた。



散策中、こんなかわいいプレートも↓

リヨンには有名なチョコレートのショップもあり、少し離れたところではあったが、お茶でもと思い行ってみた。ここでも、日本人の女性が働いていた。彼女もとても感じのいい人であった。

 

せっかくなので、ココアを頼んでみた。

今日はお天気も良く、もっと散歩していたかったが、列車に遅れると困るので、マリーアンジュの家に戻った。

そして、支度をして、教えてもらったバスに乗って駅まで行くことになった。

まさか、この一年後、クリスマスをマリーアンジュやブリジットさんたちと過ごすことになろうとは、この時は思ってもみなかった。

マリーアンジュのリヨン滞在は数年の限定でもあり、もう最後かなと思っていたので、思いを残しながら、お礼を言ってお別れしたのだった。

彼らは、コロナ禍の2020年の夏前に5年のリヨン滞在を終えて、パリに戻った。ほんとなら、今年新しいパリの新居を訪問の予定だった。

そして、そんなリヨン滞在を胸に、いよいよ、エスカレーターの待つディジョンへと向かう。

列車でとんでもないことが待っているとは、この時は思いもしなかった。

 


リヨンの「大だまし絵」と「トラブール」

2021-04-18 13:04:56 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

リヨンでの2日目は、メーデーで、マニュエルも子供たちも休みだ。

 

朝から散歩に出かけたがメーデーなので、人が集まっていた。と言っても行進などは見なかった。それほど大勢の人が密集している状況ではない。公園みたいなところに大勢の人がいるが、何となくのんびりとしていて、誰かが演壇上で演説するといったことはない。

ただ少し離れたところに、警察官が多数集まっていて、集会の状況を監視しているのを見た。これも日本と違う感じで、ちょっと緊張感があった。そこはやはり革命の国である。

 

今回は2007年に行かなかったところの、まず一つ目はクロワルースの丘の上、そして、トラブールという抜け道を探検?したいと思っていた。

時系列では逆になってしまったが、2019年のクリスマスの滞在でも紹介したように、ここリヨンの「だまし絵」に、圧倒された。壁面一面におよそ7階建ての建物のベランダ側が書かれていて、そこに書かれている人も実在のポールボキューズとか、サンテグジュペリなどの有名人を特定できる。

あいにくの雨で、肌寒く、少し散策しては、家に戻って暖を取ると言った感じになった。

 

お昼は、フランス人のレストラン、「ベラミ」(モーパッサンの小説のタイトルにもあるように、直訳は美しい友人、でもいろいろな意味があるようだ)

こういうフランス人による小さなビストロが私の好みで、大変満足だった。もちろんお店の人もフレンドリーで感じがよかったことは言うまでもない。

双子の子供たちは、元気があり余っていて、動き回っているが、かなり自由な感じで階段の

手すりを滑ったり、手すりに腰掛けたり、ひやひやするような場面もあったが、こういう時

フランス人の特に父親は、目を配り危険をもちろん回避するすべも承知しているのだろう。でも、ドキッとさせられる。



小学校は能力別クラスに分かれていて、双子でも2人のクラスは違い、男の子のアントワーヌは優秀なクラスにいるそうだ。女の子のステラは少し勉強は苦手なようだが、体を動かしたり音楽が好きらしい。

二人ともテニスを習っていて、アントワーヌは日本が好きなので、日本語の勉強もしているそうだ。ステラはロックダウン中、同じマンションの男の子とバルコン越しにチェロの演奏をしているビデオがおじいちゃんから送られていたが、お母さんのマリーアンジュは熱心に注意をしていて、この時はいつものステラとは違って、大変緊張の面持ちだった。

 

フランスの子供たちは、いつものびのびばかりではなく、このように厳しい時は厳しく育てられているので、集中力も培われることがうかがわれた。

 

クロワルースの丘から、旧市街(ここは2回目だが、好きなところ)へ向かう。

旧市街↓

やはり古い町並みは、フランスらしさを感じて歩いているだけで、幸せな気分だった。

 

トラブールという抜け道は大きな通りから隣の通りまで細い通り抜けられる道がある。なぜこのような道が出来たのかは、昔、絹織物のデザインを盗まれないように運ぶためとか諸説あるらしいが、第二次世界大戦の時にナチスドイツに対するレジスタンスの活動には非常に役だったと聞いている。

公開されているのは400くらいあるうちの約1割とのことで、その1本を通り抜けてみた。京都の街によくある細いとおり抜け道よりまだもっと狭い細い道だった。こういうところを通ってみるのも楽しい。

今夜はマリーアンジュが腕を振るって作ってくれた料理だ。

簡単だというが、レストランの料理もいいが、家庭料理はさらにおいしく、お腹いっぱいでもつい頑張って食べてしまうのだった。







フランス人交流


フランスランキング

ブログランキング


フランスランキング