フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

日本人女性より日本人女性らしいブリジットさん

2021-04-13 08:15:25 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

郊外線の終点の駅からはブリジットさんが運転する車で、彼女の家族が待つ家へ。

 

ブリジットさんとは、奈良のとある病院でたまたま隣の椅子におられた日本人のご主人と話をされていて、フランス語が聞こえたので、話しかけたことから交流が始まった。

ご主人にはその時会っていたが、娘さんと息子さんとは、初対面だ。

 

まず庭を見てびっくり。石の灯ろう、知足の蹲まである。

家に入ると、クリスマスの時のブログでも紹介したが、畳に炬燵がある。

トイレは、温水洗浄便座だ。

フランスでは電化製品先進国日本からすると不便なことが多々あるが、その不便ささえもフランスびいきとしては楽しんではいる。

しかし、やはり温水洗浄前座をフランスで見ると、大げさではなく感激してしまう。

 

もちろんフランス式にアペリティフもあり、夕食のテーブルは、ガレットだった。

お好み焼きのプレートのようなものにめいめいが、好きなものを載せて焼くスタイルだった。そして、そのまま中身を甘いものに変えて、今度はクレープになる。

いろいろな話をしたが、ほとんど日本語だったので、かわいそうなのはブリジットさん。

些細なミスで「これ」「それ」「あれ」の間違いのようなものさえ娘さんがそのたびに指摘するのには、家族同士とは言え私からすると、少し気の毒なくらいにさえ思った。もちろん、日本人だからそう感じるのであって、それは普通の事なのかもしれない。

野球をやっているという息子さんは、そのぶん?ソフトで優しい感じの好青年に思えた。



日仏カップルの友人はそんなに多くない。というか、もう一組はご主人がフランス人で奥さんが日本人のカップルで、そういうカップルが多い中、この二人は逆のカップル。

日本大好きなブリジットさんは、昔の日本人女性のように、日本人のご主人の言うことをよく聞いているような印象を受けた。



さて、そんな話をしているうちに、もう11時を過ぎていた。

帰りはご主人の運転で 片道でも30分以上かかるマリーアンジュの家まで送ってくれ、お礼を言って別れた。

 

コロナになって、早くからマスクをつけていたご主人が会社でからかわれるのよ、とブリジットさんは憤慨していたが、つい最近も連絡があり、「ああ、日本に戻りたいわ」と言っていた。

 


どちらもいい人なのに、結びつかないフランス人同士のクールな一面 

2021-04-12 00:17:14 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

昼食後、マニュエルは仕事に戻り、マリーアンジュがブリジットさんとの待ち合わせ場所まで同行してくれた。

 

リヨンでの予定を組むとき、マリーアンジュとブリジットさんに連絡したところ、ブリジットさんが「じゃあ私からあなたの友人のマリーアンジュに連絡をしてみるわ」ということになって、リヨンでの予定を調整してくれたのだ。

 

これは、2019年のクリスマスの時も同様だった。

しかし、日本人夫がいるブリジットさんはもちろん半分日本人のような人なので、よく私のことを考えていろいろ申し出てくれるのだが、マリーアンジュは親日家と言ってもフランス人である。

フランス人同士は、なぜか私の友人だからと言って、そうやって連絡を取り合っても仲良くなることはない。

そのくせフランス人は、自分の友人の日本人をやたら私に紹介したがる。このことは、解るようで解りにくい。

 

クリスマスの時など、マリーアンジュの両親が「ブリジットさんてどんな人?」と聞いた時、わたしがいたにもかかわらず「連絡を取っただけ、それだけよ。」と答えていた。

「えー、それはないでしょ」と私は思った。

二回も連絡を取ったし、もちろん待ち合わせ場所などで顔も合わせているし、私がどちらの友人にもざっとどんな知り合いか説明しているのにと思う。

 

待ち合わせ場所などで会った時には、社交辞令なのか?どちらも満面の笑みで、挨拶の言葉を交わし、時には日本旅行について話をする人もいるが、「それだけ、その時だけ」ということになってしまう。

 

まあ、そんなところが、フランス人はクールと言われるところなのかもしれない。

でも私と一旦友達になると、ほんとに誰もがとても親切で優しく、それぞれ魅力的だ。



ということで、奈良で知り合ったブリジットさんと初めてフランスで会ったのだった。

リヨンは彼女が生まれ育ったところで、町案内はいろいろ考えてくれていた。

まずは、旧施療院が、美術館やレストランなどの商業施設に生まれ変わっているところだった。

17世紀の建物だそうだ。

地下鉄にも乗り、有名な広場二か所に行った。まずベルクール広場、これは2007年にも来たところだが、その時は見つけられなかった「星の王子様」の銅像がどこにあるか、教えてもらいありがたかった。

そして、ポールボキューズの銅像にも挨拶!?した。

最後はテロー広場。ここは初めてのところだった。フランスの華やかさが感じられる広場だ。

 

そして、また地下鉄に乗って、郊外のブリジットさん宅へ向かう。




日本人経営のフランス料理店は、日本人に愛想がよくなかった。

2021-04-09 10:59:44 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

11時44分にリヨン駅に到着。マリーアンジュが待っていてくれた。

マリーアンジュと再会して歩いていくと、「あっ、間違えた!こっちの出口じゃなかった。」全く反対方向に歩いていることに気が付いたようだ。

えー!!!ここに住んでいて、しかも時々仕事で一週間に一回はパリに行っているのに!?

この人は大学のドイツ語の先生で、パリの有名なリセ(高校)を出ている人なのだが、意外にもこんなところがあるのだった。

 

お昼は、日本人経営のフランス料理店を予約してくれているそうで、荷物を置いた後、すぐにそちらへ移動し、ご主人のマニュエルと合流した。

 

なるほど、人気店の様で、満席だった。

軽い感じのフランス料理で、少し日本風なテイストも使っているようだった。

今は普通になっている?ゆずや小豆などが使われていた。

お料理はまあまあ良かったのだが、他のテーブルにはシェフが挨拶に行っているのになぜか私たちのテーブルには来なかった。

マリーアンジュとマニュエルは初めて来たわけでもなく、二人ではもちろん、両親が来た時も挨拶に来ているそうなのにだ。

でも、彼らは満足していたし、私が喜ぶと思って日本人の店を予約してくれた手前、そのことは言わなかったが、なにか、在仏日本人、またはフランスで会った日本人にこのような思いを感じることが多いのは、残念なことである。

いったいなぜなのだろう。まだよくこの心理が解らない。

 

さて、ランチの後は、ブリジットさんとの約束があるため、オペラ座の前まで送ってもらった。





日本人は、海外で日本人にも疑い深い人間になる!?

2021-04-08 08:13:09 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

8時51分発の列車に乗るため、朝ごはんを早々に済ませ、アンリ・アニエス夫婦二人は駅まで送ってくれた。

5月1日は日本ではメーデーというが、フランスでは「スズランを送る日」ということで、一足早く、昨日アニエスの従弟から頂いたスズラン(ミュゲ)が朝のテーブルに。

アニエスのお母さんには着いた日に少しだけ会うことができたのだが、普段は老人ホームにいるらしかった。90代半ばくらいだったが、とてもしっかりしていて、アニエスが「(私のことを)どこから来たかわかる?」と聞いていた時も、「わかっている.日本でしょ」と答えていた。(そして後日談だが、実はこの翌年彼女は亡くなった。)

そんなお母さんとの思い出の家で数日間滞在させてもらえたことは、本当にありがたいことだった。

 

そんな余韻を残しながら、ディジョンへと向かった。

ディジョンで待っているのは、エスカレーターだ!!!!

彼は、乗り換え時間13分で大丈夫かなと思っていた私に「乗り場への案内も任せなさい」と言い、また大きな荷物での移動は大変だろうと、大きなスーツケースを取りに来てくれたのだった。

お陰で私は2泊するリヨンへ、身を軽くして行けた。

リヨン泊のあと、ディジョンに戻りエスカレーター宅で4泊させてもらうので、できることだった。しかしディジョンの隣の市に住んでいるので車でも30分以上はかかる。

まあ、ちょっと会いたい気持ちもあったのは確かだろうが、至れり尽くせりであった。

親切なおじさんであるが、親切すぎて勇み足気味なところがあり、それは後日大変な事態で判明するのであった。

 

ホームで列車を待っていると、日本人の6人くらいのグループがいた。

リヨン行もまたローカル線に乗るのだが、彼らはまだホームにいる。

それほど本数がなかった記憶があったので、「どこまで行かれるのですか」と聞いたら、

「ボーヌ」という。この列車はボーヌを通っていくことを表示で見ていたが、もう一度エスカレーターに確認し、彼らに「ボーヌに停まりますよ」というと、「えっ!」という感じだったが、不安げな様子で乗り込んできた。

乗ってからそのうちの二人は「ありがとう」と言ったが、後の人たちは無言だった。まだ半信半疑というところらしい。

 

同じ日本人なのに、もしかしたら信用されていないのかと悲しくなる。

あまりに不安で、そこまでの余裕すらなかったらしい。海外では疑い深くなるようだ。何か残念な気持ちだった。

もちろん15分ほどでボーヌに到着し、彼らは降りていった。

 

そんな気持ちを振り払うように車窓を楽しんでいると、リヨン駅に着く少し前に、田園風景から突然カラフルな建物が見えた。

まったく唐突に現れたのだが、あとでそれが、かの有名な伝説?のレストラン「ポールボキューズ」だったことを知った。

カメラに収める間もないくらいの事だった。

 

そして、いよいよリヨン到着。2007年以来になる。


ブルゴーニュの葡萄農家の大きな家は、電話で話す!?

2021-04-07 00:05:00 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

荷物だけ置くと、車で数分のアニエスの従弟の家に行った。

家を外から見ても大きな家だが、中に入ってもっとびっくりするのだった。

右側は、昔の家↓ 手前に新しく建てた家(下の写真)

とてもモダンな部屋がいくつもあり、そのどれもがとても広かった。

初めて会う、アニエスの従弟の名前は失念してしまったが、奥さんはマリージョーという。

息子が二人いて、その二男のJフィリップがベトナム人ディアンヌと結婚したのだ。

アニエスの甥と書いているが、従弟の息子ということになる。

ややこしくなるので、これからもアニエスの「甥」ということにする。

 

マリージョーとご主人が普段は二人だけでこんな広い家に住んでいるというのにびっくりしていると、「(家の)どこにいるかわからないときは、電話をするんだよ」と冗談のようで本当の話らしい。

 

どうして農家の家がこんなに立派なのか。それは、ここがブルゴーニュだからだ。つまりブドウ農家だからということだろう。

ディアンヌは結婚してから秋になると収穫のお手伝いもするという。

彼らが結婚したときは、記念のワインをたくさん作ったということだった。

新婚旅行で来日したときもそのワインをいただいたし、この日ももちろんいただき、2019年の春にももらった。

それにしても素晴らしい家だ。

まずはアペリティフ。そして、テーブルへ。

マリージョーは料理が得意ということだった。メインはフォンデュブルギニオン(お肉のフォンデユ)で、この季節の料理であるホワイトアスパラ。デザートはお手製のリンゴのタルトだった。

お昼もコースでしっかり頂いた後だが、全部食べてしまった。

ここでは、カロリーを気にしてはいけない。

食事の後は、地下の見学。お父さんとJフィリップは車が趣味だそうで、三台の古い大きな車が大事そうに置かれていた。

アンリはそんな中で、いつも笑わせてくれる。今宵はベレー帽とバゲットとワインをもって

「ザ・フランス人だ」と。

さて、そんな彼らとの楽しい時間ももう最後の夜。明日の朝にはリヨンへ向けて出発だった。

 

ローカル線で乗換駅のディジョンへ向かう。






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