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帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

終戦記念日

2006年08月15日 | ミクロネシアの生活
今日はテーマに分けて2つブログを書きました。

今日は終戦記念日。アメリカに言わせると日本に勝った日。また敗戦記念日です。

ミクロネシアにきて、最も気になっていたことが戦争時の事です。
正直ミクロネシアの人からは「日本人はよかった」という言葉しか聞きませんが。

今日終戦記念のことを家族に話してみましたが、家族は遠慮とかをしているのではなく、知らないようです。
(もっと詳しく感じていかないといけませんが)

仕事を終えて、スペインウォールの公園にある日本の慰霊碑に行ってきました。
物故者慰霊碑とあり、ミクロネシアへ建設に尽力しつつなくなった方へ、また太平洋戦争で亡くなった人にとありますが、日本人の犠牲もさることながら、きっと空襲などでミクロネシアの人も亡くなられたのだと思います。そのこともお祈りしました。

この日は改めて、日本人が平和について、今までのことを教訓にしていくいい機会だと思います。
ここで書きて、思い出しました。最近言わなくなったけど「太平洋戦争」なんですよね。

この国(ミクロネシア)のためにがんばった人、ミクロネシアの人が「日本人はいい人で、教育とかを教えてくれた」と感じさせてくれた人、たくさんの人のおかげで今のミクロネシアでの私たちの活動が成り立っているのだと思います。悲しい歴史はありましたが、それを胸に刻みつけて、僕たち海外で活動するものは、今の日本人として活動して行かなくてはいけません。良い意味でも悪い意味でも「日本人はこんなひと」という印象は僕の行動にかかっていることを意識して。

遠くにいるからこそ日本が感じられる。それはここに来る大きな意味ですが、ここでは太平洋戦争は大きな意味を持つ振り返りであり、新たな誓いをすべき出来事です。

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1 コメント

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8月15日 (james)
2006-08-18 11:28:25
いつもブログを楽しみにしております。



15日、日本では小泉総理の靖国神社参拝でさまざまな議論が交わされていました。参拝反対・賛成論という二元論ではなく、靖国に眠る戦没者たちの当時の姿や、ご遺族の意見が静かに伝えられており、当時の戦争を実体験としてもっていない私なりに、深く考えさせられました。



しかし、マスメディアを利用し、私利私欲のもとに、靖国神社参拝と外交を結び付けすぎたり、逆に、ナショナリズムを強化しようと試みたりする人々の姿が見え隠れして、太平洋戦争の犠牲者が誰なのか、その犠牲を再び産み出さないためには、何が必要なのか、その部分が隠れてしまっているようで、とても悲しくなりました。書店には最近、「国家の品格」などのナショナリズムを強調する書籍が立ち並んでおり、「戦争犯罪国ニッポン」という教育や考え方を批判した内容のものまで出てきました。



micronesia2006さんは、母国から離れて感じられた太平洋戦争について書かれていました。わたしは、母国にずっと滞在しています。そしてその中で、最近、「犯罪国」として罪を償うという考え方を持ち続けてもよいのではないかと考えるようになりました。



怒りは戦争を引き起こす材料になります。怒りの根源は不安と恐怖から来ると思います。そうなると、日本という国はアジア近隣諸国に不安や恐怖を与えた事実は変わりなく、その意味では「犯罪国」だと思います。



武器を持って闘う、勝利するということが、強いことなのではなく、先進国でありながら、武器を持たず、戦争を非難し続けることにこそ、「強さ」があるのではないかと思うのです。少なくとも太平洋戦争では「犯罪国」であったわけですから、その事実を美化させてしまうことは、武器を持たなければこちらがやられてしまうという「弱さ」から来るものではないかと感じるのです。



15日は、小泉首相の動向で、良くも悪くも考えさせられた一日でした。



ミクロネシアの現地の人々は、「日本人をよいひと・教育の機会を与えてくれた人」と思われているのですね。戦後の政府の教育や文化の違いによって、日本人に対する見解が違うということを知ることができ、とてもよかったです。



From james
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