ある少年の話。
おじいさんにはたくさんのこどもがそして孫・ひ孫がいます。
その中の一人にいつも陽気で明るい12歳の子どもがいます。
大人の話にもすぐに入ってきて、一緒に話したり、合図地を打ったり。
でも前に少し彼のお父さんの話をすると「よくサカオを飲む」と少しさびしそうだったことを覚えています。
そしてこの間から、よくおじいさんの家にとまりに来ています。
前も一緒に泊まって、朝ごはんを食べているとお父さんから電話で「お前が帰ってこないから鳥の餌はどうするんだ」って電話がかかってきて、彼は少し困り顔。
周りの大人(おじいさんや42歳のお孫さん達は)「大丈夫だよ、君がいかなくても鳥なんて大丈夫」って慰めてくれていました。
そんな僕の家は子どもたちにも優しい家族です。
でもいつも彼の少し大人びてまで明るくするときになぜだろう?と少しだけ頭のすみっこに気にかかっていました。
金曜日、コロニアに行くため、タクシーに乗ると、おじいさんからタクシー代をもらって、袋にたくさんのものをつめてその少年も乗り込みました。
そして、何故か彼を励ましたくなって「君はラッキーだよ。だってやさしいおじいさんがいるもんね。おじいさんは君のことが大好きだよ、そして僕も君が大好きなんだ」とタクシーの中で話しました。
彼の山のほうにある家に続く道を通り過ぎるので、「今日はどこにいくの?」と聞くと、彼は「知らない名前を口にしました」僕が「それって誰?」と聞くと「僕のお母さん」と答えました。
道はコロニアに行く少し手前で山道に入り、質素な小さな家に近づくと「ここでとまって」とタクシーの運転手さんに告げると、大きな荷物をいれていたタクシーのトランクから荷物を肩にかけて「またね」ととても明るく子どもらしい笑顔で小屋のほうへ走って行きました。
彼から今までお母さんのことは聞いたことがありませんでした。
彼の住んでいる家と彼のお母さんだという人の家が全く違うところにあることしか僕にはわかりません。
でも彼が大きな荷物を肩にかけて質素な小屋に向かうときに見せた一瞬の笑顔がすべてを物語っていたように思います。
まだ12歳だけど、彼の中で様々な葛藤があったり、自分ではどうしようも出来ないものを背負って生きていたりするんだと思うと、なんだかこみ上げてくるものがありました。
今日は恥ずかしながら、2回もこみ上げてくることがありました。
一度は前のブログで書いたワークショップで仲間が頑張っているとき、
そしてもう一度はいろいろなものを背負って生きている少年を見たとき。
人の悲しみに気づかず、人の悲しみを一緒に感じずに自分は生活してしまっているのだと思います。
悲しいことはなんだかつらいことだったり、沈み込んだりしますが、一人で悲しむより、二人で悲しんだほうがいいこともあるし、人の悲しみに自分が気づかずにいることの怖さを感じます。
もちろん、仲間の成功のように素敵な涙・悲しみに出会えればHAPPYだけど、悲しいことに気づける、悲しみに少しでも近づける自分でいたいと思います。
おじいさんにはたくさんのこどもがそして孫・ひ孫がいます。
その中の一人にいつも陽気で明るい12歳の子どもがいます。
大人の話にもすぐに入ってきて、一緒に話したり、合図地を打ったり。
でも前に少し彼のお父さんの話をすると「よくサカオを飲む」と少しさびしそうだったことを覚えています。
そしてこの間から、よくおじいさんの家にとまりに来ています。
前も一緒に泊まって、朝ごはんを食べているとお父さんから電話で「お前が帰ってこないから鳥の餌はどうするんだ」って電話がかかってきて、彼は少し困り顔。
周りの大人(おじいさんや42歳のお孫さん達は)「大丈夫だよ、君がいかなくても鳥なんて大丈夫」って慰めてくれていました。
そんな僕の家は子どもたちにも優しい家族です。
でもいつも彼の少し大人びてまで明るくするときになぜだろう?と少しだけ頭のすみっこに気にかかっていました。
金曜日、コロニアに行くため、タクシーに乗ると、おじいさんからタクシー代をもらって、袋にたくさんのものをつめてその少年も乗り込みました。
そして、何故か彼を励ましたくなって「君はラッキーだよ。だってやさしいおじいさんがいるもんね。おじいさんは君のことが大好きだよ、そして僕も君が大好きなんだ」とタクシーの中で話しました。
彼の山のほうにある家に続く道を通り過ぎるので、「今日はどこにいくの?」と聞くと、彼は「知らない名前を口にしました」僕が「それって誰?」と聞くと「僕のお母さん」と答えました。
道はコロニアに行く少し手前で山道に入り、質素な小さな家に近づくと「ここでとまって」とタクシーの運転手さんに告げると、大きな荷物をいれていたタクシーのトランクから荷物を肩にかけて「またね」ととても明るく子どもらしい笑顔で小屋のほうへ走って行きました。
彼から今までお母さんのことは聞いたことがありませんでした。
彼の住んでいる家と彼のお母さんだという人の家が全く違うところにあることしか僕にはわかりません。
でも彼が大きな荷物を肩にかけて質素な小屋に向かうときに見せた一瞬の笑顔がすべてを物語っていたように思います。
まだ12歳だけど、彼の中で様々な葛藤があったり、自分ではどうしようも出来ないものを背負って生きていたりするんだと思うと、なんだかこみ上げてくるものがありました。
今日は恥ずかしながら、2回もこみ上げてくることがありました。
一度は前のブログで書いたワークショップで仲間が頑張っているとき、
そしてもう一度はいろいろなものを背負って生きている少年を見たとき。
人の悲しみに気づかず、人の悲しみを一緒に感じずに自分は生活してしまっているのだと思います。
悲しいことはなんだかつらいことだったり、沈み込んだりしますが、一人で悲しむより、二人で悲しんだほうがいいこともあるし、人の悲しみに自分が気づかずにいることの怖さを感じます。
もちろん、仲間の成功のように素敵な涙・悲しみに出会えればHAPPYだけど、悲しいことに気づける、悲しみに少しでも近づける自分でいたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます