Mieko Carey

Hafa A dai!

Saipan Camp

2012-07-24 10:29:05 | 日記
ご存知の方は知ってのとおり、Carey家はGUAMに移動しマース
Kevinが5月にGUAMで新しい仕事が見つかり彼は既にGUAMで仕事中。

私はハーフアイアンマンや皆生トライアスロンがあったため、慣れているSAIPANで別居中。
8月の終わりにあるエクステラJapanが終わり次第GUAMに移りまーす。

日本からもさらにお越しいただきやすくなりましたので、ぜひGUAMきたときはご連絡ください。

さー一人サイパン。
ということで一人キャンプ!といっても寝床のことではありません。
現在友人のMさんちに居候。

キャンプはエクステラに向け気合を入れなおし一人トレーニングキャンプです。
写真日曜のバイクの後の遅めの朝食。

EGGのなかにはたくさんの野菜とチーズ。
めちゃくちゃおいしく完食です!!

感動

2012-07-18 15:54:26 | 日記
この写真を送られたとき、さらに又”本当に両親のおかげでここまでこれたのだ”と
実感。心からの感謝。

私にはいつも応援団がついてると実感。

妊娠中の姉は名古屋に応援に駆けつけてくれて、、

昨年の皆生は一番上の姉の家族が応援に。


そしていつも応援してくれているKevin.

ちょっとあの走っているときのネガティブなことを考えた自分が恥ずかしい。
これからはいつもこの写真を頭に浮かべレース!

皆生トライアスロン

2012-07-17 20:17:04 | 日記
第32回皆生トライアスロンへ5年連続参加させていただきました。
この皆生トライアスロンとサイパンで行われているタガマントライアスロンとの国際交流を目的に約7年前から選手の派遣を行っています。

残念なこと??(私はラッキー!!)にサイパンからの出場希望選手が少なく、(本来ならば毎年違う選手を送りたいのですが)5年連続出場させていただいております。

この皆生は毎年何かしらある!!

第一回目の参加は台風直撃翌日のためスイムは中止、バイクも雨で土砂崩れなどの危険があるため110キロへの短くなった。
第二回目レースは通常どうり行われたが午後になり雨が振り出し6時ごろには大雨注意報が出されレースを途中で中止に。
3回目からは”Mieko さんが何かしら連れてくる!”とまでいわれ、、昨年は猛暑で150名ほどのリタイヤ。
そして今年。
金曜入りで皆生に来ると天気は曇りですごしやすい気温。今年はいいかも?と。

しかしホテルについてみると、、ロビーから見える海の景色にびっくり。
約3,4Mの高波。

レース前日の土曜には”あのままの波の高さならばスイムは中止、ラン8、4キロに変更”

ランが苦手の私はレース前日から不安と憂鬱に、まー私と同じ思いの方はたくさんいただろう。オーストラリアから招待選手できた2人も同じ思い。ライフセーバーの地、サーファーのメッカのゴールドコーストから来た2人にはこの波なんてなんともない。

前日の夕食は3人そろって、”スイムがあることを祈るしかない”と。

レース当日。
案の状スイム中止に。
そして7時40分 、8.4キロの第1ランスタート。

これから1日長いレースの始まり、この第1ランは押さえウォーミングアップの気持ちでスタート、239位で145キロのバイクへ。

スイム中止、バイクでは向かい風、そして気温はこの日全国第2位を記録した35度しかし体感温度は38度を超えていた。

バイクで順位を巻き返した。この皆生のバイクコースは私の大好きなコースである。
大山の半分まで登っていく、景色は最高である。大山を下ると次はローリングヒルがつずく、100Kを超えてもまだまだ上り坂は続く。
”フルマラソンを走れる人が勝つ”とバイクも次の42.195キロのランを考え抑え気味に、それでもさすがに約5時間弱の上り下りのバイク後は足に来る。

順位を60位まで(女子2位)に上げランへ。

ここからが本当のレースのスタートというのは過去5年で十分経験してきた。
最後の最後まで何が起こるかわからない。

最初の15キロは良かったがやはり午後1時過ぎにスタートしたラン、アスファルトからの気温の上昇、8キロの第一ランと体への負担はかなりきていた。
そして21キロの折り返し地点を過ぎると体に異変が。。

脱水なのか、水の取りすぎかおなかの調子がよろしくない。昨年と同様である。
ここからはすべてのエイドでお手洗い使用。たまに民間のコンビにまでも立ち寄るという事態に。
”なんでここまでして走るのだろう?””やめる勇気も必要?”などリタイヤすることしか頭になかった。

ただそれでもゴールできたのは私は半分を終え後21キロというところにまだまだ折り返しを目標に走ってくるアスリートの姿に勇気つけられ、彼らもまだ戦っている。私もいけるところまで挑戦しようとか、知り合いでプロトライアスリートのMさんもかつて体調不良の中でのレースで”絶対にリタイアだけはしたくなかった”という言葉とか、
一番のパワーは毎年この皆生大会を応援しに来るのを誰よりの楽しみにしている両親の姿を沿道で見たとき、
いつが自分の最後のレースになるかわからない、もしかしたら今日が最後かも?ならば歩いてでもゴールしよう、絶対に両親とあのフィニッシュテープを切りたい。という願いであった。



ここまで女子3位をキープしていたが、トイレを使用中に何名に抜かされているかわからないし、ここまで今の自分の状態と戦っていると順位なんてどうでもいい、ただフィニッシュに行きたかった。

最後の300Mゴールであるスタジアムへ帰ってきた。一番最初に目に入ったのはフィニッシュテープではなく、”美枝子がすぐわかるように”と真っ赤なシャツを今日1日中着ていた父の姿と母の姿である。
最後の100mは念願の3人そろってのゴール。辛かった1日、ゴールしたうれしさ、そして諦めずに成し遂げた達成感で涙がでてきた。

結果は女子5位、あの状態での入賞、何位であれうれしい。

結果的、タイム的には5年間で1番ではなかったが、まー毎回いいレースをできるようにするにはかなりの準備が必要だし、思うようにできなかったレースからは良くできたレース以上にいろいろ考えさせられ、学び、今後のレースへの課題ができた。

レース終了の充実感と、両親と共にゴールができたうれしさで今は満足満足!


皆様、応援ありがとうございます。
来月はいよいよエクステラJAPAN!気持ちを入れなおしがんばります!!



half Ironman in Japan

2012-07-14 12:36:59 | 日記
何名の方から”まだ生きているのか??”と言われたか、、、、
それだけ皆様がブログを気にしているということに感謝です。

タガマンから3ヶ月私事もたくさんありました。

なんとKevinがGUAMで新しい仕事にチャレンジ!!と言うことで5月の末から別居??中。

私は8月にいくか、まだまだサイパンにいるか考え中???

独り身ということで時間がありすぎーーーー!さて何するか?特に週末。
ということでやはり時間つぶしにはトレーニングだーーーー。

KevinがGUAMに移って2日後、日本でのハーフアイアンマン常滑に出場決意。
やるからには練習するぞ。

日曜は100キロから160キロのバイク、そしてその後のランと1日があっという間に過ぎていった。
そんな中でも一番大変だったのはお引越しの準備。6年間住んでいた家には思ってもいなかったほどのBOXの山。
週末にガレージセールを行い小金稼ぎ。
なんて生活をしていよいよ名古屋へ。

初のハーフアイアンマンJapan。
目標は一つ、エリートカードを取得。
そのための条件は女子総合8位以内、そしてトップの女子のタイムプラスその8%。

約1800名のアスリートが世界各国から終結。なんとあの世界チャンピオンの”マカ”こと’クリス、マコーマック”も参戦。

スタートはカテゴリー別。私は8時35分のスタート。
1.9キロのスイムは思っていたほど悪くなく、1位で上がった。
そしてバイクへ、車で下見をしたときには”あーちょっと上り下りがあるなー”くらいでしたがやはり走ると違います!!

かなりのアップダウンで足は約50キロを過ぎるとやはりわかっていました。”痛い!!”と叫んでいました。

無事何とかバイクも終え最後の21キロのランへ。気持ちよく走ろうと言い聞かせていたはずが調子に乗ったか10キロのタイムが速かった。そしてやはり最後のあと3キロと言うところで足がいきなり立ち止まった。左右に歩きながらもあと3キロそしてゴールはそこだーと言い聞かせまた走り出した。最後の最後までこの歩いて、走っての繰り返し。
ここまで全エイジの部の女子2位をキープしていたがここで抜かされ結局総合エイジ3位、自分の年齢別(30-34)では1位になれた。

女子総合では6位、私のタイムは5時間01分。
エリートのカードを申請するためにはあと2分足らなかったーーーー。悔しいがこの悔しさからいろいろ学ぶことが多い。これからへの課題。

又ひとつ大きく成長すればいいなーーー