第32回皆生トライアスロンへ5年連続参加させていただきました。
この皆生トライアスロンとサイパンで行われているタガマントライアスロンとの国際交流を目的に約7年前から選手の派遣を行っています。
残念なこと??(私はラッキー!!)にサイパンからの出場希望選手が少なく、(本来ならば毎年違う選手を送りたいのですが)5年連続出場させていただいております。
この皆生は毎年何かしらある!!
第一回目の参加は台風直撃翌日のためスイムは中止、バイクも雨で土砂崩れなどの危険があるため110キロへの短くなった。
第二回目レースは通常どうり行われたが午後になり雨が振り出し6時ごろには大雨注意報が出されレースを途中で中止に。
3回目からは”Mieko さんが何かしら連れてくる!”とまでいわれ、、昨年は猛暑で150名ほどのリタイヤ。
そして今年。
金曜入りで皆生に来ると天気は曇りですごしやすい気温。今年はいいかも?と。
しかしホテルについてみると、、ロビーから見える海の景色にびっくり。
約3,4Mの高波。
レース前日の土曜には”あのままの波の高さならばスイムは中止、ラン8、4キロに変更”
ランが苦手の私はレース前日から不安と憂鬱に、まー私と同じ思いの方はたくさんいただろう。オーストラリアから招待選手できた2人も同じ思い。ライフセーバーの地、サーファーのメッカのゴールドコーストから来た2人にはこの波なんてなんともない。
前日の夕食は3人そろって、”スイムがあることを祈るしかない”と。
レース当日。
案の状スイム中止に。
そして7時40分 、8.4キロの第1ランスタート。
これから1日長いレースの始まり、この第1ランは押さえウォーミングアップの気持ちでスタート、239位で145キロのバイクへ。
スイム中止、バイクでは向かい風、そして気温はこの日全国第2位を記録した35度しかし体感温度は38度を超えていた。
バイクで順位を巻き返した。この皆生のバイクコースは私の大好きなコースである。
大山の半分まで登っていく、景色は最高である。大山を下ると次はローリングヒルがつずく、100Kを超えてもまだまだ上り坂は続く。
”フルマラソンを走れる人が勝つ”とバイクも次の42.195キロのランを考え抑え気味に、それでもさすがに約5時間弱の上り下りのバイク後は足に来る。
順位を60位まで(女子2位)に上げランへ。
ここからが本当のレースのスタートというのは過去5年で十分経験してきた。
最後の最後まで何が起こるかわからない。
最初の15キロは良かったがやはり午後1時過ぎにスタートしたラン、アスファルトからの気温の上昇、8キロの第一ランと体への負担はかなりきていた。
そして21キロの折り返し地点を過ぎると体に異変が。。
脱水なのか、水の取りすぎかおなかの調子がよろしくない。昨年と同様である。
ここからはすべてのエイドでお手洗い使用。たまに民間のコンビにまでも立ち寄るという事態に。
”なんでここまでして走るのだろう?””やめる勇気も必要?”などリタイヤすることしか頭になかった。
ただそれでもゴールできたのは私は半分を終え後21キロというところにまだまだ折り返しを目標に走ってくるアスリートの姿に勇気つけられ、彼らもまだ戦っている。私もいけるところまで挑戦しようとか、知り合いでプロトライアスリートのMさんもかつて体調不良の中でのレースで”絶対にリタイアだけはしたくなかった”という言葉とか、
一番のパワーは毎年この皆生大会を応援しに来るのを誰よりの楽しみにしている両親の姿を沿道で見たとき、
いつが自分の最後のレースになるかわからない、もしかしたら今日が最後かも?ならば歩いてでもゴールしよう、絶対に両親とあのフィニッシュテープを切りたい。という願いであった。
ここまで女子3位をキープしていたが、トイレを使用中に何名に抜かされているかわからないし、ここまで今の自分の状態と戦っていると順位なんてどうでもいい、ただフィニッシュに行きたかった。
最後の300Mゴールであるスタジアムへ帰ってきた。一番最初に目に入ったのはフィニッシュテープではなく、”美枝子がすぐわかるように”と真っ赤なシャツを今日1日中着ていた父の姿と母の姿である。
最後の100mは念願の3人そろってのゴール。辛かった1日、ゴールしたうれしさ、そして諦めずに成し遂げた達成感で涙がでてきた。
結果は女子5位、あの状態での入賞、何位であれうれしい。
結果的、タイム的には5年間で1番ではなかったが、まー毎回いいレースをできるようにするにはかなりの準備が必要だし、思うようにできなかったレースからは良くできたレース以上にいろいろ考えさせられ、学び、今後のレースへの課題ができた。
レース終了の充実感と、両親と共にゴールができたうれしさで今は満足満足!
皆様、応援ありがとうございます。
来月はいよいよエクステラJAPAN!気持ちを入れなおしがんばります!!
この皆生トライアスロンとサイパンで行われているタガマントライアスロンとの国際交流を目的に約7年前から選手の派遣を行っています。
残念なこと??(私はラッキー!!)にサイパンからの出場希望選手が少なく、(本来ならば毎年違う選手を送りたいのですが)5年連続出場させていただいております。
この皆生は毎年何かしらある!!
第一回目の参加は台風直撃翌日のためスイムは中止、バイクも雨で土砂崩れなどの危険があるため110キロへの短くなった。
第二回目レースは通常どうり行われたが午後になり雨が振り出し6時ごろには大雨注意報が出されレースを途中で中止に。
3回目からは”Mieko さんが何かしら連れてくる!”とまでいわれ、、昨年は猛暑で150名ほどのリタイヤ。
そして今年。
金曜入りで皆生に来ると天気は曇りですごしやすい気温。今年はいいかも?と。
しかしホテルについてみると、、ロビーから見える海の景色にびっくり。
約3,4Mの高波。
レース前日の土曜には”あのままの波の高さならばスイムは中止、ラン8、4キロに変更”
ランが苦手の私はレース前日から不安と憂鬱に、まー私と同じ思いの方はたくさんいただろう。オーストラリアから招待選手できた2人も同じ思い。ライフセーバーの地、サーファーのメッカのゴールドコーストから来た2人にはこの波なんてなんともない。
前日の夕食は3人そろって、”スイムがあることを祈るしかない”と。
レース当日。
案の状スイム中止に。
そして7時40分 、8.4キロの第1ランスタート。
これから1日長いレースの始まり、この第1ランは押さえウォーミングアップの気持ちでスタート、239位で145キロのバイクへ。
スイム中止、バイクでは向かい風、そして気温はこの日全国第2位を記録した35度しかし体感温度は38度を超えていた。
バイクで順位を巻き返した。この皆生のバイクコースは私の大好きなコースである。
大山の半分まで登っていく、景色は最高である。大山を下ると次はローリングヒルがつずく、100Kを超えてもまだまだ上り坂は続く。
”フルマラソンを走れる人が勝つ”とバイクも次の42.195キロのランを考え抑え気味に、それでもさすがに約5時間弱の上り下りのバイク後は足に来る。
順位を60位まで(女子2位)に上げランへ。
ここからが本当のレースのスタートというのは過去5年で十分経験してきた。
最後の最後まで何が起こるかわからない。
最初の15キロは良かったがやはり午後1時過ぎにスタートしたラン、アスファルトからの気温の上昇、8キロの第一ランと体への負担はかなりきていた。
そして21キロの折り返し地点を過ぎると体に異変が。。
脱水なのか、水の取りすぎかおなかの調子がよろしくない。昨年と同様である。
ここからはすべてのエイドでお手洗い使用。たまに民間のコンビにまでも立ち寄るという事態に。
”なんでここまでして走るのだろう?””やめる勇気も必要?”などリタイヤすることしか頭になかった。
ただそれでもゴールできたのは私は半分を終え後21キロというところにまだまだ折り返しを目標に走ってくるアスリートの姿に勇気つけられ、彼らもまだ戦っている。私もいけるところまで挑戦しようとか、知り合いでプロトライアスリートのMさんもかつて体調不良の中でのレースで”絶対にリタイアだけはしたくなかった”という言葉とか、
一番のパワーは毎年この皆生大会を応援しに来るのを誰よりの楽しみにしている両親の姿を沿道で見たとき、
いつが自分の最後のレースになるかわからない、もしかしたら今日が最後かも?ならば歩いてでもゴールしよう、絶対に両親とあのフィニッシュテープを切りたい。という願いであった。
ここまで女子3位をキープしていたが、トイレを使用中に何名に抜かされているかわからないし、ここまで今の自分の状態と戦っていると順位なんてどうでもいい、ただフィニッシュに行きたかった。
最後の300Mゴールであるスタジアムへ帰ってきた。一番最初に目に入ったのはフィニッシュテープではなく、”美枝子がすぐわかるように”と真っ赤なシャツを今日1日中着ていた父の姿と母の姿である。
最後の100mは念願の3人そろってのゴール。辛かった1日、ゴールしたうれしさ、そして諦めずに成し遂げた達成感で涙がでてきた。
結果は女子5位、あの状態での入賞、何位であれうれしい。
結果的、タイム的には5年間で1番ではなかったが、まー毎回いいレースをできるようにするにはかなりの準備が必要だし、思うようにできなかったレースからは良くできたレース以上にいろいろ考えさせられ、学び、今後のレースへの課題ができた。
レース終了の充実感と、両親と共にゴールができたうれしさで今は満足満足!
皆様、応援ありがとうございます。
来月はいよいよエクステラJAPAN!気持ちを入れなおしがんばります!!
よく最後まで頑張りましたね!
私はバイクで両足が攣り、バイク終了時点で「完走はムリだけど収容車に拾われるまで行こう」と歩き始めました。
何とか時間内にゴール、順位は最悪でしたが最高にうれしい大会でした。
またどこかでお会いしましょう!