「ダメよ、そんな薄着(うすぎ)じゃ。まだ寒(さむ)いんだから、一枚余分(よぶん)に着ていきなさい」
私は出かけようとしている娘(むすめ)に言った。娘はブツブツ言いながらも、私の言うことを聞いて出かけて行った。私は、ふと昔(むかし)のことを思い出す。早春(そうしゅん)の淡(あわ)い思い出。
あれは、彼と付き合い始めて間(ま)もない頃(ころ)。デートをするにもドキドキだった。少しでも可愛(かわい)く見せようと、私は春らしい服(ふく)を選(えら)んだ。まだちょっと肌寒(はだざむ)いのに。彼が来るのを待っている間、私は身体(からだ)が冷(ひ)えきって。お母さんの言うことを聞けばよかったと後悔(こうかい)した。
彼が来たとき、私は作り笑(わら)いをして…。でも、無理(むり)してることは彼にはバレバレで。彼ったら私の手を取って…。彼と手をつないだのは、これが初めてだったかも。彼は両手(りょうて)で私の手を暖(あたた)めてくれた。そして、手をつないだまま、彼のコートのポケットへ…。
彼は、そのまま何も言わずに歩き出す。私は恥(は)ずかしくって、うつむいたままついて行く。彼って、とってもシャイだったから。今は、その陰(かげ)すら見当(みあ)たらないけど…。
私は居間(いま)でゴロゴロしている夫(おっと)を見た。あの頃の彼はどこへ行ったのかなぁ?
「ねえ、あなた。今日は休みなんだし、デートでもしませんか?」
彼は面倒(めんど)くさそうな顔をしながらも、「ああ、いいよ」って。二人、寄り添(そ)って歩く。こんなの久(ひさ)しぶりじゃない。私は彼のコートのポケットへ、そっと手を突(つ)っ込んだ。
<つぶやき>恋をして間もない頃は、ちょっと背(せ)のびしていい格好(かっこう)をしたがるものです。
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