女は部屋を出て行こうとしていた。男は女を呼(よ)び止めて、
「もう行くのかい?」
「ええ。いつまでもここにはいられないわ」女は淋(さび)しげに微笑(ほほえ)んだ。
「いいじゃないか。もう少しいてくれても」
「切りがないじゃない。いつまでも、こんなことしてちゃだめよ」
「あと一杯(いっぱい)だけ。なあ、いいだろう」男は女に杯(さかずき)を差し出した。
女は男に寄り添(そ)うように座ると、何も言わず杯を受け取った。そして、酒(さけ)を注(そそ)ぐ男の顔を静かに見つめた。女の目からひとしずく涙(なみだ)がこぼれ、口元(くちもと)に持ってきた杯にきらきらとこぼれ落ちた。女はわずかに口をつけ、杯を男に返す。女の目には強い決意(けつい)が現れていた。
「また、会えるかい?」男は女の手を強くにぎり、「必(かなら)ず会いに行くから。いいだろ?」
「もうよしましょう。辛(つら)くなるだけよ。きっと、いい人に出会えるわ。だから…」
「僕は、君でなくちゃ…」男は女の悲しそうな顔を見て、手をゆるめた。「そうだな…、もうよすよ。でも、君のことは忘(わす)れないから。僕の心の中で君は…」
――そこで男は目を覚ました。ふと、彼女の姿を探して部屋を見まわす。誰(だれ)もいない現実(げんじつ)が突(つ)き刺(さ)さり、男はため息をついた。飲みかけの杯に目がとまり、男はぐいと飲み干(ほ)した。燗冷(かんざ)ましが喉(のど)を通り、身体の芯(しん)までしみ込んだ。
<つぶやき>男は恋に溺(おぼ)れ、必死(ひっし)にもがいて…。それでも、男は恋を追(お)い求めるのです。
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