とのさま日記なるもの

思いのすべてを書きます

一人っ子の私と三木緑が丘の思い出

2015-07-20 18:06:04 | 私の頭の中の何か
一人っ子

私は一人っ子だ。

子供の数が多い世代です。

小学校も10クラスあり、教室が足りなくて運動場にはプレハブが沢山並びました。

同級生もほとんどが兄弟姉妹がおりました。

遊びにいってもその賑やかさに圧倒されました。でも、凄く楽しかったのを覚えています。

さようなら(*^^*)

その家族たちと別れて家に帰るとし~~ん…

母が台所で食事の用意。

父が帰宅するまで宿題をして、算数の問題が分からなくて、ノートに落書き🌻

もしも、うちの家の庭から石油が吹き出したらどうしよう。

この辺は国が買ってくれて大金持ちになったらどうしよう。

子供ながらの想像です❗

なぜか石油?

オイルショックを子供なりに知っていたのでしょうか?

父が帰宅したらすぐに夕食。

魚が中心。あとは野菜の炊いたん。
お味噌汁、お漬け物。

一人っ子でも、その頃はやはりお父さんが中心でした。

一番美味しい部分を父がミイミイしてくれます。

骨をとってくれるのです『ミイミイ』

当時は三木の緑が丘が開発中でした。

大和ハウスの造園部の仕事をしていた父。

緑が丘の話をしてくれました。

子供の私には緑が丘ってわかりません。

凄いとこや❗

山を削ってな、平らにして、家がドンドン建っとる。

家と言ってもあっという間に建つんや❗

トラックにもう部屋が乗っとる❗

この部分は子供ながら全く意味不明?

部屋がトラックに乗ってる?

想像豊かな一人っ子の私ですが、わからなかったです。

でも、その後何度か父に連れていって貰い、納得しました。

父が仕事をしている間に母と綺麗な出来たばかりの緑が丘の公園で遊びました。

なかなか、両親も忙しくて公園に連れていって貰えなかったので楽しかったです。

その三木の緑が丘に私は今、住んでいます。

もう、残った人生の全てはここ、三木で過ごすことになります。

近いうちに母も三木に呼びます。

父はもう亡くなってしまったけど、歩いていると父が当時施工した石積があります。

母は父の庭を良く見ていたので

パパの積んだ石は見たらすぐわかるよと。

亡くなった父が天国から三木緑が丘に住む母と娘をどんな思いで見るでしょうか(*^^*)

父の事を最近良く考えてしまう私です❗

歳かな~~






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝だ🎵でも、しばらくこのままで❤

2015-07-20 07:56:58 | 我が家のこと
三木緑が丘の休日の朝は静かです。

うちはまだ雨戸が閉まっとります🎵

旦那さんがまだまだ、熟睡中。

私の夜中の咳コンコンに付き合って咳出したら背中をさすってくれます。

睡眠不足なんです。

ごめんなさい。

こんなときはほんまにありがたくて、二人っていいなあ~~(*^^*)
そう思います🎵

蝉が鳴いています🎵

窓が開けたいな❗

でも、もう少しこのまま静かにしています(*^^*)

旦那さんの愛犬『置物』の坊っちゃんです。つぶらな瞳がお気に入りです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姿勢を正そう!

2015-07-20 07:51:01 | 日記

 姿勢、市制?行政?国家?

今朝、ありがたいお言葉をいただきました。

「姿勢を正しなさい。ふにゃふにゃしない。シャキットしなさい」

どうも、私は最近歩く姿が悪いようです。

自分でもお店のウィンドウーに移る姿を見てショックを受けるのですが。

ギョッとしますよ。

できるだけお腹を引っ込めて背筋をしゃっきとして。

歩き方もポッテンポッテンではなくて。サッサと軽やかに歩く努力が必要ですね。

 

平成になってもう27年。

どんどん世の中が変わってきています。

昭和の頃が懐かしいな。そう思うのは歳のせい?

私の娘は平成生まれ、家族の中で唯一の平成生まれ。

おっと、いけない、私の孫ちゃんがいました。

なんと、平成27年生まれだ~~

娘は平成4年。

小さいころは、平成生まれだね。いいね。なんて言われていたけど。

平成初期って感じになりましたね。

少子高齢化が進む中で色んなことが変わっていく中でこの小さな孫をみていると本当に不安になります。

この子が大人になったら、どんな世の中になっているのか。

また、この子が育っていく中でどんな環境が待ち受けているのか。

もう、56歳になる私にはわかりません。

そして、孫の30年後をみられるでしょうか。

良く存じ上げている方が亡くなったとお聞きしました。

お仕事も退職されて、これからご自分の第二の人生を歩んでいかれる予定だったと思います。

ご無念だったでしょう。

人生は本当にわかりません。

若いから大丈夫とか、私は健康だからとか。全くわかりません。

今日一日が自分にとって最高であるように、そう思いながら日々を過ごしていかねばと思いました。

産まれた瞬間から100%の致死率をもって生きていかねばなりません。

避けることのできない人生の終了。

1日1日を大切にしていこう、そして感謝していこう。

そう感じた今日です。

亡くなられたかた、ご冥福をお祈り申し上げます。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする