先日、受講生の方が
あるデパートの最上部に最近できた
バイキングに行ったと話していました。
友人からのお誘いだったそうですが
「高いばかりでまずかった」と言ってました。
バイキングに行きたいなと
思うのですが 平時は仕事で行けないし
休みの日でも ワン吉がいるのでさほど行くことはできません。
それでも半年に1回くらいは行くのですが
皿を片手に、あれやこれや料理を見ます。
パスタはまずだめ。
あぶらこっそうな物もだめ。
赤いソースが載っていたらそれでアウト。
ドレッシングやソースがこってりかかっていてもだめ。
お袋の味 と呼ばれる物もだめ。
と結構だめな物が多く
だから、皿に乗るものには限りがあります。
ピザ。鳥からあげ、生のトマト。マリネ…
あまり食べるものがなければ
果物だらけの皿になることも…
結局こうなることに…。
でも、これならまだ500円位よね。
と思うので、同じような食材を何回も取りに行くことに。
そうしているうちに満腹を超えてしまい
胃が破裂しそうな雰囲気にナル。
旦那は だからバイキングはいやなんだ。
と言われてしまう。
普通ならメニューの1つを注文し
それをゆっくり味わって食べるので
多く種類は味わえないけれど、満足できる。
バイキングだって、本当は、1回取ったら
それだけでいいはずなのに…
何回も取らないと どうしても価格に見合わない気がする。
でも、これってパソコンを習うことも同じような気がしませんか?
WordもExcelも、写真も絵の加工も全て盛り合わせて
味わいながらゆっくりではなく、
次は何???と今習っていることを確実に自分に物にする訳でなく
スピードを競い合い、全て終わりを迎えたら
確かに印刷物として手には残っていても
何をしたのか覚えてない。
選択肢を思いえがくことはとても大切だと思う。
でも、それがどれだけ自分の物になっているのか。
たとえば資格を取っている人はたくさんいるけれど
仕事であれを作れ、これを作れと言われてどれだけの人が
それを作っているのか。
反対に自分で作成した物を上司に推薦し、
職場の改善向上に進めているか。
大変疑問である。
あれができたらいいな…では結局自分の物にはなっていない。
教室でやって少し自信がついたから
家で自分がしたいことをやってみたらできるようになった。
また、授業で習ったことを自分にとって必要な形に変えてやってみたら
もっとできるようになり、大変パソコンを触るのが楽しくなってきた。
と授業をそのまま自分の思いの中に取り込むことが大切であり、
自分の思いの通りに授業を希望するのは結局
バイキングのように頭に何を食べたのか
何がおいしかったのか、
全く頭に残らない。
それを作るための授業をしないからできない。といっていないで
家や会社や地域で
作成するものがあることに感謝して、
授業で習ったことを参考にしてパソコンで作ってみませんか。
そのとき、選択肢がたくさんあれば作り方もたくさん浮かんでくることでしょう。
そのことがまた、次を作るエネルギーになります。
それがまた希望に変わります。
自分で考えて作るから
授業がまた楽しくなり、
授業が楽しくなると家や会社や地域で作ることも苦にはなりません。
あるデパートの最上部に最近できた
バイキングに行ったと話していました。
友人からのお誘いだったそうですが
「高いばかりでまずかった」と言ってました。
バイキングに行きたいなと
思うのですが 平時は仕事で行けないし
休みの日でも ワン吉がいるのでさほど行くことはできません。
それでも半年に1回くらいは行くのですが
皿を片手に、あれやこれや料理を見ます。
パスタはまずだめ。
あぶらこっそうな物もだめ。
赤いソースが載っていたらそれでアウト。
ドレッシングやソースがこってりかかっていてもだめ。
お袋の味 と呼ばれる物もだめ。
と結構だめな物が多く
だから、皿に乗るものには限りがあります。
ピザ。鳥からあげ、生のトマト。マリネ…
あまり食べるものがなければ
果物だらけの皿になることも…
結局こうなることに…。
でも、これならまだ500円位よね。
と思うので、同じような食材を何回も取りに行くことに。
そうしているうちに満腹を超えてしまい
胃が破裂しそうな雰囲気にナル。
旦那は だからバイキングはいやなんだ。
と言われてしまう。
普通ならメニューの1つを注文し
それをゆっくり味わって食べるので
多く種類は味わえないけれど、満足できる。
バイキングだって、本当は、1回取ったら
それだけでいいはずなのに…
何回も取らないと どうしても価格に見合わない気がする。
でも、これってパソコンを習うことも同じような気がしませんか?
WordもExcelも、写真も絵の加工も全て盛り合わせて
味わいながらゆっくりではなく、
次は何???と今習っていることを確実に自分に物にする訳でなく
スピードを競い合い、全て終わりを迎えたら
確かに印刷物として手には残っていても
何をしたのか覚えてない。
選択肢を思いえがくことはとても大切だと思う。
でも、それがどれだけ自分の物になっているのか。
たとえば資格を取っている人はたくさんいるけれど
仕事であれを作れ、これを作れと言われてどれだけの人が
それを作っているのか。
反対に自分で作成した物を上司に推薦し、
職場の改善向上に進めているか。
大変疑問である。
あれができたらいいな…では結局自分の物にはなっていない。
教室でやって少し自信がついたから
家で自分がしたいことをやってみたらできるようになった。
また、授業で習ったことを自分にとって必要な形に変えてやってみたら
もっとできるようになり、大変パソコンを触るのが楽しくなってきた。
と授業をそのまま自分の思いの中に取り込むことが大切であり、
自分の思いの通りに授業を希望するのは結局
バイキングのように頭に何を食べたのか
何がおいしかったのか、
全く頭に残らない。
それを作るための授業をしないからできない。といっていないで
家や会社や地域で
作成するものがあることに感謝して、
授業で習ったことを参考にしてパソコンで作ってみませんか。
そのとき、選択肢がたくさんあれば作り方もたくさん浮かんでくることでしょう。
そのことがまた、次を作るエネルギーになります。
それがまた希望に変わります。
自分で考えて作るから
授業がまた楽しくなり、
授業が楽しくなると家や会社や地域で作ることも苦にはなりません。