南大津支部組合員の手記より
私は1944年3月生まれ74歳です。
保育専門学校を卒業後、私立保育園に就職し23歳の時に結婚、働きながら 勤務し、2番目の子供を産んで44日目の3月、年末より脳腫瘍で療養中だった夫が突然亡くなりました。当時はあまりに急な出来事で、茫然自失の状態でした。
一旦 退職した後、私の両親や、親戚などの援助を受けながら、自動車の運転免許を取得し、保育園に子供2人を預け再び保育園に就職し21年間働いてきました。その間 孫の面倒を見てくれていた母親が亡くなり、父親代わりとなって70歳まで働いてくれた父の故郷、滋賀に転居してまもなく父に胃がんが見つかり、毎週の病院の送迎、手術、何回かの入院で正規で働くことを諦めパート勤務を8年、5年後、父が亡くなってからは障碍者のグループホームに正規職員として5年間勤務しました。
現在、私は一人暮しです。娘ふたりは結婚し、うち一人は近くに住んでいて、働いています。私の収入は1ヶ月に手取り約12万円です。 厚生・遺族年金と国民年金、老齢基礎年金を受給していますが、二つの年金を合わせてもこの額です。
主な支出は食費 約3万円 光熱水費 約1万2000円、交通費1万円 医療費約1万円、死亡時の保障に50万円下りる県民共済を掛け、新聞、会費等約1万円、NHK受信料や通信費等約1万円、日用雑貨費用を支払うと殆ど残らず、交際費など親戚や知人の見舞い冠婚葬祭などは極力控えるようにしています。が、昨年は30年振りに同窓会に行きました。又、年間の費用として固定資産税約5万円、お寺や墓地の維持管理料など約3万円を支払うことも考えておかねばなりません。食費3万円は多すぎる思うのですが以前3人で生活していた時も3万円でした。結局、一人も二人も一緒で、一人というのは本当に不経済だと思いました。健康維持のために栄養も考えてつくり、外食は殆どしません。なんとかやりくりをしてきましたが、もう限界、
そこで、5年前から今、住んでいる家を担保にお金を借り自分が死んだらその家を銀行に渡すと言う仕組みのリバースモーゲージという制度を利用することにしました。娘二人を大学に行かせ、結婚の費用などに親戚から借りたお金があり、死ぬまでにそのお金を返済しようと思ったのと、緊急時や生活費の補充にと思ったからです。しかし、借りられた金額は500万円で親戚への返済やその他で300万円、あとは生活費の補助や築39年になる家の修理に50万円を使いました。借りた350万円には利息を毎月払わねばなりません。月付き8000円の利息は年金から引くと11万円となり何とかこれ以上借入額が増えないようにと削れるところは最大限削っての生活をしています。借りられるお金の残高は150万円あまり、このお金が尽きる頃に自分の命もつきますようにと祈りながらの日々です。
私の年金額は月額 手取りで約12万円です。夫が亡くなった当時は先々自分の年金と遺族年金をあわせれば何とか生活できるだろうと考えていました。ところが年金制度が変わり毎年、年金が減らされ、年金は年額で1年前より約3000円減り、介護保険料は有無を言わせず年金から天引き、その額は1年前に比べ年1080円も上がり、合計約4000円もの額が減っています。低年金者の私から年額4000円も減らされることは大変なことです。その上に消費税は年に4万円あまり支払い、来年から消費税が10%になるかと思うと不安で一杯です。足腰、体に不調をきたし医者通いをする体でも、どこか働くところはないかと広告に目をやったりしますが、目も悪くなった自分にはなかなか見つからず、やはり年寄りは早く死んだほうがいいのかもと思ってしまう毎日です。