みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

 笑顔のドングリ(1)

2020-11-28 | 第1話(笑顔のドングリ)

箕面の森の小さな物語(NO-1)

<笑顔のドングリ>(1)

 教員試験に合格し、初めて箕面の小学校に赴任した新米教師 高田順平は、緊張の面持ちで担任となった4年1組の教室に入っていった。

  ワー ワー と言う歓声と共に、バタバタとイスに腰掛ける35人の生徒を前にし、順平の第一声は・・ 「えー ごほん!  えー 皆さんおはようございます  私はこのクラスの担任となりました高田 順平です・・  えー・・」 すると一人の女の子が大きな声で・・ 「じゅんちゃん やて~」 と調子はずれの声を出したので教室中が大笑いとなり、お陰で順平の緊張も一気に薄らぎ、和やかなスタートとなった。

  順平がそもそも教師を目指すようになったのは、恋人・美香の小学校時代の作文を読んだのがきっかけだったように思う。 それは同じ高校に通い、同じ文芸部に所属していた二人にいつしか恋心が芽生えた頃の事・・ 美香の家の部屋で話しているときだった。 美香の古い小学校時代の生徒文集をみつけ、何気なく読んでいたのだが・・ そこに彼女の文章もあった。「・・明るくて、元気で活発でクラスの人気者なのに、美香にこんな事があったのか・・」 と順平は少しショックを覚えた。 「そうなの・・ 私 あの頃は暗くて、引っ込み思案な子で、それにいつも卑屈で、自分でも嫌な女の子だったの・・ でもお母さんの励ましと、先生の一言が私を変えてくれたのよ」 美香はそう言うとその文面を懐かしそうに目で追いながら、順平を前に読み始めた・・

  笑顔のどんぐり> 4年2組 坂本 美香

 「その時 私は小学校4年生でした。 母と弟二人の4人で暮らしていました。 家の経済状況は厳しく、母は一所懸命にいつも働いていましたが、それでも回りの友達と比べても一段も二段も低い気がしていました。  母は近くのスーパーで働いていましたが、食事は店で賞味期限の切れかけた食材や、余りものの惣菜をよく頂いてきていました。 食べ盛りの弟二人も私もそれでいつもお腹いっぱいに頂き、大満足でした。  お母さんの作る手料理も美味しく、欠けたりんごを頂くと、昔ケーキ屋さんでアルバイトをしていた頃教えてもらったというアップルパイを作ってくれました。 それは美味しく、いつも楽しみでした。

  しかし服はなかなか買ってもらえませんでした。 つぎあてをした服を着ているのは教室でも私1人でしたし、運動靴も少し先が穴があきかけていてそれを隠すのに大変でしたが、友達は誰一人気がつかなかったようなので、私だけが気にしていただけなのかもしれません。 でもお母さんの苦労を知っていたから <新しいものを買って・・> なんて言えなかったんです。  だからいつも静かにして目立たないようにしていたので友達もいなく一緒に遊んだりもあまりしませんでした。 でもお金が無かった事以外は勉強も学校も好きでしたし、お友達からいじめられるような事も無く、時には一緒にも遊んでいました。

  そんなある日、同じクラスの雄介君から・・ <次の日曜日の自分の誕生パーテイに来て・・> と、招待状がクラス全員に配られました。 それをもらったクラスのみんなは大喜びでしたが、私は少し憂鬱でした。 だって服も無いし、それに何かプレゼントをもっていかねなくてはなりません。 友達はアレコレ・・ と持っていくようです。 「文具、おもちゃ、ゲーム、お菓子ボール・・」 とか話しています。 しかし私にはお金の蓄えもないし、お母さんにお金を頂戴ともいえません。

 どうしよう・・ 夜寝ても寝付かれずに困っていましたが・・ そうだ! 行かなければいいんだわ! そう決心したら気が楽になりました。次の日から友達は・・ 「ご馳走がいっぱいあるんだって・・ 私も・・  僕もいくいく・・」と、賑やかでみんな楽しみにしているようでした。 私は自分だけ少し寂しい気持ちでしたが、諦めていました。

 そんな時、担任の山口先生が何を察したのか私の横に来て・・ 「美香ちゃん その人が望む最も嬉しい事はね・・ 出来るだけその人の気持ちになって考えてみると分かる事なのよ お金や物などじゃないの・・ 優しい心遣いが大切なのよ そして心と心が通じ合えることが最高のプレゼントになるの・・」 「そう言われても・・わたし・・分からないわ」

 でもその日が近付くにつれて、雄介君の家の状況が少しづつ分かってきました。 「お父さんは大きい会社の社長さんだって・・ お家はあの箕面山麓の緑に囲まれた大きなお屋敷なんだって・・ お手伝いさんが二人いるんだって・・ 家庭教師も来るし・・ すごいね!  雄介君ってすごく幸せな人なんだね・・」 私は友達の話をただボンヤリと聞いていました。 しかし次の言葉にビックリ・・ 「お母さんが いないんだって・・」 と。  私は一瞬  えっ! と 驚いてしまいました。 それでお父さんが <今年はたくさんのお友達を呼んでいいよ~> との事で、先生の了承を得てクラス全員が招かれたとのこと・・ 私はそれを聞いたとき、お母さんがいなくて寂しい思いをしている雄介君の気持ちが心配でした。

  お父さんのいない私には、その気持ちが痛いほどによく分かります。「私にもお父さんがいたらもっと楽しかっただろうな・・ お母さんがこんな苦労をしなくてもいいし、私もちゃんとした服を着て、プレゼントも買って堂々と雄介君の所へ行けただろうな・・」 いつしか先生に言われた言葉を思い出し、雄介君の気持ちになって考えていました。 もし私が逆の立場だったら何が嬉しいだろう~ と真剣に考えました。 そして私なら・・ ものは何もいらないわ・・ 笑顔のみんなと一緒に楽しくみんなと遊べたら、それだけで大満足だわ・・ と。

  私は次の日、学校から帰ると裏山に入り、箕面西口から「憩いの丘」まで20分程登りました。 そこは雑木林だけど樹木の間から平和台の街並みがきれいに見下ろす事が出来る所です。 私は一人でドングリを拾いに来たんです・・ 私がまだ小さい頃、お父さんと何度もこの山道を歩いたから良く知っています。 春の山桜や三つ葉つつじがきれいで、ウグイスやいろんな小鳥がいっぱい鳴いていて・・ 夏にはセミの大合唱、一年生のときは網を持って父さんといっぱい昆虫採りをしたし、ここから六箇山へ登ったり、教学の森へ行ったり・・

 秋にはきれいなもみじで森が真っ赤になったり、それは美しい光景です。 冬には シ~ン とした静けさの中でリスをみたり、野ウサギを見たり・・ 鹿も見たし・・ お父さんはいつも山を歩くといろんな事を教えてくれました。 小鳥や植物の事も・・ 森に浸ることが好きだった父と一緒に森のなかで目を閉じていると風のささやきや、樹木が風にゆれておしゃべりしていたり、小鳥がなにやらささやいていたりして、それは不思議な気持ちでした。

 そんなお父さんと一緒に歩いた事を思いだしながら、私は夢中になっていっぱいのドングリを拾い集めて持ち帰りました。 私はそれをすぐにきれいに洗って乾かしておき、次の日学校から帰るとそのドングリ一つ一つに丁寧に絵を描いていきました。 怒ってる顔、鬼の顔、泣いてる顔、寂しい顔・・ でもそのほとんどの顔は笑っています。 おもしろい顔はいっぱい描きました。

 お母さんが仕事から帰ってきてビックリ! ミカちゃんなにしてるの・・?  それ宿題? と 聞かれたので、お母さんにこの前からのわけを全部話しました。 でもお金の話はしなかったけど、私のアイデアを話したら・・ 「それは素敵! きっとお母さんがもらっても笑って嬉しくなるわよ・・」と、喜んでくれました。 少し自分の心もすっきりして話してよかった。 ドングリに笑顔を描くのは次の夜遅くまでかかったけれど・・

  次の日お母さんがお店からきれいな箱とリボンをもらってきてくれました。 さすがお母さん!  その木箱にラッピングをし、リボンをかけたらとても素敵なプレゼントが出来上がりました。 お母さんがとても喜んでくれたので、私も嬉しくなりました。  二人で にこにこドングリ を見ていたら、自然に笑いがこみ上げてきて二人で大笑いしました。 そして私は雄介君に手紙を添えようと書き始めました・・

(2)へ続く。

 


 笑顔のドングリ(2)

2020-11-28 | 第1話(笑顔のドングリ)

箕面の森の小さな物語

<笑顔のドングリ>(2)

 「雄介君おたんじょうびおめでとうございます!  お母さんがいなくて、きっと寂しい思いをしていることと思います。 知らなくてごめんね。 私もお父さんがいないのでその気持ちはとてもよく分かります。 でもきっと天国からいつも雄介君を見守っていてくれますよ。 悲しくて、寂しくて、辛いけど、元気に頑張りましょうね。 そして寂しくなったらこの箱を開けてください。 いろんな顔を作ってみたけど、沢山のおもしい笑える顔があるでしょ・・ 私もお母さんとこれを転がして遊んでいたら、いつのまにか大笑いしていました。 雄介君もお父さんと一緒に一度やってみてください。 私もこれからこれと同じ物をまた作ります。私も寂しくなったらこの箱をひらいてみます。 そしてドングリたちと遊びます。 パーテイに招待してくれてありがとうごさいます。 心をこめて雄介君に贈ります。 美香より」

  次の日曜日の朝、私は書いた手紙とドングリの箱を持って、みんなと雄介君の誕生会にでかけました。 みんなに<美香ちゃんの何か見せて見せて!・・> と、言われたけど内緒にしました。

 前の日にお母さんは私に大きな包みを持って帰ってくれました。 中にはきれいなフリルのついた新しいワンピースと新しい靴が・・ ワー すごい すごい! 本当にびっくり! とても嬉しくて・・ 嬉しくて・・ お母さんは私の服のことも、靴の事もちゃんと知っていてくれたんです。 私は寝るときまで何度もそれを着て、嬉しくてうれしくて家の中を歩き回っていました。

  雄介君の家は聞いていた通りのすごい大きな家でした。 私が初めて見る大きなシャンデリアにヨーロッパの家具、暖炉もあってみんなビックリ! それに初めて見るすごいご馳走!  みんなお腹いっぱい頂きました。 最後にお手伝いさんが二人がかりで、広いお庭の大きなテーブルに立派なバースデーケーキを運んできた時にはみんな感激で、大きな歓声があがりました。

  やがて楽しかった誕生会も終わり・・ 私たちはお父さんやお手伝いさんらにお礼を言って帰りました。 その前には、みんな思い思いのプレゼントを雄介君に渡していましたが、私は部屋の片隅にそ~ と置いて帰りました。  お腹いっぱいなのにお土産のケーキもいただき、みんな大満足でした。 帰ってからお母さんと頂いたケーキを食べながら今日の出来事を話すと、嬉しそうに聞いてくれました。 「行ってよかったわ・・ お母さん ありがとう!」

  次の日、学校でお昼休みのことです・・ 私の机に雄介君が来て、小さな紙を渡してくれました。 それまで学校で人気者の雄介君から声をかけられたことも、会話もまともにした事が無いのでビックリです! 「読んで・・ どうもありがとう!」 そう言うと照れくさそうに、またすぐ仲間のところへ戻っていったけど・・

  紙には・・ 「美香さんへ 昨日は本当にありがとう! みんなからいろんなプレゼントをもらったけど、君からもらったプレゼント最高だった。 このことは一生忘れないでしょう。 どんな物より嬉しかった! 夜、お父さんとこの「にこにこドングリ」で遊んだんだ。 やっぱり二人で大笑いしたよ・・ もしこれから涙がでてきたら、またこの箱をひっくり返して遊びます。 美香さんも同じものを作るそうですが、ドングリはどこで売っているのですか?  また教えてください。 本当にこのことは忘れません。 本当にありがとう! 雄介 」と。

  私は よかった! と 安心すると共に「どこで売っているの?」に、思わず吹き出してしまいました。 あの憩いの丘の雑木林を教えてあげたらビックリするでしょうね・・ 今度一緒に連れて行ってあげようかな・・?  そんな事を思いながら私は一人 心の中で微笑むのでした。あのお父さんと幼い頃に遊んだ箕面の森・・ 私はそっと・・ ありがとう! とつぶやいていました。   4年2組 坂元 美香

   

  美香は小学校時代の自分の文章を読み終えると、順平に話し始めた。「それから私 何かあるといつも相手の心に添えるような人になろう・・ って心してきたの・・ 自分の環境や境遇を嘆くなんて無駄な事だと思ったし、自分の気持ち一つで暗い卑屈な自分を切り替えられることを知ったわ  やはりあの時の先生の一言は大きかったわね それから私 変わったのよ」「そうか それにしても先生の言葉の力ってすごいな  それにその一言で心を変えられた美香も偉いよな・・」

  「先生! 先生の趣味は何ですか?」 放課後、順平は生徒の一人から声をかけられた。「そうだな・・ いろいろあるけど、今はドングリ拾いかな・・」 「どんぐり? それって何? どこで拾えるの? ねえ どこで ねえ 教えてよ!」 一緒にいた仲間達も興味深々で訪ねてきた・・ 「きた きた・・ よしよし・・」

 順平はそんな生徒達を連れ、いずれ箕面の山歩きを楽しみながら <どんぐり拾いをしよう・・>と思っていたのだ。  そしてあの <笑顔のドングリ> 作りを新任教師の課外活動にしたいと決めていた。  その時は婚約者の美香も一緒に・・ と。  

(完)

 


*生きがいに生きる(1)

2020-11-01 | 第9話(生きがいに生きる)

箕面の森の小さな物語(NO-9)

<生きがいに生きる>(1)

 「・・もう二度と ここへ 来る事はないんだな・・」 嶋 哲也は、色づき始めたモミジの葉が初秋の風に吹かれ、舞い落ちるさまをじっと眺めていた。 「来年 この枝につける新しい葉をもう見ることはできない・・ いままで ありがとう・・」 こらえていた涙がポロポロと流れ落ちた。

  やがて哲也は立ち上がると、この箕面の森の中で共に過ごした小さな山小屋の鍵を閉めた。 その隣にはあの日に植えた梅の木の葉が色づき、一枚一枚と葉を落としている・・「春になったらまたしっかりと花を咲かせ実をつけてくれよ・・ 今まで生きる希望を与えてくれてありがとう」

  哲也は振り返り振り返りながら歩きなれた山道を一歩一歩とかみしめるように山を歩いた。 途中 天上ヶ岳の役行者昇天の地でその像に手を合わせ、今まで守られてきたことに感謝した。 やがて箕面自然歩道(旧修験道)を下りつつ、周囲の景色を心に留めると一つ一つにありがとう ありがとう! とつぶやきながら山を下った。 

 明治の森 箕面国定公園の森の中にある箕面ビジターセンター前には、車を停めた妻の紀子がGPSを見つめながら夫がゆっくりと山を下ってくるのを待っていた。

 

  七年前のこと・・ 哲也は65歳を機に妻の紀子と共に、経営していた小さな会社を後継者に引継ぎ引退した。 その時すでに独立している子供たちから「二人の引退記念に・・」と、プレゼントされたのが<一泊二日の人間ドック券>だった。 それまで病気一つしたこともなく健康そのものだった哲也は「有難いけどそんなものはまだまだ必要ないよ・・」と言ったが、「もうお母さんと二人分予約済みだし、これから二人であちこち旅行したりするとか言ってたから、その前に先ず健康チェックも必要だからね・・」と説得され、二人で渋々出かけたのだった。

  その結果がでた時・・ 紀子は健康そのもので何も問題は無かったが、哲也に問題が発見され、それから何度か再検査が行われた。 そしてある日、哲也は妻と共に病院に呼ばれ、医師から精密なデータに画像などを前に詳しい説明がなされた。 そして最後に医師から伝えられたのは・・ 「ご主人はガンで余命六ヶ月ほどで・・」との余りにもダイレクトな死の宣告だった。

  「まさか!? オレが? ウソでしょ! 冗談でしょ!? こんなに元気だし 今まで病気一つしなかったし、TVドラマじゃあるまし、そんなことがあるわけないよ 何かの間違いだ!」 哲也は声を荒げて一気にまくし立てたものの、医師の冷静沈着な説明と真摯な態度、それに横で妻の流す涙と嗚咽に、哲也はそれが現実の話しなのだと我に返った。

  家にどうやってたどり着いたか分からなかったが、哲也はそれでも「間違いだ 何かの手違いだ そうだそうに決まってるオレの オレの命が後半年だなんて・・・そんなバカなことがあってたまるか!」と心の中で叫び続けた。 しかし 妻の紀子がそれぞれに家庭を持っている遠くに住む子供たちに電話している手が大きく震えているのを、哲也はボーと眺めていた。 

 主因は肺ガンだが、もう各所に転移している・・ とのこと。 若い頃からヘビースモーカーで、家族や医師からはいつも注意されていた。 しかし 仕事上のストレスもあり、つい最近までやめられなかった。 しかし 子供たちがそれぞれ結婚し、やがて孫たちをつれてやってくるようになり、その都度 哲也は甘いジイジぶりを発揮して抱っこし頬づりして喜んでいたものの「ジイジは臭い・・ イヤ!」敬遠されるようになり、あれだけ周りから言われても禁煙できなかったのに、きっぱりとやめたところだった。 「遅かったのか・・」

  それから数日後 哲也はガクン と急激な体調の変化に見舞われた。  初めて体験する吐き気、だるさ、鈍痛、食欲もなくどうしようもない体の辛さ、息苦しさに・・ 「なんだろ? これがそうなのか? やっぱりそうなのか?」

  あの宣告の日から僅か10日余りで哲也の体は別人のように衰え、否応なしに自分の病気を認識せざるを得なくなっていた。哲也は医師の治療方針を他人事のように放心状態で聞いていた。 「このまま死ぬのは嫌だ やりたいことがいっぱいあるんだ 何でオレが・・オレなんだよ!」 リタイアする一年ほど前から、哲也は紀子と共にあれこれ旅の計画を立てたり、あれしたい これしたいと、夢や希望で若者のように満ち溢れていたのに、それは一転絶望へと変わってしまった。 「それまで命がもたない・・」 哲也は恐怖と不安、怒りと焦り、絶望感からパニックになるのを必死でこらえていた。

  やがてそのストレスは身も心も激しく蝕み始め、全く精気を失い、ベットの上でまるで生きる屍のような姿に変わり果てていった。 紀子は急激に変わりゆく夫の姿に、表面では明るく元気に振舞い励ましながらも、裏では為す術もなくただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

  二人の出会いはもう40年ほど前のこと・・ 哲也の勤務する精密機械メーカーに事務社員として入社してきた紀子に哲也が一目ぼれし、猛烈にアタックして結婚したのだった。 しかし、二人の持って生まれた性分、性格、それに生活環境から趣味、趣向、人生の目標なども全てが180度正反対でよく喧嘩もしてきた。  

 時折り 箕面の山を一緒に歩いても、紀子は遠くの山々や海を眺めて「すごくきれいね・・」と感動しているのに、哲也は足元に咲いた小さなタチツボスミレの花に「きれいだな・・」と感動してたりして、同時に同じところに立っても見る視点、感動する場面が上とした、右と左、白と黒・・ と、全て違うのが常だった。 それだけに一つ屋根の下での生活はトラブルも多かったが、それでもお互いのそれを利点として補完しあう時はすごい力を発揮してきた。

 それは哲也がサラリーマンから独立し、小さな精密加工の会社を創業した頃から存分に発揮され、哲也の夢みたいな発想やアィデア、企画アドバルーンを紀子がしっかり受け止め、その行動力から現実化し、着実に具現化していくという二人のコンビはついに20数年を経て、それなりに業界での地位を築きてきた。 その育て上げてきた会社を後継者にバトンタッチし、二人ともあっさりと引退し、夢見た黄金のリタイア生活に入ったところでの哲也の余命宣告だったのだ。 それに紀子も若い頃から健康の為と始めたヨガもすでにインストラクターの資格を得、教室をもって多くの人に教え始めているところだった。

  朽ちていく森の古木のように生きる望みを失い、日毎見るたびにやつれ、気力を失っていく哲也に紀子は何とか生きがいを見つけてあげたい・・ 一日でも長く一緒にいたい・・ と必死だった。  

 夫は自分と違い,いつも危なっかしい子供のような計画ばかり立て、周りをハラハラさせてきたので、紀子はある時期からそれらを全て封印し、やめなければ離婚します・・ と宣言し、力づくでやめさせてきたし、それによる大喧嘩を何度もしてきた。 その哲也のエネルギーを抑えるのは並大抵の事ではなかったが、紀子もそれ以上のパワーを全開し、家庭や家族を、それに会社を守る為と信じ抑え込んで生活してきた。 でも・・ でも・・ 

 紀子は1日考えた末、ここにきてその抑え込んできた哲也のエネルギーの封印を解き、残された僅かな時間でも希望を持って前向きに生きてもらいたい・・ と心に決めた。 ベットでうつろな目をして天井を見つめている夫に、紀子は朝食を運びながら自分の考えを話し始めた。

 「貴方は今までよく頑張ってきたわね。 私ね 最近友達の悩み事なんかよく聞くんだけど、ご主人の浮気とか女性問題、それにパワハラとかDVとかもね。 それにご主人のギャンブルや借金問題、酒癖の悪さやおかしな趣味で悩んでいる人多いのよ。 でも貴方はそんな心配は一切なくて仕事一筋だったわね。 しかしね 今まで貴方が個人的にやりたいと言う事の全てを私は許してこなかったわね。 不安だったのよ 一度やりだすと突っ走るほうだから、何をしでかすか分からないという恐怖もあったわ。 でも その分 貴方の夢や希望を抑えてきたから不満もたまり、ストレスいっぱいだったようだわね。 ごめんね・・

こんな事になったから言うのも変なんだけど、もう貴方のやりたいこと何をやってもいいのよ  何でもよ・・ 私ね 貴方が仕事していた時のように生き生きと生きがいを持って明るく元気に最後まで生きて欲しいの・・ 一日でも長く一緒にいたいから前を向いて生きて・・」 紀子はそう言うともうそれ以上 涙で話すことができなかった。

  一日が過ぎ、夕食を持っていった紀子は少し驚いた。 あれ程ぐったりしていた哲也が起き上がり、古いノートをめくっている。「それな~に・・」「これはボクの夢ノートさ  学生時代からのね・・」 紀子はそのノートの存在は知っていたが、今までいつも何か夢を書き込んでいる哲也の姿が別人のように見え嫌悪感さえ覚えていた。 「何か これからやりたいことは見つかったの・・?」 その時、紀子は哲也の体に少し精気が戻っているのを感じた。 それは消えかけの暖炉に、小さな種火が ぽ~ と輝き、かすかな灯りが部屋に広がったかのようだった。

(2)へ続く


生きがいに生きる(2)

2020-11-01 | 第9話(生きがいに生きる)

箕面の森の小さな物語

<生きがいに生きる>(2)

  哲也は3日間 何冊もある学生時代からの「夢ノート」をめくりながら想いを巡らせていた。 若い頃は冒険、探検の旅、アウトドアなどアクティブな計画が多かったが、歳と共にそれは変化し、近年はリタイアしたら「チベット仏教を国教とする<幸せの国 ブータン王国>を歩き、日本仏教 空海・真言密教の聖地、<四国八十八ヶ所霊場>を歩き、その比較研究」をしてみたいとか。

 また高校生の時<尊敬する人 発表会>で1位になったことがある「賀川豊彦 その人の歩んだ神戸の貧民窟での救済活動、その後の ノーベル平和賞候補や「死線を越えて」の本でノーベル文学賞候補にもなったその稀有な日本人牧師の足跡を辿りつつ、箕面の森に隣接する能勢・高山を生誕地とするキリシタン大名・高山右近の足跡を辿りつつ、その愛と真理の比較研究」をしてみたい・・ と言ったような可笑しなことを考えたりしていたが、その歴史散歩に似た計画にもそれなりに相当の資料を集めたりもしていた。

 そしてリタイア前には、豪華客船で二人して世界一周もいいな・・ ゆっくりと日本の温泉地巡りもいいな・・ とか話し合っていたし、かねてより憧れていた空を飛ぶスカイダイビングなどもあった。 いろいろ若い頃のやりのこし症候群から現実的な計画までそれは多岐にわたっていた。

 「・・でも これは体力的にムリだ・・ 時間が無い・・」 次々とバッテンをつけながら哲也は現実的にできそうな事を探っていた。

  その頃 紀子は友人に紹介してもらったホスピスの医師に夫のことを相談していた。 一通り話しを聞き、紀子の意見も聴いたその医師は、次のように話し始めた。

 「生きる目標や生きがいを持ったガン患者の80%が末期でも5年以上生存しています。 これに対し、絶望感を持った患者は20%しか生存していません。 人間の体内でガン細胞と闘うのはリンパ球ですが、そのリンパ球の働きをコントロールしている間脳と呼ばれるその中枢の働きを活性化させるのがファイティングスピリット つまり闘争心、生きがい、ユーモアなどといったプラスの心理状態なのです。

 生きる目的を持って病と闘う、つまりチャレンジ精神こそ闘病の特効薬と言えるのです。 だから生きている間にぜびご主人がしたいことを実行するチャンスを与えてあげて下さい。 「生きがい」を持つ事は大脳生理学的なガンの治療法の一つとして証明されています。 つまり「精神神経免疫学治療法」として確立されていて生きがいを持った患者さんの生存率が優れていると言う事実が注目されているのです。 いくら放射線や化学療法でガンを破壊しても、免疫力が低下していればそれを免れ残ったガン細胞が再び大きくなり、何度も苦しい辛い化学療法を繰り返す事になります。 だから免疫力が高いことが大変重要なのです」と。

 紀子は数日前 夫に何かやりたいことを何でもやっていいわよ・・ と伝えたことに医師は大いに賛同し、自分が決心した事に安堵した。 そして これからケアする紀子を励ますように医師は言葉を続けた。

 「死の恐怖は人間の本能だからいくら努力してもそれを無くすことはできません。 死の恐怖を振り払おうと努力すればするほどそのことに心が集中し強まるばかりです。 だから死の恐怖はそのままにしておいて、それよりも人生を有意義に過ごそうと生きる欲望の方へ心を向け、それに懸命に取り組む。  恐怖心をそのままにして現実の生き方を変えるようにしていけば死の恐怖と共存できるようになるのです。 逃げてはダメ  怖いのは人間の本能だから否定できない  当たり前のことで仕方ないと死の不安や恐怖を認めることが大切です。 

 大切な事は、それを認めつつ現実の取り組み、つまり奥様ならご主人が生きている間にしたいこと、今日しなければならない事に一生懸命に取り組み、その行動によって不安をコントロールしていき、心と行動を分けて考え、不安と共存するのです。 怖ければビクビク、ハラハラすればいいのです。 人間の本能だからそれは当たり前で自分の意思で変えられるものでなく、絶対になくなりません。 それよりそれを無くそうと無駄な努力をやめる事・・ ありのままでいいのです。 今日必要な事を一つ一つしっかりやる すると人間の心というのは同時に二つのことを同じ強さで考えることはできないので和らぐのです。

「病気になっても病人にならない」ことが大切です。 「苦しい時ほど行動を!」ですよ。 それにガンは安静にしたから治るというものではありません。 特に大脳の働きが自律神経の中枢を通じて体の免疫系に作用して効果を挙げるので、常に心の構え方、プラスの心がガンの抵抗力を大幅に高めるのです。 人間の感情というのは心の自然現象で、それには自分の意思が通じません。 だからいくらコントロールしようとしてもムダです。 しかし 感情は環境の変化と行動に伴って変化できるのです。 家でウツウツしていた人が山歩きなどに出かけると感情が変化する  つまり行動には意思の自由があります。  だから懸命に打ち込むような毎日が続けば免疫中枢の活発化につながり、当人はもとよりケアする奥様も楽になります・・」と。

 

  紀子は医師の話し一つ一つに乾いたスポンジが一気に水を吸い込むように吸収し心に響いていった。  そして今やっている自分のヨガの教室も今まで通り運営していくことにした。

  四日目の朝、哲也が 「やりたいこと・・」と口に出したのが紀子には予想外の事柄だった。 

「最後に・・ 箕面の森の中に小さな山小屋を建てて住んでみたい・・ それと 体力がある内に東海自然歩道を歩いてみたい・・」と。

  今までなら勿論一笑にふし「何を子供みたいなバカなことを言ってうんですか 何を考えてんの?」と怒るような内容だけど、じっと堪えると共に哲也の話しを聴いてみることにした。 「なぜ 最後となるかもしれない望みが山の中なの?」 紀子はいぶかしげに思いながらも哲也が真剣な眼差しなのでもしそれが本気で生きがいにつながり、一日でも元気に生きてくれるのであれば・・ と前向きにとらえるようにした。

  それから哲也は紀子と何日も話しあい、検査漬けでチューブに繋がれたスパゲティー体となり、薬の後遺症に苦しんで亡くなりたくない・・ と、当初の医師が勧めた放射線治療や化学療法といった治療方針を一切やめにして自然体でガンに望むこととした。 そうと決まるとあれだけ生きる屍化していた哲也がベットから起き上がった。 

 そして周りの人には自分の症状は伏せ、自力で歩けるうちにと外へ出かけるようになった。 「近くに来たので・・」と用事にかこつけ親しい友人やお世話になった人たち・・ 少し遠い所の大切な人々とも会い、自分なりに最後の別れをしてきた。

 紀子は哲也の最後の望みを遠くに暮らす子供たち家族に話し、各々が共有することにした。 そして毎日のように電話で相談できたので心強かった。 そして紀子は山小屋より先に歩けるうちにと哲也が望んだ<東海自然歩道>とやらを歩きたいという望みをかなえるために情報を集めた。 しかし これが調べるほどにとんでもない事だと分かってきた。

 「明治百年」を記念して昭和42年に指定され誕生した「箕面国定公園」と、東京・八王子の「高尾国定公園」とを結ぶ一都二府八県を結ぶ全長1.697kmの山岳歩道なのだからビックリした。 「まさかここを・・? 大変な事を言い出したものだわね・・」 哲也は・・「いろんな夢があったけど、これならゆっくりマイペースで休み休みしながらでも歩けるかな? と思ってね」 と事もなげに言うのだった。 でも最後の望みとあらば・・ と家族は渋々納得したものの心配は尽きなかった。

  スタートは東京の高尾山の基点地から、箕面のビジターセンターにある基点地へ向けて歩くようにした。 紀子も子供たち家族も「どうせ2~3日歩いたら自分の体力の限界を知ってすぐに諦めるわよ・・」と信じていた。  しかし 山の中のコースなのでいざという時の為に山岳用GPSやスマホ、ミニPCなど最新の近代機器を持たせ、緊急時のサポート対応もセキュリティー会社と契約し、常に位置を把握し連絡を欠かさないようにした。 更に 近くの山里の病院や救急対応も調べた。 紀子は哲也と共にこの準備に忙殺され、少し前のあの恐怖や不安から逃れられた。

  5月の始め・・ 事情を知っている子供たち一家も各々東京まで足を延ばし、八王子の高尾山頂に集合した。 哲也はみんなに見送られながら、ゆっくりゆっくりとスタートした。いよいよ哲也の念願だった<東海自然歩道>の歩き旅が始まった。

  紀子は不思議な事に夫と二人でいるときは今まで余り会話もしなかったのに、哲也が旅に出て別々に過ごすようになると、毎日よくここまで話すことがあるかと思うぐらいケータイやメールで話し合った。 哲也も山を歩きながら、夜テントの中から、朝のおはよう! から 夜のおやすみ! まで何度となく連絡をとった。 そして 2日に一回毎 更新される哲也の山ブログは、遠くで心配する子供たち一家にもそれぞれ安心感を与え、家族それぞれが見守る事ができて当初の不安を拭い去っていった。

 更に 紀子はアクセスのよい所まで新幹線や在来線を乗り継ぎ、山里に下りてくる哲也と出会い、時には一緒に歩いたり、里の宿をとることもあったが、何度かは哲也の野宿するテントで一緒に夜空を見上げ、満天の星を眺めながら朝までいろんな話しをしたりもした。 二人にとってこんなに夢中で話し、笑い、楽しい一時をすごしたのはあの若き恋人時代の時以来だった。

  哲也はそうして静岡、愛知から岐阜、京都を経て大阪府内に入ったのは出発して100日を過ぎていた。 やがて歩きなれた茨木の泉原から箕面・勝尾寺裏山の<開成皇子の墓>に着いた。

 実はいろんなアクシデントがあり、病院に救急搬送されたこともあったが大事には至らなかったこともあり、何とか無事に箕面の山までたどり着くことができた。 哲也はとうとう1.700kmほどの東海自然歩道を、予想以上の時間もかかったものの、118日をかけて歩破した。 

 終点の箕面ビジターセンター前にはあの高尾山で見送ってくれた家族全員が再び集まり、近くの「箕面山荘 風の杜」でささやかなお祝いが開かれた。 日焼けした精悍な顔と活気溢れた体をみて全員の安堵感は計り知れないものがあった。 そして哲也の達成感、満足感はいっぱいで幸せだった。 哲也は一人一人に心から感謝した。

  しかし 現実にはあの余命宣告からすれば、哲也の命は後 50日に迫っていた。

 NO-3 へ続く


生きがいに生きる(3)

2020-11-01 | 第9話(生きがいに生きる)

箕面の森の小さな物語 

<生きがいに生きる>(3)

  長距離の山旅を無事終えた哲也は、あの余命宣告から自分の命が後50日もないのでは・・ と内心焦っていた。  家の中で1週間ほど体を休め、この山旅の体験をまとめる・・ と意欲を燃やしていたが、徐々に顔つきが暗くなっていく事に紀子は気付いていた。 「もうあと何日生きられるのかな・・ 間に合わない・・ 後はもう紀子さんとこの家でゆっくり最後を迎えたい・・」

  紀子は一つの目的を達成し弱弱しく話す哲也の顔をしっかりと見ながら・・ 「貴方はこの4ヶ月間、一般の健康な人でもなかなかできないことを諦めずに頑張ってやり遂げたわね すごい事だわ 貴方の最後の夢と言っていた「箕面の森の山小屋に住む」という夢 それ実現させましょ」 そういうと紀子は元気に立ち上がった。

「このままでは惰性に流され、残された日々を無為に過ごしてしまいそうで怖い・・」 「もう時間がないよ・・」と言う哲也を励ましながら・・ 「まだ50日もあるじゃないの・・」と哲也の胸をたたいた。  かつて事業の夢を語る哲也に紀子はそれを現実的に実現させてきた実績があった。「二人は最強のコンビだ! って貴方はいつも言ってたわねきっと この夢も実現できるわよ やってみましょ!」 紀子の行動は早かった。

 哲也の夢ノートには7年前 箕面の堂屋敷山を歩いていた時、その近くで見つけた<売り土地>の看板からだった。 そこから夢を広げた事が何頁にもわたり細かく記されていた。 紀子はそこに書かれたメモを頼りに早速売主に電話をしてみた。 「・・ああ もうとっくに忘れてましたわ」とのこと。 紀子が事情を話すと年契約で、しかも格安で土地を貸してもらえることになった。 「半年も使わないかも知れないけど・・ でも・・ よかったわ」 ノートには山小屋のイメージ図も書いてあった。 「これ なにかの模型?」 同じようなものが京都にある・・ と記されている。 そこで紀子は哲也を共にその京都を訪れた。

 それは下鴨神社の境内にあった。 今から800年以上の昔 「方丈記」を書いた鴨長明が日野山で暮らした方丈(4.5畳)ほどの小さな庵だった。 今もその「方丈記」とソローの「森の生活」を愛読する哲也にとってそれは夢の庵だった。 800年前の鴨長明と180年ほど前のソローにはその人生観に類似する所も多くあった。 それに地元の箕面川ダム湖畔にはその鴨長明が箕面を詠んだ歌碑があった。 みのおやま雲影つくる峰の庵は松のひびきも手枕のもと」と。

 哲也の目に再び精気がよみがえってきた事を紀子は感じていた。 「最後の望みが叶うかも知れない・・」 失いかけた希望の灯りが再び光り始めていた。 紀子は京都から帰ると早速具体的な行動を開始し、僅か3週間ほどで森の中に簡易なあの「方丈庵」を建ててしまった。  規制や規則上 電気も水道も無いけれど、屋根にはソーラーパネルを張り電源とし、雨水の貯水槽を設けて哲也が望む菜園の水遣りはそれで賄えるようにし、飲料水はまとめて特別に業者に運んでもらい、下水道は浸透式として簡易トイレも備えた。

 あの「まだ50数日もあるじゃないの・・」と言った日から20日後哲也は正に夢に見た箕面の森の方丈庵へ引っ越した。 と言っても、寝泊りするのは週末だけとし、平日は体調を見て朝、紀子がヨガの教室に教えに出る時間に併せ、市道・箕面五月山線を上り、近くの山裾まで車で送り、夕暮れ時は近くの箕面ビジターセンター前まで迎えに来る事にしていた。 あの余命宣告の日は後僅かに迫っていた。

  哲也の森の生活が始まった。 哲也が若い頃から愛読し憧れていた鴨長明著の「方丈記」とヘンリーDソロー著の「森の生活」の一端が現実にできることとなったので、その喜びに毎日興奮した。  哲也は来る日も来る日も箕面の森の中を歩いた。 山小屋の横には小さな畑を作り、種をまき、水をやり手入れを日課とした。 あのマルチンルターが「・・今日 地球が滅びるという最後の日にも、私はリンゴの木を植える・・」の言葉を想いつつ、好きな梅の木も植えた。

 頭上を飛び交う野鳥や森の昆虫を飽きることなく観察し、こもれびの下でハンモックに転がり本を読んだり、お昼にはキノコや山菜採りをしてそれでスパゲティを作ってみたり・・ キャンバスを立て、好きな絵を描いてみたり・・ そんな日々の事をブログに書いてみたり・・ と、毎日を思う存分に楽しんだ。  毎日飽きることなくすることしたいことが山ほどあって、哲也は退屈する暇もなく生き生きとした生活に顔は見違えるほど明るく精気に溢れていた。 本当に後余命何日の人なのかしら・・? と、紀子は夫の元気ぶりに驚き喜んだ。

  そしてとうとう6ヶ月の余命宣告の日がやってきた。 その夜、昼間どれだけ山を歩き回ったのか分からないけど、横でグッスリとイビキをたてて眠る夫の姿に紀子は心底安堵した。

  それから週末 紀子は山小屋に泊まる哲也とともに何度も一緒に泊まり、寝袋の中で夜明けまで昔話しをしたり、哲也の箕面の山の話しを聞いたり、いままで全くしなかった世間話しにと話題は尽きなかった。 哲也に死を連想させる兆候は何も見当たらなかった。 このまま穏やかな日々が続いて欲しいわ・・

 

  やがて哲也は体調を見ながら箕面の森で活動する団体のいくつかの催しやイベントにも参加するようになった。 箕面で活動する団体は沢山あり、その中でも里山や森の自然に関する活動も多く、参加することに事欠かなかった。 なにしろ明治の森・箕面国定公園は大阪の都市近郊にあり、963ヘクタールと小さくとも、約1100種の植物と約3500種の昆虫が確認されている日本有数の自然の宝庫なのだ。

  哲也は最初に「みのおの山パトロール隊」のクリーンキャンペーンに参加し、山のゴミを拾いながら山地美化活動を始めた。 「箕面ナチュラリストクラブ」や 「箕面自然観察会」 「箕面の自然と遊ぶ会」 などでは自然を愛する人々からいろいろと学び教えてもらった。

みのお里山ふれあいプラットホーム」では六箇山での間伐作業に汗を流した。 「箕面観光ボランティアガイド」の講習を受け、時には一緒になって一般の方々のハイキングガイドをしたりした。 「箕面ホタルの会」「勝尾寺川ほたるの会」でホタルを楽しみ、「しおんじ山の会」では如意谷で、「外院の杜クラブ」ではあたごの森での作業に汗を流した。 「みのお森の学校」では里山を学んだ。「NPO法人 みのお山麓保全委員会」のイベントにもいろいろと参加させてもらい多くの山の友をえた。 「箕面の森の音楽会」を楽しみ、「箕面市の美術展」では山小屋で描いた箕面の森の絵を出品したりして楽しんだ。

 そして紀子は生徒が増えて忙しくなった自分のヨガ教室だが、それ以上に大切な哲也の為に時間をつくり、二人で小旅行にでかけたり、音楽コンサートや観劇などを楽しみ、たまにはホテルで二人してお洒落しディナーを楽しんだ。

 7年以上の歳月があっという間に過ぎていった・・

  定期的に受診するたびに医師は首をひねりながらその体調ぶりに驚いた。 「このままいけば健康になってガンが消えるかもしれないわね」と、紀子は心の中で喜んだ。 しかし お互いにそれを忘れかけていた頃・・ ある日 突然恐れていたその日がやってきた。 哲也はいつもの山歩きの途中 山の中で突然大量の吐血をし、今まで感じたことの無い激痛に見舞われた。 それは契約しているセキュリティ会社が哲也の異変、異常に気付き、山岳GPSで山中を特定し、救急隊がその山道を上り、意識を失いかけ苦しんでいた哲也を発見し、救急搬送された。 紀子は医師から静かに・・「もうそろそろですね・・」と告げられた。

  モルヒネによるペインコントロールにより生気を取り戻した哲也も、いよいよ天国からのお迎えが来た事を悟り、最後のお願いと一日だけ一人山小屋で静かに最後の時を過ごした。 そしてお世話になった家族や友人、山の友など一人ひとりにお礼の手紙を書き、描きためた小さな油絵を感謝を込めて添えた。 箕面ビジターセンターの駐車場で哲也のGPSモニターを見つめていた紀子は旧修験道から箕面自然歩道を下ってくるいつもの哲也を待っていた。

「もうここで待つことも今日で最後になるのね・・」 そう思うととめどなく涙が流れ落ちた。

 車の後部座席にはこの朝出版社から届いた本が積まれていた。 その一部は箕面市立図書館に収蔵されることになっている・・ この一年ほどの間、哲也はベットに入る前に少しずつ箕面の森での出来事などを綴っていた。 その姿が生き生きとしていたことも思い出される。 「貴方のノートパソコンは生きた証しでいっぱいだわね・・」

  やがて満ち足りたようにいつもの明るい笑顔で哲也がゆっくりと山を下ってきた。 四方の山々に向かって深々と頭を下げている。 「ありがとう ありがとう この生きとし生ける自然界の全てにありがとう・・ 私も千の風になり、この箕面の森を吹き渡れますように・・」

 

 車の助手席に乗った哲也は「紀子さん 貴方のお陰であの余命6ヶ月の宣告の日からこんなにも命永らえ生き生きと過ごす事ができました。 本当に心から有難うございました。 私の人生は貴方のお陰で最高に幸せでした。 ありがとうご・・」 哲也は紀子の顔をしっかりと見つめ両手をしっかりと握りながら、妻への心からの感謝を伝えたが、最後は涙で言葉にならなかった。

  二人の乗った車はゆっくりと森を離れ、箕面ドライブウエィを下り、しばし哲也の終の住処となるYCHホスピスへと向かった。

  10日後、哲也は家族に見守られながら自分が望んだホスピスのチャペル礼拝堂で好きな賛美歌に包まれながら昇天していった・・ 主よみ許に近づかん 昇る道は十字架に・・ その幸せに満ち足りた顔には天使の微笑みが残されていた。

  医師は・・ 「人は早かれ遅かれ100%死ぬんです。 そこで心から人生を満足して死んだ人がやっぱり一番幸せなんです。 そしてそんな人を看取れた家族もまた悔いを持たず、幸せに生きていけるんですよ・・」と語った。

  年が明け 箕面の森に美しいウグイスの初鳴きが響き渡る頃、 あの日 哲也が初めて箕面の山小屋に入った日に植えた一本の梅の木に今年も沢山の花が咲いた。 久しぶりに思い出の山小屋を訪れた紀子は両手を広げ、箕面の森の上空に吹く穏やかな初春の千の風を受けながら一言 笑顔でつぶやいた・・ あなた! 

(完)


*運命の出会い(1)

2020-09-26 | 第13話(運命の出会い)

箕面の森の小さな物語(NO-13)

* <運命の出会い>(1)

  「さあ 今日はどこを歩こうかしら・・」 箕面の駅前から西江寺の裏山を上り、聖天の森から才ヶ原林道へ出ると、もう初秋の涼しい風が吹いている。  西園寺まり子は今日も一人で森の散策に出かけた。

  地獄谷からこもれびの森に向かう途中 東に折れて才ヶ原池一休みする事にした・・ 今日は釣り人が一人もいないようだわね・・ と独り言をいいながら、少し出始めたススキの穂が数本 穏やかな風にゆっくりとなびいている。 池畔を周り、いつも座る石のベンチに向かうと・・ どうやら先客がいるようだ。

「こんにちわ!」あっ こんにちわ!」    

見るとまだ少年のようで運動靴に普段着の服装、棒キレを一本もっただけの軽装です。  まり子は自分の山歩き用の完全装備スタイルと余りにも服装が違い、思わず苦笑してしまった。

・・どこからきたのかな・・?  

そう思ってもう一度声をかけようとして再び顔を見ると・・ 「あれ! どこかで見たような顔つき?  思い出したわ・・ 貴方と一度会ったことあるわね?」え! そうですか・・??」  彼はまり子の顔をマジマジと見つめつつ首を振ってる・・「そうか! あれは私が見ただけで、貴方は見てないものね・・ あれは? そうだわ・・ 奥の池じゃなかったかな? 一人で池を見てたわ・・ こんな山の中の池で少年が一人で池を見つめているなんて・・ どこかありえないと思ったので、印象に残っていたのよ」

「そうですか・・ ボク、池を見るのが好きなんです」 「なんで?」「なんでかな? だって森の中は静かでしょう・・ でも、池には風が吹くと波があって揺れているし、鳥もよく飛んでくるし、それに魚もいるし・・ じっと見ていると、ボク一人じゃないからかな・・」「そうか・・」 「あ! どうぞ・・」 少年は端に座りなおし、まり子に座り場所を空けた。 

「ありがとう! ところで貴方はいくつなの? 何年生なの? どこからきたの?  いつも一人なの・・?」 また自分のお節介が始まったと心では思いながらも、少年に興味を持ったまり子はいつしか少年への質問を連発していた・・ 「ボク! 13です、中学一年です・・ この山の下でおばあちゃんと二人で住んでます・・ ボク! 山が好きなんでいつも一人で歩いてます」 言葉づかいが今時の若者にない礼儀正しい喋り方に、まり子は先ず好感を抱いていた。

 しかし もう仕事を離れて大分経ったのに、いつまでも抜けない自分の詮索好きに注意していたのだが、また出てしまった・・ そう思ったとたん・・ 「そうだ! オバサンの作った卵焼き、よかったら食べてくれない・・?」 「卵焼きですか・・?」 「オバサンね・・ 自慢じゃないけど料理作りが得意でね・・ いつも美味しいもの作っては楽しんでいるのよ・・ でもね、一人なので味見してもらう人がいないと張り合いがないでしょ・・ だから・・」 そう言いながらまり子は、二人の座った間にすばやく自分の今日のお昼ご飯を並べた。

 「わー! きれいですね・・ 美味しそう!」 「どうぞ どうぞ!  よかったら他の物も食べてみて・・」「いいんですか? じゃ頂きます・・」 そう言うと少年は、先ず卵焼きから手をつけて口に運んだ・・ 「わー美味しい! 美味しいですね・・ こんな美味しい卵焼きは初めてです・・」 まり子は本当に美味しそうに食べてくれる少年を見ていると嬉しくなってしまった。 「このサンドイッチも美味しいわよ」「頂きます・・ あ! オバさんのがなくなっちゃう」 「いいのよ! オバサンね・・ こんなに美味しそうに食べてくれる人は初めてなので、胸がいっぱい! お腹もいっぱいなのよね・・ ハハハハ!」と、なぜか泣き笑いになってしまった。

 「ボク、卵焼きを作るのが得意だったんですが、こんなに美味しいの作れないな・・」 「なにボクちゃんが作るの?」 「はい! おばあちゃんに作ってやると喜ぶんで・・ ボク、小学校の家庭科の実習で初めて卵焼きを作ったとき、先生に誉められたんです・・ それからボクがご飯を作るときは玉子買ってきていつも作るんです・・ こんなに美味しい卵焼きが作れたらきっとおばあちゃん喜ぶだろうな・・・」 「そうなの! でも私のは簡単なのよ・・ 先ずだしをこうしてね~」 それからしばし卵焼きの講習が始まる・・ まり子はまさか少年を相手に、森の中で卵焼きの作り方を教えようとは夢にも思わなかったが しかし、なぜか幸せな気持ちがして嬉しかった。

  すると突然に・・あ! 忘れるところやった・・ すいません、おばあちゃん迎えにいくのでボク帰らなくちゃ・・ オバさんありがとう ごちそうさまでした!」 そう言うとボクちゃんは棒キレを持つと、あわてて飛ぶように行ってしまった。

  久しぶりに我を忘れて楽しいおしゃべりに花を咲かせただけに、まり子は膨らんだ風船が急にしぼむように、この僅かな一時の現実がまだ飲み込めないまま、心が深く沈んでいってしまった。

  まり子は保険会社のエキスパートとして30年以上も第一線で働いてきた。 女子の幹部候補一期生として採用され、仕事が面白くて面白くて・・ いろんな男性との結婚チャンスもあったけど仕事を選び、とうとう一人身で定年を迎えてしまった。  お陰で箕面の山麓に新しいマンションも買えたし、蓄えもできたし、同年輩の女性より高い年金を貰い、老後の経済的な心配はないけれど、こうしていざ一人になってみるとなぜか無性に 淋しい、空しい といった気持ちになってしまうときがある。

 友達も沢山いるし、かつての自分のお客さまで、今も新聞やTVで活躍を知る現役の方々の中にも いまだに マコ マコ! と、親しく呼んでくれて御付き合いの続いている方も多いので、自分は恵まれた人生を過ごしてきたんだといつも感謝して過ごしているのだが・・ しかし いつも何か? 物足りない思いが消えないでいるのだった。  唯一 箕面の森を歩いている時は心が安らぎ、自然のもつ包容力が心を癒してくれたので、森の散策はもう何年も長く続いていた。

 いくら得意な料理を作っても、それをいつも美味しいと喜んで食べてくれる人はいない・・ 一人でそれを食べる時の空虚感は拭いきれなかった。  それだけにあの日 あの少年の美味しそうに食べてくれた笑顔が忘れられな・・ もう一度会ってみたい・・

 まり子は週に1~2回のペースで箕面の森の一人歩きを楽しんでいたが、いつも自分の気持ちを大切にしながら、心のおもむくままに、ゆっくりと歩いたり、浸ったり、気を使わないマイペースの一人歩きが好きだった。 あれから森を歩くたびにキョロ キョロと周りを見回すようになり、いつもどこか山の池をコースに入れるようにしていた・・ だからそれまでのゆったりとした癒しの散策から、人探しの歩きになっているようで 本末転倒だわね! と笑いながらも自分の心をごまかす事はできなかった。

  いつしか秋も深まり、箕面の森も見事な紅葉につつまれていく・・ まり子は瀧道のすごい人並みを避けて森の奥に入り込み、人のいない絶好の穴場で一人、紅葉狩りを楽しんだりしていた。  やがて寒い北風が吹くようになると箕面の山も静かになり、鳥たちの賑やかな歌声だけが響いている・・ しかし、強い風が吹くと落葉する樹木が踊っているようで、沢山の鳥の鳴き声と合わせ、まるで大交響楽団のクライマックスのような響きにとなり、まり子はその自然の感動を味わっていた。

 

  やがて冬がやってきた・・ ある寒い朝、まり子が新聞をみると、箕面の池にシベリアからキンクロハジロ今年初飛来した・・ との記事があったので、その日早速行ってみることにした。  いつもの冬の山歩きの完全装備スタイルで・・ 我ながらちょっと大げさな格好かなと思うけれど、何度か恐い思いをしてきた事もあり、箕面の山は低山とはいえ、自然は決して侮れない事を体験してきたので、これでいいのだ・・ と、改めて納得しながら家をでた。 今日も紅茶の入った温かなポットに、いつもの特別弁当を持って・・

  箕面山麓線の白島から谷山林道へ向かうと間もなく薩摩池がみえ、やがて大きな五藤池が見えてきた。  まり子はリュックを下ろして池畔に目をやると、先ず潜水の上手なカイツブリが5、6羽いる・・ その手前にはきれいなオシドリの夫婦? がいて、先にはマガモが10数羽、波間に浮かんでいる・・ オスの緑色の頭部が鮮やかだ・・ この池にはいつも沢山の水鳥たちが羽根を休めている・・ それにしても肝心のキンクロハジロはどこにいるの?   

 双眼鏡で眺めていると、遠方から二羽のアオサギが飛び立っていった・・ この寒いのに、みんな元気だわね! なんて独りごとを言いながら、双眼鏡を覗いている時だった・・ 突然後の方から大きな声がした。

「オバさん!」「えっ!」

余りにも突然だったのでまり子はビックリ! 振り返るとあの時のボクちゃんだ。 「ボクちゃんじゃないの! なつかしい うれしいわ」  まり子は感情が高ぶり、思わず抱きしめたくなるような気持ちをおさえた。「会いたかったのよ! ボクちゃんに・・」 まり子の目からなぜか嬉し涙がこぼれ落ちる・・ 「どうしてたの? 元気だった? あれからオバサンはボクちゃんに会えないかなと思って、才ヶ原の池やいろんな森の池も回ったのよ・・ どうしてたの? 元気だった? 何かあったのかと心配してたのよ・・ 連絡先も分からなくてね・・」 まり子は同じことを聞きながら、またお節介虫を発揮して、つぎつぎと質問を浴びせていた。

  「あ! ごめんね! オバサン一人で喋ってるわね・・」 一度会っただけの少年なのに、何でここまで気持ちが入ってしまうのだろうか? それをニコニコしながら聞いていたボクちゃんが、それには応えずに・・ 「オバさん! これから山へ行くの? ボクも一緒に行っていい?」「勿論よ!」 まり子にとっては願ってもない言葉だった・・ 「オバさん 鳥を見にきたの・・?」「そうなの! 今朝の新聞でこの池にキングロハジロが越冬するために飛来したって書いたあったからなの・・」「それならさっきみんなで一緒にどこかへ飛んでいったよ! そのうち帰ってくると思うけど・・」 ボクちゃんは相変わらず棒切れ一本をもっただけの軽装だった。

(2)へ続く 


運命の出会い(2)

2020-09-26 | 第13話(運命の出会い)

箕面の森の小さな物語

<運命の出会い>(2)

 「そんな格好で寒くないの? 風邪引かない? のど渇かない・・ あ! また、いらぬお節介してしまったね! ごめんね!」大丈夫です・・ いつもこの格好ですから、それに4時間ぐらいなら水もお腹も我慢できますから・・ それにおばあちゃんが心配するから、そんなに山奥までは行かないし・・ でも今日は施設に一泊するので時間はあるんです」  ボクちゃんは3ケ月前より少し痩せたようだった・・ 二人は嬉しそうに仲良く並んで、水神社前から谷山尾根を登り、巡礼道向かった。

 「そう言えば前に会ったとき、急におばあちゃんを迎えに行くような事いってたけど、大丈夫だったの?」 ボクちゃんは少し暗い顔になりうつむいてしまった・・ まり子はまたまた要らぬ事を聞いたかな? と思ったけれど、あれから づ~ と気になっていたことを聞いてみたかったのだ。「あの日は、おばあちゃんが施設から帰ってくる時間だったんです」そういいながら、少年はやがてゆっくりと話し始めた・・ それから約1時間、溜まりたまっていた心の内から、まるでその栓が抜けたように、一気に少年の思いが溢れ出した。

  少年の祖母はだんだんと認知症状が進み、もう孫の顔も時々忘れるような状態とのこと・・ 家族は・・ 父親がいるようだが、幼稚園の時に一度だけ会っただけでそれ以来行方不明だが、噂では今はフイリピンで家庭を持っているかも? と、お祖母さんから聞いたことがあるとのこと・・ 母親は自分の出産の時に事故で亡くなったと聞いているようだった。  そして母親の実家であるこの箕面山麓の古い家で、祖母と二人で生活してきたとのことのようだ。 

 トイレに一人でいけないような祖母、自分の顔も忘れかけている祖母の介護も含め、13歳の中学一年生が一人で家を守り、学校から日々の生活まで必死で賄ってきている姿を、まり子は涙ながらに聞いていた。  それにある日のこと、祖母が入院した時に遠い親戚だという会った事もない人が家に訪ねてきて、一晩無理やりに泊まっていったとのこと・・  そして通帳はどこだ? 保険証はどこ? 印鑑は? 現金は? と、勝手に家中捜しものをしていたらしい・・ まり子は自分の中学生活を思い出して、なんとボクちゃんの生活が過酷で悲惨な思いをしているのかと、また新たな涙が頬を伝った。

  話しの合間に、まり子も自分の身の上話をしたが、余りにも少年との格差を感じ、話しながらも改めて少年の身の上に愕然とするのだった。  しかし まり子が自分の心に素直に、こんなにも正直に包み隠さずに、自分の身のうえ話しを他人にしたのは初めての事だった・・ あの森の自然の中でつつまれる安心感、穏やかさと同じような不思議な感覚、しかも13歳の少年を相手にして・・ なぜ?

  巡礼道を登りきると七丁石の分岐点にでた・・ そうだわ ボクちゃん! 少し早いけどお昼にしない?  卵焼きあるのよ!」え! 本当ですか? ボクあれから家で何回も作ってみたけど、オバさんのあの美味しかった卵焼きは絶対できませんでした」 まり子は嬉しくなってしまったけれど、ずっと話を聞いてきたので、逆に不憫に思えて悲しくなってしまった。

  七丁石の横に丸太を二本並べたベンチがあったので、二人はそこに座った・・ 尾根道とはいえ周りを森に囲まれていて少し寒い所だが、二人とも心はとても温かかった。 まり子はこの3ヶ月間、いつボクちゃんに会ってもいいように、いつも少し大目の特別弁当を作っていた。 しかし今日までその期待は外れ、いつも山から帰ると余ったおかずが夕食代わりになっていた。 でも今日は違う!  温かな紅茶を蓋カップにそそぐとお弁当を広げた・・

 オバさん! 美味しそう! これみんな食べていいんですか?  嬉しいな・・ 頂きます!」  その笑顔を見ているだけで、まり子はもう胸もお腹もいっぱいになってしまった。 そうだ ボクちゃん! オバさんはやめてくれる! オバさんの名前言ってなかったわね・・ 私、まり子・・ マコちゃんでいいわよ・・ よろしくね!」ボクも、ボクちゃんは少し恥かしいです たかおです 祖母はタカちゃんと呼んでますが・・」じゃあ決まりね! マコちゃんとタカちゃんね・・・ハハハハ!」

  50歳も違う二人の、何とも不思議な取り合わせ? それからも二人の話は尽きず、とうとう山を歩きながら夕暮れになってしまった・・ 離れるのが辛いぐらいだったが、今日は夜に学校の先生の家庭訪問があるらしい・・ いろいろ心配されている人もいるようで少し安心はしたけれど・・ マコの携帯を教えておいてあげるね・・ 何かあったら電話していいのよ! それに住所はこれよ・・ あの山裾にあるマンションよ 近いでしょう!」  まり子はめったに人には教えない個人情報を、あっさりとタカちゃんには教えながら、それが当たり前のようにしている自分が不思議だった。  そしてそれが辛い日々の始まりになるとは思いもよらなかった・・・

 

  あの日からもう一ヶ月が経ったのに何の連絡もない・・ まり子はいつかいつかと思って、寝る時さえ携帯を枕もとに置いていた。 そして更にもう一ヶ月が過ぎていった・・ 何かあったに違いない・・?  タカちゃんの家の事は大まかに聞いたので,山への行き帰りに何度もそれらしきところを探しみたけれど分からなかった・・ 住所を聞いとけばよかったわ・・ あの子は携帯を持っていなかったし・・ でも、あの時は未成年に住所や電話などを聞くのはまずいと思ったので、自分の携帯と住所を教えておいたのだけど・・ あれだけ再会できて喜んで、なんでも聞いたつもりで、もうタカちゃんの事は分かったつもりでいたけれど、全く分かっていなかったのだ・・ 話を聞かなければよかった・・

  あの時・・ 「どうして山が好きなの?」って聞いたら・・ 「ボク 辛い時や悲しいとき・・・涙がいっぱい出てくると小学校の時から家の裏の山の中に入って行って、一人で大泣きしてたんだ・・ 家で泣くとおばあちゃんが心配するから・・ すると森の木や枝や風や小鳥や草花達が何か応えてくれるように話し掛けてきてくれるんだ・・ そしたら心が落ち着いて枯れ葉の上なんかですぐに眠ってしまうんだ・・ 目がさめると、もうみんな吹っ飛んじゃって気持ちがいいんだよ」そうだったの・・」

 まり子はタカちゃんの顔を食い入るように見ながら・・ 「将来の夢はあるの・・?」 「ボク、山が好きなので山小屋建てて、山岳ガイドになったりして?  ハハハ・・でもね、それじゃお金儲からないから・・ きっと! だからボク料理も好きだから調理師もいいかな? なんて思っているんだけど・・ そしてね! やさしい奥さんもらって、子供をたくさん作って、楽しい家を作るのが夢なんだ・・」

 13歳にして人生の辛酸をなめ尽くしたのに・・ なんて温かい事を言うなんだろう・・ まり子はそのいじらしさに本当に抱きしめてやりたい気持ちでいっぱいだった・・ 「オバサンが・・ (そう言いかけて) しまった! マコが料理を教えてあげようか・・?」 「本当ですか! うれしいな・・ オバさん・・ あ! マコちゃん・・ 言いにくいな・・ マコさんでいいですか?」 「いいわよ・・」「じゃ! マコさんの料理最高だからボク教えて欲しいな・・ きっと上手になるよ・・ いつから?」「いつでもいいわよ・・」 そんなやり取りから自分の携帯と住所を教えて、学校の帰りにでも立ち寄ってくれたらと思っていたのだった。

  そしてそれ以来、いつ訪ねてきてもいいように道具もそろえ、部屋もきれいにして今日か 明日か と待っていたのに・・ もう二か月・・ どうしてあの子の事がこんなにも気にかかり、今の自分の生活の最大の関心ごとになってしまったのだろうか・・ まり子は気持ちを切り替えようと、いろんな事をやってみたけれどダメだった。 いつも最後には思いだしてしまう・・ どうしているのかな?  タカちゃん!

 

  そんな悶々としたある夜の事・・ 携帯が鳴った・・ 見ると「非通知表示」・・ また迷惑電話? でも何だか胸騒ぎがして携帯をとってみた・・ 「もしもし・・」「あっ オバさん・・ ボクです」 「タカちゃんなの?」「はい! オバさん・・ いやマコさん・・ ボク今から遠い親戚の家に住む事になって・・ 今から出発なんです・・ いろいろありがとうございました・・ ボクね・・ 本当は料理を教えて も ら ・ ・ ・」 その時、10円玉がきれたのか?  ピーという公衆電話の切れる音がした・・ 「タカちゃん待って、タカちゃん待ってよ・・ そんなの嫌よ・・ 待って・・」 まり子はピーとなったままの携帯を握りしめたまま泣き崩れてしまった・・ 自分がどうする事もできない現実・・

(3)へ続く


運命の出会い(3)

2020-09-26 | 第13話(運命の出会い)

箕面の森の小さな物語

 <運命の出会い>(3)

  まり子はそれからしばらく家にこもり、悶々としたうつ状態になってしまった・・

友達やかつてのお客さんまでもが・・ 「どしたんや! 何があったんや・・ 元気だしや!」と、心配してくれたけど、自分の気持ちをどうする事もできない・・ またかつてのあの空虚な日々を感じるようになっていた。  森へは行かなくなった・・ 料理も作らなくなった・・ 人と会うのも億劫だった。

 でも週1回、仕方なくスーパーへ買い物に出かけるのが、唯一の外出になってしまった。  たまに年格好の似た少年が母親と買い物などしていると、羨ましく感じたりしていた・・ まり子の同級生で20歳で結婚したサトミには、もう40歳を過ぎた子供がいるし、その子の子供は確か中学生だったから、サトミにはタカちゃんと同じ13歳位の孫がいるんだ・・ まり子には子供がいないけれど、孫のようなタカちゃんとたった数回の出会いなのに、どうしてこんなに心が乱れるんだろう・・?  まり子は60数年の人生で初めて感じる異様な自分の高ぶりを押さられずに、その感情に翻弄されつづけていた。

  あっという間に冬が過ぎ去り、梅や桃の花が咲き、野山も新芽に溢れ、鳥も、昆虫も、動物も、植物も、樹木も・・ 箕面の森も生き生きと活動しはじめた・・ もうひと月もすれば箕面の桜エドヒガンも咲くだろう。

 

  その日も、まり子は一週間の買い物に行き、帰りもボンヤリと無気力な表情でエレベーターに乗り、自分の部屋の階で下りた。  廊下を歩いていると、前方に座っている人がいる・・?  しかも、自分の部屋の前で・・「恐い! だれ?」 一瞬そう思ったけど、その人が顔を上げてこっちを見た・・

「え! まさか・・ まさか タカちゃん!? ほんとうに! タカちゃんじゃないの!」

  気が付いたタカオも立ち上がって駆けてきた・・ 二人はダッシュしてぶつかるようにして無言で抱き合った・・ 涙がとめどもなくあふれてくる・・ 「うれしい・・ うれしいわ!」

  長い間嬉し涙を流していたけれど、マンションの廊下である事に気がついたまり子はあわててドアのカギをあけて、初めてタカオを部屋へ入れた。  タカオの荷物は薄汚れたリュックが一つだけだった。

  二人が少し落ち着いた頃・・ タカオがボソっと話し始めた。 「あの~ ボク家を飛び出してきたんです・・ それで、もう帰る家がないんです・・」 それを聞いたまり子は・・ 「え! そうなの? でも心配しなくていいのよ もうどこへ行かなくてもいいの! オバさんの・・ いやマコのこの家にいたらいいのよ・・ ずっとここにいていいのよ・・ いて欲しいの・・ マコが助けてあげるから心配しなくていいのよ・・ ここにいてね・・」 まり子はもう懇願に近い声になっていた。

 「お腹すいたでしょう・・」「はい!」「じゃあすぐ作るから、その間にそこのお風呂に入ってさっぱりしなさい・・ 下着は明日買ってあげるから、それまで・・ そうね、女物だけど新品だから、これ着ときなさいね」 「はい・・ありがとうございます」「あのね、そんな他人行儀なこと言わなくてもいいのよ、遠慮しないのよ・・」 

 それからマコは自分の為に買ってきた食材と冷蔵庫にあるもので、得意の鍋料理をさっさと準備するとコタツの上に並べた。 「さあ~ お腹すいたでしょう・・ お話しは後でいっぱい出来るから、さあ食べよう・・」  女物のパジャマを着たタカオが滑稽に見えたけど、そんなことより嬉しくてたまらないまり子だった。 話は夜明け前まで、途切れることなく続いた。 

 

  タカオの話は悲惨だった。 遠い親戚という人は、おばあさんの預金通帳を探し出し、それを全部引き出してしまうと、他にないのか・・?  と、タカ君に迫ったという・・ そして、食わしてやっているんだから、中学でたらオレと一緒に工事現場で働けよ・・ と、言われていたとか・・ 更にその家の1歳年上の男の子から、ひどいいじめを毎日のように受けていたとか・・ 養父は怒ると棒で殴り、酒を飲むと更に恐い人になるのでいつもビクビクしながら小さくなって過ごしていた様子を細かく聞いた・・ なんてひどい人たちなんだろう・・ まり子は怒りが収まらなかった・・

  疲れて眠りについたタカオを横に、まり子は次々と手順をメモし、頭はフル回転していた。  長年培った仕事の手順や段取りを立てるが如く、それに更に怒りと愛情が絡まってそのスピードは加速していた。

  朝9時になると、まり子は早速 かつてのお客様で今はいい飲み友達の弁護士、司法書士、社会福祉の主事、元警察署長、元学校長・・ と、次々と事情を詳しく話して相談し、必要な手配、手続きはすぐにとってもらっていた・・ みんなは、まり子が最近落ち込んでいる事情が分かり、迅速に手配してくれて、もうその日の夕方にはタカオの今の養父先にも警察関係者が事情を聞きに行ってくれた。

  そんなまり子の真剣な姿を一日中見ていたタカオは、その夜 あの汚れたリュックの一番底から油紙につつんだ封筒を取り出し、まり子に渡しながら・・ 「マコさん! これはおばあちゃんがまだ元気だった頃、ボクに渡してくれた物なんです」「なにそれは・・?」 「ボクは知らないんだ・・ でも、おばあちゃんがその時、<これはもし私に何かあった時、お前が最も信頼できる人と思った人に開けてもらいなさい・・> って言われたんだ。 ボクはマコさんに開けてもらいたいんだけど・・」「え! 私でいいの!」「はい!」

  まり子はゆっくりと油紙をはがしながら、取り出した封筒の中には分厚い手紙が入っていた・・ そこにはしっかりとした文字で・・ 自分がもしもの時に、一人残される孫の事を思い、タカオの詳しい成育歴から両親の事、父親がもうすでに親権を放棄していることや、遺す財産、保険明細からその関係先、更に押印した遺言状まで入っている・・ そして最後には、どうか孫をよろしくお願いします・・ と、それは切実な懇願の文面が綴られていた・・ 「タカちゃん! これは親戚の叔父さんには見せなかったのね」「勿論だよ・・ だってボク全く信頼してなかったもん・・」 「マコは信頼してくれるのね・・」「勿論だよ」と ニコニコしている。

  まり子は次の日も、それら祖母の手紙など持って関係先を回り、夕方 タカ君を連れて友人の弁護士事務所を訪ねた・・ そこには連絡を受けた関係者も加わり、祖母の熱い思いが伝わり、遠い叔父との縁組解除、祖母のお金の返還訴訟から、転校などを含むいろんな手続きは順調に進んだ・・ そして最後に弁護士はこんなことをアドバイスして、まり子を驚かた・・ 「マコちゃん! これは二人はもとより関係者や裁判所の同意などもいるけど、改めて養子縁組もできるんだよ・・ 「え! ようしえんぐみ・・? 私とタカ君が・・?」

  最初、何のことか分からなかったまり子は、弁護士の説明に目をくりくりさせていた。 ところがまり子が横にいるタカオに目をやると、ニコニコしながら ウン ウン! とOKのVサインを出しながらうなずいているので、更にビックリしてしまった。  それはその何分かのやり取りで、二人の養子縁組の可能性が、あっという間に整ってしまったのだった。

  数日後、まり子はタカオとおばあちゃんがいる施設に向かった。 認知症患者の病棟は、丁度お昼ご飯時だったけれど、事前に事情を話してあったので、まり子はタカオとおばあちゃんの席の前に座り話し始めた。「おばあちゃん! 元気だった?」とのタカオの問いに・・ 「この人はだれ?」という顔で、孫の顔を見ている。 まり子は挨拶して自己紹介をすると、ゆっくりとタカオとの出会い、いきさつ、経過、そしてここ何日の出来事、更にその後の事情、そして思い切って養子縁組の話まで一気に話した。

  施設の人も横で話を聞いていてビックリした様子だったが、「よかった! よかったわ!」と、手をたたいてくれたが、おばあちゃんは相変わらず だれの話か? 何のことかな・・? と、全く反応はなかった。 まり子とタカオは、予想はしていても少し寂しかった。「おばあちゃん! また来るからね・・」と、言いながら二人はドアへ向かった・・

 するとその時! 介護の人が 「あ!」と声をあげたので振り返えると・・ あのおばあちゃんが ヨロ ヨロと立ち上がり、まり子とタカオに向かって、深々とお辞儀をしているではないか? 「まさか!?」 まり子は涙でいっぱいになりながら、心を込めてお辞儀をした。 でも、おばあちゃんはすぐに座ると、またそれまでの無表情に戻ってしまっていた。

  箕面の森に夕陽がかかり、その木漏れ日が美しいシルエットを描いている頃、まり子とタカオは、いつもまり子が行くスーパーで夕食の買い物をしていた。 「今日は美味しいシチューを作ってあげるわ・・ 教えてあげるからね!」「ボク! あの美味い卵焼きも食べたいな・・ それにいつか、作り方教えてくれるって言ってたじゃない?」 「シチューと卵焼きか? 面白い組み合わせね  いいわよ! いっぱい教えてあげる けど、マコは厳しいから覚悟しとくのよ ハハ ハハハ 」

 そうだわ! 明日は久しぶりにあの才ヶ原池行って見ようか・・ ヤマザクラももう満開かもしれないし、お弁当をいっぱい作ってね」「じゃあ教えてもらいながらボクが作ってみる・・ 楽しみだな・・」  買い物袋を二人で下げながらスーパーの表へでた時だった・・ タカオがポツンと・・ 「ありがとう! ぼくのお母さんになってくれて・・!」「え!」 (まり子はもう涙でグシャグシャニなりながら・・・)「こちらこそありがとう・・ タカオ!」 

  家路に向かう二人の背後を、ひときわ美しい夕焼けが温かく照らしていた。 箕面の森に美しいウグイスの鳴き声が響き渡った・・・ 

 (完)


*七日目の朝陽・キキの冒険(1)

2020-09-22 | 第16話(七日目の朝陽・キキの冒険)

箕面の森の小さな物語(NO-16)

 <七日目の朝陽・キキの冒険>(1)

 それまで母親に抱かれ乳を飲んでいた幼い娘猿キキは、少しキョロキョロしながら兄姉猿の後ろについて遊び始めた。

  残雪はあるものの初春の暖かい太陽が差し込む森の陽だまりで、30余匹の猿の群れが各々に穏やかな昼下がりを過ごしていた。 お互いに毛繕いをしている組、一匹空を見上げ所在なげにしている中年猿、体力を持て余しとにかく走り回っている若猿たち、何が気に入らないのか別の猿にちょっかいを出しては喧嘩をふっかけ追い回している怒り猿、そんなことはお構いなしにこの時とばかりせっせと愛の交わりをしている若い恋猿たちもいる・・

そんな中でひときわ大きなボス猿は3匹のメス猿に囲まれて毛繕いをさせながら大きなアクビをしている・・

その横でキキはつい先ほどまで母親に抱かれお乳を飲んでいた。 やがてキキは目の前で兄姉らが面白い遊びを始めたので、ソロソロと母親の元を離れ、その後ろにくっついていった・・

 しばらくして兄姉猿は数匹のヤンチャ猿らと合流し、申し合わせたかのようにどんどん森の中を走り出していた・・  キキも追いつこうと必死になって走る・・ そしてそれは母親の元を離れるキキの初冒険の始まりだった。

 やがて皆んなは箕面大滝の上の大日駐車場を見下ろせる岩場に着いた。

だいぶ遅れ、やっとの思いでキキも息を弾ませながら着いた。 皆んなは下の人間たちを見下ろしている・・ すると突然、ヤンチャ猿たちが落石防止の金網を伝って下へ向かって下り始めた・・ 兄姉猿も続いた・・

・・何をするのかな・・?

 キキは自分が下りられないのでそこに留まり、彼らを目で追っていた。 すると突然ヤンチャ猿の一匹が車の屋根に飛び降りたかと思うと、開いていた車の窓から手を入れ、子供が持っていた菓子袋をひったくると、そのまま下の川原へ逃げていった。 驚く子供の悲鳴、母親の叫び声、父親が大声で追い払う声が重なり、他の猿たちもそのまま一緒に川原へ逃げていった。

 菓子袋をぶんどったヤンチャ猿は、渓流の中の岩の上でそれを広げた。おすそ分けに預かろうと近づく他の猿を制し、一匹だけで美味しそうに食べている。 他の猿たちは今度は自分たちも取るぞ! と言わんばかりに再び川岸から路上の柵の上まで出てき、次の獲物を物色し始めた。その時だった・・

 バンバン ババババババババ バン  

けたたましい爆竹音が鳴り響いた。 ビックリした猿たちは慌てて山を駆け上がり、森の中へ走り去っていった。

 キキは皆んなの行動を上からビクビクしながら見ていたが、やがて初めて聞く大きな爆竹音にビックリし、その恐ろしさに震えて動けなくなっていた。 怖い!  みんな早く戻ってきてくれないかな~ お兄ちゃんたちどこへ行ったのかな?   キキはキョロキョロしながら見回していたが、逃げた彼らはもうすっかりと妹猿のキキの事など忘れてしまっていた。

(* 箕面大滝の上にある「杉の茶屋」の東隣に「箕面市野猿管理事務所」がある。 箕面市は近畿圏で唯一ニホンザルを「天然記念物」に指定し「箕面山猿保護管理委員会」によって箕面の野生猿の保護、管理をしているのだ。 時にはそんな悪さをし、人間に害を及ぼすようなヤンチャ猿らを懲らしめる作業もしなければならない。 しかし、その原因は人間側にもあった。 箕面ドライブウエイで見かける路上での餌やり行為だ。 車を止め野猿にお菓子や食べ物を与える心無い人が増え、時には大渋滞を起こしたり、そんな猿の餌の奪い合いで人間に怪我をさせたりといろいろ問題が発生していたのだ。 しかしそれは猿社会にもまた被害が出ていた。 人間の与える餌を得るため親猿に連れられた乳飲み子や幼い猿が路上に飛び出し車にはねられたりしていた。  そんな死んだ幼い猿の死が受け入れられないのか、何日も何ヶ月も干からびた亡骸を抱きながら過ごしている母猿もいた。 そこで箕面市は条例を作り、悪質な餌やり行為には罰金1万円を課すことにした。 そのPR活動の効果もあり、近年は徐々に改善されつつあるものの、猿のほうがまだあの美味しい味が忘れられず、たまにそんな行為をするのだった。 大阪府は何年も前から天上ヶ谷の山中で、毎日2回 全ての猿に行き渡る量の小麦を撒いて、係員が餌付け作業をしているのだ。 その成果もあり箕面の猿の群れは徐々にその周辺に根付くようにはなっているのだが・・)

 キキは一匹だけ取り残されてしまった。 幼い子猿にとって兄姉猿らの後ろについて来ただけなので何も分からず、心細くて不安で仕方なかった・・ キー  キー  キー 小さな声で呼んでみるけど何の応えもなかったし、 さりとて母親の元へ帰る道も分からなかった。  キキは長い間じっとしていたが、やがて兄姉らがそうしていたように落石防止の金網を一歩一歩づつ下り始めた・・

ブルン ブルン  ブルブルブル ・・

突然 下から大きな音がした・・ キキはあのビックリした爆竹の音かと一瞬パニックになり、その弾みで手を離してしまった・・ ドスン!

キキは何かの上に落ちた・・ すると間もなくすぐにそれは動き出した・・?  軽トラックの荷台にはダンボール箱が積んであり、キキはその上に落ちたのだった。 車は一匹の幼猿を乗せたまま箕面ドライブウエイを北の方角へ走り、箕面ビジターセンター前を過ぎ、茶長阪橋からグングン加速し、勝尾寺山門前を過ぎて勝尾寺園地の駐車場へ入ってとまった。 運転手は近くのトイレ舎へ走っていった。

  キキはドキドキしながら初めて乗る車に不安を覚えながら周りを見回していたが、車が止まり、目の前にはスギ、モミ、アスナロ、クヌギなどの雑木林の森が広がっているのが見えた。 キキは車の荷台からやっとの思いで下へ飛び降りると必死で森の中へ駆け込んだ。  少しホッとしたものの・・ 小さな声で キーキーキー と叫んでいた。  ここはどこ? お母さんは? 皆んなはどこ?  やがてあの軽トラックは何事も無かったかのように走り去って行った。

 キキは大きなホウノキの枯葉の中に身を埋め、不安と疲れでウトウトと眠り始めた・・ やがて太陽が沈み、空は急に暗くなり、いつしか森は真っ暗闇に包まれていった。  今まで温かい母親の胸の中で夜を過ごしていたのに・・ 寒さで目を覚ましたレイは、自分一匹だけの現実の状態に驚き再び今度は大声で キーキーキーキー と泣き叫び続けた・・ しかし 何も応えてはくれなかった。

  その頃キキの母猿は、いなくなった幼い我が子を必死に探し回っていた。 あの兄姉猿やヤンチャ猿も一緒になり、ボス猿に長老猿らと共に相当広い範囲まで探し回っていたが、キキはどこにもいなかった。 車に轢かれたんだろうか?  連れ去られたのか? どこかで肉食獣にやられたのか? あれこれと心配はつきない・・

  やがて小雪交じりの冷たい雨が降り始めた。 キキは真っ暗闇の森の中で一匹、何の生きる術も知恵もまだないまま、ただ木の根元の枯葉の中でまんじりともせずにじっとしていた。 初春とはいえ、森の中は冷たく寒い・・ 深々と更けていく森の中で、葉にあたる冷たい雨の音だけが静かな森に響き渡っていた。  そして 時々涙をいっぱいため、うめくような小さな声で母親を呼ぶキキの声が響いた・・  キー キー キー

(2)へ続く


七日目の朝陽・キキの冒険(2)

2020-09-22 | 第16話(七日目の朝陽・キキの冒険)
箕面の森の小さな物語
 
<七日目の朝陽・キキの冒険>(2)
 
ワン ワンワンワン ワン・・・

 突然 闇を振るわせる大きな吼え声が森に響いた。  キキはビックリして目を覚ますと、目の前に一匹の大きな犬が牙をむき出し、怖い顔をして吼えてる・・ キキは恐怖ですくみあがってしまった。  しかし 咄嗟に本能的に横の木に登り始めた。 猛り狂ったような犬は飛びかかってきたが、間一髪でキキは木の上に難を逃れた。 キキの顔は引きつり、恐怖で泣く事さえできなかった。 いつも守ってくれる母親もボス猿も誰も助けてくれない。  長い時間が過ぎ・・ やがて下で思い切り吼え続けていた大きな犬は、諦めたかのようにどこかへ去っていった。

(* 勝尾寺やその墓地周辺にはたまに病気にかかったり、手に負えなくなり飼えなくなった犬猫や動物を捨てに来る心ない人間がいる。 せめてもお寺や仏様の近くで成仏させてやろう・・ との思いかもしれないが、そもそも人間社会の中で餌を与えられ飼われてきた動物たちが、急にこの自然の森の中に放り出されても生き抜くことは難しい・・ そんな動物たちは野山を駆け巡り採食するシカやイノシシの群れや、他の肉食動物と競って餌を確保する事は至難のことなのだ。 まして森の動物たちと違って採食の術も知らないのだから、この森で生き延びるの厳しい事に違いない) 

可哀想なことをする人間たちだ。  キキは恐怖に怯え震えながら木の上で夜を過ごした。 同じ頃 キキの母親は心配で心がはち切れそうになりながら、まんじりともせず夜明けを迎えていた。

  二日目の朝が明けた。

太陽が顔をのぞかせ、森に明るい木漏れ陽が差し込んできた。 常緑樹林の葉に昨夜の雨粒が残り、太陽に反射してキラキラと輝いている。 キキは恐る恐る木を下りるとトコトコと東の<箕面・郷土の森>へ入っていった。

(* ここは明治100年を記念して45年ほど前、全国の都道府県から贈られた木々が植えられ大きな森となっている。)

 山形のサクランボ、茨城のウメ、徳島のヤマモモ、香川のオリーブ、大分の豊後ウメなど実のなる木もあるものの、今は冬場で食べられる実りはなかったし、キキはまだ食べられる枯れ実さえも知らなかった。 途中 キキは小さな流れを見つけ初めて岩清水を口にした。 母親の乳房からいつも朝食をとっていたのに、今は自分で何か食べ物を探さねばならなかった・・ お腹がすいたよ・・ キー キー  食べ物をどうやって探したらいいのか分からない・・ しかし 母親が確かそうしていたことを思い出し、近くのアオキの葉を口にし、その少し硬い葉をよく噛んで食べたり、足元の虫をつまんで口に入れたりして飢えをしのいだ。

キキは森の中をあてどもなく歩いた・・ 隆三世道からいつしか証如峰(604.2m)の森に出ていた。 途中 シカやイノシシ、それに肉食獣のテン、イタチ、キツネたちを見たがみんな寝ていた。 リスやモリネズミ、タヌキなどとも出会った。 キキは一匹 寂しくて、悲しくて、怖くて涙にくれながら歩き続けた。 そして いつしか二日目の夕闇が迫ってきた。

 今夜の空はきれいに晴れ上がり、満月が顔をだすと森の中にも明るい月明かりが差し込んできた。 静かで穏やかな夜・・ 時折りミミズクが ホーホーホー と鳴いている。 レイは疲れ果て、枯葉の上で涙にくれながら倒れるように眠っていた。 夜が更けた頃・・ 

ダダ ダダダダダダ・・・

 突然 地響きを震わせる大きな音にキキはビックリして飛び起きた。 見ると横を大きなイノシシの群れが、その大きく太く硬い鼻先で土を掘り返しながら餌のミミズなどを探していた。 やがてその内の一頭がキキを見つけた・・ そしてその大きな鼻先に牙をむき出してキキに近づいてきた・・ キキは恐怖におののきながら大声で キーキー キー と叫び声を挙げた。 そしてイノシシがレイの顔に触れたときだった・・ ドスン・・! そのイノシシに体当たりしたものがあった。 不意をつかれたイノシシは慌ててキビを返して逃げ去っていった。

 ・・よく見ればまだ幼いメス猿が恐怖に震えている・・ なぜこんな所に一匹で・・? ミケンに深い傷をもつ老猿は、いぶかしげにそんな幼猿を見ていた。 キキはいつも群れと一緒にいる同類の猿に出会い、やっと安心した顔をみせた。

  老猿は、かつて80匹近い猿の群れを束ねた箕面の森の強大な力をもつボス猿ゴンタだったのだが、ある日 血気盛んな三番猿とその力に従う若猿たちが組んだクーデターによってその権力の座を追われたのだった。 かつて権勢を振るっていた頃には沢山の子孫も残していた。 ゴンタはその激しい戦闘に敗れ、ボスの座を明け渡して以来群れを離れ、一匹 北の森で余生を送っていたのだった。

 猿の群れは体が大きく腕力の強いものがオス、メス問わず第一ボスの座を力でつかむのだ。 第二、第三と強い順に序列が決まり厳然たる権力階級の社会となっている。 その権力闘争は常にあり、その順位の入れ替えも常なのだ。 第一ボスの座についたからといって安泰とはしておれないし、第二ボスが次の第一ボスになれるとは限らない。 但し、幼い猿や子猿はそんな力関係とは別に、みんなからほぼ平等に優遇される世界なのだ。  

 ボス猿は群れ全体を統率し行動せねば、すぐに群れの信頼を失ってしまう。 右に喧嘩があればいって仲裁に入り、左に敵が近づけば危険を冒してでも戦ってこれを撃退しなければならない。 オス猿と違いメス猿はその一生を生まれた森の中で過ごす事が多い。 更に母猿とメス猿はしっかりと集まり、家系ごと血縁にもとづく集団が決まっている母系社会なのだ。 そして族社会の姉妹間では末娘が母に次いで上位となり、長女が最下位となる末子優位の法則があるので、キキは幼いながら母親の次の地位にあるのだった。

 メス猿は自分が生き延び、幼猿らに授乳し育てるためにも十分に食べなければならない。 それだけに妊娠したり幼い猿を連れて長時間森の中で採食活動をすることはできない。 それには他の肉食動物に捕食されないように土地勘のある生まれ育った森が安全だからとの定住法則があるようだ。 猿の世界は母子社会でメスが完璧な血縁で固まり定住するのに対し、オスはほぼ全員が外部からの移入猿である。オス猿は5-9歳位の若者期になると生まれ育った群れを離れ、やがて別の群れに入り込むのだ。 

 オスはメスを確保しなければ子孫を残せないが、生まれ育った森は血縁が濃く、同じ群れでは近親交配が遺伝的に不利と知っている自然界の法則のようだ。 自分の子猿を扶養する義務のないオス猿は、自分だけの食べ物があれば生きていけるので他の群れを目指すのだ。)

 この元ボス猿ゴンタもそうやって若い頃 箕面の森にやってきたのだった。 老猿はこの幼いメス猿が一匹だけで、このままこの森の中で生きていくことは不可能だと分かっていた。 早く森の群れに戻してやらねばならない・・

 三日目の朝が明けた・・・

 ゴンタは朝一番、自分の胸元で眠っているキキを残し採食に出かけた。 今朝は高木に登り、いつもより木の実を沢山口に含んでいた。 そして次の木の枝に移ろうとジャンプしたときだった・・ ボキ! 鈍い音がして飛び移った枝が折れた。 いつもなら素早く難なく別の枝に移るのだが・・ 前夜キキを助けるために思いっきりイノシシに体当たりして、両腕を痛めていたので力が入らなかった・・ ドス~ン!

 ゴンタは鈍い音をたて地面にたたきつけられた・・ しかも運悪く、落ちたところはとがった岩場の上で、ゴンタはしたたか頭と背中を強打し動けなくなった。 GFはその痛みに耐えながらしばしじっと堪えていたが、あの幼猿を何としても母親のもとへ帰してやらねば・・ とやっとの思いで起き上がった。 

 ゴンタはここで死ぬわけには行かなかったので這うようにしてキキのもとへ戻った。 目を覚ましていたキキは不安そうにしていたが、老猿の姿を見ると喜んで飛びついた・・ しかし ゴンタの体は全身血まみれになっていた・・

(3)へつづく


七日目の朝陽・キキの冒険(3)

2020-09-22 | 第16話(七日目の朝陽・キキの冒険)
箕面の森の小さな物語
 
<七日目の朝陽・キキの冒険>(3)

  老猿はしばらく横になっていたが、意を決意したかのように起き上がるとキキを促し、それまで自分がテリトリーとしていた森の中へ連れて行った。 やがてふらつきながらも、キキに森の中で生きる術をゆっくりと教え始めた。

 冬場の採食は高木に木の実もあるが、今は登れないので地上に落ちているブナやシイ、カヤの種実を教え、冬芽、樹皮、常緑樹の葉類、植物の枯実、昆虫類などを探しながら自分の行動を通して幼猿に一つ一つ採食の術をゆっくり丁寧に教えていった。 もし自分がここで死んでも、食べる事さえできれば生き延びられる・・・との思いからだった。

   (* 猿は仲間と共同で狩りをしなければ食べ物が賄えない肉食獣と違い、自分で採食の術さえ知れば一匹でも生きていけるからだった)

 四日目の朝を迎えた・・・

 ゴンタは痛みと高熱にうなされていたが・・ 何とか立ち上がるとキキを連れ再び森に向かった。 今日は他の攻撃動物から身を守る方法や寝る場所の条件などさまざまな森の掟や生きる術など知恵を授けた。 その鬼気迫る老猿の教えに、キキは自分が味わった恐怖と空腹の体験からまるで乾いたスポンジが水を一気に吸収するかのように体全体で覚えていった。 そしてそれらの教えは五日目も続き、その夜ゴンタはとうとう意識を失った。

 が明けた・・・

 ゴンタはもうろうとする意識の中で目を覚ました。 幼猿が自分の胸元に顔をうずめ静かに眠っている姿をじ~と見つめた。 自分の死期が迫っている事は分かっていた。  老猿は再び決意したかのように起き上がるとキキを起こし、ゆっくりと歩き始めた。

 やがて最勝ケ峰から尾根道を下り清水谷へ向かった・・ 時々休みながら痛みで意識がもうろうとする中、キキを引き寄せ再び森の掟、採食、攻撃の回避、森での生き方などを繰り返し、身をもって教えた。 ゴンタはこれが最後の見納め・・ と周辺の山々や森を振り返った。  かつて自分が支配した懐かしいあの場所、この場所を最後に目に焼き付けるかのように・・ やがて箕面川に下り、川原で水を飲んだ後 長谷山に入ったところで老猿は再び気を失った・・

 小雪が舞い始めた・・ 深々と更けゆく森の一角で、幼猿はこの夜も意識のない老猿の胸元で眠っていた。 深夜、ゴンタはうっすらと目を開きかすかに意識を取り戻した。 しかし その死期は後わずかに迫っていた。 今夜も幼猿はあどけない顔をし、自分の胸元に顔をうずめ眠っている。 この子を何とかして群れの母親の元へ帰してやらねばならない・・ 元ボス猿は、かつてのその強靭な精神力と責任感、そして使命感をもって最後の命の灯をかがやかせた。 ゴンタは眠っているキキを起こし、真っ暗闇の森の中を歩き始めた。 そしてやっとの思いで天上ケ岳にたどり着いた。

(* ここには瀧安寺・奥の院で<役行者>昇天の地とされ、今から1315年前の大宝元年に入寂したというその石碑と山伏姿の銅像が建っている)

 東の空がほんのりうっすらと明るくなった。 老猿はその役行者に最後の力を与えて欲しいと祈るような仕草をすると立ち上がり、谷間に向かって大きく目を開き、全精力を集中して・・

キー と 森に響き渡る大声で一言叫ぶと、崩れるように倒れていった。 キキはそのただならぬ老猿の姿に キーキーキー と泣き叫んだ。

  その頃、この夜もまんじりともせず幼い末娘を案じていた母猿が、そのかすかな叫び声を耳にした。 そしてそれは群れを率いるボス猿の耳をもピクリとさせた。 とっさに飛 び起きると、二匹は天上ケ谷の谷間からその叫び声の方へ向け懸命に走った・・ キー キー  キー キー

 母猿は真っ先に末娘レイの泣き叫ぶ声を見逃さなかった。

 キー キー  キー キー

 キキはまたあの懐かしい母親の叫び声を遠くに聞いて叫び続けた。 その声は小さいながら森に響き渡った。

・・ いた・・!  夢にまで見たお母さんが今 目の前にいる・・ キキは思いっきり母親の胸に飛び込んでいった。 キキは懐かしい母親の匂いをかぎながら、それまでの恐怖から思いっきり涙を流して泣いた。

 母と子が再開を果たし抱き合っている間に、後から群れの猿たちが次々と追いついてきた。 その母と子の横には大きな老猿が一匹倒れ息絶えていた。 群れのボス猿はその見覚えのあるミケンに大きな傷跡が残る老猿を見て一瞬驚いた・・ かつてボスの座をかけ自分と戦った前のボス猿だった。

 しかし キキの母猿のほうがもっとビックリした顔をしていた。 あのミケンに傷を持つ老猿は・・ まさか?  それは母猿がまだ幼猿だった頃、一匹 陽だまりで遊んでいるときだった。 他の山から流れてきた数匹のケンカ猿が自分を襲ってきた・・ その時に群れのボスだった父親がそれを発見し、彼らと戦い撃退してくれた。 しかしその時の激しい戦いで、ボスはミケンに大きな傷を負ったのだった。 母猿は当時を思い起こし涙ぐんだ。

  やがて母猿はキキの手をとると、静かに横たわる老猿の前にひれ伏し最愛の幼娘を助け導き、ここまで連れて帰ってくれた父親に心からの感謝を捧げた・・ そしてキキの手をとると、その額の傷跡に一緒に手を置きながら・・ おじいちゃん ありがとう・・

 箕面の森にひときわ輝く初春の朝陽が差し込んできた・・

そして 七日目の朝 が静かに明けた。

(完)


*森の白い子犬(1)

2020-09-22 | 第7話(森の白い子犬)

箕面の森の小さな物語(NO-7)

<森の白い子犬>(1)

  新緑の季節となり、箕面の森に若葉が溢れる頃 春の<みのおの森のお話し会>が開かれました。 幹事の佐々木 裕子は集まった10数人のメンバーを前に、刷り上ったばかりの小冊子を手渡しています。このお話し会は箕面の森の散策を趣味とする裕子が、元々同好の人たちと森の中での情報交換を目的にしていたもので季節に一回ほど集まりお喋りを楽しんでいて、それはいつしか20数人の集いとなりました。

 やがて年に一度 箕面の森の中でいろいろな出来事話しの中から感動したり、印象に残ったりした事や、それらのエッセー詩や俳句なども含め、それらをまとめて一冊の小冊子にすることになったのです。 今年で5回目となり、その中で最初のページを飾ったのが久保 美咲さんの語った<森の白い子犬>でした。

 

     <森の白い子犬> 久保美咲

  私は幼い頃から父母に連れられ、よく野山を歩いたことから、社会人になっても、時々友達とハイキングに行ったりして山歩きを楽しんでいました。

  彼と初めて出会ったのも、そんなハイキング仲間と共に箕面ビジターセンターのもみじ広場で開かれたバーベキューパーテイがきっかけでした。  彼も友達に連れられて初めて来たようで、お互い紹介された時から何かピン! とくるものを感じていました。 私は "明るくて気持ちの良い青年だわ・・・" と、最初から好印象でした。

 その後 彼のほうから誘ってくれて、いつしか仲間達とは別に二人で山歩きをするようになりました。 彼は子供の頃から山歩きが大好きだったとかで、私の好きな自然観察などにもよく付き合って教えてくれました。

  それから2年後の5月、私たちは多くの友人達の祝福を受けて結婚式を挙げました。 そして後日、ハイキング仲間達があの思い出の、初出会いの<もみじ広場>を予約してくれて、バーベキューパーテイをし祝ってくれました・・ それはそれは楽しい一時でした。

 みんなお腹いっぱいでしばし休憩していると・・ 横を流れる箕面川の清流に、新緑のもみじの葉が映り・・ サラ サラ~ と流れる水面が太陽に反射してキラキラと輝き・・ まるで宝石が流れているような美しさでした。 うっとりと見とれている時、一人の友達が静かに指さした枝の上に、尾の長い鳥 サンコウチョウがいるではありませんか・・ 目元が鮮やかな水色でお腹は白,尾にかけては黒毛でしたがそれは綺麗で優雅な姿でした。 また、カワセミが川の魚にねらいを定めじ~ として枝の上から川面をにらんで狩をしている姿もあって まさに自然満喫の世界でした。

 

  一年後、長男の 葉留樹(はるき)が誕生しました。 私たちはヨチヨチ歩きのはるちゃんを連れて、思い出の箕面の山野をよく歩きました。

 はるちゃんは夫の背負いラックに後ろ向きに乗り、後ろを歩く私の顔を見ながら キャ キャ・・ ととっても喜んでいます。 森の中を きょろきょろして何に興味があるのか?  いつも楽しそうでした。

 山を登る時も下る時も 夫はよく よいしょ! と、掛け声をかける癖があり、そのリズムがいいのか? はるちゃんはそれを聞くと、いつも夫の背中で ケラ ケラ とよく笑うのでした。

  ある日、天上ケ岳でお弁当を広げていると、子連れのお猿さんがやってきて・・ それを見た はるちゃんは哺乳瓶を片手に・・ それをお猿さんにあげようとしたのか トコ トコ と近づいていった時はさすがに私もあわて追いかけましたが・・ はるちゃんはおさるさんが大好きでしたから一緒に遊びたかったのでしょう。

  はるちゃんは幼い頃から、野や山の花が大好きで、よく背負いラックの上からも花を見つけては指をさし・・「は な・・」と言ってました。 森の中で鳥を見つけると チュン チュン・・! と、ゆびさしています。 無垢な幼い子供は親の影響をこんなにもすぐに受けるんだな・・ と、夫は言っていましたが、本当にはるちゃんは親に似て自然が大好きのようでした。

  夏のある日、夫が終日仕事でいなかったので、はるちゃんと二人で箕面の森にでかけ、瀧道を下り姫岩のある川辺で遊んでいた時、石の下にいたサワガニを はるちゃんが見つけて・・ 初めてみる動くサワガニに興味津々! それが面白かったのか、それから川辺も大好きになり、しばらくは服がぼとぼとになるまで川遊びをするので、着替えを何組も持っていったほどでした。

  秋になると 森の広場(Expo‘90 みのお記念の森)に三人で出かけました。 よちよち歩きのはるちゃんは「男同士で遊ぶか・・」と言う夫とボール遊びをしています。 鬼ごっこをしたり・・ 二人でキャー キャーいいながら楽しそうです。 私はもうすぐ来る寒い冬に備え、はるちゃんの襟巻きを編みながら・・ なんて幸せ・・ と なんども 小さく言葉に出してかみしめていました。 それはそれは 幸せで楽しい日々 でした。

  やがて秋の紅葉が過ぎ、寒い冬がやってきました。 森は落葉がさかんになり、鳥達が木の枝から飛び立つたびに木の葉のシャワーのように枯葉が舞い落ち、 あっという間に森が明るくなりました。 冷たい北風が吹いても はるちゃんは野山にいました。 し~んとした森の中で一休みしている時、リスを見つけたのは はるちゃんでした。

 雪の日に<教学の森>で野ウサギを見つけ、指さしたのもはるちゃんでした。 冬の森にはたくさんの小鳥達がいますが はるちゃんは私たちより見つけるのが早いのです。 春を待つ木々の芽はまだ固いのですが、でも 山つつじのつぼみの先が早くも明るい緑色になってきて・・ それを はるちゃんに見せながら・・ 「もうすぐね ここからきれいな おはながさいてくるのよ・・」と、教えてあげるとウン!と嬉しそうにうなずいています。

  4月初めから中旬になれば、森はコバノミツバツツジやヤマツツジで一気に華やかになります。「今度ここに来る時は満開の頃にしようか・・ はるちゃんがヤマツツジを忘れないうちにね・・」と夫。 「そうね! もうすぐだね・・ またお弁当を持って三人でこようね・・」

 そしてその時、それが 三人で森を散策する最後の日になろうとは・・ まさかまさか夢にも思わないことでした。  

(2) へ続く・・・ 


森の白い子犬(2)

2020-09-22 | 第7話(森の白い子犬)

箕面の森の小さな物語 

<森の白い子犬>(2)

 それはある日 突然にやってきました・・

 あの ヤマツツジが蕾を大きくふくらませ、もうすぐ花開く頃でした。 私は家の近くの公園で、はるちゃんと遊びながら近所の人と談笑していました。 小学生のおにいちゃんたちがボール遊びをしていて、はるちゃんも一緒に遊びたがっていましたが入れてもらえず、後ろで見ていたようです。 はるちゃんはボール遊びが大好きなので、きっと一緒にやりたかったのでしょう・・

  その時 おにいちゃんの投げたボールが道路に飛び出していって・・ それをみた はるちゃんは自分がとってあげようと思ったのか トコトコと歩いて道路に飛び出していったようです  

  キキキ~ン・・ ガン ガン! キー キー

 ものすごい音がして顔を向けたそのとき、はるちゃんの体が宙に舞い上がっていました。 そのバイクの急ブレーキの音は悪魔の叫びでした。

  救急病院で・・ はるちゃんは静かに天国へ召されていきました。

 はるちゃん! はるちゃん!

いくら叫び続けても、はるちゃんは目を開けてくれませんでした・・  なんで? なんでこんな事に はるちゃん 目を開けて・・ どんなに泣き、どんなに はるちゃんの体を揺り動かして叫んでも応えてくれません。

きっと夢 きっと夢に違いないわ・・ そんなこと・・ きっと夢よ・・ そうあって欲しい・・

  ヨーロッパに出張中だった夫にはすぐ知らされ、急遽仕事をキャンセルして飛行機に飛び乗ってもらったけど、遠隔地だったので病院に着くまでの22時間・・ それは私一人で・・ どんなに悲しくて心細く辛かったか・・ やっと着いた夫は変わり果てたはるちゃんを抱きしめておいおいと泣き崩れ・・ 二人とも食事も睡眠も勿論、水さえ飲めずに・・ この自分達の命と引き換えに どうか神様 はるちゃんを 生き返らせてください・・ と叫びつづけましたが・・ 小さな はるちゃんの手を握りしめたまま私は いつしか気を失ってしまいました。

  何ヶ月も二人で泣き明かしました。

 今にでもはるちゃんが トコトコと歩いてくるようで、耳をすませて聞き耳を立てていましたが・・ しばらくは、はるちゃんの部屋に入るのが恐かった・・ 本当にいないんじゃないかって・・?  それを確認するのが恐かったのです。 でも、ひょっとしたらベビーベットでまだ寝てるんじゃないの・・? と そ~ と扉を開けてみたり・・ その度にいつも現実に打ちのめされて涙が溢れるばかりでした。 

 

  どのぐらいの月日が経ったのでしょうか・・?  ある日、夫が ぽつり・・と、箕面の森を歩いてみないか・・? って!  季節は変わって、また変わって秋になっていました。 「はるちゃんの思い出の詰まった山なんて・・ いやだわ 嫌よ!」 でも・・ 反面、はるちゃんの面影を探してみたい・・ 迷った末に二人で久しぶりに外出する事にしました。 夫ははるちゃんをいつも背負っていたラックを、後ろの席に置いていました。

<Expo‘90 みのお記念の森> に車を置き、森の芝生広場まで歩きました。

 二人で手をつないでも、いつも真中にいるはずの はるちゃんがいない・・ 二人とも自然と涙がこぼれます・・ 重い、重い足取りです。 かつて3人で遊んだ森は、なぜか雰囲気が違っていました。 <花の谷>を歩き・・ 季節の森を歩きながら二人とも思いは一つだけでした。 はるちゃん・・ 

  いつしか一回りして、芝生広場のベンチに座ったところは昨秋のこと・・ 夫とはるちゃんがボール遊びをしている姿を見ながら編物をしていて・・ 幸せに浸っていたところでした。 それを思い出すともう いてもたってもおれずボロボロ涙が溢れ・・ とうとう大声をあげて泣き叫びました。 長い間二人は ぼ~ として、うつろな目で遠い空を眺めていました。 持ってきたお昼のお弁当も全く手をつけていませんでした。

 

 そんな時です・・   

 前の花壇と花壇の間から 小さな白い子犬 が、こっちを向いているではありませんか・・ 「可愛いわね!」「そうだね・・」 可愛い目をしてる・・ 二人してその姿やしぐさを眺めていました。 誰か散歩中に首輪を外してもらって、自由になって喜んでいるのかな・・ (そのとき首輪をしていない事には気が付きませんでした。)

 どのぐらい二人でその子犬を見ていたでしょう・・ 飼い主はどうしたのかな? 迷ったのかな? それにしても誰もいないのにね・・ 夫は思い出したように、ベンチの周りで遊んでいる子犬に持ってきたお弁当の中からウインナー一つを取り出して芝生の上に置いてやりました。 最初は首をひねっていた子犬は、そのうち・・ なにかな? と食べ始めました。 食べ終わりぺロリと舌を出したのを見てまたあげてみました。 お腹がすいているのか? それから次から次へと出すものをみんなきれいに食べるのでした。

 そしてやがて美味しかったのか・・ お腹がいっぱいになると安心したかのように二人の足元にきて尾を振り,首を傾げたりして遊ぶようになりました。 私は思わずそんな子犬を抱っこして膝の上に置きました。 以外におとなしくしていて・・ そのうちあくびをしてうつらうつらと眠り始めたのです。「可愛いね・・」 二人で交互に頭や体をなでながら・・ これは少し前までこうしてはるちゃんを抱っこして、代わる代わるに頭をなでていたのに・・ と思い出したら また涙が溢れてきました。

  夕暮れになりました・・ 飼い主さんいないのかな?  このまま抱いて家に帰りたい・・ ふっとそんな思いがよぎりました。 夫も同じ気持ちのようでした。 歩き出した私たちの後ろを、白い子犬はトコトコついてきます。 私たちは管理事務所が閉まっているので 入り口にメモを残し、もし飼い主が現れたら私たちが預かっていますから・・ と、住所と電話番号を書いてきました。 それから我が家の てんてこ舞いが始まったのでした。

  後ろをトコトコついてきた白い子犬は、とうとう私の腕に抱かれて、車の中に連れて入る事になりました。 車内では膝の上でおとなしくして座っていたのですが、家に到着するや否やあっという間に家の中を走り回って大変・・ そのうちアレレ・・ たいへん! あっちで・・ こっちで・・ おしっこするの・・ ちょっとまって・・ これ! これ! あ~ あ・・ あっ! まって! だめ、だめよ・・ そんなところで・・! そのうちテーブルの下で小さいのにしっかりしたウンチ・・ もうたいへん!  二人でてんてこ舞い・・ やがてはるちゃんのおもちゃが気に入ったらしく、引っ掻き回して遊び始めたのでした・・

  今朝、出かける前のあの静かな悲しみの家とこれが同じ所か? と思うぐらいに、一匹の小さな子犬にテンヤワンヤの二人でした。 とにかく二人とも犬を飼うのは全く初めてなのでどうしていいのか分からない?  餌は何を与えたらいいの? 何処で寝かせたらいいの・・?  首輪って要るんじゃない?  走り回る白い子犬をやっと捕まえて・・ 嬉しいのか興奮して子犬は少しもじ~としていないけれど、やっと車に乗せて夫とケンネルショップを探して出かけました。

そしてそれが私たちの人生の転換期になろうとは、その時思ってもみませんでした。

(3)へつづく


森の白い子犬(3)

2020-09-22 | 第7話(森の白い子犬)

箕面の森の小さな物語 

<森の白い子犬>(3)

 その夜 夫は子犬をお風呂に入れて洗う事にしました・・ 一緒に入ると そのうちに・・ あ~あ そんなとこでおしっこするなよな・・ おい おい・・ こらこら だめ だめ だめだって・・

ブルブルしたのか・・? 大変みたい・・

 でも ついこの前まではるちゃんとお風呂に入ると大賑わいだったから・・ 久しぶりのにぎやかな声に、私も少し元気になれました。 そのうち体を拭かないまま子犬が浴室を飛び出して、台所の私の足元に走って来ました・・ それを追いかけて、夫が裸のままあわてて追いかけてきたりして・・ その様に2人とも大笑いしました・・ こんな笑いも久しぶり・・

  その夜からもうすっかり仲良くなった子犬は、私達のベットの下を寝場所と決め落ち着いています。 私達は夜遅くまで、気持ち良く寝ている子犬の寝顔を見ていました。 時折り買ってきた犬の本を見ては、これからの対策? も話たりしていたら遅くなったけど、不思議と昨日までの眠れない夜と違いすぐに眠れたようでした。

  翌朝 先に子犬が起きたらしく可愛い声でワンワンと大きな声に・・ 二人ともビックリして飛び起きました・・ 何事? でも2人で顔を見合わせて にっこり・・ お腹がすいたのかしら?  そうだおしっこに連れてかなきゃ・・ 昨夜は遅くまでかかってやっと掃除したんだから、またその辺でおしっこでもされたら大変です!  私はいつもの好きなヴイヴァルデイのCDを取り出し、今朝は協奏曲「四季」をかけました・・ 心地いい演奏が流れます。 

 そうだわ! この白い子犬に名前をつけてあげなくちゃ・・ 「ヴイヴァルディなんてどう?」「それちょっと長いよ・・・」と、夫。「じゃ・・ヴァルデイ・・ 何か変だな・・?」「これって、以前はるちゃんと三人で観た映画の「ベートーベン」よく似てないか?」 「そういえばそうね・・」と、大笑い。 はるちゃんはあの日TVを見ていて ワン ワン! といって嬉しそうだった事を思い出していました。 結局二人で「ベル」と名付けました。

 

  一週間後、私はあの管理事務所へ電話を入れてみました。 夫は毎日会社から帰ると 「今日は電話なかったか?」と聞くのです。 「ないわよ・・」と聞くと、嬉しそうにベルと遊びだすのです。 いつも帰ってきて玄関を開けると、いつもそこにベルがいて ワン! といって迎えてくれるので、夫は嬉しくてしょうがないみたいです。 しかしいつも不思議で、私も気が付かないのに、夫の到着一分ぐらい前には、もうベルは玄関に出ていて、どうして分かるのかビックリするのです。

  何度目かの電話の後で管理の人はメモを見たこと、問い合わせはないこと、そしてたまに捨て犬がいるので、よかったらそちらで飼ってやってください・・ とのことでした。 嬉しかったわ・・ 二人してこんなに喜んだのも久しぶりのことです。 

 この日からベルは私達の家族になりました。

 いたずらっ子のやんちゃな時もあるけど、私達はどれだけベルに助けられ、心に安らぎえを与えられ、心和み、静かな眠りに入る事ができたことでしょうか・・ みんなベルがいてくれたお陰です。

  やがて私は妊娠している事が分かりました。 その日は二人してどんなに喜びを分かち合った事でしょう。 嬉しい! ベルも2人が喜んでいるからか、いつもより大きな声で ワン ワン! と、祝福してくれました。 悲しみでしばし忘れていたはるちゃんとの三人の生活を思い出し、再び描く事のできる希望がとても嬉しくて・・ 神様に心からの感謝を捧げました。

  日々大きくなるお腹の赤ちゃんと共に、私ははるちゃんのことを毎日ベルに話していました。 ベルはいつもはるちゃんとの思い出のお話をするとき、私の横に来て私の顔を見ながら静かに聞いてくれるのでした。 森を一緒に散歩した事、花や木々、動物や植物、昆虫も川の魚やあのサワガニのこともね・・ お猿さんやリスや鹿との出会いのことも・・ おむすびを口いっぱいになって食べていた事も・・ はるちゃんの思い出を毎日話していました。 私はこのベルとのお話に、どれだけ心癒された事か分かりません。 心穏やかになり、やっと はるちゃんが天国へ召された事を、受け入れられるようになりました。 ベル! いつも私の話を聞いてくれてありがとう! ベルはいつも話終わると、尻尾を振って嬉しそうに応えてくれました。

  やがて初夏が来て、お腹の赤ちゃんも元気に私のお腹をけり始めました。 私はまた幸せを味わう事ができました。 

 そんなある休日に夫が「久しぶりに森へ散歩にいこうか・・」と私は今度は「行きましょう いきましょう・・」と、嬉しかったのでお弁当もいっぱい作って出かけました。

  前回は朝、悲しみながらでかけ、夕方にはべルでてんてこ舞い・・ とおもしろい一日でした。 今日は嬉しい日になりそう・・ 可愛い首輪をつけてもらっても、ベルは邪魔なのか余り嬉しそうではない? でもいつもの<Expo‘90 みのお記念の森>に着いたら元気になって、夫と嬉しそうに先を歩いていきました。

  芝生広場>についたとき、一組の家族がいましたがすぐにいなくなり、私たちだけになったので、夫はベルのリードと首輪を外してやりました。 ベルも自由になったのか嬉しそうに走り回っています。 その内、夫はベルと鬼ごっこ?(そのつもり・・)をしたり、かくれんぼ?  おいかけっこ? をしたりして遊んでいます・・ いつかはるちゃんと遊んだ時のように・・ 夫も辛い日々を過ごしてきて、やっとベルのお陰ではるちゃんの現実を受け入れられたようでした。 

  少し遅いお昼のお弁当は、みんな綺麗に食べてなくなってしまいました。 「ベルも小さいのによく食べたわね・・」 お腹がいっぱいになって私達は生まれてくる新しい家族を思い・・ 夢と希望いっぱいの話を沢山する事ができました。 ベルは足元でウトウトして眠っていたかとおもうと、また走ってみたり・・ その内、花園の花びらで遊んだり、出たり入ったりしていました。 

「さあ~ ベルもう帰るよ! ベル! 帰っておいで・・ ベルはどこで遊んでいるんだろう・・?  ベル! ベル!」 いつまで呼んでも,いつまで待っていてもベルは帰ってきません、花の谷赤ちゃんの森夏の森・・ とにかくいろいろ周りを探しましたが閉門の4時までに探しきれずに・・ 何がどうなっているのかしら?・・ そういえばベルを始めて見たときも、あの花園だったわね・・ いなくなったのもあの花園・・? まるで夢を見ているようでした。

  それから10日後に私は元気な男の子を授かりました。 夢のような嬉しさです。 名前は 菜津樹(なつき)です。なっちゃんははるちゃんの生まれ変わりではありませんが、私達ははるちゃんの思い出と共に大切に大切になっちゃんを育てていきます。

  昨日、なっちゃんの3ヶ月検診を終え、全て順調と言う事でした。 今日は3人でまたあの<みのお記念の森>にやってきました。 キョロ キョロ 回りを見渡してベルを探しているのですが・・ でも もう二人には心の中で分かっているのでした。 ベルは私達を悲しみのどん底から救いだしてくれ、そして立ち直れるように、神様が遣わしてくれた天使であることを・・ いや、天国の犬だから 天犬! と言うのかな? と二人して笑いました。

 「ベルありがとう・・ ほんとうにありがとうね・・ ベルのお陰でパパもママも元気になれました・・ そしてなっちゃんを授けてくれて本当にありがとう。 みんないつまでも一緒の家族だからね・・ いつまでもね!」 私の腕の中でなっちゃんが私の顔を見て微笑んでいます・・ 「生まれてきてくれて ありがとう・・!」

 箕面の森に、さわやかな風が吹き抜けていきました。 (終)  

 

  裕子から小冊子を受け取ったみんなは、最初の美咲のお話を読むと安堵感に涙する人、よかった! よかったわね! と言う人や、自然界の不思議さを話す人などでいっぱいでした。 「私も箕面の森に天犬を探しに行こうかしら・・・」と言う人がいて大笑いになり、今年も盛況な集いになりました。

 箕面の森を愛する人々のお話は尽きる事がありません。

完)


*箕面の森のおもろい宴(1)

2020-08-20 | 第17話(箕面の森のおもろい宴)

 箕面の森の小さな物語(NO-17) 

<箕面の森のおもろい宴>(1)

 たけしが六箇山に着いたのは、気持ちのいいそよ風が吹く春の昼下がりのことだった。

 ヤマザクラやエドヒガン、コバノミツバツツジなどの花が咲き始め、箕面の山々も美しく化粧をし始めている・・

  午前中 箕面 新稲(にいな)から<教学の森>に入ったたけしは西尾根道を登り「海の見える丘」の前からヤブコギをしながら道なき道を下り<石澄の滝>を目指した。  昼なお暗い森の中にはイノシシやテン、シカなどの動物の足跡が随所に見て取れ、イノシシのヌタバもあった。 夜遅くまで昔の映画を見ていたので少し眠かったのに、五感パッチリ緊張気味にそんな森を通り抜けた。

  やっとの思いで石澄川の岩場に着いたが、ここは箕面市と池田市の境界を流れる小さな川で、さらに大小の岩場を北へ上り下りして滝壷の下についた。 前日の大雨の影響からか、馬の尾のように長細い滝がいつになく激しい水量で流れ落ちていて、たけしはその豪快な景観を一人堪能した。

  岩場でリュックを下ろし、ゆっくりとそんな景観を楽しみながら昼食の握り飯を食べ終えると、たけしはあえて近道を選び、横の急な崖道を山肌にへばりつくようにして登った。 今日はまだ一人のハイカーとも出会っていなかった。 「若い頃と違ってもうここを登るのはきついな・・ それに、もしここで滑落したら当分誰の目にもつかなくてお陀仏だな・・?  もう無理はできないな・・」  たけしは荒い呼吸をしながら、還暦もとうに過ぎたのに・・ まだ自分には体力がある大丈夫だ・・ と過信し、自負している自分を恥じた。

  やっと着いた六箇山頂には誰一人いなかった。 ここは箕面市西部に位置する低山だが、その昔はマツタケ山と知られていたとか・・ 正式には法恩寺松尾山と言う。  たけしは南西に広がる大阪湾方向を遠望しながら、太陽に反射してキラキラと輝く春の海をしばし眺めていた。 その手前には伊丹の大阪国際空港の滑走路が見え、丁度 一機の中型機が北の空へ飛び立っていくところだ。

  リュックを枕にして横になると、頭上をキセキレイやコルリ、コゲラやサンショウクイなど野鳥が飛び交い、木漏れ日の差し込む山頂の森の中でたけしはウトウトとまどろみ始めた。  「エ エ 気持ちやな~ ひねもすのたり のたりかな~ か」 ゆりかごに揺られているような心地いい春のそよ風に、身も心もうっとりと吸い込まれていった。

  「オ~イ みんな! 今日は年一回の森のパーテーやで! ようさん集まってておもろいしな、それに美味い酒も、美味い料理もなんぼでもあるさかいな・・ 最高やで!」 「オレも行くわ!」 「オレも連れてってや!」 「ボクも行く!」 「お前も行くやろ!?  オイ オイ  たけしも行くんやろ!」 「何? オレのこと!?」  たけしは自分が誰かに呼ばれていてビックリし顔を上げた・・ 見れば目の前で数匹のサルが話している。 たけしが再びビックリして起き上がり、ふっと自分の両手両足を見ると毛もくじゃらでまるで自分がサルの姿の様子に、思わず叫び声をあげそうになって周りを見回した。

  「何や こりゃ? ここはどこなんや?」 たけしが余りの変化にキョロキョロしていると・・ 「オイたけし! なにキョロキョロしとんねん 早よう行くで!」 たけしはサルに自分の名前を呼ばれて更に目を白黒させた。 たけしは前夜遅くまで見ていた昔の映画 「猿の惑星」 を思い出しながら、もしかしたら前世紀へタイムスリップでもしたのかな? と頭をひねった。  「いつからオレはサルになったんや? 今はいつの時代なんや?」 しかし、考える暇もなく仲間? に急かされ、たけしはみんなの後ろについていった。

 六箇山裏山から箕面ゴルフ倶楽部コース脇を通り抜け北へ走った。 初めての四足で走る自分の姿が不思議でならなかった。  やがて大ケヤキ前から三国峠、箕面山を西に下り <箕面大瀧> 前に着いた。 ここまでの山道は、たけしがいつも歩き慣れている山道だった。

  もうすっかりと夜が更け、森の中は真っ暗闇だったが 箕面大瀧だけは大きな篝火がいくつも焚かれ、周辺には多くの行灯が置かれ、ひときは明るく輝き浮かび上がっていた。 よく見ると多くの人たちがあちこちに輪になったりして座り、酒盛りが始まっているようだ。 見ればその周りに沢山の美味そうなご馳走と酒類が山のように並んでいる。   たけしは仲間のサル達と大瀧前の休憩所の屋根に陣取り、そんな光景を上から眺めていた。 やがて猿の仲間たち? が次々と下から沢山の美味そうなご馳走と酒を持ってきて屋根の上でも宴会が始まった。

 落差33mの箕面大瀧はいつになく ドド ドド ドドドド・・ 激しいしい水しぶきをあげながら豪快に流れ落ちている。 その大瀧前には舞台が作られ横断幕が掲げられていた。

 そこには「第11874回 箕面の森ゆかりのおもろい宴とあった。

 「年一回の森のパーテーとはこの事だったのか・・ という事は~ 11874回とはもう1万年前から・・?  ウソやろ!」 たけしはそう首を傾げながらも、早速仲間が置いてくれた美味い酒を口に運んだ。 月明かりが差し込み、ひときわ明るくなった深夜の森に突然大きな太鼓の音が鳴り響いた・・

 ドン ドン ドンドン  ドドドドド  ドン!

 そして司会者らしき小さな女性が大きな声を張り上げた。

 「みなさん! お待ちどうさん! 今年はワテの当番だんねん・・ まあ最後までよろしゅう頼んますわ  ほな今年もそろそろ始めまひょか まず乾杯でんな・・ そこの信長はん! あんた乾杯の音頭頼んまっさ よろしゅうに!」

 たけしはそのコテコテの特徴ある大阪弁に・・ どっかで聞いた事があるな~? と思っていたが、すぐに思い出して仲間にささやいた・・ 「あの司会者な ミヤコ蝶々はんやで・・ ほれ 長いこと上方漫才や喜劇界を引っ張ってきた名女優や  懐かしいな・・ 当時ラジオやTVで 「夫婦善哉」なんかほんまおもろかったよな・・ 大阪・中座で連続23年間も座長公演しはったしな・・ なにせ7歳で父親が旅回りの一座を結成しはって、その娘座長として全国どさまわりしはった苦労人やで・・ 生粋の江戸っ子やがな、浪速が育てた芸人やな・・ 箕面の桜ヶ丘の自宅は今 「ミヤコ蝶々記念館」になってんねんけどな  オレは ようウオーキングでその前通るけどな・・  オイ オイ お前ら聞いてんのかいな?」隣の仲間サルたちはみんな知らん顔をして酒を飲んでいた。

 やがて信長はんが立ち上がった。「乾杯!」低く太いよく通ったその大きな一言には何かすごい威厳があった。 「信長? まさかあの 織田信長はんかいな?」 たけしはビックリして見直した。

 「あんた! この箕面大瀧へ来はったんわ いつのこっちゃいな?」 司会の蝶々はんが尋ねた。 「拙者がここへ来たのは、あれは天正7年の3月30日じゃったな・・ 鷹狩りの途中にここへ立ち寄った。 あの頃は伊丹の有岡城城主荒木 村重を成敗する戦の最中じゃったな  あの頃はこの北摂の山々で何度も軍事訓練をし、鷹狩りもしておったからな・・」

 「あんさんはあの頃、みんなからよう恐れられておったような?」 司会者の突っ込みに信長はんは頭をかきながら座った。

 「そう言うたらそこで豪快に酒飲んではる豪族のご一同は みんな箕面に縁がある人でっか? 源義経はんは、今の箕面・石丸あたりに所領持ってはったんやな  梶原景時はんと 熊谷直実はんは奉行として勝尾寺の再建を計りはったしな  赤松則村はんは 「箕面・瀬川合戦」で勝ちはったし、新田義貞はんと 足利尊氏はんは 「豊島河原合戦」で各々この箕面で勝利したと 「太平記」にありまんな・・」 各々が頷いている。

 「そんでそこにいる 楠木正成はんは箕面・小野原で賞味しはったという名水 「楠水龍王」の祠が祀ってまんな、そんでそこで大酒飲んではる弁慶はんは・・ あんた一の谷の源平合戦に向かうとき箕面・瀬川鏡水に自分の姿を水面に映して戦況を占ったらしいな・・」 弁慶が酔顔で頷いている。

 「ところで 信長はん・・ あれれ もうイビキかいて寝てはるわ・・ いま始まったとこなんやで・・ ほんまに・・」

 森のおもろい宴はまだ始まったばかりだ・・

(2)へ続く