みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*トンネルを抜けると白い雪(1)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)
 箕面の森の小さな物語(NO-15)  
 
<トンネルを抜けると白い雪>(1)

  「トンネルを抜けるとそこは雪国だった・・ か」 太田垣 祐樹はボソッとつぶやきながら我に返った。 なぜそんな言葉が口をついて出たのだろう・・ か?

 箕面グリーンロードトンネルを抜けて止々呂美(とどろみ)の出口にでると、真っ暗闇の中に車のライトに照らされた白く輝く銀世界が広がっていた。 トンネルを入るまでは全く雪がなかったので一瞬ビックリしたもののすぐにまた自分の世界へと入っていった。

  三ヶ月ぶりに自宅に帰る・・ と言っても誰もいない家に帰るのは何とも気が重いものだ。

ほんの40分ほど前まで、祐樹は梅田の新ビジネス街に建つ高層ビルの一室で、苦手な外人バイヤーとの厳しい商談を終えたばかりだった。 その直後、弁護士から「離婚が成立しました・・」との電話があった。

 ・・そうか終わったのか・・ 祐樹は26階のオフィスから眼下に広がる光り輝く大都会の街の明かりをぼんやりと眺めていた。 やっぱりここはボクの住む街じゃないな・・ と一人つぶやいた。 そして急にこの連休は一人静かに過ごしたい・・ との思いから同僚との飲み会を断り、いつしか車はかつての自宅へと向かっていたのだった。

 先日、祐樹は会社の上司からニューヨーク支店への転勤内示があったが、何度も自分の心と対峙し熟考のうえ辞退を申し入れていた。  同僚や後輩はその早い栄転を羨ましい言葉で賛辞しながらもやっかみ半分のところがあった。 そのやっかみは祐樹が入社してすぐに感じていたことだった。

  「あいつの入社は俺たちと違ってきっとコネだからな・・ 何しろ親父は国会議員だし、上の兄貴は地方議員でいずれ親父さんの後をつぐんだろうしな。 母親はその道の家元で全国に教室があるとか聞いたし、下の兄さんは大学病院の精神科医でTVにもよく出ているし、フランスにいる姉さんはたまに週刊誌にもでてる有名なファッションデザイナーなんだろう・・ あいつの一族はまさに<華麗なる一族>といったところだからな・・ しかし どうもあいつだけはちょっと異色で変わってるよな・・ エリートコースのニューヨークを断るなんてバカじゃないの・・?」

 同輩や後輩らと飲みに行くと必ず家のことを何かと聞かれるので祐樹はほとほと嫌気がさしていた・・ ボクはボクなのにな・・ みんなボク自身のことより、家族やその背景のことばかり気になるようだな・・ といつも自嘲気味に笑っていたが心は憂鬱だった。

  あんなビジネスの激戦地みたいな所へ行ったらもう自分が自分でなくなってしまう・・ 自分らしく生きたい・・ 小さな自分の夢を追ってみたい・・ やっかみ半分の同僚たちの思いと祐樹の思いとは、全く別の次元のものだったが、それは会社の誰もが知る由もなかった。

  梅田の会社駐車場から出て新御堂筋に入ると、祐樹のイタリア製最高級スポーツカーはすべるように江坂、千里中央を経て箕面グリーンロードトンネルに入った。 この車も自分の好みと全く違ったが妻が選んだ車だった。 そこを5分ほどで抜けるとあの梅田の街の喧騒から30分ほどで全くの別世界に入っていった。 そしてそこには白銀の世界が広がっていた。

  これが幸せと言うものなのか・・ と思えた1年ほど前の日々を想う・・ どこかいつも 違う 違う と思いつつも、祐樹は子供の頃から自分の気持ちを抑え、心をごまかしながら両親や兄姉の指示やその言葉に従順に生きてきていた。 30歳をいくつか過ぎ、やっと祐樹は自分の歩んできた今までの道を省みていた。

  祐樹は母親が41歳のときに予定外で生まれた子供だった。 もうすでに上の兄は19歳、次兄は17歳で姉とは15歳と年の差があったので、それが為にそれぞれにみんなが可愛がってくれた。 それは一方で過保護となり、過干渉であったりして自我に目覚めると随分とそのことに悩んだりしたこともあった。  しかし、元来素直で従順で優しい性格の祐樹は、そんな周りの保護の中で強く自己主張することもなく、常に争いごとを避けて暮らす習慣が身についていた。

  だが一度だけ大きく家族に反発したことがあった。 それは高校生になった頃、両親や兄姉らがこぞって 「お前は弁護士になれ・・ 医者を目指せ・・」 と次々に干渉され、その必要性を懇々と説かれたことだった。 「人生の競争に勝つためには・・ 人の上に立たねば・・ 権力、名誉、金、力を持てば人はついてくる・・  幸せもついてくる・・ 自分に合った仕事なんて無い・・ 自分を合わせるんだ! お前の祖先も両親も俺たちもみんなそうやって成功をつかんできたんだ・・」 「もういい加減にしてくれ・・ ボクはボクの人生を生きるんだ!」と はじめてみんなの前で反抗し叫んだときだった。

  しかし、次の日からまた何事も無かったかのように祐樹の訴えは無視され、再び過干渉が始まった。 そして祐樹はいつしか・・ まあいいか!? とそれまでの習慣どおり、みんなの意見に自分を従わせようとしていた。 そしてそれはやがて自分の夢や希望や感情までも抑え、家の重圧に押され毎日現実的な対応を余儀なくされていた。

  塾に通い、習い事に明け暮れ、競争社会には全く合わない自分を知りながらも、いつしかそんな嫌いな社会の渦の中に巻き込まれていった。 しかし いざとなると自分は人との争いごとの間に立つ弁護士など天敵とも思えるぐらい全く向かない職業だと思った。 それに医師の次兄の薦めで医学部を目指そうと思ったものの、本来血を見ただけで怖くて卒倒しそうになるのに、人の死と向き合う医師など全く存外で自分には向かないと確信して断念した。

 「じゃあ 何になりたいんだ・・」 と問われるので、祐樹は漠然とだが「ボクは植物や動物が好きだから・・ 山も好きだし・・ 絵も・・」「そんなもの勉強したって食っていけるわけ無いだろう・・ まじめに考えろ!」と怒られていた。 なぜそんな言葉が口をついてでたのか・・ そこには祐樹に一つ思い出に残る印象があった。

  それはまだ祐樹が小学生の頃、家族みんなが仕事で多忙な頃に家族に代わって周りの取り巻きの人たちが東京のデズニーランドや大阪のユニバーサルスタジオ、映画や遊園地などにもよく連れて行ってくれた。 しかし、祐樹がもっとも印象に残ったのは、ある日小学校の遠足で行った箕面の滝への道だった。 近くの山麓に住んでいながらこんな所があるとは全く知らなかった。

  箕面川の渓流が岩にぶつかり、白い水しぶきを上げてダイナミックに流れている・・ その岩の上に一羽のアオサギがじっと置物のように身動きせず水面を見つめて狩りをしている姿・・ 美しいコバルトブルー色したカワセミがあっという間に水にもぐり小魚をくわえて小枝に戻ってきた姿に、祐樹は初めての感動を覚え興奮した。  山麓に咲く小さなイチリンソウ、ニリンソウ、スミレなどの野花は、街中では見られない素朴で清楚な姿をしていて祐樹の心をとりこにした。 野花をみて「きれいだな・・」と初めて子供心に感動した。 それに野生のサルが群れで木々の上を動き回って木の実を食べている姿は動物園で見たサルと違って興奮した。  見るもの一つ一つが祐樹の子供心を刺激し琴線に触れるものがあった。 見上げれば美しく紅葉した森が広がっている・・ 祐樹は落葉したそんなもみじの葉を数枚拾い、持ち帰って本にはさみ押し葉にした。 でもその押し葉を見るたびに、その時の感動を様々と思い出すのだった。

  祐樹は近くの山麓に住んでいながら今まで家の高台から見る視線はいつも南側に広がる大阪平野であり、その先に林立する大都会の近代的ビル群だった。 それが初めて反対側の裏山の箕面の森の中へ行ったとき、祐樹の心を動かすほどのものがあったのだった。

 いつか次兄にその感動を話したとき・・ 「お前の生まれる前にもう亡くなっていたけど、祖父は大学教授だったが旧帝大出の有名な植物学者だったそうだ。 それで親父は子供の頃よく束ねた新聞紙を持たされて爺さんと裏山を歩いた・・ とか言ってたな・・ なんでも箕面の山には日本の羊歯(シダ)類の相当数の種類が自生しているとかで、その採集の手伝いをさせられたんだろうな・・ お前はそんな爺さんの遺伝子を引き継いでいるのかも知れんな・・」と笑われた。

  「もう勝手にしろ!」と言う家族の声に これ幸い! とばかりに祐樹は初めて自分の意思で大学を選んだ。 それはみんなが全く想像外の<植物学>を専攻し、大学院では<農学、園芸・森林療法と人と自然環境学分野との融合>を研究した。 この6年間は祐樹にとって実に充実した日々を過ごした。 しかし、祐樹は卒業を前にして再び両親や兄姉からの強い過干渉が始まった。 そしていつの間にか<特別推薦枠>とかで、考えても見なかった総合商社へすんなりと採用されたのだった。 それは国際社会を舞台に、ビジネスでの激しい競争を繰り広げる会社だった。

  祐樹は相変わらずどこかで 違う・・ 違う・・ と思いつつも仕事に没頭し6年が経っていた。 この間に名門家系の御曹司で末っ子ということもあり、次々と縁談が持ち込まれ、親の薦めに反対できず何度も見合いをしてみたが、祐樹の心に触れる女性は一人もいなかった。

  ある日、祐樹は会社の重役の誘いで、ある財界のパーテーに招待された。 そしてそこである女性を紹介された。 祐樹は本来最も苦手なそんな所で酔うことなど無いのだが、仕事のストレスもあり、勧められるままにしこたま飲んで酔っ払ってしまった。 そしていつしかその女性から介抱される始末になり、気がつけば彼女の赤い車の横に乗って家まで送ってもらうことになった・・ そこまでは覚えているのだが・・?  ふっと気がついて目を覚ますと、祐樹はホテルのベットに裸で寝ていた。 横には見慣れない女性が寝ている・・ 祐樹は あっ! と声をあげそうになった。 後日知ったことだが、この女性は中々結婚しない末息子を心配した父親が、自分の政治後援会長に相談したら、なんとその会長は自分の人娘を連れて来ていたのだとか・・ しかし、その後の展開と行為は予想外だったらしい。

 祐樹は自分の愚かさと女性へのすまなさとで自責の念にかられ、恐縮の日々を過ごしていた。  そしてそれはやがて祐樹の世界を一変させていった。

 2)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(2)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(2)

   祐樹は両親や兄姉の薦めと良心の呵責もあり、さらに積極的なアプローチをかけてくるその女性との間で、まもなく婚約がととのった。 何も知らなかったが、その女性はアメリカの大学院を出、一時 国連の国際機関で働いていたキャリアウーマンだとか・・ いずれ女性国会議員を目指すと言う野望をもっていた。  それを聞いたとき・・ この人も結局ボクよりもその背景を利用しようとしているんだろうか・・? と一瞬考えたが、自責の念もあってこれも人生か・・ とそれまでの家に対する従順な生き方に自分を合わせ過ごしていた。

  結婚式はそれは豪華なもので、父親の関係で大臣や財界の大物たち、母親の関係でその道のそうそうたる顔ぶれ、兄や姉の関係からいわゆる偉い人から有名な芸能人まで多彩におよんだ。 新妻はここぞとばかりにそれらの人々の間をこまめに回り、交わりをもち積極的に話していたので、祐樹は少し困惑と違和感を否めなかった。

  新居は千里中央駅前にできた50階建ての高級マンションを両親が用意しようとしていたが、「せめて住む所ぐらい自分で決めさせてくれ!」と頼み、やっとの思いで断った。

  祐樹は学生時代からの愛読書に、ソローの「森の生活」(講談社)があった。 それはヘンリー・ソローが今から170年以上前の1845年3月、28歳のときにアメリカ・ボストン郊外の森、ウオールデン池畔に小さな山小屋を建て、2年2ヶ月この森の中で生活し、思想し、著述活動をした時の記録であり、今なお世界中に多くの人々に共感を与えている本だ。 そしていつしか自分も森の中でそんな生活をしてみたい・・ と憧れを抱きながら夢見ていた。

 しかし、現実に結婚して生活するとなるとそうもいかず、ましてそんな話をするとあからさまに嫌な顔をする彼女に遠慮して諦めようとした・・ が、せめて森の中に開発された新しい街「箕面森町」(みのお・しんまち)に住みたい・・ と何とか説得していた。  やがて祐樹は4区画200坪ほどの土地を買い、その一区画に知人の建築家に頼んみ、ひときわモダンで瀟洒な家を建てた。 将来子供が大きくなったら真ん中を庭にし、もう一方に家を建てられるし・・ 祐樹はそれまでの間、好きな農園や花畑にしようと、周囲に果樹木を植えたり小さな作業部屋まで建てていた。 しかし、妻となる彼女はそんな事に全く興味を示さなかった。 そして結婚式前にその新居は完成した。

 <* この箕面森町(みのおしんまち)は・・ 大阪府が箕面市止々呂美地区に広がる313.5haの森を開発し「水と緑の健康都市」とした街づくりで、計画はオオタカなどの生息地だった事や、世情の変化などから二転三転しながらも次々と造成し完成しつつある。 計画では人口一万人、3000戸だが、現在はまだ1000余世帯 約3000人ほどの街だが、自然と調和した緑豊かな住宅地景観を作り出している。 箕面グリーンロード・トンネルも開通し、大阪梅田まで車で50分、千里中央まで15分、バスで25分とのこと。 更に平成30年この近くに箕面インターチェンジができて、第二名神高速道路とつながりとても便利な森の街なのだ>

  祐樹の新生活がスタートした。 新妻はしばらくの間は専業主婦として家庭にこもったが、しばらくして・・ 周囲には山ばかりで何もないわ・・ と不満を言うようになった。 祐樹はそんな自然の中での生活に満足していたが、この二人の感性の違いはどうしようもなかった。

  やがて妻は一人で自分のスポーツカーに乗って都心に出かけ、友人との会食や観劇、ショッピングを楽しみ、帰りに百貨店の惣菜売り場で夕食を調達してくるような毎日となった そして・・ 「わたし掃除、洗濯、料理なんか苦手だし、お手伝いさんを雇いましょうよ・・」と言いだし涼しい顔をしている。 祐樹は呆気にとられてしまった・・

 祐樹は「休日には夫婦二人で近くの山や森を歩こうよ・・」と誘ってみたが「とんでもないわ!」と言う顔でいつも断られていた。 近くの森にはエドヒガン、ヤマザクラが咲き、 タニウツギやヤブデマリの花々が咲いている。 祐樹の好きな野花もあちこちに咲いていて、穏やかで美しい山里の光景が広がっている。 「それよりも今晩は都心のホテルでデイナーにしない?」 「友人のパーテーに招待されてるから一緒に行きましょうよ」とか 祐樹の苦手なところばかり連れ出されていた。  それでも・・ これが幸せというものか・・ と祐樹は結婚した事を少なからず喜んていた。  しかしそんな順調に見えた歯車が、徐々に逆回転をし始めた。

  祐樹が結婚して半年も経たない頃、母親の経営するその道の家元教室が、本人の全く関知しない出来事から、まさかの巨額詐欺事件に巻き込まれた。  新聞で散々報道され叩かれたこともあり、全国にある教室が影響を受けてあえなく閉鎖してしまったのだ。 次いで次兄の妻が、こともあろうに兄の同僚医師と駆け落ち騒ぎを起こした。 それはやがて離婚となり、傷心の兄は大学病院をやめた。 

 極め付きは、父親が国政選挙であれだけ再選確実の勢いだったのに次点でまさかの落選をしてしまった。 さらに同時に行われていた地方選挙で、長兄もあえなく落選の憂き目にあった。 そして悪いことは重なるもので、少し前に姉がパリから一人で帰国していた。 何でもフランス人の夫と経営していた会社が乗っ取られたとか? --夫の愛人との確執か?--とか 週刊誌には面白可笑しく書かれていた

  祐樹を除き家族全員がその後の半年の間に立て続けに次々と不幸なできごとが起こり、あっという間に失脚し、失業状態になり、地位も名誉も誇りまでもが一気に崩れ去ってしまった。

  祐樹はそんな中、みんなを励ますつもりで父の誕生会をしようと久しぶりに実家を訪れた。 家を出るまで妻は一緒に行くことを拒んだが、何とか渋々ついてきていた。 事前に兄姉の知人、友人、今までの親しいみんなに知らせておいたのだが、その日集まったのは10数人だけだった。 それまでは数百人の人々が、家のパーテールームやそれに続く広い庭園にも人が溢れるばかりでそれは賑やかだったのだが・・ その凋落振りは目に余るものがあった。 箕面山麓の高台で100年以上続いたこの実家も、このままでは数ヵ月後には人手に渡りそうな事も聞いた。

  祐樹は何かの小説で読んだ一説を思い出していた「・・そして男が死ぬとそれまで体の血を吸っていたノミやシラミなどの生き物が ゾロゾロゾロと這い出し畳の隅に消えていった・・」とあったが、まさにその通りだと思った。

  両親に兄姉たちもどん底に落ち、初めてそれまでの自分たちの生き方や驕り高慢さを自省し、各々がうめくように猛省している姿が痛々しかった。 人がそれまでの権力から落ち、地位、名誉、金力を失ったとき、それまでその傘の下で威勢を誇り、権益をむさぼってきたような人々が真っ先に去っていった。 それはまさにあの寄生していたノミやダニが死体から一斉に出て行く姿だった。 そして一族はその悲哀を嫌と言うほどに味わう一日となった。

  ささやかな食事会が終わること、それぞれが心に誓ったことがあった。それは父が言ったつぶやきだった。 「今日から裸になって本当に一から出直し頑張ろう・・ そしてこれからは 謙虚に質素に真面目に生きていこう。 お互いに切磋琢磨して協力し この難局を乗り切ろう。 そしてこれからは身も心も常に清潔にして清貧を心がけ、決して再びノミの巣にしないようにしよう・・」 家族みんながしっかりとうなずき肝に銘じた言葉だった。 しかし、祐樹の妻だけは呆然とした顔をしてそんな父の言葉を聞いていた。

 帰り道、妻は「こんな事ってあるかしら・・ 私はどうしたらいいの?」と激しく動揺しヒステリックな声をあげた。  しかし、実家のほうは大変だけど、祐樹はサラリーマンで給与が減るわけでもなく、家が無くなるわけでもなく、今までと生活が何ら変わらないのでいつも通りの生活をしていればよかったのだが・・

 

  数日後、祐樹は香港へ出張した。  一週間の仕事を終えて帰国し、空港からタクシーで家に直帰したが、途中何度か妻のケイタイに電話を入れたが一向につながらないのだ。 「おかしいな? どこかへ出かけているのかな? それとも何かあったのかな?」 出かける前、妻の顔色が悪く元気が無かったので少し気にはなっていたのだが・・

  家は真っ暗だった。 家に入ると中は閑散としていて、妻の持ち物は何一つ見当たらなかった。 机上に一通の封筒があった。 祐樹は呆然としながらその封を切って中を取り出した。 そこには祐樹宛の手紙があり、捺印された離婚届け用紙が入っていた。 祐樹はその手紙を夢遊病者のように目で追いながら部屋の中をさ迷っていた。 「・・もう夢も希望もなくなりました。 お家のゴタゴタはもう沢山です。 こんな事になるとは・・ 貴方に対する愛情はもうありませんので・・」と、恨みつらみが延々と綴られていた。  祐樹はいま現実に起きていることを認識できないでいた。

  あの日から三ヶ月が経った・・ 祐樹はとうとう一度も妻と顔を合わせることなく、弁護士同士の話し合いで離婚が成立したのだった。

 

 季節はあの衝撃を味わった初秋からもうとっくに冬が来ていた。 あっという間に正月が過ぎ、二月の厳冬期になっていたが、祐樹の心も氷のごとく凍りついたままだった。 祐樹はあの日からなんとなく乗ってきたスポーツカーだったが、明日には業者に引き取ってもらうので今日が最後のドライブだった。 つかの間の幸せ感も、この家も、この街も、この森とも、すべて終わりなんだ・・

  祐樹の車はうっすらと雪の積もる箕面森町への道を上り家に着いた・・ 3ケ月ぶりか・・ 懐かしさよりも空しさのこみ上げる玄関を開け、雨戸を開けて冷たい外気を家に入れた。 外はあの日、あの時に一人で家を後にした寂しい光景が広がっていた。 一面の雪景色に月の光が優しく降り注ぎ、氷魂をキラキラと輝かせている・・ 祐樹はしばしそんな光景に見とれていた・・ 「きれいだな~ 」

(3)へ続く

 

 


 トンネルを抜けると白い雪(3)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(3)

  翌朝、祐樹は家の窓を全開し、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ・・

 気持ちいい~  ヒヨドリが2羽、元気に頭上を飛んでいった。 北側の森の樹林が真っ白い雪に覆われ、まるでおとぎ話しの中の妖精がいる森のように見えた。  庭に下りると野うさぎか? テンか? 小さな動物の足跡も見られて嬉しくなった 南側の鉢伏山の方をみると、朝陽にキラキラと輝くダイヤモンドダストが見られる・・ きれいだな~ 祐樹はしばし家の周辺の景色に見とれながら、何度も同じ言葉を呟いていた。

 「そうだ! 久しぶりに箕面の山を歩いてみよう・・」 祐樹はこの3連休を何して過ごそうかと思っていたので我ながらいい考えに喜んだ。 そうと決めると裏に建てていた作業小屋から、以前から置いている山靴とリュックサック、ストックなどを取り出した・・ 結局 前の妻とは一度も山を歩かなかったな・・ 学生時代からあちこちの山歩きを楽しんだけど、サラリーマンになってからは家の近くの箕面の山を歩いては自然の営みに感動していた・・ 何年ぶりぐらいかな・・ 祐樹は久しぶりのワクワク感でいっぱいになった。

 

  箕面森町から府道423号線を東へ歩き、高山口から山道を登る。 ひとつ山越えをして豊能郡能勢に入り、もう一つ山を越えここから箕面市とある表示を過ぎ後ろを振り返った。

  きれいだな~ ここは雪国か? と錯覚するような美しい雪景色が広がっている。 雪国の人々の雪害の苦労は大変なものがあるけれど、この大阪・北摂では年に数回ぐらいしか積もらない雪は珍しい部類に入るのだ。 そう言えばあの小説「雪国」を書いたノーベル賞作家、川端康成は子供の頃、ここ箕面の山や森でよく遊んだと言うから、どこかで少しでもこの雪の光景が脳裏にあったのかな? と祐樹はそんな想像をしながら登った。

  やがて再び豊能郡高山に入った。 登りばかりが続く・・ 息を弾ませながら祐樹は白い息をハーハーとリズムよく吐きながら、なぜか体も心も軽くなっていくのが心地よかった。 それまでの心の内に溜まっていた暗く重たく黒い汚い塊を、思いっきり吐き出すかのように意識して息をはきだした。 そして胸いっぱいに新鮮で気持ちのいい森の空気を精一杯吸い込んでいたら、いつしか身も心も入れ替えられたような新鮮な気分になっていた。

  やがて高山の村落が見えてきた。 ここはかの戦国大名・キリシタン大名 高山右近の生誕地だ。 近くには「マリアの墓」とか「マリアの泉」とかも残っている。 村落の人口はもう100人足らずで高山小学校はもう何年も前に廃校になり、箕面森町にできた止々呂美小学校に統合されたようだ。 祐樹は都市近郊にあってこの田舎の自然が満喫できる高山の村落が以前から大好きだった。 学生時代は箕面駅前から山々を越え、ここまで3時間足らずでよく歩いたものだった。 そして昔懐かしい田舎の風情をもつこの貴重な村落で一日を過ごすのが何よりの楽しみだった。

  祐樹は隠れキリシタンゆかりの「西方寺」前から「高山右近生誕地石碑」裏山を回り、明ケ田尾山への登山道へ入った。 ここは谷道だが雪はそんなになく、いつもの山道が判断できるので登りやすかった。

  やがて山頂に到着した。 明ケ田尾山箕面最高峰で619.9mと聞いた。 祐樹はここで一休みをすると、持ってきた水筒の水を一気に飲みノドを潤した。 登りが続いたので汗で下着がぬれている・・ そう言えば腹が減ったな~  3ケ月ぶりの森町の家には食料の買い置きは無かったし、途中で買うつもりが国道沿いに店は無く、高山にも一軒の店も無いので仕方ない。

  これから尾根づたいに歩き、梅ケ谷から鉢伏山を経由し、expo‘90みのお記念の森>から天上ケ岳を下り、2号路から箕面瀧道出るか、ようらく台から前鬼谷を下り落合谷に出てもいいし・・ と漠然とこれからのコースを考えていた・・ それまで水も食料もなしか・・ しょうがないな・・ まあなんとかなるさ!  祐樹はそれ以上にこうして久しぶりに自分を取り戻し、自然との会話を楽しめる事に満足し嬉しさでいっぱいだった。

ハックション! ハックション! 祐樹は大きなくしゃみをして我に返った 寒い! 寒気がしてきたので祐樹は再び歩き出した。 

  梅ヶ谷へ下り、再び鉢伏山へ向けて登った後、しばらく気持ちのいい下りの山道を歩いているときだった。  南斜面なのでここまで来ると雪はないものの、逆に山道は凍りつき、歩くたびに バリ バリ という霜柱が壊れる音が響いた。 そして事故は起こった・・ それは祐樹の第二の人生の幕開けとなった。

 

  尾根道には冷たい風が吹き、山道は硬く凍っていた。 それまでの雪道とは違ってまだ歩きやすく、祐樹はバリバリと霜柱を壊す音を立てながら黙々と山を下っていた。 その時だった・・・

  ツルン~ ガクン バリ  

 あっという間に左足が滑り、鈍い音がしたかと思うと祐樹はドンデン返しにひっくり返り、腰を嫌と言うほど打ちつけ、左足首に激痛が走った・・ 「痛い! これは何だ!?」 何が起きたのか判断するのに時間がかかった・・ しばらくしてそれは山道に転がっていた太い木の枝に足をとられ滑ったようだ・・ とんでもないひねり方をしたようだな? これは大変な事になってしまった・・ と祐樹は焦った。

 滑った左足は痛みもあるが痺れたような別感覚になっている・・ このままでは一人で歩けない・・ 助けを呼ぼうにも山の中では 電波が届かずケイタイが使えない・・ 案の上<圏外>表示が出ている。  それにまだ一人のハイカーにも出会っていないような今日の状況だ・・ どうしよう?・・ 祐樹は激痛に体を横たえたまま頭は思案でいっぱいだった。

 ・・冬の夕暮れは早い・・ ひょっとするとここで一晩を過ごさねばならないかもしれない・・ 祐樹は横たわりながらリュックを引き寄せ中を見たが、こんな時に役に立つような物は何も入っていない。 水も食料もないし、防寒具といっても何もなく、この寒風吹きすさぶ尾根道で夜を過ごすことなど到底無理なことは分かっていた。 左足はどうやら骨折しているようだ。

 ・・後10数分も下れば<みのお記念の森>に着く距離だ・・ そこに常駐の人はいないけれど、いつも4時の森の駐車場の開閉に箕面ビジターセンターの職員が来るはずだ・・ 何とかしてそこまでいかねば・・ 時計はもう3時を回っていた。 祐樹は焦った・・ 何とか這ってでも下に下りねば 命が危ない・・ 少し足を動かしてみるが、そのつど激痛が走り到底動かせない。

 祐樹は天を仰いだ・・ 家族全員が今最悪の危機の中にあるけど、どうとうボクにも死神がやって来たようだな・・ ボクの人生もここで終わりかもしれないな・・ まあいいか・・ 人間はいつかは死ぬんだ・・ それにボクはこの好きな森の中で死ぬのならそれも本望か・・ そう自分の運命を受け入れると、祐樹の心も少し落ちつき穏やかになってきた。

 祐樹はそのままゴロリと大の字になって空を見上げた。 冬枯れの森・・ 葉を落とし、枝ばかりのコナラの大木が寒風に揺れ、枝と枝のすれる音がリズミカルな音色のように聞こえる・・ 空には ヒュ~ン ヒュ~ン と冷たい風が吹き雲が激しく動いている。 寒い・・ 痛い・・  そしていつしか祐樹は意識が遠のいていくようにゆっくりと目を閉じた。 頭上を冬鳥が一羽 飛んでいった・・

(4)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(4)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)
箕面の森の小さな物語
 
<トンネルを抜けると白い雪>(4)

  「大丈夫ですか? もしもし大丈夫ですか? どうしよう・・」 

祐樹は薄れゆく意識を懸命に元に戻しながら、そんな声を耳にした。

  「あっ! 気がつきましたか・・」 「ああ どうも・・どうもありが・・ 足を滑らせ・・ 動かせないんで・・ 痛!」 祐樹は薄れていた意識を取り戻した。 「私が肩を貸しますので立てますか・・?」  気がつけば麻痺しているのか、少し足の痛みが和らいでいる・・ 祐樹はゆっくり女性の肩を借り、やっとの思いで立ち上がった。 「これなら何とかこの下までは下りられそうかな・・?」 それから何度も休み休みしながら10余分の道を30分以上かかってやっと芝生広場までたどり着いた。

 「ありがとうございました・・ もうここで・・ すいませんがケイタイが繋がる所から救急車を呼んで・・ あれ!?」  祐樹がボソボソとお願い事を言う前に、彼女はもう一人で走っていった。 15分ほどして一台の軽自動車が前に止まり、先ほどの人が急いで下りてきた。 「丁度駐車場の門を閉めていた係りの人に事情を話して、車を中に入れさせてもらいました さあ早く病院へ行きましょう・・」 そう言うが早いか祐樹を抱きかかえるようにして助手席に乗せると園内を通り抜け市道を下った。

  「あの~ この下の箕面ビジターセンターまでお願いできますか?  あそこで電話を借りて救急車を呼んでもらいますので・・」 「大丈夫ですよ! 救急車がこの山を登ってくるのにどれだけ時間がかかると思います? それに公共のものはもっと緊急の方の為に残しておきましょう・・ あっ 貴方が緊急だってことは分かっていますよ・・ でも今は私が何とかできますから・・」と笑いながら車を走らせる。

  車は箕面ドライブウエイをゆっくりと下りながら、30分足らずで箕面市立病院の救急外来に到着した。 早速レントゲンを撮ると、やはり左足靭帯破断で足首の骨折で全治3ヶ月の重症だった。

 「どこのどなたか知らないけれど・・ あっ! あの方のお名前も聞いていなかった・・ しまった! ろくにお礼も言わないままに・・ どうしようか? でも本当にありがとうございました」 ベットの上で治療を受けている間、祐樹は心の中で感謝の言葉を何度も呟きながら安堵感でいっぱいだった。

  治療が終わるまで3時間近くかかった。 祐樹は手続きなどを済まし、支払いも終え、処方された薬を飲むと慣れない松葉杖を腕の両脇に挟みながら下の兄のケイタイを鳴らした。 何となく兄が医師だからというだけの事だったが、医者の有難さをしみじみと実感したからでもあった。 久しぶりに兄と会話し、自分の状況を説明しておいた。 「・・でもよかったじゃないか・・ その方にはお世話になったんだな  しっかりお礼を言うんだぞ  命の恩人だからな・・」 祐樹はその時初めて本当に命を助けられたんだ・・ と認識した。 お礼を言う前に自分のことで精一杯で名前も聞かなかったことを心底後悔した。

 「それはそうと兄さんは今どこで何してるの?」 「オレか・・ 今な 福島にいるんだ  あの忌まわしい出来事から逃れるようにしてここに来たんだがな・・・以前 大学病院にいる時に派遣されて、大震災直後の被災地に来た事があるんだ  余りにも非日常的なことばかりで過酷だけどやりがいがあったんで、それでフリーになったんで再びここへ来てみたんだ  今はボランテイアだけど、やっぱりここに骨を埋めてもいい覚悟でこれから診察活動をしようと思ってるんだ・・」 「そうか・・ それはよかったね」 医師として厳しい任地だろうが、兄は兄なりにやりがいと共にやっと自分の居場所見つけたようだった。

  祐樹は他の家族にはこれ以上心配事を増やさないために自分のことは黙っておこうと思い連絡はしなかった。 そして会社の上司にだけは電話で事情を話し、しばらく休暇をもらう事にして病院を出た。

 

  外はもう真っ暗だった。 冷たい風が吹いている・・ 寒い! 北の箕面の山々の峰がうっすらと見て取れる・・ 山の中腹にある<風の杜 みのお山荘>の灯かりだけがボンヤリと見える。 そして目の前のタクシー乗り場の明かりだけがひときは明るかった。

  「大丈夫ですか?」 どこかで聞いた事のある声だ・・ 祐樹が振り返ると・・ 「あっ! 貴方は・・ まさかここで私を・・ 待っていて・・」 祐樹はビックリすると共に感謝と感動が入り混じって言葉にならなぜかポロポロと大粒の涙が溢れ出した。

「帰りもお困りだろうと思いまして・・ それにこの荷物も・・」 「あっ ボクのリュックとストック・・ すっかり忘れていました 預かってもらっていたんですね・・ ありがとうご・・」祐樹が言葉をつまらせ感激の涙を拭いていると・・ 「さあどうぞ! 」 彼女は軽自動車の扉を開け、助手席に祐樹を座らせると松葉杖を運転席との間に置いた。 「さあ出発です! お客様どちらへ参りましょうか・・?」 彼女がタクシー運転手のしぐさをしたので二人で大笑いした。

  祐樹は朝までいた箕面森町の家へは向かわなかった。 上の兄が所有する箕面駅近くの集合マンションの一室を、祐樹は大学入学と同時に兄から借りて使っていた部屋がある。 それまでは両親と一緒に住んでいたが、広い家とはいうものの常に父の秘書や書生やお手伝いさんや10数人の人たちが寝起きを共にする中で心に窮屈な思いをしていたから大喜びだった。 しかし たまに上の兄が訪ねて来た時はあわてて掃除をするものの・・ 「なんと汚い部屋に住んでるんだ・・ もっときれいにしろ! そんなことしてたらまた嫁に逃げられるぞ!」とからかわれていた。 勿論 結婚前に妻となる人をここへ連れてくることは一度も無かった。 結婚をするまではここが祐樹の城であり居場所だったのだ。 そしてあの妻が家を出て行った次の日から、ここが再び祐樹の家だった。 病院から10余分で祐樹のマンション前に着いた。

  「遅くなりましたけどお礼を言えなくて・・ 本当にありがとうございました。」「いいえ! たまたまですわ・・ お役に立てて嬉しいです」「ボクは太田垣 祐樹と言います ここに住んでいます」 「私は吉永美雪と申します この東の間谷の団地に住んでます」 「そうだ! よろしかったらお食事をご一緒していただけませんか?  ボク朝から何も食べていなくてお腹ぺこぺこなんですが、ご迷惑でなければ・・」

  美雪はすこし戸惑っていたが・・「よろしいんですか・・?」「よかった うれしいです! ありがとうございます!」 祐樹はそのまま美雪の車を案内した。 学生時代からなじみのイタリアレストランはすぐ近くだった。

 

 「美味しかったわ! こんなに美味しいイタリアンは初めてだわ・・ ご馳走様でした  でもマスターが祐樹さんの痛々しい姿をみてどしたん!? とビックリしていた姿やその顔が可笑しくて・・と思い出しては大笑いしている。 祐樹もつられて二人で笑った。 美雪は祐樹の部屋の前まで送ってくれて・・ 「では失礼します! ご馳走様でした・・ お大事にして下さい!」と手を振りながら帰っていった。

  長い一日だった。 祐樹は慣れない不自由な格好でベットに横になりながら朝からのまさに激動の一日を振り返っていた。  そして・・「いい一日だったんだな~」とため息をついた直後から薬が効いたのか いつしかゆっくりと心地よい眠りに入っていった。

(5)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(5)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(5)

  祐樹はこの2日間迷っていた。 

あの美雪さんのことが頭からも心からも離れないのだ。 もっと彼女の事が知りたいけど、迷惑かな? どうしたらいいのか? こんな思いをするのは生まれて始めての経験だった。 別れ際にケイタイのアドレス交換をしていたので、何かメールでもあるかと期待をしていたのだが・・

  3日目の朝、祐樹は意を決し美雪さんの出勤前に伝えようとメールを送った。  「先日は本当にありがとうございました  おかげで命拾いをしました  もしよろしければ今晩この前のレストランでお食事でもご一緒にいかがでしょうか・・?」  祐樹はこの年になるまで自らデートの申し込みをしたことが無く、何かぎこちないドキドキするような誘い方だった。

  早速返事が来た・・ オーケーだ! 祐樹はなぜか飛び上がって喜んだものの・・ イタ! イタ! 痛い・・!  と足を押さえながらベットに倒れた。  でも嬉しかった・・ そしてまだ文面は続いていた。「・・私は今日仕事が休みなのでお昼でよろしければ・・ それに差し支えなければ歩くのも不自由でしょうから私がこれから美味しい飛び切りの料理を作って持っていきますので、それでご迷惑でなければ祐樹さんのお部屋でランチなどご一緒に・・ なんて言うのは如何でしょうか・・?」  祐樹は勿論すぐに大賛成の返事をした。

 このワクワクする気持ちは何なんだろう・・?  祐樹はつかの間の心躍る余韻を楽しんだ後 ふっと え~ この部屋で・・!  あわてて部屋を見回すと汚い!  何とも汚れた男部屋だ・・ 何とかしなくちゃ! 痛い! イタイタイタ・・ ダメだこりゃ! とても自分ひとりで掃除できる状態じゃないので諦めた。  すると何だか心が落ち着き、裸のまま素の自分を美雪さんには見てもらうしかないと思った。

  お昼までの時間が待ち遠しかった。  やがて12時半を回った時、ピンポン・・ とチャイムが鳴った。  美雪さんだ!  マンション入り口のドアロックを解除すると、やがて部屋のベルが鳴り祐樹ははやる気持ちを抑えてドアを開いた

「こんにちわ! おじゃまします・・」  そこには先日の山歩きの格好とは違う花柄のワンピースに身をつつんだ美しい女性がニコニコしながら立っていた。  両手にいっぱいの紙袋を提げている・・ 男の汚れた部屋に入った美雪は一瞬にこっと笑った。

 「こんな汚いところですいません・・」と言った祐樹の言葉に首をふりつつ・・ 「足のほうは如何ですか? 大変でしたね・・ 痛みますか? お腹すいたでしょう・・ 遅くなってごめんなさいね。 あれから懸命に作ったんですけどお口にあうかしら・・?」  そう言いながら、テーブルいっぱいに持ってきた料理を並べた。

 「すごい・・ 美味しそう・・ これみんな貴方が作ったの?」 「そうですよ! 私ね門真にある会社の社員食堂で働いているの・・ だから料理を作るの大好きなんだけど、食べ物はみんな好みがありますからね・・ ちょっと心配ですわ」

「美味しい!」祐樹は心底美味しいと思った。 こんな美味しい家庭料理など本当に食べた事が無かったからだ。

 

 それから二時間ほど、二人は笑いを交えながら食事を楽しんだ。 「私ね 祐樹さんにはきっといい人がいそうな気がして、足のことも気になってたけれどお伺いのメールもしなかったの・・ でもこのお部屋の様子から見て大丈夫のようだわね・・」と大笑いしている。  祐樹も頭をかきながらつられて大笑いしてしまった。

  「実はボク離婚したんです  妻が家を出て行ってしまって・・ だから・・」と祐樹は唐突に話題を変えて頭をかいた。  すると・・ 「私も10年前だけど、二十歳の時に短かったけど結婚してたのよ  母を早く安心させたかったの・・ でも夫の暴力に耐えられなくてすぐに別れて大阪に来たのよ  逃げられた人と逃げた人なのね・・ ハハハハハハ!」  お互いにこれで気が楽になった。

 「私ね・・ 北海道の十勝出身で母子家庭なの・・ 母は町で唯一の病院食堂で必死に働いて私を育ててくれたのね  だから私は早く自立して今度は私が母を支えようと決めてたの・・ でもね 町にはいい就職口がないからと東京の専門学校に行かせてもらってね  それで栄養士の資格を取ったのよ  早く自立して母を支えたかったの・・ いづれは母と暮らしたいんだけど、今は年に一回ぐらい大阪に呼んでるの・・ でも母は私の住んでる団地で過ごしてても一週間ももたないのよ  大地がない、畑がない、自然がない、預けてきた犬が心配だ 人との付き合いがない・・ なんて言うのよ 広大な十勝とは違うものね・・ それで私の出勤後一人で孤独になっていつの間にか北海道へ帰ってしまうのよ・・」

  そんな話を明るく可笑しく話す美雪の言葉を、祐樹はしっかりと聞いていた。  しかし祐樹は自分の家族の話は少ししかしなかった。 「ボクの父母も兄姉もいろいろあって、今はみんな失業中なんだ(実際そうなんだ)下の兄はあの大震災後の福島で今ボランテイアをしているようだし・・ ボクだけサラリーマンだけど、本当はやりたいことが別にあってね・・ 今までどうしようか悶々としてきたけど、今回の生死を感じたできごとがあってそれで決心したんだ  だからもうすぐボクも失業となるかもしれないんだけどね・・ ハハハハハハ・・」

  「まあ~ それは大変ね! でも貴方は夢や希望がいっぱいあるのね・・ 素敵だわ! そうだわ! 私夕方までにこのお部屋お掃除して片付けてあげるわ いいかしら!」 と突然 美雪が言い出した。  そしてそう言うが早いか美雪は早速食事の後片付けをするとテキパキと掃除を始め、片づけをしだした。 「さあ 祐樹さんはこのイスに座っていてくださいね。 口だけ動かして指示してくださいね・・」  祐樹はそんな彼女の動き回る姿を、まるで幻でも見てるかのように ボ~っ としながら見つめていた。

  祐樹と美雪はそれからも時々会ったが、なにしろ祐樹の足の硬い石膏は3ヶ月は取れず、松葉杖も離せず、仕方なく祐樹の部屋でデートすることが多かった。  そして美雪は動けない祐樹に代わって部屋の掃除や美味しい料理を作ったりしてお互いの心は徐々に近づいていった。 そしてこの温かい交わりがこれからも続くものと、二人とも信じて疑わなかった。

 

  祐樹の足の石膏がやっと外せる日がやってきた。 晴れて不自由な足と松葉杖から開放されるのだ。 祐樹は勿論だが美雪も自分のことのように喜んでいた。 祐樹はこの間、会社の配慮でデスクワークをしていたけれど、どうしても仕事への情熱が別の所へと移っていた。 そして熟考の上、会社にやっとの思いで辞表を提出していた。  いろいろ引きとめ工作もあったけど、何とか受理してもらった日でもあった。 祐樹は美雪さんに自分の夢を語り、自分の思いを告白する決意を固めていた。 ところが・・

 ・・・美雪さんのケイタイがつながらない・・?  なぜ連絡がつかないんだろう?  事故でもあったのかな?  もっと自宅を詳しく聞いておけばよかった。 いったいどうしてしまったんだろう・・ 祐樹の不安がピークに達していた時、美雪からの電話が入った。

  「無事だったんだ・・ よかった!」「ごめんなさいね! 母が倒れたの! 飛行機に乗っていたりして ケイタイが使えなかったの! 今から最終の汽車に乗るので明日にでもまた電話するね・・」

 次の日の昼前、やっと待っていた電話が美雪から入った。 「今~ 母と病院にいます 大事には至らなかったけど脳梗塞があって・・ それに軽い認知症状もあってね・・ それで・・ 私~ 母一人子一人だからしばらく十勝にいなければならない・・ 会社には事情を話して長期の休暇をもらったの・・ 突然でいろいろ大変だけど母を一人にしておけないの・・」 そう一気に話すと・・ 「あっ! 先生が呼んでいるからまた後でね・・」と急いで電話を切った。 

  祐樹は呆然とケイタイを耳に当てたまま動かなかった・・ 「もうこのまま会えないんだろうか・・?」

(6)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(6)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(6)

   あれから祐樹はいろいろ悩み迷った。 けれど会社を退職したばかりなので、自分の選んだ仕事の準備作業に没頭しょうとしていた。 しかしその悶々とした気持ちをそれで紛らわせることは難しかった。

  そんな時だった。 5ヶ月ほど前に申請していたドイツの大学から<クナイプ研究>ОK! 返事が来たのだ。  自分の新事業立ち上げにはどうしても勉強しておきたかった事だったのだが・・ あの頃はまだ美雪さんを知らなかった。  しかし このままの心の状態で無為な時を過ごすこともできない。 美雪さんの事が頭から離れない・・

  祐樹は何日も熟考のうえ決心し、美雪には半年間勉強してくるから・・ と詳しく内容を伝え、帰国したら一度十勝を訪問したい旨を伝えた。

  数日後 祐樹はルフトハンザ・ドイツ航空の機内で回想していた・・ あれは自分が10年前に会社に入社して間もない頃だったな~ 商社マンとしての新人研修が始まり、ドイツ・バイエルン州のミュンヘン駐在員事務所に一年間配属されたが、それは厳しい毎日だった。

 慣れない語学と仕事の内容にいつも月末にはクタクタになり、心身ともにボロボロ状態になっていた。 そんな頃合を見計らったかのように会社の先輩は自分を外へ連れ出し、汽車で一時間程の郊外の森の施設へと連れて行ってくれた。 大体2泊3日の短い週末を利用しての事だった。 しかし、そこで過ごす日々は自分にとって芯から身も心も癒され、翌月はまた頑張れるという不思議な空間だった。 <クナイプ療法>と言う言葉は、箕面の山歩きのときに勝尾寺山門前の階段脇の看板ではじめて見た。 <・・森林浴・・ ドイツではクナイプ療法と言う・・> その変わった名称だけが心に残っていたが、まさかそのドイツで自分が体験できるとは夢にも思っていなかった~

  それはバート・ウエーリスホーフェンという人口1.5万人程の小さなの町にある「森林保養所」だった。 クナイプ療法というこの自然療法はドイツでは健康保険が適用される公的な医療機関で各地の森に点在している・・ 例えば沢山の散策コースが用意され、森林浴のできるコース、温水冷水浴法、森を散策してからの運動法、栄養バランスを取り入れた食事法、アロマセラピーの植物法、心身と体の内外の自然との調和を図る調和法などの治療から成り立っている総合的な森林医療施設なのだ。 

 それは専門の医師会や国の森林局が連携し、広大な森の中で活動している。 その周辺には専用の提携ホテルや民宿が数多くあり、ドイツ国内はもとより世界中から年間100数十万人が訪れる人々を受け入れているのだ。 その中には心理的に問題を抱えている子供たち、ストレスの多い仕事人、心身を病む人々、認知症の人々など様々な人々がいて何度もリピーターとして訪れる森の施設でもあった。 自分が実体験をしてきただけに、これからの日本の社会にも必要不可欠な施設だと確信していた。

 それだけにドイツ駐在から帰国後、時々箕面の森の中を散策しながら・・ ここならいいな・・! とか あちこち勝手に想像していたが、日本の行政や諸々の制度や法律に阻まれて動けない・・ それで父や兄にも相談していたが、それは遠い国のよくできた制度だぐらいでいつも終わっていた。  政治とは何なんだ・・ 誰の為にあるのか・・ そんな政治家の父と上兄の対応には不満だった。 しかし自分の夢はいつしかさらに膨らんでいった。 こんな森の施設を箕面の森に造りたい・・ と。

  季節はあの冬から夏を過ぎて秋を迎えていた。 祐樹は半年間のドイツでの研修を終え、帰国の途についた。 成田空港に着いた祐樹はその足で札幌に飛び、十勝の美雪の家を訪れた。

 「お帰りなさい!」 美雪は祐樹に飛びつかんばかりに満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。 久しぶりに見る美雪さんは少しやつれていたが、笑顔の元気な様子に祐樹は安心した。 母親はその後大きな後遺症もなく元気を取り戻したようで、大歓迎で迎えてくれた。

  祐樹は広大な十勝平野を望む美雪の家で一週間を過ごした。 小さな家だけど温もりがあった。 横を小川が流れ、家の周りにはいろんな果物の樹が植えられ、野草がいっぱい花を咲かせている。 祐樹と美雪はそんな野草の名前を交互に当てっこして遊んだ。

 ワン ワン ワン 「ミユキこっちへいらっしゃい! この犬は母の飼ってる犬でミユキっていうのよ 雑種だけど私が東京へ出た頃、家の近くの森に捨てられていた子犬を母が拾ってきてね  それで私がいなくて寂しいものだからミユキって私と同じ名をつけて母と一緒に暮らしてきたのよ  もう10年以上だからもうおばあさんのミユキだわね・・」とミユキを抱きしめている。

 祐樹は滞在中、よくこのミユキと散歩し野山を一緒に駆けた。 丘の上に立つと遠方に万年雪を抱いた十勝連峰が見える。 新鮮で気持ちのいい空気・・ 祐樹が箕面森町で望んでいた生活の想いがここには詰まっていた。

  それから一ヶ月ほどして美雪は大阪に戻り職場に復帰した。 「母が早く大阪へ戻りなさいって毎日のように言うのよ  それに先生ももう大丈夫でしょうから・・ と言ってくれたの・・」 でも美雪は母親の事がいつも心配で仕方ない様子だった。

  祐樹は箕面市内に事務所を構え、新しい自分の事業に生きがいを感じつつ、夢と希望をもって活動を始めていた。 それに大学時代の指導教授からの推薦で、ある大学の講師にとの誘いもあってその準備も進めていた。  しかしそれ以上にもう一つ、自分の人生をかけ、どうしてもやらねばならない最重要な大切な事があった。 それは祐樹の人生で初めて、自らの意思で決断する日でもあった。

  街中はクリスマスソングが流れ、華やかなイルミネーションに飾られ キラ キラ キラ と輝いていた。 そして今日はクリスマスイヴだ。 夕暮れ時・・ 美雪は一段とお洒落な服装をし、美味しそうな手作り料理を両手に持って祐樹の部屋にやってきた。

  キャンドルを立て、ワインを傾けながらいつものように大笑いの内に美味しいデイナーを終えた。 そして美雪がデザートを取りにいこうとしたのを静かに制して・・ 祐樹はおもむろに美雪の前に正座した。 そして祐樹は美雪の目をしっかりと見ながらしっかりした声で・・

 「美雪さん 今日はボクから大切なお話があります  ボクは美雪さんを心から愛しています  ボクは生涯をかけて美雪さんを、愛し守りたいです どうかボクと結婚していただけませんか・・」 祐樹はもっと格好良く告白したかったけれど、いざとなると練習のようにはいかず、もう心の内から湧き出るそのままの気持ちを素直に伝えた。 美雪は目にいっぱい涙をためながら・・ やがて笑顔で大きくうなずいた・・ 「よかった・・!」 祐樹は世界に向けてこの喜びを叫びたい気持ちだった。

  祐樹は美雪を静かに抱きしめながら、長い間そうしてお互いの温もりを感じていた。  やがて祐樹はポケットから用意していた指輪を取り出した。 ビックリする美雪の顔を見つめつつ、美雪の手を取りその左の薬指にゆっくりとそれをはめた。 それは小さなダイヤモンドが入った、美しい婚約指輪だった。 再び美雪の目から大粒の涙があふれた・・

  やがて二人は美雪の作ってきたデザートを食べながら、その喜びのうちにこれからの事を語り合った。 入籍は美雪の誕生日の3月1日に、二人で箕面市役所に行き届出をする事にした。

 そんな話をしているときだった・・ 祐樹のケイタイが鳴った。 上の兄からだった・・

(7)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(7)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(7)

  祐樹は上の兄からのケイタイをとった。 大きな明るい声で兄が話し始めた・・

 「やあ~元気か? オレ来月から東京行きだよ  聞いてるかも知れんが前回の国政選挙で当選した霞さんだけどな、重大な公職選挙法違反で失職する事になってな・・ それで次点だった親父が繰り上げ当選になるんだよ  オレも次のこともあるんで親父の公設秘書として国会で仕事することにしたんだ・・」

 政治や選挙に余り関心のない祐樹は「そうか それはよかったな!」とだけうなずいた。

 「それに淳子も週刊誌で見てるかもしれんがな、日本で自分のファッションブランドを立ち上げることになって、春には銀座に店を開くと言うしな・・ そうそう お袋もな 有力な支援者が後押ししてくれて全国の教室も再開したしな・・ それにこの家も手放さなくてよくなりそうだし・・ やっと何とか先行きが少しづつ明るくなってきたな・・」

 「そりゃあ よかった! よかったよ・・ おめでとう~ だな ところでこの前 話したけどボクの大切な人を今度連れて行くからよろしく頼むよ」 「それは分かった大歓迎だよ! お前の命の恩人だからな! その日は家族みんな揃って楽しみに待ってるからな・・」

 祐樹は少し前実家に帰り、父母や兄姉らに今までのいろんないきさつを話しながら、美雪さんと結婚したい旨 しっかりと話していた。 そしてみんなから おめでとう! との快諾を得ていた。

  祐樹は安堵のため息をつきながら美雪の顔を見た。 「なにか良いことがあったみたいね・・」 「そうなんだよ 両親も兄姉も一気に仕事が決まりそうなんだ」 「本当に! それはすごいわね! この厳しい時代によかったわね  私の会社なんか業績悪化とかで社員のリストラが始まったわ  ストレスでうつ状態になる人なんかもいてね  だからせめて社員食堂に来てくれた時だけは美味しい食事をして貰いたいと思って心をこめて作っているのよ  そう言えば下のお兄さんは福島でボランテイアなさっていると言ってたわね・・ 本当にすごい事だわ・・ 私も短期間だったけど会社から派遣されて被災地に入ったけど、それはすごい大変なものだったわ  でも私被災者の皆さんに逆に力を頂いて励まされたわ・・」

  「下の兄はあのものすごい惨状の中で働いていて人の心の温かさを感じたり、仕事のやりがいを感じたりして、パラダイムの転換というか、大きなショックを受けて人生観が変わったみたいだよ  それでどうやらそこに住みつく覚悟のようだよ」 祐樹にとって兄が医師である前に、その地に人間としての生きがいを見つけたことに大きな意義があった。

 「そうだ! それからね うちの家族の揃う来月下旬に君をみんなに引き合わせたいんだ。」 「私、少し怖いわ! 大丈夫かしら・・」 「両親や兄姉など もうみんなには話してあるからね  大歓迎で待ってるからって今も兄が言ってたからね・・」  聖夜 二人だけのクリスマスイブが静かに幸せの中でふけていった。

 

  次の日、二人はあのお気に入りのイタリアンレストランで乾杯した。 直前に結婚の聞いたマスターは・・ 「あっ あのときの方と!」と大喜びし、急いで店を貸し切りにするとバンド仲間らを呼び、近くの花屋さんからきれいな花をいっぱい買い込んで店に飾り、みんなで大いに歌い食べて飲んでお祝いの宴をしてくれた。  祐樹も美雪もそんな友人らの温かいもてなしに心から感謝した。

  数日後、年末だけど祐樹は仕事納めが終わった美雪を山歩きに誘った。 祐樹はこの正月休みを利用して、二人で十勝の美雪さん宅を訪ね、お母さんに結婚の申し入れをし、改めてご挨拶をすることにしている。 その前にもう一度、あの二人が出会った運命の山道を訪れたかった。

 小雪がパラつく寒い中を、美雪はいつもの古い軽自動車で祐樹を迎えにやってきた。 あの日以来 祐樹は車を所有せず、いつも休日にはもっぱら美雪の車に乗せてもらっていた。 祐樹が助手席に乗ると・・ 「出発で~す! お客様どちらまで参りましょうか?」 なんておどけて笑っている。

 二人は一年ぶりにあの <Expo‘90 みのお記念の森> へ向かった。

 「結婚したら次はエコカーを買おうよ・・」 「嬉しいわ! 私この車ね 中古で買って10年目なの・・ 無理しないでね  安くて小さくて燃費のいい車がいいわね」 祐樹は一年前、イタリア製の高級スポーツカーを処分したが、美雪の望む車なら10数台買えそうだ・・ と思った。

 

 「まあ~ ここへ来るのは一年ぶりだわね・・ ものすごく遠い昔の事のように思えるわ・・」 二人は山靴に履き替え、リュックを担いで鉢伏山への山道に入った。 細い道はバリバリに凍っている。 冷たい風が音をたてて吹きすさぶ・・ 寒い! しばらくそんな道を登ると・・ 「あっ ここだったわね・・ 貴方が倒れていたところ・・」 

 祐樹はあらためて美雪に心からの感謝とお礼を伝えた。 そしてふっと北側を見ると・・ 「あれ!? そうかこの尾根から見えるんだ・・」 冬枯れの森で、枝葉を全部落とした樹木の間から視界が広がり眼下に箕面森町が一望できた。

  「そうだ! 美雪さん ボクはあそこの遠くに見える町に小さな小屋を持っているんです」 祐樹は自宅の庭の角に建てた作業小屋のことを笑いながら説明した。 「六畳ぐらいの小さな部屋だけど、君さえよければ二人の新居にしたいと思っているんだけど・・ ハハハハハ  「わ~ 素敵! 早く見たいわ! あそこにあるのね・・ わあ・・ 嬉しいわ! 私 貴方と二人ならどんな所でも幸せよ・・」  そう言うと二人は予定を変更して引き返し、再び車に乗った。

 祐樹は箕面森町の家へあれから何度か一人で行ってみた。 全てを処分するつもりでいたけれど、美雪と出会いひょっとして~ との思いがあり、車を処分した以外はそのままにしておいたのだ。 そして里中央駅から直通バスで25分程なので、庭に植える果樹の木や花、野菜の種などを持って行き少しづつ整えていた。 それはあのドイツからの帰りに十勝を訪れ、美雪の母親と三人で過ごした一週間の間に考えていた事だった。

  この箕面森町なら山々に囲まれた緑の中にあるし、十勝での生活環境が造れるかもしれない・・ 今まで一人で暮らしてきたお母さんもここなら一緒に生活できるかもしれないし・・ それに花壇や菜園を作り、お母さんの得意な料理にも生かしてもらえるし、何よりあの大切なミユキ犬がここなら存分に一緒に遊べる・・ このお正月に十勝へご挨拶に行ったときに二人に話してみよう・・

  「祐樹さんはなにをニコニコしているのかな・・?」 「いやいや 何でもありませんよ・・ 後二日で新しい年だね  新しい人生が始まると思うと嬉しくて幸せだな~ と思ってね」 「私もよ・・ 祐樹さんありがとう・・」

 少し涙ぐみながら美雪の運転する車はトコトコと<坊島>の入り口から箕面グリーンロード>に入った。 そして全長6.8kmのトンネルを8分程で走り抜けると下止々呂美>の出口に出た。

 「まあ~ 大阪でお正月前に珍しいわね・・ 見てみて真っ白よ! とってもきれいな雪だわ・・」

 祐樹は箕面の山々を装う美しい雪と、妻となる美雪の笑顔に魅入っていた。

(完)

 

 関連写真)

  ‘16-2月 撮る

鉢伏山の尾根道から見る 箕面森町(みのおしんまち)

            

         

          

 

           

         

 

箕面森町の風景

      

      

  

府道から高山への道

         

  

高山の村落から

           

          

 

高山から明ヶ田尾山への山道