箕面の森の小さな物語(NO-24)
*悠久の猪之助(1)
15歳になる猪之助が、たまたま同じ日に生まれた隣家の治兵衛と共に、大人になる儀式<元服>を村人から祝ってもらったのは、11月の寒い日のことだった。
村で二人はそれぞれに悪ガキの代表格だったが、仲はよかった。 共に尋常小学校をでると、各々の家業を手伝っていた。
猪之助の父親 甚平は、箕面北部に広がる止々呂美(とどろみ)の農産物、とりわビワ、ユズ、栗、椎茸、山椒や花、植木などを馬車に載せ、山越えをして箕面村や池田村まで運ぶ仕事をしていた。 甚平の若い頃は、まだ狭い山道を天秤担いで運んでいたので、それは大変な重労働だったが、今は馬車が通れるようになり、随分と助かっている。それに長男の猪之助が手伝ってくれるようになってからは随分と楽になっていた。
翌朝、この日もまだ夜が明けぬ頃から猪之助は、父親の指示のもと荷積み作業に追われていた。 ところが急に何かのはずみに、父親が目の前で腰を痛めて倒れた。 「おとう 大丈夫か?」 長年の荷担ぎから、持病の腰痛が悪化したようだった。 激痛にゆがむ父親の姿を見て、猪之助は これでは到底今日の運びは無理だと思った。 「今日はオレ一人で行って来るわ! 荷物待っとる人おるやろしな」
6歳下の弟 庄之助が兄と一緒に行く・・ と言いだしたが、母親に止められていた。 今まで猪之助一人で山越えしたこともあるので、父親も「それなら頼むけど、無理せんとな・・」と不安ながらも息子に任せ、自分は激痛の走る体を休める事にした。
猪之助は荷物を積み終えると・・ 「それに今日は本家でオレの祝い膳だしてくれる言うしな 絶対行かなな・・」 それは以前から心待ちしていた事だった。 今日は箕面村の桜(佐蔵)にある父方の本家で、猪之助の元服の祝いをしてくれることになっていたのだ。 それにもう一つ別の楽しみがあった。
「今日はそれにな 双葉山のラジオもあるしな・・」 唯一親戚でラジオのある本家で、年2回興行する大相撲大会の中継を聞く事だった。 この3年間、無敗の双葉山が、今日も連勝をかけて闘うのだ。
猪之助が双葉山を知ったのは、まだ小さかった頃、相撲好きの父親に連れられ、箕面小学校の土俵開きに連れて行ってもらい、その時に見たあの大きな立派な体格と優美な土俵入りに、子供ながら感激し、一気に大ファンになったのだった。 猪之助も、弟の庄之助の名前も、相撲好きの父親が好きな行司さんにちなんで付けたとのことだ。 それだけに年2回の相撲興行があるときは父親の手伝いをしながらみなが荷物を早く届け、その足で本家のラジオの前に座り、みんなでひいきの力士を応援するのが何よりの楽しみとなっていた。
「ほな 行ってくるわ 帰りは本家寄って相撲聞いて、ご馳走なってくるさかい 夜遅くか夜明けぐらいになるで・・」 そう言いながら猪之助は<がんどう>でまだ暗い夜道を照らしながら、夜明け前の止々呂美の村を愛馬アオと共に出発した。
山道を登り、高山の村落を抜け、高山道から長谷に下ってくる付近で一休みにした。 冬場は全く人影もないが、夏場このあたりは狭く、深い谷間で湿潤な所なだけに、周辺に無い動植物、昆虫類が多く生息していて、学者らには絶好の研究場所らしい・・
ふと見ると、山裾の「猪の箱罠」に今日も猪がかかったのか音がする・・ 猪之助は自分の名前に猪の名が付いている事もあり、毎年この時期が来ると、皆が楽しみにしている猪肉のボタン鍋に手がつけられなかった。 それで時々、 箱罠や囲い罠にかかった猪を逃がしてやったこともあった。
「今日は一人やし、また逃がしてやるか・・」 猪之助はそっと罠に近づくと・・ いつもと様子が違う? 「あれ?」みれば地面にワイヤーの輪を仕掛けた足くくり罠に、何やら小さなフワフワしたものの片足がかかり、必死にもがいている様子だ・・ 「お前はウリボーか?」 猪の子供ならよけいに罠から出してやらねば・・ 「しかし それにしてもお前は何でそんなにフワフワしてんねん?」
夜が明け始めたとはいえ、深い谷間の長谷ではまだ漆黒の闇の中でよく見えない・・ それでもやっと猪之助は罠からはずしてやった。 すると喜んだような仕草をすると・・ す~と飛んだ~ 「あれ? ウリボーとちゃうんかいな 何やあれは? あれれ・・?」 頭を捻っている間にフワフワはどこかへ飛んでいき、姿が見えなくなった。 「キツネかタヌキにだまされたんかも知れんな・・??」
猪之助は首を傾げながら、再びアオの手綱をとった。 その頃、長谷山と堂屋敷山の間に、大きな光が輝いていた事を猪之助は知らなかった。
政の坂から難所の急坂を登る・・ ここでは牛馬が力を入れねば上れず、必ず鞭を入れる。 すると力むのでいつもババを垂れる所なのだ(ババタレ坂) やがて朝陽が森を照らし始めると、やっと尾根道にでた。 そして下りとなり、いつもより少し遅れて平尾に着いた。
箕面村には初めて見る電車が通り、山裾には日本一と言う大きな動物園ができたり、駅前の金星塔の横の洋館にはカフェ・パウリスなんてモダンな店が出来てたりしていた。 ここで荷物の半分を降ろし、池田村へ向かった。
猪之助が荷物を運び終え、箕面・桜村の本家に着いたのは夕方だった。 その日 猪之助は本家の皆の大歓待を受け、元服の祝膳にご馳走をたらふく食べた・・ そして初めて人前で、公に酒を飲んだ。 止々呂美の村では、隣の同級生の治兵衛と時々お互いの蔵に入り、盗み酒をしていたので酒の味は分かっていたが、何しろ大人公認でおおっぴらに酒が飲めると思うと嬉しくてたまらず、ついつい調子に乗って出されるままにグイグイと飲み干していた。
しかし 今日は半分以上はヤケ酒になってしまった・・ と言うのも、あの大ファンで大横綱の双葉山が、まさかの前頭3枚目の新鋭・安芸の海に敗れ、70連勝がストップしてしまったのだ。 双葉山がすくい投げを放った瞬間、安芸の海の左からの外掛けが決め手となったようでラジオは大騒ぎで放送していた。 あの箕面小学校での目を見張る立派な双葉山の土俵入りを思い出し、猪之助は悔しくて悔しくて涙がボロボロと溢れ出していた。
猪之助はその晩 初めて酔いつぶれてしまった。 本家の離れで一人布団をかけられ眠っていたが、夜中に小用で起きるとやっと我に返った。 しばらく布団の中で悶々としていたが、外を見れば今夜は満月で明るい。 夜道は歩き慣れてるし・・ と、そっと本家を抜け出し、アオを連れて帰路についた。 昨夜のあの歓待とご馳走、そして双葉山の負けた悔しさ、それに大人になった喜びと酒の苦しさ・・ いろんな思いに身も心もフラフラとなりながら山道を上った。
やがて政の坂から高山道に入り、長谷に下った。 さすが ここに来ると、高い杉林やうっそうとした雑木林に満月の光りも届かず、真っ暗闇だ。 しかし 道は分かっているし、アオも慣れているので がんどう を照らしながらどんどんと進んだ。
すると突然 前方に大きな丸い玉がボンヤリと見えた。 「何やあれは? またキツネかタヌキか? こんどは懲らしめてやるぞ・・」 好奇心いっぱいの猪之助が近づくと、あの昨朝ウリボーかと思った時のフワフワの白い何かがいくつも見える・・ ??
(2)へつづく