箕面の森の小さな物語(NO-12)
*<夏の約束>(1)「親父と歩いた箕面の山道は今でもよく分からないな~? 山の麓から小道を上り、やっとの思いでたどり着いた所に大きな山池があった事を覚えているが・・ 帰りは違う山道を帰ってきたので余計に分からない・・」
冷たいビールを飲みながら大沢敏郎はしばし昔の思い出に浸っていた。 「あれからもう40年か・・・」と懐かしく回想を始めた。 箕面の山周辺も随分と変わったけど、敏郎にとってあの時の思い出は今も鮮明にしっかりと心に残っていた。
「親父は外国航路の一等航海士だった・・ 確か大型貨物船だったな・・ いつもは家にいないので、他の家もそんなものだと思っていたけど、ある日 友達の家に遊びに行って、お父さんが家にいてびっくりしたものだ・・ それ以来、お父さんは家にいるのもので、オレの家のほうが変っているんだ! と思うようになったが・・ 父が航海から帰ってくるときはすぐに分かった・・ 少し前から母がソワソワし始めて、それまで余りしない化粧を始め、家の中がどことなく綺麗になっていくのですぐに分かる・・ 勿論オレもうれしいし待ち遠しくなってくるのだが・・ そして、船が神戸の港に着くと二人で迎えに行った・・ 父はオレを見つけると、いつも真っ先に抱き上げて頬擦りをするので少し恥かしかったな・・ でも、嬉しかった。 それにいつも見たことのない母の笑顔が好きだったな・・」
「オレが小学校4年生の夏休みに、丁度父の船が神戸の港に入り、いつものように喜び勇んで母と共に迎えに行き、そしてまた父の胸に飛び込んだ オレは手紙で約束していたセミ捕りを楽しみにしていたのだ 早速 次の日、まだ寝ている父を無理やり起こし、母に二人分の弁当を作ってもらい、網とカゴを持って、父の手を引っ張るように山へ出かけたな・・ 母はいつも家の裏に広がる箕面の山へは、一人では行かせてくれなかったから、道はさっぱり分からなかった。 しかし、父は子供のころからよく遊んでいたようでとても詳しかった。 夏の暑い日ざしが照り付けていた・・ しかし、一歩山に入ると木蔭で涼しかったよな・・」 敏郎は少し酔いが回ると目を閉じ、あの日の思い出は再びゆっくりと思い出していた。
「父と手をつないで上っていた山道も、そのうちに狭くなってきてオレは父の前を歩くようになる・・ 急斜面では父が後からオレの尻を支えながら押してくれたので楽だったけど・・ あちこちでセミが鳴いていた。 父はあの鳴き声がミンミンと泣いているからミンミンゼミ・・ あっちの声はクマゼミ・・ ヒグラシの声も教えてもらった オレは父のそばを一歩も離れまいと、手をつないでもらう事が嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 いつもいつも友達は日曜日になると、お父さんと連れ立って遊んだり、野球をしたりしている姿が羨ましくて仕方がなかったから、それを一気にまとめて父に甘えたかったのだ 父の大きな手・・ それでオレの手を包むように握ってくれる事が嬉しかった。 そして、時々険しい岩の間を上ったりする時は背負ってくれた、その時の大きな父の背中・・ がっちりしてたくましい腕でオレを背負い、その安心感といったらなかったな・・」
敏郎は今にもその背中にいるような感覚で思い出していた。 「やがてセミを捕り、カブトムシを捕り、蝶々も捕ってカゴの中はいっぱいになった。 オレは父と採集に夢中になりながらも、学校の話や友達の話などをいっぱいしたし、父はウンウンとうなづきながらみんな聞いてくれていた。 そして父もまた、立ち寄った外国の話をいっぱいしてくれたな・・ 船で世界中を回っているので、その話にはオレの知らない世界がいっぱいあって、興味は尽きず目を輝かしていつまでも聞いていた。 やがて3時間も山の中歩き回ったのでお腹がすいたオレに・・ 父は「もう少しだ・・ がんばれ!」と言いながらひと登りすると、そこは大阪が一望できる尾根だった。(後で勝尾寺南山と教えてもらった)
家があんなに小さく見える・・ 広い! すごい すごい! と両手を広げて喜んだものだ・・ 父はここをオレに見せたかったんだな・・ と子供心にそう思った。 やっとお昼ご飯だ・・ 父と食べる、母の作ってくれた握り飯は最高に美味しかった。 父は遠くの山々を見渡しながら、嬉しそうにこんな夢をオレに話した。 「父ちゃんの夢はな~ お前が大きくなったら甲子園へ阪神の試合を見に行ってな・・ 帰りに焼き鳥屋で、お前と美味いビールを飲むことなんや・・ そんな時にお前とどんな話をするのか? 今から楽しみやわ・・」
オレはそんな事がなんで夢なんかな? と思って聞いていたけど、父が嬉しそうに話すので、そんな父の姿を見ていて嬉しかった。 「そして もう一つはな・・ 母さんに、静かな森の近くに二階建てのええ家を建ててやることや・・」 父は遠くを見ながらまた嬉しそうに話していた。 オレはその日家に帰って、楽しかった父との一日を何度となく繰り返し、頭の中で思い出しながら眠りについたもんだ・・」
「その年の夏休みのオレの自由研究は、父と採集した昆虫を標本にし 山の植物を分類して押し葉にして提出した。 先生に初めての優秀賞をもらい、それはいつまでも誇らしげにオレの机上を飾っていた。 あの日からあっという間に父の休暇が終わり、父はまた船に戻っていった。 一等航海士の父の制服は、改めて眺めると凛としていて格好良かった・・ そしてそれが最期に見た父の姿だった・・」
敏郎はいつものようにここで涙が止まらなくなるのだった。 空になったグラスに再びビールを注ぐと一気に飲み干した。
(2)へつづく