箕面の森の小さな物語(NO-18)
* <森で人生の一休み>(1)
「辞令! 浜崎 啓介 4月1日より大阪業務センター 第4業務室勤務を命じる」
3月下旬のこと、啓介は突然 箕面・船場にある本社の専務室に呼ばれた。 「何かあったのかな?」 当然、仕事上の指示かと思い専務室のドアをノックした。 入室するや否や突然に専務は激しい口調で啓介を罵り始めた。
「ちょっと待ってください! 一体何の話ですか?」 啓介の問いにも全く耳をかさず、一方的な叱責がしばらく続いた。 その内容は全くの濡れ衣で自分の担当外のこと、まして責任など論外の話だった。 「何かおかしい?」 考える暇もなく、専務は啓介に有無を言わせずおもむろにあの辞令が読み上げられたのだった。
「何かの間違いだ? 夢か?」 それは事実上の退職勧奨追い出し部屋行きのことだった。 「まさか? なんでこのオレが? そんなバカなことがあってたまるか」 啓介は心の中で怒り、叫びながら、呆然と専務室をでた。
啓介の勤務するレストランチャーン グッドスター社は同族会社で、創業者夫婦が会長、副会長、その長男がボンクラ社長、専務の娘婿が実質上の権限を持ち、次男が副社長、長女が常務、以下親族郎党が全ての役員を占めていたが、なぜか3男・三郎だけは冷遇されていて箕面業務センター勤務だった。 しかも いつも3男は役員らから叱責ばかりされて能無し扱いにされていたが、人一倍勉強熱心で謙虚、それに物腰も柔らかく誠実な人柄は、仕入先や社員から最も信頼されている不思議な存在だった。 啓介も15歳で入社した時から、時々声をかけられ気にかけてもらい、どれだけ励まされてきたか分からなかった。 それだけに専務室を呆然としながらでた啓介は、その事をその3男・三郎に相談しようと考えたが・・・やめた。 同族で実力者の専務の辞令をひっくり返す事など、到底不可能な事は分かっていた。
啓介は47歳になった。 箕面の中学校をでてすぐに、この外食産業の会社に入った。 そしてこの企業内学校にて仕事を覚えながら、通信制の高卒資格を得ていた。 啓介ら企業内学校で育った若い力は、その後の高度成長にのって全国各地の現場責任者や店長として活躍していた。 そしてバブル景気にも支えられ、正社員1500人、店のパート、アルバイトを含めると9000人を越える大きな会社に成長していた。
啓介の最初の勤務地は東京・六本木の東京研修センターに併設された地域一番店だった。 そこで食材の調達、調理、キッチンからホール、接客サービス、経理から店舗運営に至るまで、みっちり6年間働きながら学んだ。 そして22歳の春、渋谷に出来た新店の副店長となった。
その頃の事だ・・ ある日、賑やかな女性4人連れのお客様が来店され、啓介が席をご案内したときだった。 「あれ! もしかして・・?」「あっ 貴方は・・」と双方ピンとくるものがあった。
それは啓介が箕面の中学2年の時のことだった。 運動会で借り物競争があり、それは走ってランダムに紙切れをとり、そこに書かれている内容のものを借りてゴールを目指すというものだった。 「よーい ドン!」で啓介が取った紙には・・ (女性の手を借りてゴールすること・・)「まさか! 今日はオレのおかんは仕事で来てないし・・ どないしょ?」 ウロウロしていた時、目の前で友人らと笑い転げている女の子がいた。 この子なら頼めるかな? と思い、切羽詰って紙切れを見せて頼んだ。 「いいわよ!」と あっさり了解してくれ、手をつないで一緒にゴールした。 結果は2位だったが、それ以上に啓介は初めて女の子と手をつないで走ったことが嬉しくて恥ずかしくて顔を赤らめた。
あれから箕面のCDショップで偶然出会って立ち話をしたけど、どうやら隣町の中1の子で、あの日 従兄弟の運動会に遊びに来ていたとのことだった。 あれ以来の二人の出会いだった。 彼女は友達らと東京デズニーランドへ遊びに来ての帰りとのこと。 すっかり美しい女性になり、啓介の心を一瞬にして捉えてしまった。 啓介はみんなが食事を終えた後で、その子とメールを交換し、お互いに偶然の再会を喜んだ。
それから半年後、二人は遠距離恋愛を実らせスピード結婚したのだ。 啓介22歳、新妻の明美21歳 若い二人の幸せの秋だった。
あれからもう25年が経ち、二人は今年銀婚式を迎えていた。 長男は23歳となり、長女22歳、次女も今年で20歳となり、各々が仕事をもち、家を離れ自立したばかりだった。 今年からは夫婦二人暮らし・・ 少し寂しいながらも昔に戻ったような気分で生活を始めたところだった。
啓介は今まで自分の順調な仕事に誇りを持ち、自分の人生が豊かで幸せに満ちたものであることに満足していた。 それに今 取り組んでいるのは会社の次期主力店舗の業態開発であり、啓介が中心となってその大型企画を進めている最中だ。 「それなのになぜ? 何があったというのだ?」 あのリーマンショックや円高、株安、その他国内外の外的要因もあり、更には食の多様化、時代ニーズの変化、他業種からの参入などで既存の外食産業は厳しい経営に陥っているのは事実だ。 だからこそ我が社も起死回生を図らねば・・ と頑張ってやってきたのに・・ 啓介は半ば夢遊病者のようにフラつきながら家路についた。 しかし、妻には言えなかった。 自分でさえまだ信じられなかったからだが・・
4月1日 啓介は重い足を引きづりながら、箕面・船場の業務センター第4業務室の戸を開けた。 そこにはすでに10数人の社員がいたが、かつて先輩が言っていたように全員がうつろな目をし、手持ち無沙汰な様子でウロウロとしていた。 「なぜオレがここにいるんだ・・ なぜなんだ・・?」 啓介は怒りと絶望感で呟き続けた。
結局あれから二ヶ月足らずで啓介は会社を辞めざるを得なかった。 どう頑張ってみたところで、この部署で先を見通すことなど出来なかった。 「すぐに次の職場をみつけるさ~ それから妻に伝えても遅くはないし~」 啓介は自分にそう言い聞かせていた。
7年前、40歳になった時に、啓介は箕面・彩都の新しい街に3LDKのマンションを買っていた。 初めて手にする自分と家族の城に満足していた。 しかし、まだローンの返済はこれからだ。 あの頃は、定年前には無理なく完済できる予定だったのに・・ 「まあ 何とかなるさ~」 半分は不安ながらも、まだこの時は気楽に考えていた。
啓介は退職した次の日から、毎日ハローワークに通った。 求人誌も手当たり次第に見ては履歴書を書き、次々と応募した。 しかし、60余件ほど応募したが、面接にこぎつけたのはうち3件だけ。 それも3件とも数分で「うちでは難しいですね」とか、「ちょっと無理かな」 そして「不採用・・」と言われた。 啓介は焦った・・ 腹も立った。 「このやりきれなさは何なんだろう?」
それから更に一ヶ月ほど、同じような状態が繰り返された。 すぐに次の職を見つけるさ! との目論見はあえなく挫折し、余りにも厳しい現実の社会に打ちのめされた。 それまでのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。 「しかし・・ 何とかせねば・・」 毎朝、啓介は自分に鞭打ち、妻に見送られながら会社に行くふりをして定時に家を出ていた。
啓介が倒れたのは、その数日後だった。 いつもの通り二人で朝食後、出かける支度をして玄関に出た所で急に崩れるようにして倒れた。 明美がビックリして「すぐ救急車を・・」と言う言葉を制し 「ちょっと待ってくれ! 大丈夫だ! 少し休んだら出かける・・」と、ひとまずベットで横になった。
明美は最近夫の状態がおかしいと感じていたが、「ちょっと今忙しいからだ! 大丈夫だから・・」 と言う夫の言葉を信じ、何かあればちゃんと話してくれるだろう・・ とわざと平然と日常生活を過ごしていたのだが・・ 「何か会社であったのかしら・・?」
昼前、落ち着いたところで明美は嫌がる夫を連れ、近くの内科へ診てもらいに出かけた。 先生は症状、状態を診た後・・「すぐに今から紹介状を書きますから、別の先生に診てもらって下さい」と言われた。 「えっ 一体何なんだろうか 何かおかしいわ?」 明美は少しふらつく啓介を車に乗せると、紹介された箕面市内の心療内科へ向かった。
診察後、先生から・・ 「・・うつ病ですね 当面この薬を飲んで体を休ませてください しばらく仕事は休まれて安静にして過ごしてください・・ 何か変化があったらすぐに知らせてください・・」 明美はうつ病という名前は知っていても、いつも他人事だった。 「まさか主人が・・ なぜなんだろう? 何があったの?」 帰宅しすぐに貰った薬を飲んでベットに入った啓介は、それから二日ニ晩眠り続けた。 心配になった明美は、途中何度か起こして水を飲ませたり、トイレに立たせたりしたものの、啓介は昏々と眠り続けた。
三日目の朝、明美が起きる前に啓介はもう目を覚ましていた。 「ああ~ よお寝たな~ 腹へったわ・・」 啓介は妻の作る朝食を次々と食べながら、それまでの強固な防波堤が一気に崩れるかのように、たまり溜まった事実の山を妻へ話し始めた。 退職した事、ハローワークに通い応募した先から次々と断られた事、プライドも人間性も否定され辛かった事、あがいてもがいて苦しかった事、「もうオレはダメ人間や 社会では受け入れられないクズ人間なんや もう生きる望みも無くなってしまった・・」 そして、何度かビルの屋上を見上げていたり、電車の踏み切りで佇んでいたりしたこと・・ などを素直に妻に話した。
黙って全てを聞いていた明美は、涙をポロポロ流しながら静かに立ち上がると、座っている啓介をそっと抱きしめた。
(2) へつづく