みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*七日目の朝陽・キキの冒険(1)

2020-09-22 | 第16話(七日目の朝陽・キキの冒険)

箕面の森の小さな物語(NO-16)

 <七日目の朝陽・キキの冒険>(1)

 それまで母親に抱かれ乳を飲んでいた幼い娘猿キキは、少しキョロキョロしながら兄姉猿の後ろについて遊び始めた。

  残雪はあるものの初春の暖かい太陽が差し込む森の陽だまりで、30余匹の猿の群れが各々に穏やかな昼下がりを過ごしていた。 お互いに毛繕いをしている組、一匹空を見上げ所在なげにしている中年猿、体力を持て余しとにかく走り回っている若猿たち、何が気に入らないのか別の猿にちょっかいを出しては喧嘩をふっかけ追い回している怒り猿、そんなことはお構いなしにこの時とばかりせっせと愛の交わりをしている若い恋猿たちもいる・・

そんな中でひときわ大きなボス猿は3匹のメス猿に囲まれて毛繕いをさせながら大きなアクビをしている・・

その横でキキはつい先ほどまで母親に抱かれお乳を飲んでいた。 やがてキキは目の前で兄姉らが面白い遊びを始めたので、ソロソロと母親の元を離れ、その後ろにくっついていった・・

 しばらくして兄姉猿は数匹のヤンチャ猿らと合流し、申し合わせたかのようにどんどん森の中を走り出していた・・  キキも追いつこうと必死になって走る・・ そしてそれは母親の元を離れるキキの初冒険の始まりだった。

 やがて皆んなは箕面大滝の上の大日駐車場を見下ろせる岩場に着いた。

だいぶ遅れ、やっとの思いでキキも息を弾ませながら着いた。 皆んなは下の人間たちを見下ろしている・・ すると突然、ヤンチャ猿たちが落石防止の金網を伝って下へ向かって下り始めた・・ 兄姉猿も続いた・・

・・何をするのかな・・?

 キキは自分が下りられないのでそこに留まり、彼らを目で追っていた。 すると突然ヤンチャ猿の一匹が車の屋根に飛び降りたかと思うと、開いていた車の窓から手を入れ、子供が持っていた菓子袋をひったくると、そのまま下の川原へ逃げていった。 驚く子供の悲鳴、母親の叫び声、父親が大声で追い払う声が重なり、他の猿たちもそのまま一緒に川原へ逃げていった。

 菓子袋をぶんどったヤンチャ猿は、渓流の中の岩の上でそれを広げた。おすそ分けに預かろうと近づく他の猿を制し、一匹だけで美味しそうに食べている。 他の猿たちは今度は自分たちも取るぞ! と言わんばかりに再び川岸から路上の柵の上まで出てき、次の獲物を物色し始めた。その時だった・・

 バンバン ババババババババ バン  

けたたましい爆竹音が鳴り響いた。 ビックリした猿たちは慌てて山を駆け上がり、森の中へ走り去っていった。

 キキは皆んなの行動を上からビクビクしながら見ていたが、やがて初めて聞く大きな爆竹音にビックリし、その恐ろしさに震えて動けなくなっていた。 怖い!  みんな早く戻ってきてくれないかな~ お兄ちゃんたちどこへ行ったのかな?   キキはキョロキョロしながら見回していたが、逃げた彼らはもうすっかりと妹猿のキキの事など忘れてしまっていた。

(* 箕面大滝の上にある「杉の茶屋」の東隣に「箕面市野猿管理事務所」がある。 箕面市は近畿圏で唯一ニホンザルを「天然記念物」に指定し「箕面山猿保護管理委員会」によって箕面の野生猿の保護、管理をしているのだ。 時にはそんな悪さをし、人間に害を及ぼすようなヤンチャ猿らを懲らしめる作業もしなければならない。 しかし、その原因は人間側にもあった。 箕面ドライブウエイで見かける路上での餌やり行為だ。 車を止め野猿にお菓子や食べ物を与える心無い人が増え、時には大渋滞を起こしたり、そんな猿の餌の奪い合いで人間に怪我をさせたりといろいろ問題が発生していたのだ。 しかしそれは猿社会にもまた被害が出ていた。 人間の与える餌を得るため親猿に連れられた乳飲み子や幼い猿が路上に飛び出し車にはねられたりしていた。  そんな死んだ幼い猿の死が受け入れられないのか、何日も何ヶ月も干からびた亡骸を抱きながら過ごしている母猿もいた。 そこで箕面市は条例を作り、悪質な餌やり行為には罰金1万円を課すことにした。 そのPR活動の効果もあり、近年は徐々に改善されつつあるものの、猿のほうがまだあの美味しい味が忘れられず、たまにそんな行為をするのだった。 大阪府は何年も前から天上ヶ谷の山中で、毎日2回 全ての猿に行き渡る量の小麦を撒いて、係員が餌付け作業をしているのだ。 その成果もあり箕面の猿の群れは徐々にその周辺に根付くようにはなっているのだが・・)

 キキは一匹だけ取り残されてしまった。 幼い子猿にとって兄姉猿らの後ろについて来ただけなので何も分からず、心細くて不安で仕方なかった・・ キー  キー  キー 小さな声で呼んでみるけど何の応えもなかったし、 さりとて母親の元へ帰る道も分からなかった。  キキは長い間じっとしていたが、やがて兄姉らがそうしていたように落石防止の金網を一歩一歩づつ下り始めた・・

ブルン ブルン  ブルブルブル ・・

突然 下から大きな音がした・・ キキはあのビックリした爆竹の音かと一瞬パニックになり、その弾みで手を離してしまった・・ ドスン!

キキは何かの上に落ちた・・ すると間もなくすぐにそれは動き出した・・?  軽トラックの荷台にはダンボール箱が積んであり、キキはその上に落ちたのだった。 車は一匹の幼猿を乗せたまま箕面ドライブウエイを北の方角へ走り、箕面ビジターセンター前を過ぎ、茶長阪橋からグングン加速し、勝尾寺山門前を過ぎて勝尾寺園地の駐車場へ入ってとまった。 運転手は近くのトイレ舎へ走っていった。

  キキはドキドキしながら初めて乗る車に不安を覚えながら周りを見回していたが、車が止まり、目の前にはスギ、モミ、アスナロ、クヌギなどの雑木林の森が広がっているのが見えた。 キキは車の荷台からやっとの思いで下へ飛び降りると必死で森の中へ駆け込んだ。  少しホッとしたものの・・ 小さな声で キーキーキー と叫んでいた。  ここはどこ? お母さんは? 皆んなはどこ?  やがてあの軽トラックは何事も無かったかのように走り去って行った。

 キキは大きなホウノキの枯葉の中に身を埋め、不安と疲れでウトウトと眠り始めた・・ やがて太陽が沈み、空は急に暗くなり、いつしか森は真っ暗闇に包まれていった。  今まで温かい母親の胸の中で夜を過ごしていたのに・・ 寒さで目を覚ましたレイは、自分一匹だけの現実の状態に驚き再び今度は大声で キーキーキーキー と泣き叫び続けた・・ しかし 何も応えてはくれなかった。

  その頃キキの母猿は、いなくなった幼い我が子を必死に探し回っていた。 あの兄姉猿やヤンチャ猿も一緒になり、ボス猿に長老猿らと共に相当広い範囲まで探し回っていたが、キキはどこにもいなかった。 車に轢かれたんだろうか?  連れ去られたのか? どこかで肉食獣にやられたのか? あれこれと心配はつきない・・

  やがて小雪交じりの冷たい雨が降り始めた。 キキは真っ暗闇の森の中で一匹、何の生きる術も知恵もまだないまま、ただ木の根元の枯葉の中でまんじりともせずにじっとしていた。 初春とはいえ、森の中は冷たく寒い・・ 深々と更けていく森の中で、葉にあたる冷たい雨の音だけが静かな森に響き渡っていた。  そして 時々涙をいっぱいため、うめくような小さな声で母親を呼ぶキキの声が響いた・・  キー キー キー

(2)へ続く


七日目の朝陽・キキの冒険(2)

2020-09-22 | 第16話(七日目の朝陽・キキの冒険)
箕面の森の小さな物語
 
<七日目の朝陽・キキの冒険>(2)
 
ワン ワンワンワン ワン・・・

 突然 闇を振るわせる大きな吼え声が森に響いた。  キキはビックリして目を覚ますと、目の前に一匹の大きな犬が牙をむき出し、怖い顔をして吼えてる・・ キキは恐怖ですくみあがってしまった。  しかし 咄嗟に本能的に横の木に登り始めた。 猛り狂ったような犬は飛びかかってきたが、間一髪でキキは木の上に難を逃れた。 キキの顔は引きつり、恐怖で泣く事さえできなかった。 いつも守ってくれる母親もボス猿も誰も助けてくれない。  長い時間が過ぎ・・ やがて下で思い切り吼え続けていた大きな犬は、諦めたかのようにどこかへ去っていった。

(* 勝尾寺やその墓地周辺にはたまに病気にかかったり、手に負えなくなり飼えなくなった犬猫や動物を捨てに来る心ない人間がいる。 せめてもお寺や仏様の近くで成仏させてやろう・・ との思いかもしれないが、そもそも人間社会の中で餌を与えられ飼われてきた動物たちが、急にこの自然の森の中に放り出されても生き抜くことは難しい・・ そんな動物たちは野山を駆け巡り採食するシカやイノシシの群れや、他の肉食動物と競って餌を確保する事は至難のことなのだ。 まして森の動物たちと違って採食の術も知らないのだから、この森で生き延びるの厳しい事に違いない) 

可哀想なことをする人間たちだ。  キキは恐怖に怯え震えながら木の上で夜を過ごした。 同じ頃 キキの母親は心配で心がはち切れそうになりながら、まんじりともせず夜明けを迎えていた。

  二日目の朝が明けた。

太陽が顔をのぞかせ、森に明るい木漏れ陽が差し込んできた。 常緑樹林の葉に昨夜の雨粒が残り、太陽に反射してキラキラと輝いている。 キキは恐る恐る木を下りるとトコトコと東の<箕面・郷土の森>へ入っていった。

(* ここは明治100年を記念して45年ほど前、全国の都道府県から贈られた木々が植えられ大きな森となっている。)

 山形のサクランボ、茨城のウメ、徳島のヤマモモ、香川のオリーブ、大分の豊後ウメなど実のなる木もあるものの、今は冬場で食べられる実りはなかったし、キキはまだ食べられる枯れ実さえも知らなかった。 途中 キキは小さな流れを見つけ初めて岩清水を口にした。 母親の乳房からいつも朝食をとっていたのに、今は自分で何か食べ物を探さねばならなかった・・ お腹がすいたよ・・ キー キー  食べ物をどうやって探したらいいのか分からない・・ しかし 母親が確かそうしていたことを思い出し、近くのアオキの葉を口にし、その少し硬い葉をよく噛んで食べたり、足元の虫をつまんで口に入れたりして飢えをしのいだ。

キキは森の中をあてどもなく歩いた・・ 隆三世道からいつしか証如峰(604.2m)の森に出ていた。 途中 シカやイノシシ、それに肉食獣のテン、イタチ、キツネたちを見たがみんな寝ていた。 リスやモリネズミ、タヌキなどとも出会った。 キキは一匹 寂しくて、悲しくて、怖くて涙にくれながら歩き続けた。 そして いつしか二日目の夕闇が迫ってきた。

 今夜の空はきれいに晴れ上がり、満月が顔をだすと森の中にも明るい月明かりが差し込んできた。 静かで穏やかな夜・・ 時折りミミズクが ホーホーホー と鳴いている。 レイは疲れ果て、枯葉の上で涙にくれながら倒れるように眠っていた。 夜が更けた頃・・ 

ダダ ダダダダダダ・・・

 突然 地響きを震わせる大きな音にキキはビックリして飛び起きた。 見ると横を大きなイノシシの群れが、その大きく太く硬い鼻先で土を掘り返しながら餌のミミズなどを探していた。 やがてその内の一頭がキキを見つけた・・ そしてその大きな鼻先に牙をむき出してキキに近づいてきた・・ キキは恐怖におののきながら大声で キーキー キー と叫び声を挙げた。 そしてイノシシがレイの顔に触れたときだった・・ ドスン・・! そのイノシシに体当たりしたものがあった。 不意をつかれたイノシシは慌ててキビを返して逃げ去っていった。

 ・・よく見ればまだ幼いメス猿が恐怖に震えている・・ なぜこんな所に一匹で・・? ミケンに深い傷をもつ老猿は、いぶかしげにそんな幼猿を見ていた。 キキはいつも群れと一緒にいる同類の猿に出会い、やっと安心した顔をみせた。

  老猿は、かつて80匹近い猿の群れを束ねた箕面の森の強大な力をもつボス猿ゴンタだったのだが、ある日 血気盛んな三番猿とその力に従う若猿たちが組んだクーデターによってその権力の座を追われたのだった。 かつて権勢を振るっていた頃には沢山の子孫も残していた。 ゴンタはその激しい戦闘に敗れ、ボスの座を明け渡して以来群れを離れ、一匹 北の森で余生を送っていたのだった。

 猿の群れは体が大きく腕力の強いものがオス、メス問わず第一ボスの座を力でつかむのだ。 第二、第三と強い順に序列が決まり厳然たる権力階級の社会となっている。 その権力闘争は常にあり、その順位の入れ替えも常なのだ。 第一ボスの座についたからといって安泰とはしておれないし、第二ボスが次の第一ボスになれるとは限らない。 但し、幼い猿や子猿はそんな力関係とは別に、みんなからほぼ平等に優遇される世界なのだ。  

 ボス猿は群れ全体を統率し行動せねば、すぐに群れの信頼を失ってしまう。 右に喧嘩があればいって仲裁に入り、左に敵が近づけば危険を冒してでも戦ってこれを撃退しなければならない。 オス猿と違いメス猿はその一生を生まれた森の中で過ごす事が多い。 更に母猿とメス猿はしっかりと集まり、家系ごと血縁にもとづく集団が決まっている母系社会なのだ。 そして族社会の姉妹間では末娘が母に次いで上位となり、長女が最下位となる末子優位の法則があるので、キキは幼いながら母親の次の地位にあるのだった。

 メス猿は自分が生き延び、幼猿らに授乳し育てるためにも十分に食べなければならない。 それだけに妊娠したり幼い猿を連れて長時間森の中で採食活動をすることはできない。 それには他の肉食動物に捕食されないように土地勘のある生まれ育った森が安全だからとの定住法則があるようだ。 猿の世界は母子社会でメスが完璧な血縁で固まり定住するのに対し、オスはほぼ全員が外部からの移入猿である。オス猿は5-9歳位の若者期になると生まれ育った群れを離れ、やがて別の群れに入り込むのだ。 

 オスはメスを確保しなければ子孫を残せないが、生まれ育った森は血縁が濃く、同じ群れでは近親交配が遺伝的に不利と知っている自然界の法則のようだ。 自分の子猿を扶養する義務のないオス猿は、自分だけの食べ物があれば生きていけるので他の群れを目指すのだ。)

 この元ボス猿ゴンタもそうやって若い頃 箕面の森にやってきたのだった。 老猿はこの幼いメス猿が一匹だけで、このままこの森の中で生きていくことは不可能だと分かっていた。 早く森の群れに戻してやらねばならない・・

 三日目の朝が明けた・・・

 ゴンタは朝一番、自分の胸元で眠っているキキを残し採食に出かけた。 今朝は高木に登り、いつもより木の実を沢山口に含んでいた。 そして次の木の枝に移ろうとジャンプしたときだった・・ ボキ! 鈍い音がして飛び移った枝が折れた。 いつもなら素早く難なく別の枝に移るのだが・・ 前夜キキを助けるために思いっきりイノシシに体当たりして、両腕を痛めていたので力が入らなかった・・ ドス~ン!

 ゴンタは鈍い音をたて地面にたたきつけられた・・ しかも運悪く、落ちたところはとがった岩場の上で、ゴンタはしたたか頭と背中を強打し動けなくなった。 GFはその痛みに耐えながらしばしじっと堪えていたが、あの幼猿を何としても母親のもとへ帰してやらねば・・ とやっとの思いで起き上がった。 

 ゴンタはここで死ぬわけには行かなかったので這うようにしてキキのもとへ戻った。 目を覚ましていたキキは不安そうにしていたが、老猿の姿を見ると喜んで飛びついた・・ しかし ゴンタの体は全身血まみれになっていた・・

(3)へつづく


七日目の朝陽・キキの冒険(3)

2020-09-22 | 第16話(七日目の朝陽・キキの冒険)
箕面の森の小さな物語
 
<七日目の朝陽・キキの冒険>(3)

  老猿はしばらく横になっていたが、意を決意したかのように起き上がるとキキを促し、それまで自分がテリトリーとしていた森の中へ連れて行った。 やがてふらつきながらも、キキに森の中で生きる術をゆっくりと教え始めた。

 冬場の採食は高木に木の実もあるが、今は登れないので地上に落ちているブナやシイ、カヤの種実を教え、冬芽、樹皮、常緑樹の葉類、植物の枯実、昆虫類などを探しながら自分の行動を通して幼猿に一つ一つ採食の術をゆっくり丁寧に教えていった。 もし自分がここで死んでも、食べる事さえできれば生き延びられる・・・との思いからだった。

   (* 猿は仲間と共同で狩りをしなければ食べ物が賄えない肉食獣と違い、自分で採食の術さえ知れば一匹でも生きていけるからだった)

 四日目の朝を迎えた・・・

 ゴンタは痛みと高熱にうなされていたが・・ 何とか立ち上がるとキキを連れ再び森に向かった。 今日は他の攻撃動物から身を守る方法や寝る場所の条件などさまざまな森の掟や生きる術など知恵を授けた。 その鬼気迫る老猿の教えに、キキは自分が味わった恐怖と空腹の体験からまるで乾いたスポンジが水を一気に吸収するかのように体全体で覚えていった。 そしてそれらの教えは五日目も続き、その夜ゴンタはとうとう意識を失った。

 が明けた・・・

 ゴンタはもうろうとする意識の中で目を覚ました。 幼猿が自分の胸元に顔をうずめ静かに眠っている姿をじ~と見つめた。 自分の死期が迫っている事は分かっていた。  老猿は再び決意したかのように起き上がるとキキを起こし、ゆっくりと歩き始めた。

 やがて最勝ケ峰から尾根道を下り清水谷へ向かった・・ 時々休みながら痛みで意識がもうろうとする中、キキを引き寄せ再び森の掟、採食、攻撃の回避、森での生き方などを繰り返し、身をもって教えた。 ゴンタはこれが最後の見納め・・ と周辺の山々や森を振り返った。  かつて自分が支配した懐かしいあの場所、この場所を最後に目に焼き付けるかのように・・ やがて箕面川に下り、川原で水を飲んだ後 長谷山に入ったところで老猿は再び気を失った・・

 小雪が舞い始めた・・ 深々と更けゆく森の一角で、幼猿はこの夜も意識のない老猿の胸元で眠っていた。 深夜、ゴンタはうっすらと目を開きかすかに意識を取り戻した。 しかし その死期は後わずかに迫っていた。 今夜も幼猿はあどけない顔をし、自分の胸元に顔をうずめ眠っている。 この子を何とかして群れの母親の元へ帰してやらねばならない・・ 元ボス猿は、かつてのその強靭な精神力と責任感、そして使命感をもって最後の命の灯をかがやかせた。 ゴンタは眠っているキキを起こし、真っ暗闇の森の中を歩き始めた。 そしてやっとの思いで天上ケ岳にたどり着いた。

(* ここには瀧安寺・奥の院で<役行者>昇天の地とされ、今から1315年前の大宝元年に入寂したというその石碑と山伏姿の銅像が建っている)

 東の空がほんのりうっすらと明るくなった。 老猿はその役行者に最後の力を与えて欲しいと祈るような仕草をすると立ち上がり、谷間に向かって大きく目を開き、全精力を集中して・・

キー と 森に響き渡る大声で一言叫ぶと、崩れるように倒れていった。 キキはそのただならぬ老猿の姿に キーキーキー と泣き叫んだ。

  その頃、この夜もまんじりともせず幼い末娘を案じていた母猿が、そのかすかな叫び声を耳にした。 そしてそれは群れを率いるボス猿の耳をもピクリとさせた。 とっさに飛 び起きると、二匹は天上ケ谷の谷間からその叫び声の方へ向け懸命に走った・・ キー キー  キー キー

 母猿は真っ先に末娘レイの泣き叫ぶ声を見逃さなかった。

 キー キー  キー キー

 キキはまたあの懐かしい母親の叫び声を遠くに聞いて叫び続けた。 その声は小さいながら森に響き渡った。

・・ いた・・!  夢にまで見たお母さんが今 目の前にいる・・ キキは思いっきり母親の胸に飛び込んでいった。 キキは懐かしい母親の匂いをかぎながら、それまでの恐怖から思いっきり涙を流して泣いた。

 母と子が再開を果たし抱き合っている間に、後から群れの猿たちが次々と追いついてきた。 その母と子の横には大きな老猿が一匹倒れ息絶えていた。 群れのボス猿はその見覚えのあるミケンに大きな傷跡が残る老猿を見て一瞬驚いた・・ かつてボスの座をかけ自分と戦った前のボス猿だった。

 しかし キキの母猿のほうがもっとビックリした顔をしていた。 あのミケンに傷を持つ老猿は・・ まさか?  それは母猿がまだ幼猿だった頃、一匹 陽だまりで遊んでいるときだった。 他の山から流れてきた数匹のケンカ猿が自分を襲ってきた・・ その時に群れのボスだった父親がそれを発見し、彼らと戦い撃退してくれた。 しかしその時の激しい戦いで、ボスはミケンに大きな傷を負ったのだった。 母猿は当時を思い起こし涙ぐんだ。

  やがて母猿はキキの手をとると、静かに横たわる老猿の前にひれ伏し最愛の幼娘を助け導き、ここまで連れて帰ってくれた父親に心からの感謝を捧げた・・ そしてキキの手をとると、その額の傷跡に一緒に手を置きながら・・ おじいちゃん ありがとう・・

 箕面の森にひときわ輝く初春の朝陽が差し込んできた・・

そして 七日目の朝 が静かに明けた。

(完)