箕面の森の小さな物語(NO-16)
* <七日目の朝陽・キキの冒険>(1)
それまで母親に抱かれ乳を飲んでいた幼い娘猿キキは、少しキョロキョロしながら兄姉猿の後ろについて遊び始めた。
残雪はあるものの初春の暖かい太陽が差し込む森の陽だまりで、30余匹の猿の群れが各々に穏やかな昼下がりを過ごしていた。 お互いに毛繕いをしている組、一匹空を見上げ所在なげにしている中年猿、体力を持て余しとにかく走り回っている若猿たち、何が気に入らないのか別の猿にちょっかいを出しては喧嘩をふっかけ追い回している怒り猿、そんなことはお構いなしにこの時とばかりせっせと愛の交わりをしている若い恋猿たちもいる・・
そんな中でひときわ大きなボス猿は3匹のメス猿に囲まれて毛繕いをさせながら大きなアクビをしている・・
その横でキキはつい先ほどまで母親に抱かれお乳を飲んでいた。 やがてキキは目の前で兄姉らが面白い遊びを始めたので、ソロソロと母親の元を離れ、その後ろにくっついていった・・
しばらくして兄姉猿は数匹のヤンチャ猿らと合流し、申し合わせたかのようにどんどん森の中を走り出していた・・ キキも追いつこうと必死になって走る・・ そしてそれは母親の元を離れるキキの初冒険の始まりだった。
やがて皆んなは箕面大滝の上の大日駐車場を見下ろせる岩場に着いた。
だいぶ遅れ、やっとの思いでキキも息を弾ませながら着いた。 皆んなは下の人間たちを見下ろしている・・ すると突然、ヤンチャ猿たちが落石防止の金網を伝って下へ向かって下り始めた・・ 兄姉猿も続いた・・
・・何をするのかな・・?
キキは自分が下りられないのでそこに留まり、彼らを目で追っていた。 すると突然ヤンチャ猿の一匹が車の屋根に飛び降りたかと思うと、開いていた車の窓から手を入れ、子供が持っていた菓子袋をひったくると、そのまま下の川原へ逃げていった。 驚く子供の悲鳴、母親の叫び声、父親が大声で追い払う声が重なり、他の猿たちもそのまま一緒に川原へ逃げていった。
菓子袋をぶんどったヤンチャ猿は、渓流の中の岩の上でそれを広げた。おすそ分けに預かろうと近づく他の猿を制し、一匹だけで美味しそうに食べている。 他の猿たちは今度は自分たちも取るぞ! と言わんばかりに再び川岸から路上の柵の上まで出てき、次の獲物を物色し始めた。その時だった・・
バンバン ババババババババ バン
けたたましい爆竹音が鳴り響いた。 ビックリした猿たちは慌てて山を駆け上がり、森の中へ走り去っていった。
キキは皆んなの行動を上からビクビクしながら見ていたが、やがて初めて聞く大きな爆竹音にビックリし、その恐ろしさに震えて動けなくなっていた。 怖い! みんな早く戻ってきてくれないかな~ お兄ちゃんたちどこへ行ったのかな? キキはキョロキョロしながら見回していたが、逃げた彼らはもうすっかりと妹猿のキキの事など忘れてしまっていた。
(* 箕面大滝の上にある「杉の茶屋」の東隣に「箕面市野猿管理事務所」がある。 箕面市は近畿圏で唯一ニホンザルを「天然記念物」に指定し「箕面山猿保護管理委員会」によって箕面の野生猿の保護、管理をしているのだ。 時にはそんな悪さをし、人間に害を及ぼすようなヤンチャ猿らを懲らしめる作業もしなければならない。 しかし、その原因は人間側にもあった。 箕面ドライブウエイで見かける路上での餌やり行為だ。 車を止め野猿にお菓子や食べ物を与える心無い人が増え、時には大渋滞を起こしたり、そんな猿の餌の奪い合いで人間に怪我をさせたりといろいろ問題が発生していたのだ。 しかしそれは猿社会にもまた被害が出ていた。 人間の与える餌を得るため親猿に連れられた乳飲み子や幼い猿が路上に飛び出し車にはねられたりしていた。 そんな死んだ幼い猿の死が受け入れられないのか、何日も何ヶ月も干からびた亡骸を抱きながら過ごしている母猿もいた。 そこで箕面市は条例を作り、悪質な餌やり行為には罰金1万円を課すことにした。 そのPR活動の効果もあり、近年は徐々に改善されつつあるものの、猿のほうがまだあの美味しい味が忘れられず、たまにそんな行為をするのだった。 大阪府は何年も前から天上ヶ谷の山中で、毎日2回 全ての猿に行き渡る量の小麦を撒いて、係員が餌付け作業をしているのだ。 その成果もあり箕面の猿の群れは徐々にその周辺に根付くようにはなっているのだが・・)
キキは一匹だけ取り残されてしまった。 幼い子猿にとって兄姉猿らの後ろについて来ただけなので何も分からず、心細くて不安で仕方なかった・・ キー キー キー 小さな声で呼んでみるけど何の応えもなかったし、 さりとて母親の元へ帰る道も分からなかった。 キキは長い間じっとしていたが、やがて兄姉らがそうしていたように落石防止の金網を一歩一歩づつ下り始めた・・
ブルン ブルン ブルブルブル ・・
突然 下から大きな音がした・・ キキはあのビックリした爆竹の音かと一瞬パニックになり、その弾みで手を離してしまった・・ ドスン!
キキは何かの上に落ちた・・ すると間もなくすぐにそれは動き出した・・? 軽トラックの荷台にはダンボール箱が積んであり、キキはその上に落ちたのだった。 車は一匹の幼猿を乗せたまま箕面ドライブウエイを北の方角へ走り、箕面ビジターセンター前を過ぎ、茶長阪橋からグングン加速し、勝尾寺山門前を過ぎて勝尾寺園地の駐車場へ入ってとまった。 運転手は近くのトイレ舎へ走っていった。
キキはドキドキしながら初めて乗る車に不安を覚えながら周りを見回していたが、車が止まり、目の前にはスギ、モミ、アスナロ、クヌギなどの雑木林の森が広がっているのが見えた。 キキは車の荷台からやっとの思いで下へ飛び降りると必死で森の中へ駆け込んだ。 少しホッとしたものの・・ 小さな声で キーキーキー と叫んでいた。 ここはどこ? お母さんは? 皆んなはどこ? やがてあの軽トラックは何事も無かったかのように走り去って行った。
キキは大きなホウノキの枯葉の中に身を埋め、不安と疲れでウトウトと眠り始めた・・ やがて太陽が沈み、空は急に暗くなり、いつしか森は真っ暗闇に包まれていった。 今まで温かい母親の胸の中で夜を過ごしていたのに・・ 寒さで目を覚ましたレイは、自分一匹だけの現実の状態に驚き再び今度は大声で キーキーキーキー と泣き叫び続けた・・ しかし 何も応えてはくれなかった。
その頃キキの母猿は、いなくなった幼い我が子を必死に探し回っていた。 あの兄姉猿やヤンチャ猿も一緒になり、ボス猿に長老猿らと共に相当広い範囲まで探し回っていたが、キキはどこにもいなかった。 車に轢かれたんだろうか? 連れ去られたのか? どこかで肉食獣にやられたのか? あれこれと心配はつきない・・
やがて小雪交じりの冷たい雨が降り始めた。 キキは真っ暗闇の森の中で一匹、何の生きる術も知恵もまだないまま、ただ木の根元の枯葉の中でまんじりともせずにじっとしていた。 初春とはいえ、森の中は冷たく寒い・・ 深々と更けていく森の中で、葉にあたる冷たい雨の音だけが静かな森に響き渡っていた。 そして 時々涙をいっぱいため、うめくような小さな声で母親を呼ぶキキの声が響いた・・ キー キー キー
(2)へ続く