みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

箕面のブルーグラス懐古店(1)

2021-08-16 | 第19話(箕面のブルーグラス懐古店)

(再掲・回顧)箕面の森の小さな物語(NOー19)

 

<ブルーグラス懐古店>(1) 

 

 そぼ降る小雨の中、箕面・桜井駅近くの路地を入った所にその店はあった。

 蔦の絡まるレンガ造りの古い館だ。 玄関口には年代物のカントリーランプが灯り、その下には鉄製のアーリーアメリカンタイプの傘立てが置かれていた・・ やっと見つけたよ・・ こんな所にあったのか・・

  有田 豊彦はもう小一時間ほど周辺をウロウロと探し回っていたので正直ホッとした。 「近くに朝から晩までブルーグラス音楽だけをかけているという小さな喫茶店がある・・」と小耳に挟んでいた。 「今日は雨だし、ちょっと探しに出かけてみるか・・」と 豊彦は傘をさして家から歩いてきたのだった。

  箕面自由学園の校門前を通りかかると、チェアーリーデイング部が<7年連続 日本一>になったとかで、その大きな大横幕が雨に濡れながらはためいていた。 それに今朝の新聞には地元 府立箕面高校ダンス部 何やらアメリカでの世界大会に優勝したとか書いてあったな・・ と少しわけもなく元気を貰ったような気がしていたが、初めての店探しには少々疲れた。

  豊彦は口ヒゲについた雨滴を右手で拭いた・・ ヒゲは退職後、中近東へ旅行に行く前に、息子から「日本人は幼顔だからヒゲでも生やして行けよ」と言われ伸ばして出かけたものの、帰国後も元来の無精者でそのままにしているだけだった。

  カントリースタイルの木の扉を開け、豊彦はそっと伺うように店に入った。 いきなり軽快なパンジョーのリズムが聞こえてくる・・ うん Rocky  top    かな? 「いらっしゃい!」 カウンターの中からアゴヒゲを生やし、カーボーイハットをかぶっマスターらしき人が声をかけた。 客は一人・・ カウンター前に小柄でメガネをかけた同年輩の男が一人いるだけだった。

  彦は二つしかない四人掛けのテーブルに腰を下ろし、店内を見渡した。 10数坪の狭い店内だが、壁から天井までカントリースタイルのポスターや歌手の写真が所狭しと貼ってある。 そして所々にブルーグラスを奏でる楽器が置かれている。 五弦バンジョー、フラットマンドリン、ヴァイオリン(フィドル)、リゾネットギター(ドブロ)、ウッドベース、などなど・・

 「レーコー 一つ!」「はい!」 梅雨の季節に入り、少し蒸し蒸ししていて暑い日だ・・ 豊彦はこの場所を探し回って汗ばんでいた体を冷やすため、出された冷たいコーヒーを一気に飲み干しノドを潤した。 東京じゃレーコー では全く通じなかったな・・ アイスコーヒーと言うまで「何ですか それは?」って何度も聞かれた事を思い出してクスッと笑った。 マスターはカウンター客と何やら昔話しをしているらしい・・ アップテンポの曲が次々と流れ、豊彦は体が勝手に動きだすかのようにそのリズムに酔った・・ 久しぶりにワクワクする気分に浸っていた。

 「お客さん よかったらこっちへ来て座りませんか」 突然 マスターが声を掛けてきた。 豊彦は言われるままに腰を上げ、カウンター席に移った。 「ようこそ! ここは初めてのお客さんですね  私はマスターのビルです こちらは私の友人のマサさんです」 「ボクは有田です どうぞよろしく!」「有田さんはブルーグラスがお好きなんですか?」 カウンターに並んだお客のマサさんが、親しげに話しかけてきた。 どこかで見たような顔をしている・・「ええ まあ・・ と言ってもまだ3年ほど前からの事でして・・」「そうなんですか どんなきっかけだったんですか?」「それが・・」と、豊彦は訪ねられるままにそのきっかけを話し始めた。

 「いつもの山歩きの帰り道、箕面駅前の商店街を歩いていると・・ 街頭スピーカーからいつも流れている音楽に うん? と立ち止まりましてね  どこかで聞いたような懐かしい曲? それが ふっと思い出しましてね  もう50年も前の昔々の古い話しなんですが、若き学生時代に一回だけ聞いたことのあるメロデーで、それが印象的でずっと心に残っていたんですよ  でもそれっきりでどこの誰のどんなジャンルの曲かさえ分からないままでした それをその時に急に思い出したんですよ あの時の歌だ! ってね 後で知ったんですがね  その商店街ではいつも地元のFM局の番組を流しているとのこと・・ それで<みのおFM・タッキー816局と言うのを知りました でも何で七面鳥なのかと思っていたら、箕面の瀧のタッキーかも? と言われましたよ・・」

 二人とも笑って豊彦の話を聞いている。 「それで駅前の観光案内所に置いてあった<みのおFM>の番組表をもらって見て見ると、これが毎日やっているブルーグラスという音楽番組だと知りました  それで早速 翌朝から聞くようになり、特にDJの藤井 崇志さんの番組は素人の私にも分かりやすく、もうすぐファンになりましたよ」 と一気にいきさつを話した。

 「藤井さんは何人もの世界的ブルーグラスアーチストを日本に招聘された方で、ご自分でも演奏されるし、それは詳しい方ですよ」とマスターが言う。 「それに 日本広しと言えども、毎日ブルーグラス音楽を流しているFM局はこの<みのおFM>しかないよね 」とマサさんが言う。 「ああ ここに今年の番組表があるよ・・ 何年か前よりこれでも3割以上時間が減ったようだけどね・・

    <みのおFM・タッキー816局>

     ・ ブルーグラス ランブル

       (月)~(金) 毎朝 6時~ 55分間

       (土) (日)    6時~ 116分間

 

     ・ ブルーグラス タイム (DJ 藤井 崇志)

        (土) 10時30分~ 30分間

            19時   ~ 30分間

        (日) 18時30分 ~ 30分間

 

 「ところでその50年前に聞いたという曲は何ていうんです?」「それは学生バンドが面白く歌っていた ”ヨーカンいかがです!” 「ハハハ  ハハハ よく分かりますよ  私も好きですよ ところでそれをどこで最初に耳にされたんですか?」 とマスターが問う。

 豊彦は再び昔話しを続けた。 「あれは確か、新入生歓迎音楽会とかで、いろんな大学の新入生が集まり、中ノ島の中央公会堂で開かれた時の事だと思います」 「ああ そう言えばオレ達も行ったような・・?」とマサさんがマスターに言うと、マスターの思い出すかのように頷いている。 「ところで有田さんは何年生まれですか?」「私は1945年です」「ああ 私らと同じ年代ですね 実はブルーグラスも同じ1945年にケンタッキーで生まれた音楽でしてね・・ 日本では1960年代からはやったんで、ちょうど私らの学生時代にあったんですね」 マスターが話を続ける・・

「元々はね アメリカのケンタッキー テネシー ノースキャロライナやバージニアなどのいわゆるアパラチア地方に入植したアイルランド系、スコットランド系移民の伝承音楽をベースにしたものなんですよ それを1945年にビルモンローがブルーグラスボーイズを結成し、アール&スクラッグズなどが加わって発展してきたアコーステック音楽のジャンルなんですよ」 「そう言われてもボクにはよく分からないんですがね・・」と豊彦は頭をかいた。

 「ブルーグラスとはビルモンローの故郷の地名にちなんで付けられた名で ブルーグラススタイルの音楽をそう呼ぶようになったんです 日本では箱根や滋賀で毎年大きなイベントもありますよ この近くだと<宝塚ブルーグラス フェステイバル>が1972年から毎年8月の第一土曜を含む週末に、宝塚近郊の山の中で開かれているので、一度行ってみて下さい すごい熱気ですよ これはアメリカ・インデイアナ州で1967年以来続いている<ビルモンロー記念ビーン・ブロッサム ブルーグラスフェステイバル>に次いで、世界で2番目に古い歴史をもっているんですよ 私もこれらの大会にはいつも参加して演奏していますから、是非一度いらしてください・・」

  豊彦はマスターのそんな話を心弾ませながら聞いていたが・・ 「そう言えば先日・・ 5月18日だったか いつもの山歩きからの帰りに箕面の教学の森のキャンプ場に下りてきたら、森の中から懐かしいメロデーが聞こえてきたんですよ それでどこかと探してみると、野外活動センターの館に沢山の人たちがいてビックリで・・ 入り口に<稲葉 和裕ブルーグラスキャンプ>と看板があって、多くのプレーヤーもいて大いに盛り上がっていました」

「ああ あそこに私もいたんですよ  偶然ですね! 夜はみんな隣接する一泊600円とかの森のコテージに集まってね 遅くまで仲間と楽しみました・・ 来年はご一緒にいかがです?」

  外は雨が本降りとなり、窓辺の木々の葉を激しく打ち始めた。 こんな日は、好きな音楽に浸りながら、初めて出会う人ながら、趣味や感性の合う人たちとお喋りできることが、何より至福のひと時だ。 そしてその時はまだ、さらに大きな至福のひと時が待っているとは想像がつかなかった。

 

(2)へ続く


箕面のブルーグラス懐古店(2)

2021-08-16 | 第19話(箕面のブルーグラス懐古店)

箕面の森の小さな物語

<ブルーグラス懐古店>(2)

  外は相変わらず雨が降り続いている・・ 豊彦はエスプレッソを一杯追加注文しつつ、もう少しこの店で浸っていたかった。 「ボクは学生の頃、ザ・ナターシャセブンの高石ともや や 諸口あきらのコンサートなんかよく行きましたよ」「懐かしい名前だね・・ 彼らも一時ブルーグラスをやってましたよ」とマスターが言う。 

  するとマサさんが続けた・・ 「あの頃、アメリカの音楽は何でも新鮮だったよね 自由の香りがしたり、未来が開けるように希望に満ち溢れていた感じだったよ フォークソングもブームだったしな・・ オレはPPMやジョーンバエズなんかよく聴いたり歌ったな~ 日本じゃ森山 良子なんかがデビューした頃だな・・ それに梅田やなんばの歌声喫茶なんかで、みんなでよく合唱したな~ まだ若かった浜村 淳なんかもいたわ・・ 学生運動も盛んで、オレはたまにデモなんか参加して発散したり、あの頃 世界一周無銭旅行なんかはやってて、オレも友達と計画したもんだわ・・」 マスターも豊彦も同じだ! とうなずいた。

  マスターが続けた・・ 「私なんか田舎から大阪へ出てきて、最初は見るもの聴くもの 全てが感激と感動で珍しく大変でしたよ ハハハ しかし 一年もするとあれほど嫌だった牧歌的な故郷が恋しくなってきてね・・ 郷愁というかね その頃 夢見るアメリカの広大な田舎の風景や音楽に憧れてね・・ そのカントリーソングのリズム感にはまったもんですよ」 「マスターは女の子追いかけてアメリカまで行ってしまったんだからね」とマサさんが付け加えた。

 「ハハハ ハハハ あれは私の人生の転換点だったな 日本に留学していたアメリカの女の子に一目ぼれしてね・・ その彼女が帰国するって言うんで、そのままついて行っちゃったんですよ・・ それが偶然にもケンタッキーのブルーグラスの街でね それから皿洗いのバイトしながら、よくライブにいったもんです やがてどうしても楽器がやりたくなり、中古のバンジョーを手に入れて必死で覚えたもんです そしていろいろあってブルーグラスのプロになって全米を回りましたよ いい時代でした・・」

 「そうでしたか・・ それはそうと、その追いかけていった女の子とはどうなったんですか?」と豊彦が問う。「ああ あっさりと振られましたよ  ハハハ・・」 「それで いつ日本に帰ってきたんですか?」「50歳になる少し前かな やっぱり年になると日本が恋しくてね この箕面の街は小さいけれど、落ち着いてていい所ですよ この桜井に小さな店を手に入れ、こうして好きな音楽だけを流しているというわけですよ 実は帰国後に偶然 石橋のライブバーでこのマサさんと再会しましてね・・ 30年ぶりだったかな?」

 マサさんが続ける・・「こいつは突然アメリカへ行ってしまうし、オレは同じ2年のとき、急に田舎の親父が倒れ、すぐに飛んで帰ったまま戻らなかったんですわ 家が旅館やってて、一人息子なんで仕方なかったんやな・・ 実は友達と計画してた日本縦断歩き旅とか、さっきの世界一周とかいろんな夢が全て消えてしもうてガッカリでしたわ・・ 結局 家の旅館は潰れ、一家で大阪へ出てきて、今は近くの会社で働いてます・・ と言っても後半年で退職なんでね 時々 こうして昔を懐かしみここに来てますねん・・」

  豊彦も続ける・・ 「皆さんの話を聞いてると、まるで自分の事のようです ボクは貧乏学生で、三食の食事、下宿代、授業料や本代など自分で稼がないかんかったんで、昼夜問わずバイトに明け暮れてました でも、何とかギリギリで卒業してサラリーマンになり、養子に行って結婚し、義父の会社を継いで60歳で息子に渡しました 今は楽隠居させてもらいながら、箕面の山歩きを楽しんでます しかし、学生時代の遣り残し症候群とでも言うのか? 欲が消えずにしょちゅう夢を抱いては妻に怒られてます・・ ハハハ 」

  お互い3人の様子が分かり合えた頃だった・・ 「そうだ もう昼も近いことですから、何か作りましょう 有田さんも一緒に食べていってください  ご馳走しますから・・」 マスターはそう言いながら厨房に入っていった。

 「マスターのチャーハンは絶品なんですよ 昔、大学の前にあった中華食堂の味と同じでね  帰りによく仲間と食べました 大盛りをね 私らの青春の味なんですわ マスターが帰国してからまだ開いていた懐かしのその店の老店主に頼んで、何とかその味を教えてもらったようですよ・・」とマサさんがエピソードを話す。

  やがて美味しそうな大盛りのチャーハンがでてきた。「この玉子スープもついてたんですわ 相性バツグンでね」とマサさんが匂いをかぎながらうっとりするので皆で笑った。

  「さあ さあ 有田さんも食べてください その前にちょっとだけ私らの懐かしい儀式? をさせてください  お客さんの前ですいませんが・・ ハハハハ 」 「昔、仲間らとよくそうやって唱えてから食べてたんで、二人になるといつも習慣みたいになってね・・ ハハハハ」 二人が笑いながら何かを言おうとした時だった・・ 出されたチャーハンと玉子スープを見つめながら、静かに二人の話を聞いていた豊彦が突然立ち上がった。 そして、マスターとマサさんの顔を交互にしみじみと見つめていたかと思うと、おもむろにチャーハンを頭上に持ち上げた・・ 目には涙があふれ、むせび泣くように大きな声を張り上げた。

 真っ赤な太陽!  ボクらのハリマ王!

 マスターとマサさんはビックリした・・・

「なんで? なぜ? その言葉を知っているんですか?

なぜ・・? まさか? まさかお前は そうか トヨか? そうだったんだ 本当か? 奇跡だ! 知らなかったな・・」

  昔の親友3人は、手を取り合って50年ぶりの奇跡の再会を喜び合った。店内には、今朝の みのおFM<ブルーグラス ランブル>からあの想い出の(~ ヨーカンいかがですか ~)が流れていた。

Bill  monroe  &  Bluegrass  boy's「y'all  come」

雨の上がった窓辺のツタに太陽の光が当たり、雨の水滴をキラリ! と輝かせた。

 

(完)