みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*愛の花束  

2020-11-28 | 第2話(愛の花束)

箕面の森の小さな物語(NO-2)

<愛の花束> 

 それは11月の終わる頃の事でした。  5時ともなるとすっかりあたりが暗くなり、箕面の森のホテルレストランのテーブルにもキャンドルの明かりが灯り、それは温かい雰囲気に包まれるのでした。

  この落ち着いた広く開いたレストランの窓辺から、東方に高槻、茨木方面、南方には大都市 大阪の百万ドルの夜景が、そして西方に西宮、神戸方面まで見渡せる視界180度のそれは素晴らしい眺めが堪能できる所です。  ゆったりとした20卓ほどのテーブルには、季節のきれいなお花がいつも一輪さりげなく活けてあります。

 支配人の新庄譲二は、いつものように一卓づつ丁寧に卓上を点検した後、レストランの入り口扉を開いた。  新庄譲二がこの山上のホテルレストランに勤めるようになって12年が経っていた。 それは専門学校を卒業してすぐにこの店に就職し、見習いウエーターからスタートしていろんな部署の経験を経、半年前に認められこの店の支配人となったばかりなので、毎日緊張の連続だった。

 18時、窓辺の特等席をご予約されていた最初のお客様がおみえになりました。 若い男性のお客様で、胸にはきれいな花束を抱いておられます。 ご予約はお二人でしたので、ウエイターは2つのウオーターカップを持って席に伺いました。 「ご予約はお二人でよろしかったでしょうか?」 「はい、そうです!」と、男性は言われました。 そしてまもなく、最も評判の高いフランス料理のフルコースを2つご注文され、さわやかなお味のする赤ワインも注文されました。

 男性の前の席にはあのお持ちになった花束が丁寧に置かれ、キャンドルの灯りがより美しく花々を照らしています。 めずらしく澄み切った大阪の夜空に100万ドルの夜景が美しく、まるで宝石の輝きのようにキラキラと瞬いています。 丁度、空のラッシュアワーなのか?  伊丹の大阪国際空港への着陸待機の飛行機が南方の金剛山付近から明るいヘッドライトをつけて、3機も連なるように飛んでいるのが目にとまり、山上からの眺めは壮観です。

  やがてこのホテルレストランも徐々に予約席が埋まっていきます。 ご夫婦で、恋人どうしで、お友達と、家族で・・ と、それぞれ楽しいデイナータイムが過ぎていきます。 支配人はなじみのお客様にご挨拶をしたり、サービスに落ち度が無いように万全の目配り心配りをしています。

  やがてあの男性の前にもワインと前菜が運ばれてきました。 お連れのお客様がまだなようなので、担当のウエイターもどうしようか?  と迷っていました。 「お連れのお客様がまだのようですが、お料理はどうさせていただきましょうか?」と。 支配人がそれを伺いにお席に出向いたとき・・ 男性は我に帰ったように恐縮されて・・ 「うっかりすみまん・・ どうぞ二人に料理を運んでください。 ワインも二人にお願いします・・」と。 かしこまりました・・」 何か事情がおありなのだろう・・ と、下がった支配人はフロアーマネージャーに厨房に、担当ウエイターにそれぞれ指示をだしました。 

  やがて2つのグラスに赤いワインが注がれると、男性は前の花束の前にあるグラスに、ご自分のグラスを合わせて乾杯のしぐさをされ、何かを語りかけておられます・・

 やがてスープが・・ メインデッシュのお肉料理が、お魚料理が運ばれ・・ そして とうとうデザートとなりました・・ ウエイターが配膳するたびに、男性は自分の空き皿と共に、空席の料理も一緒に下げてもらっていました。  厨房に手のつけられていない料理がもどってくるので、料理長は首を傾げています・・ お気に召さなかったのかな? と、何度も味見をしてそのわけを探ろうと試みたものの理由がわからず、途方にくれたり・・ そのうち心の中では怒りさえ出てきました。 シェフにとって一所懸命に作った自分の料理が、全く手もつけられずに戻ってくるほど悲しい事はありません。

  この一部始終を見ていた新庄は、コーヒーサービスが終わったところで男性に声をかけました。 「お料理のお味の方はいかがでしたでしょうか? お気に召していただけましたでしょうか? ところでお連れ様はいかがなさいましたか・・?  失礼ですがよろしかったらお話いただけませんか・・」と。  このようなプライベートな事をお客様にお聞きするのは、初めてのことでしたが自然と言葉に出てしまいました。

 

  男性は支配人の言葉に恐縮しながらも、静かに語り始めました・・ 「実はこの花束は私の妻なのです。 私たちは今日、3回目の結婚記念日です。 昨年の今日は、ここで二人で楽しく過ごしました・・ 今日は天国にいる妻と来ました・・」 そこまで言うと男性の目から涙が頬をつたい、しばし声が出ず窓の外に目を向けておられましたが・・ やがて花束の妻に語りかけるように、再び話を続けられました。

 「半年前、妻は急性のガンで天国へ召されました・・ あっという間の出来事でした  なぜ神様は私から愛する妻をこんなにも早く召されたのか・・ 天を恨みました  今でもまだ信じられないほどです  どうか夢であって欲しい・・ 朝起きるといつもこの現実に打ちのめされてしまいます  でも、やがてこんな事をしていては天国から見ている妻に心配させるばかりだ・・ と思うようになりました  最近は妻がいつも心の中にいて私を励ましてくれるようで、少しづつですが立ち直ってきました  そして今日の3回目の結婚記念日には、どうしても二人で祝いたくて、去年と同じ席を予約したのです・・

  ここは去年、二人して幸せの嬉し涙を流したところなのです  二人が交際していた3年間は、よくこの箕面の森を歩きました  春は新緑の滝道から、花いっぱいの勝尾寺まで歩き、途中見た満開のエドヒガン桜はとても見事でしたし・・  夏は地獄谷の近くで「修行の古場」というんでしょうか? その上の滝道に丁度休憩場があるところ・・ あの谷川の水辺で裸足になって二人で将来の事をよく話しました  秋には紅葉ですが、人ごみを避けて教学の森や静かな落合谷などを歩きました 清水谷では渓流の水を飲んでいる鹿に始めて出会えて、二人とも感激でした  冬になると彼女は温かいスープをポットにいれて持ってきてくれました  それを静かな寒い森の中で二人で頂くんです・・ あったかい~! と 本当に幸せでした・・ そんなとき、あれはこもれびの森でしたか・・ 目の前の木の枝に二羽の小鳥がやってきて・・ なんと、くちばしをくっつけてキス? をしているんですよ・・ こっちの方が顔を赤らめたりして・・ そんな幸せをいつもこの森の中から与えてもらいました  彼女が森のお猿さんと握手しているような写真もあるんですよ・・」と。

  新庄は店の支配人という立場を離れ、そんなお二人の幸せだったお話を静かにうなずきながら伺いました。

 しばらくして男性は続けて・・ 「いま妻は天国でこう言っているはずです・・ ”今日は本当においしいお料理をご馳走様でした  とても美味しくてみんなきれいに残さず頂きましたよ  ダイエットどうしようかしら?” なんて言って、きっと笑っていますよ・・ よく言ってましたから・・ お店のシェフの方には本当に失礼をいたしましたが、妻は本当に美味しく頂きました・・ と言っていると思いますので、どうかお許しください  お陰さまで二人とも美味しいお料理を堪能し、楽しい一時を過ごす事ができました・・ 本当にありがとうございました・・」と。

  話を聞いていた新庄も、担当のウエイターも涙をいっぱいためて聞いていました。 素晴らしいご夫婦愛です。  後でその話を支配人から聞いたシェフは、厨房の端に行って大粒の涙を流していました。 天国の奥さまに、そんなに美味しかった~ と言っていただき・・ 光栄です・・と。

 静かで穏やかな夜です・・ 真っ暗な森のなかで、夜の海に浮かぶ船上レストランのように、その場所だけが煌々と光り輝いています・・ そして夜空を見上げると・・ そこには・・ ひときわ輝くきれいな星がひとつ・・ 一人の男性の上に瞬き、温かい光を放っていました。

 箕面の森が静かに深けていきます・・ 

(完)


*綾とボンの絆  

2020-11-28 | 第10話(綾とボンの絆)

箕面の森の小さな物語(NO-10) 

<綾とボンの絆>

  箕面山麓坊島(ぼうのしま)に住む89歳になる綾(あや)さんが、1月の寒い朝、自宅でボヤ騒ぎを起こした。  愛犬のボンが激しく吼えてなければ近所の人も気づかず、全焼するところだった。 それで綾さんは視力も体力も衰え、もう一人で生活する事が難しくなったので、市や福祉の担当者に勧められ、森の中の老人ホームへ入る事になった。

  綾さんの夫 雄一郎はすでに他界し子供もなく、近い親族もいないので、住んでいた自宅は後見人の弁護士から依頼された業者が買い取っていた。  綾さんが一番気がかりだった老犬ボンは、その業者が「大切に面倒みますから・・ それに、たまにホームに連れて行きますから・・」とのことで、やっと自宅を手放す事に同意した経緯があった。  しかし、業者はその後 家屋の解体のさい面倒になり、箕面の山にボンを連れて行き放置してしまった。

  ボンは16年前、まだ元気だった夫の雄一郎が山歩きの帰り道、清水谷園地に立ち寄ったとき、その東屋に置かれていたダンボールの中で クンクン と泣いていた捨て犬だった。 「あんまり可愛くて、可哀想だったから連れてきたよ・・」と嬉しそうに綾に見せたが、綾はその黒いブチの子犬が可愛いとは思えず、正直困ったな~ と思っていた。 子供を育てた事もないので、躾なども不安だった。 しかし、部屋の中を元気にはしゃぐ姿を見ていると、戻すわけにも行かず、それに足元にじゃれつき嬉しそうに遊ぶ子犬にだんだんと情が移り、やがてもう離れられない大切な存在へと代わっていった。

  名前は雄一郎が ボン と名づけた。 雑種でちょっとボンクラなところがあり、それを親しみをこめて名づけたものだった。 ボンはよくヘマをするので、雄一郎はよく「コラ このボンクラめ!」と頭をコツンとする すると、その都度 ボンがおどけた顔と仕草をして二人を笑わせた。 やがて雄一郎は、自分の山歩きに、ボンを連れて出かけるようになった。 ボンも一緒に山を歩ける日がくると、尻尾を大きく振りながら喜んだ。  それから10数年、雄一郎とボンは毎週のように、一緒に箕面の山々を歩いてきた。 

 ところがある日のこと、歩きなれた東海自然歩道最勝ケ峰の付近で、雄一郎が突然発作を起こして倒れた。 その時 ボンは、人気のない山道を人を探して走り回り、その姿を察知したハイカーが気づいて雄一郎にたどり着いたのだ。 しかし救急隊が山を登り駆けつけたとき、もう二度と戻らない体となっていた。 けれどボンは最後まで雄一郎のそばを離れなかった。

  雄一郎の死を信じられないボンは、綾に何度も山へ行きたい仕草をしたり、コツン としてもらいたいのか?  わざとヘマをしたり、おどけたりして涙を誘った。 毎日のように催促するボンをつれ、綾は何度か近くの散歩に出かけていたがある日、いつになく強く引っ張るボンを止めようとして転倒し動けなくなった。

 足を骨折した綾は、それ以降 ボンと外へ出歩くこともできなくなり、一日中一緒に家の中で過ごす事が多くなった。 毎日 独り言で昔話をする綾の話しを、ボンは玄関口の座布団の上に寝ながら、いつまでも聞き耳を立てていた。 そして ときどき ウー ウー と、綾に返事をしてくれるかのように声を発するので、綾もボンと話すことを毎日の生きがいに過ごしていた。

 季節は春になり、暑い夏がすぎると秋になり、そしてまた厳しい冬がきた。 綾とボンの毎日は、ゆっくり ゆっくり と時が刻まれていった。 そして お互いに老体を支えあって生きていた。 それが一変したのが、一ヶ月前のボヤ騒ぎだ。目が見辛くなっていた綾が、牛乳を鍋に入れ火にかけたとき、鍋に張り付いていた紙片に火が燃え移り、危うく大火事になるところだった。 ボンが激しく吼えて危険を知らせてくれたので、隣家の人が気づき、間一髪惨事にならず済み、綾もボンも無事だった。

  あれからすぐに福祉の人に付き添われ、森の中の老人ホームに入ったものの、綾は離れ離れになったボンのことが心残りでならなかった。 唯一、寒い日の時のためにと編んで着せていたボンの背あての一つを持ってきたので、綾はいつもそれをさわってはボンを想っていた。

「いつか犬を連れて行ってあげますから・・」と、あの業者は言っていたのに・・ 思い余って綾は後見人を通し、あの業者に問い合わせしてもらったら・・ 「どこかへ逃げていってしもうた・・」との返事だったと。 ガックリと肩を落とした綾は、その日から生きる望みを失い、食もノドを通らなくなり、日毎 身も心も急激に衰えていった。 思い出すのは愛犬ボンのことばかり・・ 子供を失った母親のごとく、綾は放心状態だった。

  見かねた施設の介護士が、時折り綾を車椅子にのせ、近くの森へ散歩に出かけていた。 小雪の降るような寒い日でも、散歩に出る日の綾は、少し表情が穏やかになるので、介護士もマフラー、手袋、帽子にひざ掛けなど、いつもより温かくして出かけた。 散歩に出ると綾は、いつもキョロキョロと森を見て、何かを探すような仕草をしていた。

 ボンが山の中に捨てられたのはこれで二度目だ。 生まれて間もない頃、雄一郎に拾われなければ、ボンの命はすぐに終わっていたかもしれない・・ その後の生涯を、温かい家族の中で過ごしてきた。  そして16年を経、老体となった今、再び・・ 「じゃまや!」と、心ないあの業者によって森の中へ捨てられた。

  ボンが業者の車から下ろされ、リードをはずされたのは五月山林道沿いだった。 ボンは雄一郎と共に、箕面の山の中を毎週のように歩いたので、地理はよく分かっていた。 ボンはリードを外されたことに これ幸い! とばかり雄一郎を探して森を走り続けた。 

 猟師谷から三国岳、箕面山から唐人戻岩へ下り、風呂ケ谷からこもれびの森才ケ原池から三ッ石山医王谷と下りながら、何日も何日も探し続けた。 谷川で水を飲み、ハイカーが食べ残したもので飢えをしのぎながら。 ボンはどんどんやせ細り、もう余命いくばくもなかった。

 やがて疲れ果て、谷道から里の薬師寺前に下り、大宮寺池の横から家路についた・・ のだが?  懐かしい家がなくなっている? すでに家屋は全て解体され、何一つ無い更地になっていた。 ボンが毎日飲んでいた水受けが一つ、庭跡に転がっていた・・ 家族の匂いがする・・ 綾さんの匂いがする・・ ワンワン ワンワン ボンは我に返ったかのように、ついこの間まで共に過ごしていた綾さんを探し始めた。 

 どこへいったんだろう?  どこにいるんだろう ワンワン ワンワン ボンは必死に叫び続けた・・ ボンは再び箕面の山々から里を歩き、綾さんを探し続けた・・ しかし 綾さんの姿はなく、ボンの体力ももう限界にきていた。 そして 小雪舞い散る寒い日の夕暮れ・・ 奇跡が起こった。

 

 この日も里道をフラフラになりながら探し続けていたボンが・・ うん? と、耳を立て鼻をピクピクさせた。 あの懐かしい綾さんの匂いがする・・ 少し先に、綾さんが車椅子で散歩に連れて行ってもらったときに無くした片方の手袋が落ちていたのだ・・ 懐かしい綾さんの匂いがする・・ どこにいるの?  ワンワン ワンワン ボンは嬉しくなり、思いっきり声の限りに叫んだが、その叫び声は強い木枯らしにかき消されていった。

 この近くに綾さんがいるに違いない・・ ボンは気持ちを奮い立たせ、必死になって探し始めた。 やがて大きな建物の前に出た。 綾さんに似た老人達がいることを察知したボンは、外から必死にその姿を追ったが見つからなかった。 やがて疲れ果て、建物が見える山裾に倒れるようにして体を横たえた。

 

  夜も更け、今夜も眠れぬ綾は、ベットの脇の窓から見えづらくなった目でボンヤリと外を眺めていた・・ 「今夜は満月のようね・・」 もう食もほとんどノドを通らず、気力、体力共に無くなっていた。  その時だった・・

 ワン! 遠くで一言だけど、犬のなく声が聞こえた・・ そんな気がした。 「あれは? ひっとしてボンの声かしら?  きっとそうだわ きっとボンに違いないわ・・」  綾はそれまで一人では起き上がれなくなっていたベットから、自力で窓辺に立ち、やっとの思いで外の小さなベランダにでた。  ボンはいつも自分を励まし、雄一郎や綾さんを探すために、寝ながらも無意識のうちに一言だけ ワン!  と発していたのだが・・

  目の前の建物のベランダに、満月の明かりに照らされて一人の老人が立ち上がったことにボンは耳をそば立てた。 綾はかすれたノドを振り絞るように、か細い声で叫んだ・・ 「ボンちゃ~ん  ボン ボン ボンちゃ~ん・・」

  小さな叫び声が、北風にのってボンの耳に届いた。  綾さんだ!  ワンワン  ワン ワン  ワンワン  「やっぱりボンちゃんだわ  ボンちゃ~ん  ボンちゃ~ん どこにいるの  どこに?  あのあたりね・・ 近くだわ  嬉しいわ  そこにいてくれるのね  ありがとう  ありがとうね 元気そうだわ  嬉しい  うれしい  よかったわ  ボンちゃ~ん  ありがとう・・」

  谷間を挟んで、綾とボンはお互いに声の限りに叫び続けた。 「今夜はようノラ犬が鳴くな~」と、施設の当直が話していた。  綾とボンは、心通わせつつ温かい幸せの世界に浸っていた。 やがてその声も叫びも、いつしか小さくなり、途切れとぎれになっていった。

 

 森の夜がしらじらと明けてきた頃・・ ベランダの下で、小さなボンの背あて編み物を手に,永遠の眠りについた綾さんを職員が発見した。  そして向かいの山裾では、ボンもまた片方の手袋を口にくわえたまま死んでいた。

  箕面の森に明るい朝陽がさしこんできた。 その輝く光の上を、綾とボンは仲良く並びつつ、天国で待つ雄一郎の元へと登っていった。

 (完)


 笑顔のドングリ(1)

2020-11-28 | 第1話(笑顔のドングリ)

箕面の森の小さな物語(NO-1)

<笑顔のドングリ>(1)

 教員試験に合格し、初めて箕面の小学校に赴任した新米教師 高田順平は、緊張の面持ちで担任となった4年1組の教室に入っていった。

  ワー ワー と言う歓声と共に、バタバタとイスに腰掛ける35人の生徒を前にし、順平の第一声は・・ 「えー ごほん!  えー 皆さんおはようございます  私はこのクラスの担任となりました高田 順平です・・  えー・・」 すると一人の女の子が大きな声で・・ 「じゅんちゃん やて~」 と調子はずれの声を出したので教室中が大笑いとなり、お陰で順平の緊張も一気に薄らぎ、和やかなスタートとなった。

  順平がそもそも教師を目指すようになったのは、恋人・美香の小学校時代の作文を読んだのがきっかけだったように思う。 それは同じ高校に通い、同じ文芸部に所属していた二人にいつしか恋心が芽生えた頃の事・・ 美香の家の部屋で話しているときだった。 美香の古い小学校時代の生徒文集をみつけ、何気なく読んでいたのだが・・ そこに彼女の文章もあった。「・・明るくて、元気で活発でクラスの人気者なのに、美香にこんな事があったのか・・」 と順平は少しショックを覚えた。 「そうなの・・ 私 あの頃は暗くて、引っ込み思案な子で、それにいつも卑屈で、自分でも嫌な女の子だったの・・ でもお母さんの励ましと、先生の一言が私を変えてくれたのよ」 美香はそう言うとその文面を懐かしそうに目で追いながら、順平を前に読み始めた・・

  笑顔のどんぐり> 4年2組 坂本 美香

 「その時 私は小学校4年生でした。 母と弟二人の4人で暮らしていました。 家の経済状況は厳しく、母は一所懸命にいつも働いていましたが、それでも回りの友達と比べても一段も二段も低い気がしていました。  母は近くのスーパーで働いていましたが、食事は店で賞味期限の切れかけた食材や、余りものの惣菜をよく頂いてきていました。 食べ盛りの弟二人も私もそれでいつもお腹いっぱいに頂き、大満足でした。  お母さんの作る手料理も美味しく、欠けたりんごを頂くと、昔ケーキ屋さんでアルバイトをしていた頃教えてもらったというアップルパイを作ってくれました。 それは美味しく、いつも楽しみでした。

  しかし服はなかなか買ってもらえませんでした。 つぎあてをした服を着ているのは教室でも私1人でしたし、運動靴も少し先が穴があきかけていてそれを隠すのに大変でしたが、友達は誰一人気がつかなかったようなので、私だけが気にしていただけなのかもしれません。 でもお母さんの苦労を知っていたから <新しいものを買って・・> なんて言えなかったんです。  だからいつも静かにして目立たないようにしていたので友達もいなく一緒に遊んだりもあまりしませんでした。 でもお金が無かった事以外は勉強も学校も好きでしたし、お友達からいじめられるような事も無く、時には一緒にも遊んでいました。

  そんなある日、同じクラスの雄介君から・・ <次の日曜日の自分の誕生パーテイに来て・・> と、招待状がクラス全員に配られました。 それをもらったクラスのみんなは大喜びでしたが、私は少し憂鬱でした。 だって服も無いし、それに何かプレゼントをもっていかねなくてはなりません。 友達はアレコレ・・ と持っていくようです。 「文具、おもちゃ、ゲーム、お菓子ボール・・」 とか話しています。 しかし私にはお金の蓄えもないし、お母さんにお金を頂戴ともいえません。

 どうしよう・・ 夜寝ても寝付かれずに困っていましたが・・ そうだ! 行かなければいいんだわ! そう決心したら気が楽になりました。次の日から友達は・・ 「ご馳走がいっぱいあるんだって・・ 私も・・  僕もいくいく・・」と、賑やかでみんな楽しみにしているようでした。 私は自分だけ少し寂しい気持ちでしたが、諦めていました。

 そんな時、担任の山口先生が何を察したのか私の横に来て・・ 「美香ちゃん その人が望む最も嬉しい事はね・・ 出来るだけその人の気持ちになって考えてみると分かる事なのよ お金や物などじゃないの・・ 優しい心遣いが大切なのよ そして心と心が通じ合えることが最高のプレゼントになるの・・」 「そう言われても・・わたし・・分からないわ」

 でもその日が近付くにつれて、雄介君の家の状況が少しづつ分かってきました。 「お父さんは大きい会社の社長さんだって・・ お家はあの箕面山麓の緑に囲まれた大きなお屋敷なんだって・・ お手伝いさんが二人いるんだって・・ 家庭教師も来るし・・ すごいね!  雄介君ってすごく幸せな人なんだね・・」 私は友達の話をただボンヤリと聞いていました。 しかし次の言葉にビックリ・・ 「お母さんが いないんだって・・」 と。  私は一瞬  えっ! と 驚いてしまいました。 それでお父さんが <今年はたくさんのお友達を呼んでいいよ~> との事で、先生の了承を得てクラス全員が招かれたとのこと・・ 私はそれを聞いたとき、お母さんがいなくて寂しい思いをしている雄介君の気持ちが心配でした。

  お父さんのいない私には、その気持ちが痛いほどによく分かります。「私にもお父さんがいたらもっと楽しかっただろうな・・ お母さんがこんな苦労をしなくてもいいし、私もちゃんとした服を着て、プレゼントも買って堂々と雄介君の所へ行けただろうな・・」 いつしか先生に言われた言葉を思い出し、雄介君の気持ちになって考えていました。 もし私が逆の立場だったら何が嬉しいだろう~ と真剣に考えました。 そして私なら・・ ものは何もいらないわ・・ 笑顔のみんなと一緒に楽しくみんなと遊べたら、それだけで大満足だわ・・ と。

  私は次の日、学校から帰ると裏山に入り、箕面西口から「憩いの丘」まで20分程登りました。 そこは雑木林だけど樹木の間から平和台の街並みがきれいに見下ろす事が出来る所です。 私は一人でドングリを拾いに来たんです・・ 私がまだ小さい頃、お父さんと何度もこの山道を歩いたから良く知っています。 春の山桜や三つ葉つつじがきれいで、ウグイスやいろんな小鳥がいっぱい鳴いていて・・ 夏にはセミの大合唱、一年生のときは網を持って父さんといっぱい昆虫採りをしたし、ここから六箇山へ登ったり、教学の森へ行ったり・・

 秋にはきれいなもみじで森が真っ赤になったり、それは美しい光景です。 冬には シ~ン とした静けさの中でリスをみたり、野ウサギを見たり・・ 鹿も見たし・・ お父さんはいつも山を歩くといろんな事を教えてくれました。 小鳥や植物の事も・・ 森に浸ることが好きだった父と一緒に森のなかで目を閉じていると風のささやきや、樹木が風にゆれておしゃべりしていたり、小鳥がなにやらささやいていたりして、それは不思議な気持ちでした。

 そんなお父さんと一緒に歩いた事を思いだしながら、私は夢中になっていっぱいのドングリを拾い集めて持ち帰りました。 私はそれをすぐにきれいに洗って乾かしておき、次の日学校から帰るとそのドングリ一つ一つに丁寧に絵を描いていきました。 怒ってる顔、鬼の顔、泣いてる顔、寂しい顔・・ でもそのほとんどの顔は笑っています。 おもしろい顔はいっぱい描きました。

 お母さんが仕事から帰ってきてビックリ! ミカちゃんなにしてるの・・?  それ宿題? と 聞かれたので、お母さんにこの前からのわけを全部話しました。 でもお金の話はしなかったけど、私のアイデアを話したら・・ 「それは素敵! きっとお母さんがもらっても笑って嬉しくなるわよ・・」と、喜んでくれました。 少し自分の心もすっきりして話してよかった。 ドングリに笑顔を描くのは次の夜遅くまでかかったけれど・・

  次の日お母さんがお店からきれいな箱とリボンをもらってきてくれました。 さすがお母さん!  その木箱にラッピングをし、リボンをかけたらとても素敵なプレゼントが出来上がりました。 お母さんがとても喜んでくれたので、私も嬉しくなりました。  二人で にこにこドングリ を見ていたら、自然に笑いがこみ上げてきて二人で大笑いしました。 そして私は雄介君に手紙を添えようと書き始めました・・

(2)へ続く。

 


 笑顔のドングリ(2)

2020-11-28 | 第1話(笑顔のドングリ)

箕面の森の小さな物語

<笑顔のドングリ>(2)

 「雄介君おたんじょうびおめでとうございます!  お母さんがいなくて、きっと寂しい思いをしていることと思います。 知らなくてごめんね。 私もお父さんがいないのでその気持ちはとてもよく分かります。 でもきっと天国からいつも雄介君を見守っていてくれますよ。 悲しくて、寂しくて、辛いけど、元気に頑張りましょうね。 そして寂しくなったらこの箱を開けてください。 いろんな顔を作ってみたけど、沢山のおもしい笑える顔があるでしょ・・ 私もお母さんとこれを転がして遊んでいたら、いつのまにか大笑いしていました。 雄介君もお父さんと一緒に一度やってみてください。 私もこれからこれと同じ物をまた作ります。私も寂しくなったらこの箱をひらいてみます。 そしてドングリたちと遊びます。 パーテイに招待してくれてありがとうごさいます。 心をこめて雄介君に贈ります。 美香より」

  次の日曜日の朝、私は書いた手紙とドングリの箱を持って、みんなと雄介君の誕生会にでかけました。 みんなに<美香ちゃんの何か見せて見せて!・・> と、言われたけど内緒にしました。

 前の日にお母さんは私に大きな包みを持って帰ってくれました。 中にはきれいなフリルのついた新しいワンピースと新しい靴が・・ ワー すごい すごい! 本当にびっくり! とても嬉しくて・・ 嬉しくて・・ お母さんは私の服のことも、靴の事もちゃんと知っていてくれたんです。 私は寝るときまで何度もそれを着て、嬉しくてうれしくて家の中を歩き回っていました。

  雄介君の家は聞いていた通りのすごい大きな家でした。 私が初めて見る大きなシャンデリアにヨーロッパの家具、暖炉もあってみんなビックリ! それに初めて見るすごいご馳走!  みんなお腹いっぱい頂きました。 最後にお手伝いさんが二人がかりで、広いお庭の大きなテーブルに立派なバースデーケーキを運んできた時にはみんな感激で、大きな歓声があがりました。

  やがて楽しかった誕生会も終わり・・ 私たちはお父さんやお手伝いさんらにお礼を言って帰りました。 その前には、みんな思い思いのプレゼントを雄介君に渡していましたが、私は部屋の片隅にそ~ と置いて帰りました。  お腹いっぱいなのにお土産のケーキもいただき、みんな大満足でした。 帰ってからお母さんと頂いたケーキを食べながら今日の出来事を話すと、嬉しそうに聞いてくれました。 「行ってよかったわ・・ お母さん ありがとう!」

  次の日、学校でお昼休みのことです・・ 私の机に雄介君が来て、小さな紙を渡してくれました。 それまで学校で人気者の雄介君から声をかけられたことも、会話もまともにした事が無いのでビックリです! 「読んで・・ どうもありがとう!」 そう言うと照れくさそうに、またすぐ仲間のところへ戻っていったけど・・

  紙には・・ 「美香さんへ 昨日は本当にありがとう! みんなからいろんなプレゼントをもらったけど、君からもらったプレゼント最高だった。 このことは一生忘れないでしょう。 どんな物より嬉しかった! 夜、お父さんとこの「にこにこドングリ」で遊んだんだ。 やっぱり二人で大笑いしたよ・・ もしこれから涙がでてきたら、またこの箱をひっくり返して遊びます。 美香さんも同じものを作るそうですが、ドングリはどこで売っているのですか?  また教えてください。 本当にこのことは忘れません。 本当にありがとう! 雄介 」と。

  私は よかった! と 安心すると共に「どこで売っているの?」に、思わず吹き出してしまいました。 あの憩いの丘の雑木林を教えてあげたらビックリするでしょうね・・ 今度一緒に連れて行ってあげようかな・・?  そんな事を思いながら私は一人 心の中で微笑むのでした。あのお父さんと幼い頃に遊んだ箕面の森・・ 私はそっと・・ ありがとう! とつぶやいていました。   4年2組 坂元 美香

   

  美香は小学校時代の自分の文章を読み終えると、順平に話し始めた。「それから私 何かあるといつも相手の心に添えるような人になろう・・ って心してきたの・・ 自分の環境や境遇を嘆くなんて無駄な事だと思ったし、自分の気持ち一つで暗い卑屈な自分を切り替えられることを知ったわ  やはりあの時の先生の一言は大きかったわね それから私 変わったのよ」「そうか それにしても先生の言葉の力ってすごいな  それにその一言で心を変えられた美香も偉いよな・・」

  「先生! 先生の趣味は何ですか?」 放課後、順平は生徒の一人から声をかけられた。「そうだな・・ いろいろあるけど、今はドングリ拾いかな・・」 「どんぐり? それって何? どこで拾えるの? ねえ どこで ねえ 教えてよ!」 一緒にいた仲間達も興味深々で訪ねてきた・・ 「きた きた・・ よしよし・・」

 順平はそんな生徒達を連れ、いずれ箕面の山歩きを楽しみながら <どんぐり拾いをしよう・・>と思っていたのだ。  そしてあの <笑顔のドングリ> 作りを新任教師の課外活動にしたいと決めていた。  その時は婚約者の美香も一緒に・・ と。  

(完)

 


*生きがいに生きる(1)

2020-11-01 | 第9話(生きがいに生きる)

箕面の森の小さな物語(NO-9)

<生きがいに生きる>(1)

 「・・もう二度と ここへ 来る事はないんだな・・」 嶋 哲也は、色づき始めたモミジの葉が初秋の風に吹かれ、舞い落ちるさまをじっと眺めていた。 「来年 この枝につける新しい葉をもう見ることはできない・・ いままで ありがとう・・」 こらえていた涙がポロポロと流れ落ちた。

  やがて哲也は立ち上がると、この箕面の森の中で共に過ごした小さな山小屋の鍵を閉めた。 その隣にはあの日に植えた梅の木の葉が色づき、一枚一枚と葉を落としている・・「春になったらまたしっかりと花を咲かせ実をつけてくれよ・・ 今まで生きる希望を与えてくれてありがとう」

  哲也は振り返り振り返りながら歩きなれた山道を一歩一歩とかみしめるように山を歩いた。 途中 天上ヶ岳の役行者昇天の地でその像に手を合わせ、今まで守られてきたことに感謝した。 やがて箕面自然歩道(旧修験道)を下りつつ、周囲の景色を心に留めると一つ一つにありがとう ありがとう! とつぶやきながら山を下った。 

 明治の森 箕面国定公園の森の中にある箕面ビジターセンター前には、車を停めた妻の紀子がGPSを見つめながら夫がゆっくりと山を下ってくるのを待っていた。

 

  七年前のこと・・ 哲也は65歳を機に妻の紀子と共に、経営していた小さな会社を後継者に引継ぎ引退した。 その時すでに独立している子供たちから「二人の引退記念に・・」と、プレゼントされたのが<一泊二日の人間ドック券>だった。 それまで病気一つしたこともなく健康そのものだった哲也は「有難いけどそんなものはまだまだ必要ないよ・・」と言ったが、「もうお母さんと二人分予約済みだし、これから二人であちこち旅行したりするとか言ってたから、その前に先ず健康チェックも必要だからね・・」と説得され、二人で渋々出かけたのだった。

  その結果がでた時・・ 紀子は健康そのもので何も問題は無かったが、哲也に問題が発見され、それから何度か再検査が行われた。 そしてある日、哲也は妻と共に病院に呼ばれ、医師から精密なデータに画像などを前に詳しい説明がなされた。 そして最後に医師から伝えられたのは・・ 「ご主人はガンで余命六ヶ月ほどで・・」との余りにもダイレクトな死の宣告だった。

  「まさか!? オレが? ウソでしょ! 冗談でしょ!? こんなに元気だし 今まで病気一つしなかったし、TVドラマじゃあるまし、そんなことがあるわけないよ 何かの間違いだ!」 哲也は声を荒げて一気にまくし立てたものの、医師の冷静沈着な説明と真摯な態度、それに横で妻の流す涙と嗚咽に、哲也はそれが現実の話しなのだと我に返った。

  家にどうやってたどり着いたか分からなかったが、哲也はそれでも「間違いだ 何かの手違いだ そうだそうに決まってるオレの オレの命が後半年だなんて・・・そんなバカなことがあってたまるか!」と心の中で叫び続けた。 しかし 妻の紀子がそれぞれに家庭を持っている遠くに住む子供たちに電話している手が大きく震えているのを、哲也はボーと眺めていた。 

 主因は肺ガンだが、もう各所に転移している・・ とのこと。 若い頃からヘビースモーカーで、家族や医師からはいつも注意されていた。 しかし 仕事上のストレスもあり、つい最近までやめられなかった。 しかし 子供たちがそれぞれ結婚し、やがて孫たちをつれてやってくるようになり、その都度 哲也は甘いジイジぶりを発揮して抱っこし頬づりして喜んでいたものの「ジイジは臭い・・ イヤ!」敬遠されるようになり、あれだけ周りから言われても禁煙できなかったのに、きっぱりとやめたところだった。 「遅かったのか・・」

  それから数日後 哲也はガクン と急激な体調の変化に見舞われた。  初めて体験する吐き気、だるさ、鈍痛、食欲もなくどうしようもない体の辛さ、息苦しさに・・ 「なんだろ? これがそうなのか? やっぱりそうなのか?」

  あの宣告の日から僅か10日余りで哲也の体は別人のように衰え、否応なしに自分の病気を認識せざるを得なくなっていた。哲也は医師の治療方針を他人事のように放心状態で聞いていた。 「このまま死ぬのは嫌だ やりたいことがいっぱいあるんだ 何でオレが・・オレなんだよ!」 リタイアする一年ほど前から、哲也は紀子と共にあれこれ旅の計画を立てたり、あれしたい これしたいと、夢や希望で若者のように満ち溢れていたのに、それは一転絶望へと変わってしまった。 「それまで命がもたない・・」 哲也は恐怖と不安、怒りと焦り、絶望感からパニックになるのを必死でこらえていた。

  やがてそのストレスは身も心も激しく蝕み始め、全く精気を失い、ベットの上でまるで生きる屍のような姿に変わり果てていった。 紀子は急激に変わりゆく夫の姿に、表面では明るく元気に振舞い励ましながらも、裏では為す術もなくただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

  二人の出会いはもう40年ほど前のこと・・ 哲也の勤務する精密機械メーカーに事務社員として入社してきた紀子に哲也が一目ぼれし、猛烈にアタックして結婚したのだった。 しかし、二人の持って生まれた性分、性格、それに生活環境から趣味、趣向、人生の目標なども全てが180度正反対でよく喧嘩もしてきた。  

 時折り 箕面の山を一緒に歩いても、紀子は遠くの山々や海を眺めて「すごくきれいね・・」と感動しているのに、哲也は足元に咲いた小さなタチツボスミレの花に「きれいだな・・」と感動してたりして、同時に同じところに立っても見る視点、感動する場面が上とした、右と左、白と黒・・ と、全て違うのが常だった。 それだけに一つ屋根の下での生活はトラブルも多かったが、それでもお互いのそれを利点として補完しあう時はすごい力を発揮してきた。

 それは哲也がサラリーマンから独立し、小さな精密加工の会社を創業した頃から存分に発揮され、哲也の夢みたいな発想やアィデア、企画アドバルーンを紀子がしっかり受け止め、その行動力から現実化し、着実に具現化していくという二人のコンビはついに20数年を経て、それなりに業界での地位を築きてきた。 その育て上げてきた会社を後継者にバトンタッチし、二人ともあっさりと引退し、夢見た黄金のリタイア生活に入ったところでの哲也の余命宣告だったのだ。 それに紀子も若い頃から健康の為と始めたヨガもすでにインストラクターの資格を得、教室をもって多くの人に教え始めているところだった。

  朽ちていく森の古木のように生きる望みを失い、日毎見るたびにやつれ、気力を失っていく哲也に紀子は何とか生きがいを見つけてあげたい・・ 一日でも長く一緒にいたい・・ と必死だった。  

 夫は自分と違い,いつも危なっかしい子供のような計画ばかり立て、周りをハラハラさせてきたので、紀子はある時期からそれらを全て封印し、やめなければ離婚します・・ と宣言し、力づくでやめさせてきたし、それによる大喧嘩を何度もしてきた。 その哲也のエネルギーを抑えるのは並大抵の事ではなかったが、紀子もそれ以上のパワーを全開し、家庭や家族を、それに会社を守る為と信じ抑え込んで生活してきた。 でも・・ でも・・ 

 紀子は1日考えた末、ここにきてその抑え込んできた哲也のエネルギーの封印を解き、残された僅かな時間でも希望を持って前向きに生きてもらいたい・・ と心に決めた。 ベットでうつろな目をして天井を見つめている夫に、紀子は朝食を運びながら自分の考えを話し始めた。

 「貴方は今までよく頑張ってきたわね。 私ね 最近友達の悩み事なんかよく聞くんだけど、ご主人の浮気とか女性問題、それにパワハラとかDVとかもね。 それにご主人のギャンブルや借金問題、酒癖の悪さやおかしな趣味で悩んでいる人多いのよ。 でも貴方はそんな心配は一切なくて仕事一筋だったわね。 しかしね 今まで貴方が個人的にやりたいと言う事の全てを私は許してこなかったわね。 不安だったのよ 一度やりだすと突っ走るほうだから、何をしでかすか分からないという恐怖もあったわ。 でも その分 貴方の夢や希望を抑えてきたから不満もたまり、ストレスいっぱいだったようだわね。 ごめんね・・

こんな事になったから言うのも変なんだけど、もう貴方のやりたいこと何をやってもいいのよ  何でもよ・・ 私ね 貴方が仕事していた時のように生き生きと生きがいを持って明るく元気に最後まで生きて欲しいの・・ 一日でも長く一緒にいたいから前を向いて生きて・・」 紀子はそう言うともうそれ以上 涙で話すことができなかった。

  一日が過ぎ、夕食を持っていった紀子は少し驚いた。 あれ程ぐったりしていた哲也が起き上がり、古いノートをめくっている。「それな~に・・」「これはボクの夢ノートさ  学生時代からのね・・」 紀子はそのノートの存在は知っていたが、今までいつも何か夢を書き込んでいる哲也の姿が別人のように見え嫌悪感さえ覚えていた。 「何か これからやりたいことは見つかったの・・?」 その時、紀子は哲也の体に少し精気が戻っているのを感じた。 それは消えかけの暖炉に、小さな種火が ぽ~ と輝き、かすかな灯りが部屋に広がったかのようだった。

(2)へ続く


生きがいに生きる(2)

2020-11-01 | 第9話(生きがいに生きる)

箕面の森の小さな物語

<生きがいに生きる>(2)

  哲也は3日間 何冊もある学生時代からの「夢ノート」をめくりながら想いを巡らせていた。 若い頃は冒険、探検の旅、アウトドアなどアクティブな計画が多かったが、歳と共にそれは変化し、近年はリタイアしたら「チベット仏教を国教とする<幸せの国 ブータン王国>を歩き、日本仏教 空海・真言密教の聖地、<四国八十八ヶ所霊場>を歩き、その比較研究」をしてみたいとか。

 また高校生の時<尊敬する人 発表会>で1位になったことがある「賀川豊彦 その人の歩んだ神戸の貧民窟での救済活動、その後の ノーベル平和賞候補や「死線を越えて」の本でノーベル文学賞候補にもなったその稀有な日本人牧師の足跡を辿りつつ、箕面の森に隣接する能勢・高山を生誕地とするキリシタン大名・高山右近の足跡を辿りつつ、その愛と真理の比較研究」をしてみたい・・ と言ったような可笑しなことを考えたりしていたが、その歴史散歩に似た計画にもそれなりに相当の資料を集めたりもしていた。

 そしてリタイア前には、豪華客船で二人して世界一周もいいな・・ ゆっくりと日本の温泉地巡りもいいな・・ とか話し合っていたし、かねてより憧れていた空を飛ぶスカイダイビングなどもあった。 いろいろ若い頃のやりのこし症候群から現実的な計画までそれは多岐にわたっていた。

 「・・でも これは体力的にムリだ・・ 時間が無い・・」 次々とバッテンをつけながら哲也は現実的にできそうな事を探っていた。

  その頃 紀子は友人に紹介してもらったホスピスの医師に夫のことを相談していた。 一通り話しを聞き、紀子の意見も聴いたその医師は、次のように話し始めた。

 「生きる目標や生きがいを持ったガン患者の80%が末期でも5年以上生存しています。 これに対し、絶望感を持った患者は20%しか生存していません。 人間の体内でガン細胞と闘うのはリンパ球ですが、そのリンパ球の働きをコントロールしている間脳と呼ばれるその中枢の働きを活性化させるのがファイティングスピリット つまり闘争心、生きがい、ユーモアなどといったプラスの心理状態なのです。

 生きる目的を持って病と闘う、つまりチャレンジ精神こそ闘病の特効薬と言えるのです。 だから生きている間にぜびご主人がしたいことを実行するチャンスを与えてあげて下さい。 「生きがい」を持つ事は大脳生理学的なガンの治療法の一つとして証明されています。 つまり「精神神経免疫学治療法」として確立されていて生きがいを持った患者さんの生存率が優れていると言う事実が注目されているのです。 いくら放射線や化学療法でガンを破壊しても、免疫力が低下していればそれを免れ残ったガン細胞が再び大きくなり、何度も苦しい辛い化学療法を繰り返す事になります。 だから免疫力が高いことが大変重要なのです」と。

 紀子は数日前 夫に何かやりたいことを何でもやっていいわよ・・ と伝えたことに医師は大いに賛同し、自分が決心した事に安堵した。 そして これからケアする紀子を励ますように医師は言葉を続けた。

 「死の恐怖は人間の本能だからいくら努力してもそれを無くすことはできません。 死の恐怖を振り払おうと努力すればするほどそのことに心が集中し強まるばかりです。 だから死の恐怖はそのままにしておいて、それよりも人生を有意義に過ごそうと生きる欲望の方へ心を向け、それに懸命に取り組む。  恐怖心をそのままにして現実の生き方を変えるようにしていけば死の恐怖と共存できるようになるのです。 逃げてはダメ  怖いのは人間の本能だから否定できない  当たり前のことで仕方ないと死の不安や恐怖を認めることが大切です。 

 大切な事は、それを認めつつ現実の取り組み、つまり奥様ならご主人が生きている間にしたいこと、今日しなければならない事に一生懸命に取り組み、その行動によって不安をコントロールしていき、心と行動を分けて考え、不安と共存するのです。 怖ければビクビク、ハラハラすればいいのです。 人間の本能だからそれは当たり前で自分の意思で変えられるものでなく、絶対になくなりません。 それよりそれを無くそうと無駄な努力をやめる事・・ ありのままでいいのです。 今日必要な事を一つ一つしっかりやる すると人間の心というのは同時に二つのことを同じ強さで考えることはできないので和らぐのです。

「病気になっても病人にならない」ことが大切です。 「苦しい時ほど行動を!」ですよ。 それにガンは安静にしたから治るというものではありません。 特に大脳の働きが自律神経の中枢を通じて体の免疫系に作用して効果を挙げるので、常に心の構え方、プラスの心がガンの抵抗力を大幅に高めるのです。 人間の感情というのは心の自然現象で、それには自分の意思が通じません。 だからいくらコントロールしようとしてもムダです。 しかし 感情は環境の変化と行動に伴って変化できるのです。 家でウツウツしていた人が山歩きなどに出かけると感情が変化する  つまり行動には意思の自由があります。  だから懸命に打ち込むような毎日が続けば免疫中枢の活発化につながり、当人はもとよりケアする奥様も楽になります・・」と。

 

  紀子は医師の話し一つ一つに乾いたスポンジが一気に水を吸い込むように吸収し心に響いていった。  そして今やっている自分のヨガの教室も今まで通り運営していくことにした。

  四日目の朝、哲也が 「やりたいこと・・」と口に出したのが紀子には予想外の事柄だった。 

「最後に・・ 箕面の森の中に小さな山小屋を建てて住んでみたい・・ それと 体力がある内に東海自然歩道を歩いてみたい・・」と。

  今までなら勿論一笑にふし「何を子供みたいなバカなことを言ってうんですか 何を考えてんの?」と怒るような内容だけど、じっと堪えると共に哲也の話しを聴いてみることにした。 「なぜ 最後となるかもしれない望みが山の中なの?」 紀子はいぶかしげに思いながらも哲也が真剣な眼差しなのでもしそれが本気で生きがいにつながり、一日でも元気に生きてくれるのであれば・・ と前向きにとらえるようにした。

  それから哲也は紀子と何日も話しあい、検査漬けでチューブに繋がれたスパゲティー体となり、薬の後遺症に苦しんで亡くなりたくない・・ と、当初の医師が勧めた放射線治療や化学療法といった治療方針を一切やめにして自然体でガンに望むこととした。 そうと決まるとあれだけ生きる屍化していた哲也がベットから起き上がった。 

 そして周りの人には自分の症状は伏せ、自力で歩けるうちにと外へ出かけるようになった。 「近くに来たので・・」と用事にかこつけ親しい友人やお世話になった人たち・・ 少し遠い所の大切な人々とも会い、自分なりに最後の別れをしてきた。

 紀子は哲也の最後の望みを遠くに暮らす子供たち家族に話し、各々が共有することにした。 そして毎日のように電話で相談できたので心強かった。 そして紀子は山小屋より先に歩けるうちにと哲也が望んだ<東海自然歩道>とやらを歩きたいという望みをかなえるために情報を集めた。 しかし これが調べるほどにとんでもない事だと分かってきた。

 「明治百年」を記念して昭和42年に指定され誕生した「箕面国定公園」と、東京・八王子の「高尾国定公園」とを結ぶ一都二府八県を結ぶ全長1.697kmの山岳歩道なのだからビックリした。 「まさかここを・・? 大変な事を言い出したものだわね・・」 哲也は・・「いろんな夢があったけど、これならゆっくりマイペースで休み休みしながらでも歩けるかな? と思ってね」 と事もなげに言うのだった。 でも最後の望みとあらば・・ と家族は渋々納得したものの心配は尽きなかった。

  スタートは東京の高尾山の基点地から、箕面のビジターセンターにある基点地へ向けて歩くようにした。 紀子も子供たち家族も「どうせ2~3日歩いたら自分の体力の限界を知ってすぐに諦めるわよ・・」と信じていた。  しかし 山の中のコースなのでいざという時の為に山岳用GPSやスマホ、ミニPCなど最新の近代機器を持たせ、緊急時のサポート対応もセキュリティー会社と契約し、常に位置を把握し連絡を欠かさないようにした。 更に 近くの山里の病院や救急対応も調べた。 紀子は哲也と共にこの準備に忙殺され、少し前のあの恐怖や不安から逃れられた。

  5月の始め・・ 事情を知っている子供たち一家も各々東京まで足を延ばし、八王子の高尾山頂に集合した。 哲也はみんなに見送られながら、ゆっくりゆっくりとスタートした。いよいよ哲也の念願だった<東海自然歩道>の歩き旅が始まった。

  紀子は不思議な事に夫と二人でいるときは今まで余り会話もしなかったのに、哲也が旅に出て別々に過ごすようになると、毎日よくここまで話すことがあるかと思うぐらいケータイやメールで話し合った。 哲也も山を歩きながら、夜テントの中から、朝のおはよう! から 夜のおやすみ! まで何度となく連絡をとった。 そして 2日に一回毎 更新される哲也の山ブログは、遠くで心配する子供たち一家にもそれぞれ安心感を与え、家族それぞれが見守る事ができて当初の不安を拭い去っていった。

 更に 紀子はアクセスのよい所まで新幹線や在来線を乗り継ぎ、山里に下りてくる哲也と出会い、時には一緒に歩いたり、里の宿をとることもあったが、何度かは哲也の野宿するテントで一緒に夜空を見上げ、満天の星を眺めながら朝までいろんな話しをしたりもした。 二人にとってこんなに夢中で話し、笑い、楽しい一時をすごしたのはあの若き恋人時代の時以来だった。

  哲也はそうして静岡、愛知から岐阜、京都を経て大阪府内に入ったのは出発して100日を過ぎていた。 やがて歩きなれた茨木の泉原から箕面・勝尾寺裏山の<開成皇子の墓>に着いた。

 実はいろんなアクシデントがあり、病院に救急搬送されたこともあったが大事には至らなかったこともあり、何とか無事に箕面の山までたどり着くことができた。 哲也はとうとう1.700kmほどの東海自然歩道を、予想以上の時間もかかったものの、118日をかけて歩破した。 

 終点の箕面ビジターセンター前にはあの高尾山で見送ってくれた家族全員が再び集まり、近くの「箕面山荘 風の杜」でささやかなお祝いが開かれた。 日焼けした精悍な顔と活気溢れた体をみて全員の安堵感は計り知れないものがあった。 そして哲也の達成感、満足感はいっぱいで幸せだった。 哲也は一人一人に心から感謝した。

  しかし 現実にはあの余命宣告からすれば、哲也の命は後 50日に迫っていた。

 NO-3 へ続く


生きがいに生きる(3)

2020-11-01 | 第9話(生きがいに生きる)

箕面の森の小さな物語 

<生きがいに生きる>(3)

  長距離の山旅を無事終えた哲也は、あの余命宣告から自分の命が後50日もないのでは・・ と内心焦っていた。  家の中で1週間ほど体を休め、この山旅の体験をまとめる・・ と意欲を燃やしていたが、徐々に顔つきが暗くなっていく事に紀子は気付いていた。 「もうあと何日生きられるのかな・・ 間に合わない・・ 後はもう紀子さんとこの家でゆっくり最後を迎えたい・・」

  紀子は一つの目的を達成し弱弱しく話す哲也の顔をしっかりと見ながら・・ 「貴方はこの4ヶ月間、一般の健康な人でもなかなかできないことを諦めずに頑張ってやり遂げたわね すごい事だわ 貴方の最後の夢と言っていた「箕面の森の山小屋に住む」という夢 それ実現させましょ」 そういうと紀子は元気に立ち上がった。

「このままでは惰性に流され、残された日々を無為に過ごしてしまいそうで怖い・・」 「もう時間がないよ・・」と言う哲也を励ましながら・・ 「まだ50日もあるじゃないの・・」と哲也の胸をたたいた。  かつて事業の夢を語る哲也に紀子はそれを現実的に実現させてきた実績があった。「二人は最強のコンビだ! って貴方はいつも言ってたわねきっと この夢も実現できるわよ やってみましょ!」 紀子の行動は早かった。

 哲也の夢ノートには7年前 箕面の堂屋敷山を歩いていた時、その近くで見つけた<売り土地>の看板からだった。 そこから夢を広げた事が何頁にもわたり細かく記されていた。 紀子はそこに書かれたメモを頼りに早速売主に電話をしてみた。 「・・ああ もうとっくに忘れてましたわ」とのこと。 紀子が事情を話すと年契約で、しかも格安で土地を貸してもらえることになった。 「半年も使わないかも知れないけど・・ でも・・ よかったわ」 ノートには山小屋のイメージ図も書いてあった。 「これ なにかの模型?」 同じようなものが京都にある・・ と記されている。 そこで紀子は哲也を共にその京都を訪れた。

 それは下鴨神社の境内にあった。 今から800年以上の昔 「方丈記」を書いた鴨長明が日野山で暮らした方丈(4.5畳)ほどの小さな庵だった。 今もその「方丈記」とソローの「森の生活」を愛読する哲也にとってそれは夢の庵だった。 800年前の鴨長明と180年ほど前のソローにはその人生観に類似する所も多くあった。 それに地元の箕面川ダム湖畔にはその鴨長明が箕面を詠んだ歌碑があった。 みのおやま雲影つくる峰の庵は松のひびきも手枕のもと」と。

 哲也の目に再び精気がよみがえってきた事を紀子は感じていた。 「最後の望みが叶うかも知れない・・」 失いかけた希望の灯りが再び光り始めていた。 紀子は京都から帰ると早速具体的な行動を開始し、僅か3週間ほどで森の中に簡易なあの「方丈庵」を建ててしまった。  規制や規則上 電気も水道も無いけれど、屋根にはソーラーパネルを張り電源とし、雨水の貯水槽を設けて哲也が望む菜園の水遣りはそれで賄えるようにし、飲料水はまとめて特別に業者に運んでもらい、下水道は浸透式として簡易トイレも備えた。

 あの「まだ50数日もあるじゃないの・・」と言った日から20日後哲也は正に夢に見た箕面の森の方丈庵へ引っ越した。 と言っても、寝泊りするのは週末だけとし、平日は体調を見て朝、紀子がヨガの教室に教えに出る時間に併せ、市道・箕面五月山線を上り、近くの山裾まで車で送り、夕暮れ時は近くの箕面ビジターセンター前まで迎えに来る事にしていた。 あの余命宣告の日は後僅かに迫っていた。

  哲也の森の生活が始まった。 哲也が若い頃から愛読し憧れていた鴨長明著の「方丈記」とヘンリーDソロー著の「森の生活」の一端が現実にできることとなったので、その喜びに毎日興奮した。  哲也は来る日も来る日も箕面の森の中を歩いた。 山小屋の横には小さな畑を作り、種をまき、水をやり手入れを日課とした。 あのマルチンルターが「・・今日 地球が滅びるという最後の日にも、私はリンゴの木を植える・・」の言葉を想いつつ、好きな梅の木も植えた。

 頭上を飛び交う野鳥や森の昆虫を飽きることなく観察し、こもれびの下でハンモックに転がり本を読んだり、お昼にはキノコや山菜採りをしてそれでスパゲティを作ってみたり・・ キャンバスを立て、好きな絵を描いてみたり・・ そんな日々の事をブログに書いてみたり・・ と、毎日を思う存分に楽しんだ。  毎日飽きることなくすることしたいことが山ほどあって、哲也は退屈する暇もなく生き生きとした生活に顔は見違えるほど明るく精気に溢れていた。 本当に後余命何日の人なのかしら・・? と、紀子は夫の元気ぶりに驚き喜んだ。

  そしてとうとう6ヶ月の余命宣告の日がやってきた。 その夜、昼間どれだけ山を歩き回ったのか分からないけど、横でグッスリとイビキをたてて眠る夫の姿に紀子は心底安堵した。

  それから週末 紀子は山小屋に泊まる哲也とともに何度も一緒に泊まり、寝袋の中で夜明けまで昔話しをしたり、哲也の箕面の山の話しを聞いたり、いままで全くしなかった世間話しにと話題は尽きなかった。 哲也に死を連想させる兆候は何も見当たらなかった。 このまま穏やかな日々が続いて欲しいわ・・

 

  やがて哲也は体調を見ながら箕面の森で活動する団体のいくつかの催しやイベントにも参加するようになった。 箕面で活動する団体は沢山あり、その中でも里山や森の自然に関する活動も多く、参加することに事欠かなかった。 なにしろ明治の森・箕面国定公園は大阪の都市近郊にあり、963ヘクタールと小さくとも、約1100種の植物と約3500種の昆虫が確認されている日本有数の自然の宝庫なのだ。

  哲也は最初に「みのおの山パトロール隊」のクリーンキャンペーンに参加し、山のゴミを拾いながら山地美化活動を始めた。 「箕面ナチュラリストクラブ」や 「箕面自然観察会」 「箕面の自然と遊ぶ会」 などでは自然を愛する人々からいろいろと学び教えてもらった。

みのお里山ふれあいプラットホーム」では六箇山での間伐作業に汗を流した。 「箕面観光ボランティアガイド」の講習を受け、時には一緒になって一般の方々のハイキングガイドをしたりした。 「箕面ホタルの会」「勝尾寺川ほたるの会」でホタルを楽しみ、「しおんじ山の会」では如意谷で、「外院の杜クラブ」ではあたごの森での作業に汗を流した。 「みのお森の学校」では里山を学んだ。「NPO法人 みのお山麓保全委員会」のイベントにもいろいろと参加させてもらい多くの山の友をえた。 「箕面の森の音楽会」を楽しみ、「箕面市の美術展」では山小屋で描いた箕面の森の絵を出品したりして楽しんだ。

 そして紀子は生徒が増えて忙しくなった自分のヨガ教室だが、それ以上に大切な哲也の為に時間をつくり、二人で小旅行にでかけたり、音楽コンサートや観劇などを楽しみ、たまにはホテルで二人してお洒落しディナーを楽しんだ。

 7年以上の歳月があっという間に過ぎていった・・

  定期的に受診するたびに医師は首をひねりながらその体調ぶりに驚いた。 「このままいけば健康になってガンが消えるかもしれないわね」と、紀子は心の中で喜んだ。 しかし お互いにそれを忘れかけていた頃・・ ある日 突然恐れていたその日がやってきた。 哲也はいつもの山歩きの途中 山の中で突然大量の吐血をし、今まで感じたことの無い激痛に見舞われた。 それは契約しているセキュリティ会社が哲也の異変、異常に気付き、山岳GPSで山中を特定し、救急隊がその山道を上り、意識を失いかけ苦しんでいた哲也を発見し、救急搬送された。 紀子は医師から静かに・・「もうそろそろですね・・」と告げられた。

  モルヒネによるペインコントロールにより生気を取り戻した哲也も、いよいよ天国からのお迎えが来た事を悟り、最後のお願いと一日だけ一人山小屋で静かに最後の時を過ごした。 そしてお世話になった家族や友人、山の友など一人ひとりにお礼の手紙を書き、描きためた小さな油絵を感謝を込めて添えた。 箕面ビジターセンターの駐車場で哲也のGPSモニターを見つめていた紀子は旧修験道から箕面自然歩道を下ってくるいつもの哲也を待っていた。

「もうここで待つことも今日で最後になるのね・・」 そう思うととめどなく涙が流れ落ちた。

 車の後部座席にはこの朝出版社から届いた本が積まれていた。 その一部は箕面市立図書館に収蔵されることになっている・・ この一年ほどの間、哲也はベットに入る前に少しずつ箕面の森での出来事などを綴っていた。 その姿が生き生きとしていたことも思い出される。 「貴方のノートパソコンは生きた証しでいっぱいだわね・・」

  やがて満ち足りたようにいつもの明るい笑顔で哲也がゆっくりと山を下ってきた。 四方の山々に向かって深々と頭を下げている。 「ありがとう ありがとう この生きとし生ける自然界の全てにありがとう・・ 私も千の風になり、この箕面の森を吹き渡れますように・・」

 

 車の助手席に乗った哲也は「紀子さん 貴方のお陰であの余命6ヶ月の宣告の日からこんなにも命永らえ生き生きと過ごす事ができました。 本当に心から有難うございました。 私の人生は貴方のお陰で最高に幸せでした。 ありがとうご・・」 哲也は紀子の顔をしっかりと見つめ両手をしっかりと握りながら、妻への心からの感謝を伝えたが、最後は涙で言葉にならなかった。

  二人の乗った車はゆっくりと森を離れ、箕面ドライブウエィを下り、しばし哲也の終の住処となるYCHホスピスへと向かった。

  10日後、哲也は家族に見守られながら自分が望んだホスピスのチャペル礼拝堂で好きな賛美歌に包まれながら昇天していった・・ 主よみ許に近づかん 昇る道は十字架に・・ その幸せに満ち足りた顔には天使の微笑みが残されていた。

  医師は・・ 「人は早かれ遅かれ100%死ぬんです。 そこで心から人生を満足して死んだ人がやっぱり一番幸せなんです。 そしてそんな人を看取れた家族もまた悔いを持たず、幸せに生きていけるんですよ・・」と語った。

  年が明け 箕面の森に美しいウグイスの初鳴きが響き渡る頃、 あの日 哲也が初めて箕面の山小屋に入った日に植えた一本の梅の木に今年も沢山の花が咲いた。 久しぶりに思い出の山小屋を訪れた紀子は両手を広げ、箕面の森の上空に吹く穏やかな初春の千の風を受けながら一言 笑顔でつぶやいた・・ あなた! 

(完)