みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*森の力Go Go !(1)

2021-03-26 | 第22話(森の力Go Go)

箕面の森の小さな物語(NO-22)

 *<森の力 Go Go!>(1)

 

  主婦の松坂 瞳は、今朝も早くから起き、食事の準備を始めていた。 子供と自分の二人分の朝食を作ると、次いでお昼のお弁当二人分をランチボックスにつめ、飲み物を用意した後、ベランダに出て今日の天気を確認する。 TVの予報では、午前中は晴れだけど、午後からは天候が雨模様のようだわね・・ 夏から秋への季節の移り目だから、特に天候には注意せねば・・ 雨合羽も傘も用意しなくちゃ・・

  一通りの準備が終わると、賢治を起こしに寝室に向かう。 「ケンちゃん  おはよう・・!」「アー ウー ウー ウー」 「今日は箕面のお山へ行くのよ・・ 早く起きよう・・」  眠そうにしていた賢治は、山と聞くとすぐに起き上がった。

  瞳は賢治をトイレに連れて行き、次いで洗面所へ、それが終わると朝食を食べさせ、着替えを済ますと、もう賢治は玄関で早く早く・・ という仕草で待っている。  「ケンちゃん もうちょっと待ってね・・」「アー ウー ウー ウー」  今日は週1回の山歩きの日で、賢治は唯一生き生きとした目をする日なのだ。 それだけに瞳も頑張らねばと、気合の入る日でもあった。

  賢治は14歳になったばかりだが、出産時のトラブルに加え、幼い頃から先天性脳機能障害・自閉症に精神障害を抱えていた。 ここ数年は少し落ち着いてきたので支援学校に通っているが、それでも週1回は特別に頼んで、二人で箕面の山歩きをしてきた。 それにはそれなりの理由があり、またその効果も着実にあるのだった。

  瞳が夫の英和と結婚したのは39歳の時だった。 そして41歳の時、初めての子供 賢治を授かった。  瞳は長い間、日本のナショナルフラッグとして世界の空を飛ぶ航空会社のキャビン アテンダントとして活躍してきた。  しかし、会社の厳しいリストラ策もあり、同僚の英和と10年近い交際期間を経て結婚したのだった。 英和は今も国際線の機長として忙しく働いているので、賢治の世話はこの14年間ほどんど瞳一人でしてきていた。

  当初は辛く苦しい思いの毎日だったけど、賢治の成長と共に、自分も一歩一歩と成長してきた感がする。 しかし、もう55歳を過ぎ、小柄な瞳は夫の背丈ほどに大きく成長した賢治を一人では到底抱きかかえる事はできなくなっていた。 それに長年の介護生活で腰痛に悩み、更年期障害もあって、後何年こうやって一緒に山歩きなどできるのかと、不安でいっぱいだった。  しかし、週1回の山歩きだけは何があっても頑張って二人で歩いてきた。 それは息子のいつもとまるで違う、生き生きとした喜ぶ笑顔が見たいが為だった。

  それは10年前、賢治が4歳になった頃、ある日3人で箕面山中勝尾寺園地訪れ、近くの森の中を歩いた事があった。  その時、賢治がそれまでと全く違う表情を見せ、目を輝かせ、嬉々としている姿を発見したことが発端だった。 それ以来、夫の休日に合わせ3人で森の中を歩いたりしてきたが、それがいつしか週1回、家の近くの箕面の森を歩く瞳と賢治の習慣になっていった。 そして賢治は、その日が来るのをいつも心待ちしている様子だった。

  賢治の症状は、脳に起因する認知や対人コミュニケーションの障害も含め、他人からの呼びかけに反応せず、特定の事には強いこだわりを持ったりする。 それに独り言で話したり、奇妙な動作をしたり、時には急にパニック状態になったり、自傷行為をしたりするなど特徴があり、更に精神遅延の知的障害を併発していた。 それだけに一人にすることはできず、常に誰かが目を離さないように見守っていなければならなかった。

 現代の医学でその治療法は、事実上不可能と言われているのだった。 それだけに夫婦は、賢治の将来をどうしようかといつも悩んでいた。 賢治は人々が密集するような街を嫌う傾向があり、対人距離もおかねばならないので、気の休まる時がないのが現状だった。 それだけに森の中を歩き、自然を相手に過ごす事は最適の選択だった。

 「さあケンちゃん そろそろ出発しようか・・ でかけるよ! GО GО!」「ゴー ゴー  ウー  ウー」 これが二人の合言葉だった。 

 二人は箕面駅前から瀧道に入り「一の橋」から左の桜道を上った。  早速 森の中から ツツー ピー ツツー ピー ツーピー  とシジューガラの鳴き声が二人を迎えてくれる・・ 賢治はとたんに森を見上げ、 どこにいるのかな~ と見回すようにしながら元気な笑顔をみせた。 日頃見せないその笑顔に、いつも瞳は涙がでるほど幸せを感じるのだった。 パラ パラパラ バラ・・ と 木の実が落ちてきた・・ 見上げると高い木の上で、数匹の野生猿が枝から枝へ飛び移りながら、木の実を採って口に入れている姿が見えた。 賢治はその姿を飽きることなく眺めている・・

  やがて坂道を上り、桜広場へ向かった。 「ケンちゃん 待って! もっとゆっくり歩いて・・ 最近だんだんと早くなるわねー 」 少し前まで、賢治は瞳と手をつないでゆっくりと歩いていたのに、もう足も早くなり、どんどん先に進むので、瞳は賢治の後をついていくのがやっとだった。

 瞳はこの10年、賢治と一緒に箕面の里山から森の中を随分と歩いてきた。 週1回で年間50余回だから、もう500回位歩いてきた事になるので箕面の森の地理はそれなりに熟知していた。 それでも同じところを何度歩いても、四季折々の季節やその時々の天気、自然界の変化など、全く違う森の様相を体験してきたので、今迄飽きる事は一度もなかった。

 「ケンちゃん 一休みさせて・・」 ずっと先に行く賢治を呼びとめ、桜展望所前で瞳は汗を拭った。 「ケンちゃん お母さん ケンちゃんの速い足についていけないの・・ だから お母さんに合わせてもう少しゆっくりと歩いて頂戴ね・・」 賢治は聞いているのか、聞こえないのか?  上空を飛ぶ鳥をじっと見つめている・・

 瞳が双眼鏡をリュックから取り出しその鳥をみると・・ 「あら珍しい・・ あれはオスプレイね  ほら鷹の一種のミサゴという鳥よ 急降下して池や川の魚を捕らえて食べたりするのよ  米軍が沖縄に配備した飛行機につけた名前と同じね・・ ケンちゃんもお空を飛んでみたいわよね・・」  瞳はいつも反応の無い賢治に、こうやって話しかけていた。 そしてこの10年 鳥の名前や樹木や花、植物、小動物、昆虫の名前まで、賢治と一緒に図鑑などを見ながら自然と覚えていた。

「さあ 出発しましょうか・・ GО GО!」「ゴー ゴー ウー ウー」  桜谷に入り、少し倒木で荒れた谷道を北へ向かって登る。 横手には小さな谷川が流れ、耳に心地いい響きが届く。 杉や檜の高木が林立し、昼なお暗き森が広がっている。

  森の中にはいろんな樹木、植物、小動物や昆虫類、微生物など幾種もの生命体がいるし、地形的な高低変化が多い自然空間がある。 その一つ一つの様相や変化は、医療的なリハビリテーションがまかなえる自然環境なのだ。  森の中へ差し込む木漏れ日の光、森の中を吹き抜ける風、フィトンチッドに代表される森の香り、木々や植物、花々の発する自然の匂い、そして四季折々の変化、春の若芽の息吹から、夏の緑陰、秋の結実、紅葉、落葉、そして雪に覆われた景色、雨もあり、風もあり、森それ自体がバランスのとれた生態系であり、さまざまな生命体の集合であり一つの世界なのだ。 そしてこれらの環境要素をも森林と接する事は、人間が本来持っている内的な生活リズム、つまり内なる自然のメカニズムを取り戻す事ができる・・と、瞳は英和と共に賢治を通して肌で学び実感してきた事だった。

 「ケンちゃん ここで休憩! お母さんに一休みさせてね・・」 賢治は瞳が一休みしている間、その周辺の森の中に入り、いつものようにキョロキョロしたり、何かを手にとって眺めたりしている。 瞳は自分の弾んだ息を整えながら、賢治から目を離さないようにして腰を下ろした。 「ケンちゃんが森の中で迷子にでもなったら大変だもの・・」 そして8年ほど前、親子3人で過ごしたキンダーガーデンのことを思い起こしていた。

 しかし この後 瞳にとって人生最悪の岐路に立とうとしている事を知る由もなかった。

 

(2)へつづく

 


森の力Go Go !(2)

2021-03-26 | 第22話(森の力Go Go)

箕面の森の小さな物語 

<森の力 Go Go!>(2)

 

  キンダーガーデン・・ それは賢治が6歳の時、夫の休暇を利用して一ヶ月間 デンマークのコペンハーゲン近郊にあるゾーレドードという小さな村の「森の幼稚園賢治を入れたときのことだった。

  キンダーガーデンとは、ドイツのフリードリッヒ・フレーベルによって1837年創設されたもので、子供達が自然の中で伸びのびと遊び、その遊びを通して子供同士の社会性を学び、創造性や感性を磨いていくという趣旨の「森の幼稚園」だった。  そこには特定の園舎など一切なく、森の中や野山をフィールドとして大自然のなかを教育施設としていた。 当時、デンマークに60余ヶ所、ドイツには220余ヶ所以上あり、増加中と言う事で、現在はもっとポピュラーになっているかもしれない。

 それは毎日、広葉樹林の森の中や牧草地、川のほとりやどこでも自由に遊ぶもので、子供達には自発的な行動と予想外に発生する諸々の自然事象に委ねられ、雨の日も風の日も、雪の日もお構いなしに、夏はパンツ一枚で泥んこになって遊びまわる。  職員は安全対策に専念する姿勢が基本で、子供らが自然の中で五感を生かして遊ぶ事が尊重された。 この自然の中から学び、成長して大人になった時の心の成長、協調性、健康性、優しさや人への思いやりなど社会性を備え、人間性の向上に大きな成果があると実証されていた。

  賢治もその一ヶ月、健常者と一緒になって遊び、森の環境変化に自ら身体を保護することなどを体験的に学んだようだった。 それに自然に働きかけて遊びを形成していくことから認知判断能力が育成された感じがした。 森の中の木の枝、葉、土、石など、自然のものを使って遊ぶ事によって指に細微動作能力も向上したように思う。 それに何より、昼間の遊びから夜の睡眠がグッスリとなり、生活のリズムが安定し、ストレスが解消されるのか山歩きの時にパニックが起きることは一度も無かった。  内的フラストレーションが発散され、意識が外へ向かうからだと感じた。

 「さあ出発しましょうか・・ ケンちゃん行くよ・・ あ れ? どこ? ケンちゃん!」 見ると待ちきれなくなったのか、大分先の方を一人で登っていく・・ 「これは大変! 急がなくちゃ・・ 見失ったら困るわ」 瞳はいつになく息を弾ませながら賢治を追った。 するとしばらくして賢治が戻ってきた。

「よかったわ ありがとう 戻ってくれたのね・・」 すぐ後ろから、賢治の通う支援学校で同じの石田さんが下ってきた。 「こんにちわ 今日はこのコースなのね ケンちゃん速いわね」 「そうなのよ もう私付いていくのが精一杯よ あれ 淳ちゃんわ? ああ来た来た・・ こんにちわ」 子供二人はそれぞれに会話もなく、別々にウロウロしている。

  瞳は賢治の通う支援学校の父兄たちと、時々同じ悩みや苦しみを話し合い共有していたが、この瞳の山歩きを知った石田さんや数人の保護者らも同じように箕面の山歩きを子供と始めていた。 子供の成長と共に父親と歩く人もいた。  そしてそれぞれにそれなりの成果を挙げていた。 しかし瞳は、みんながまだ自分より10歳以上も若く、体力がありそうなので羨ましかった。

「あ! ケンちゃんどこ? もうあんな所まで行ってしまって・・ ごめんね  またゆっくりね  ケンちゃん待ってよ・・ もう・・ 今日はどうしちゃったのかしら?」  瞳は石田さんと別れると、必死になって賢治を追いかけて上っていった。 本当に森の中で賢治を見失って、迷子にでもなったら大変な事になる・・ しかし 先ほどから賢治の姿が見えない・・?  「ケンちゃん 待って! もう本当に待ちなさい!」  怒り声で叫んでみても、何の反応もない。

  やっとの思いで、尾根道の「ささゆりコース」に出たものの、左も右の山ノ神コース」にも、全く人の気配がない・・ 「少し手前の道を左に曲がったのかしら?   そう言えば賢治はあの先にある<望海の丘>から大阪の街を一望するのが好きだったわね・・」 瞳は引き返し、「松騒コース」を西へ向かった。 「どうしよう・・ どこへ行ったのかしら? ケンちゃん ケンちゃん」 瞳の胸は急に高まり、心臓は激しく波打ちながらも、必死になって賢治の名を呼び続けた・・  そして事故は起こった・・

  瞳は突然目の前が真っ暗になったかと思うと激しいめまいがし、胸が急に苦しくなった。  そしていつしか山道から足を踏み外し、南側の谷間へ転げ落ちていった・・ 「ケンちゃん・・ ケンちゃん・・待って・・」

 

  その頃、英和はニューヨークからのフライトを終え、関西国際空港から箕面の自宅へ車を走らせていた。  次のロンドンフライトまで3日休める・・ 瞳はいつもメールで賢治との生活や行動を英和に伝えているので、今日の二人の予定も把握していた。  いつものように「今 帰ったよ・・」の電話を入れる。 「あれ? つながらない・・ なぜ出ないのかな? そうか山の中で電波が届かないのかな?」

  最近は箕面の山の中にも次々と中継基地が設けられ、少しずつ電波状況も改善されつつあるのだが・・ 何度かけでも出ないので息子のケイタイへ・・ と言っても彼は全く操作はできず使用できないので、何かあったときの為にGPS機能を活用すべく、服の内ポケットにいつも入れてあった。  英和が双方に電話しながらGPSをみると・・ 「あれ? 二人の位置が離れている・・ 瞳は一ヶ所に止まったまま、賢治はどんどん離れていく・・ おかしい? 何かあったんだ・・ 」  英和は急に何か嫌な予感をつのらせ、車のアクセルを踏んだ。

  しかし、途中の阪神高速・堺線で大渋滞に巻き込まれてしまった。 高速道では横道にそれることもできず、全く身動きがとれず、気が焦るばかりだった。

 

  その頃、賢治は歩きなれた山道をあちこちと走り回っていた。  山歩きや森の散歩は、賢治にとって最高のレジャーだった。 いつもお母さんと一緒だが、徐々にいつしか自分で自分の世界の中で自由に歩き回りたい気持ちになっていてもおかしくなかった。 しかし 賢治は、自分がいまどこにいるのか全く分からない・・?   ただ目の前の自然の中を、気持ちよく翼をつけたかのように自由に歩きまわっていた。  それは時には道なき道であったり、藪の中であったり、獣道や岩場、枯葉に埋もれる谷間だったりした。 しかし 今 いつも後ろにいて話しかけてくれるお母さんがいない・・ でも賢治の好奇心は、その疑問を通り越して、目の前に広がる自分の興味に没頭していた。

 やがて空が急に暗くなり、雲行きが怪しくなってきた。 突然 ピッカ! ドカン・・ パリ パリパリ バリ・・・ 遠くで、季節の移り目のカミナリ音が響く・・ すぐにでも雨が降りそうな気配・・・

 ピッカ!  ドカン・・ バリ バリバリバリ

 突然 賢治の頭上で、大音響と共にカミナリ音が響き、近くに落ちた。 賢治は ドキン!とし、ビックリした顔つきで振り返った。 いつもいるお母さんがいない・・ 賢治は急にパニックに陥った。

 ワー ワー ワー ワー

 大声をあげながら母親の姿を探し始めた・・ しかし いくら大声で叫んでみてもお母さんは応えてくれない・・ やがて ポツリ ポツリ・・ と大粒の雨が降り始めた・・ そしてそれは、急にバケツをひっくり返したようなものすごい勢いのドシャブリ状態となって、激しく森の木々をたたきつけた。 賢治は初めて聞く突然の大音響と激しい大雨に、そのパニックは頂点を通り越していた。  そして びしょ濡れになりながら大声をあげつつ、森の中を一人さ迷い続けていた・・

  その頃、瞳は激しい大粒の雨に打たれながら胸の痛みに呻いていたが、やがて気を失ってしまった。 そして 山道から6mほど下の谷間に落ちた所で、杉の木の根元に引っかかり止っていた。背負っていたリュックには、二人分のランチボックス、水筒、タオルや薬箱、それに着替えや雨具など、いつもの必需品がぎっしりと詰まっていたが、何一つ使われることなく雨にたたかれていた・・・

 

(3)に続く

 


森の力Go Go!(3)

2021-03-26 | 第22話(森の力Go Go)

 箕面の森の小さな物語

<森の力 Go Go !>(3)

 

  英和は渋滞で動けない高速道上から、次々と電話を入れていた。

やっと石田さんとケイタイがつながり、桜谷で昼前に二人に出会ったことを知った。 しかし その後の事は分からない?  見れば、北の箕面方面は真っ黒い雲に覆われ、時々稲光が見える・・  嵐だ!

 英和は数年前、瞳と相談して箕面北部の止々呂美(とどろみ)の山中に300坪程の土地を購入していた。 賢治の為にも、いずれ山の中で生活する事を望んでいた。 何といっても賢治が周囲に迷惑をかけることなく、本人自身が一番好きな森の中で、あのキンダーガーデンでのように、伸び伸びと遊び暮らせる事が何よりと考えたからだった。

  それにもう一つ、賢治には夢中になれるこだわりのものがあった。 それは5歳の時、障害児の美術指導をしてくれていた絵の先生に個人指導を仰ぎ、その後めきめきと個性を発揮してきた事だった。 そこで家の3帖ほどの物置部屋を改造し、特別の壁紙を貼り、その中で自由に絵を描かせた。 賢治はそれが気に入ったのか、毎日遅くまでその部屋にこもり、あれこれと壁面いっぱいに黙々と絵を描いていた。

  そして8歳の時、絵の先生の薦めもあり、一枚をイタリアの障害者国際美術展に出品したことがあった。 それがユニークな絵として審査員特別賞を受賞したのだ。 箕面の森の中で体験した自分の心のうちを素直に絵に表現したものとして高く評価されたようだ。  それ以来、毎年出品するようになり、いつも何らかの賞を受け、昨年は初めて銅賞を受けた。  これから銀賞、金賞、グランプリと一歩一歩目指す目標があった。 それだけに森の中に家を建てたら、賢治の絵の部屋をちゃんと作ってやろうと夫婦で話し合っていた。

 それに瞳も、そんな賢治の横で一緒になって絵を描いてきたので、今では本格的に道具を揃え描き出していた。 だから新しい家をつくったら、賢治の部屋の横に瞳のアトリエも作ろうと話していた。 英和は退職したら、その新しい家で好きな陶芸をやりたいと思っていた。 その焼き釜を設ける為にも、山の中は適している・・ と 夢を描いていたのだが・・

  やっと前方の車が動き出し、英和はふっと我に返った。 阪神高速・池田線に入ると、アクセルを全開に踏み込んだ。  強い雨がフロントガラスを激しくたたきつける。 「瞳は 賢治は 大丈夫か・・?」 その頃、英和から電話を受けた友達の石田さんらは、支援学校の連絡網を使い、雨の中を箕面駅に集合していた。 「ケンちゃんらに何かあったに違いないわ・・」

 

 嵐のような激しい通り雨が一段落し、薄日がさしてきた頃・・ 滝道の「一の橋」前で、急に若い女性らが悲鳴をあげた。

 キャー  キャー 近くの店の人が頭を上げ、叫び声の方を振り向いた・・ 「あれ!? あれは あの子は それに・・ あああ・・」

  5分後、店の人の119番通報により、近くにある箕面市消防本部救急車が、サイレンを鳴らしながら急いで瀧道を上がってきた。 石田さんら5人の友人達は 「きっとケンちゃんらに何かあったんだわ・・」と、胸を締め付けられる思いで、救急車の後を追った。

 英和は箕面駅前ロータリーに着くと、ロックもせずに車から飛び出した・・ 救急車が目の前を上っていく・・ 「何があったんだ? 瞳は? 賢治は? 大丈夫か?」  胸騒ぎが現実に目の前で起こっていた。  それぞれの思いで「一の橋」前に停まっている救急車にたどり着いた時、皆は目を疑った。

  あのケンちゃんが、ぐったりしたお母さんを背負ったまま、今にも崩れ落ちそうになりながらも必死に立っている・・ 二人とも全身泥だらけの格好で、服からその泥水がしたたり落ちている。

  救急隊員が意識の無い母親を担架に乗せようと、賢治の背中から離そうとしているが、賢治はしっかりと母親をつかんだまま離そうとしない。  3人がかりで「早く 早く 手を離して・・ 早く」と急き立てるが、賢治は益々力強く母親を離そうとしないでいた。 その時・・

「ケン ケン ケンちゃん お父さんだよ ケン まさかお前が・・ ケン お母さんはお父さんが・・ 大丈夫だ ケン すごいぞ!

  賢治は走ってきたお父さんの姿をみるや初めて手を緩めた。 そして涙が次々とあふれるままお父さんにしがみついた・・ 「よし よし よく頑張ったな もう大丈夫だぞ ケン すごいぞ   それにしても すごい・・ ケン ケンちゃん お母さんを ありがとう!」  英和は賢治をしっかり抱いたまま泣き崩れた。  やがて救急車は3人を乗せ箕面市立病院の救命・救急センターへとサイレンを響かせた。

 

  長時間に及ぶ緊急手術の後、医師からは・・ 「後30分も遅かったら、お母さんの命が無かったかもしれません・・ 大変危険な状態でした。 息子さんの大手柄ですよ・・」と言った。

  それにしても どうやって?  どうやってあの広い森の中で母親を探しだしたのか・・?  この奇跡はどうやって成就したのか・・?  それにあのドシャブリの嵐の中で母親を背負い、あの森の長い山道をどうやって下ってくる事ができたのか? どうやって どうやって・・・?

 関係者全員が、ただ首を傾げるばかりだった。しかし 何も喋らない賢治に、周りの皆はただうなづいた。

 森の持つ不思議な力だ! と。

 

  数日後、瞳の意識が回復し、面会を許された賢治は、父親と共に病院を訪ねた。  病室の北側の窓からは、箕面の森が一望できる。 「あのケンちゃんが、私の命を救ってくれたなんて・・」 瞳は、嬉しさと感謝以上に、息子の成長振りにポロポロと涙を流しながら賢治をしっかりと抱きしめた。

「ありがとうね ケンちゃん ありがとう・・」

 英和はこれを機に早期退職を決めていた。 そしてあの止々呂美の森の中に、新しい3人の家を建てる事をすでに瞳と話していた。 何度も何度も母親に抱きしめられるたびに、賢治は誇らしげな顔をして

ゴーゴー ゴー ゴーゴー と 母親との合言葉の声をあげ、周りのみんなを笑わせた。

 病室には、古代ギリシャの医学者 ピポクラテスの言葉があった。

「自然は全ての病を癒す」

 箕面の森が太陽に光り輝いていた。

 

(完)