みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*真夏の蜃気楼(1)

2020-07-16 | 第20話(真夏の蜃気楼)

箕面の森の小さな物語(NO-20)

*<真夏の蜃気楼>(1)

 それは7月下旬の事だった。 朝から暑い日ざしが照りつけている。

 美智子は、瀧道に新しく開店したと言うモダンなレトロ風のカフェを、覗いてみた。 箕面まつり>が始まり、芦原公園では夕方からの催しの準備が、賑やかに行われている。 箕面駅前ロータリーでも、明日の箕面パレードの準備などに忙しそうだ。 美智子は朝方、夫と息子らが2泊3日のキャンプに行くと言うので、車で箕面駅まで送ってきていた。

「さあ この3日間 何をして過ごそうかしら・・ 久しぶりに瀧道でもブラブラ散歩でもして見ようかしら~」と滝道上ってきたのだった。 毎日 男3人の中で、バタバタと騒がしく暮らしているので、時には静かにのんびりとカフェで本でも読みましょうか・・ 少しワクワクする気分だった

 箕面の森の入り口に、新しくオープンしたという緑に囲まれたお洒落なカフェの二階で、美智子はコーヒーを頼むと本を開いた。 新鮮な森の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、何年ぶりかで味わう開放感を満喫していた。

 夫の谷崎泰造は45歳、公務員で生真面目・・ 少しガサツで不器用ともいえる堅物、家と仕事場を往復するだけで面白みも無く、特別の趣味も取り柄もなかった。 しいて言えば、二人の息子達と時々キャンプに出かけるぐらいだった。

  美智子は21歳の時、母の知人の紹介で谷崎と見合いをし結婚した。 初めて聞く大阪弁に、当初はいつも怒られているようで、相当違和感や嫌悪感を覚えたものだった。 やがて長男、次男とすぐに生まれ、彼らが17歳、16歳となる今日まで子育てに追われてきた。 最近は子供達も大きくなり、そんなに手もかからなくなったが、家の中に大の男が3人、ゴロゴロしていると息が詰まる時があった。 しかし、20代 30代と必死に家を守り、子供達を育ててきた満足感はあったものの・・ どこか女としての寂しさもあった。

 「もうすぐ30代も終りね・・ ちょっと早くに結婚しすぎたかしら? 友人達のように、旅をしたり、恋をしたり、働いてみたり、もっと世の中の経験をしてからでも遅くはなかったのかな・・  後 数年で子供達は親元を離れていくし・・ そうしたら夫と二人だけになるのね・・」 美智子は少し冷めたコーヒーを口に含みながら、そんな事を考えていた。  セミの大合唱が森に響いている。

  その時だった・・ そのセミの鳴き音よりも大きな騒がしい話し声が、下の方から聞こえてきた。 美智子が何気なく下を見ると、大きなケヤキの木の下で、一人の背の高い外人が、さかんに何か言っている。 相手の人は近くの店の主人らしく困った様子だ。 美智子はどこか懐かしい言葉にふっと席を立ち上がった。

  会計を済ますと、下の通りに出てみた。 どうやら外人はバックパッカーのようで、大きなリュックに生活道具をいっぱいぶら下げ、長い旅の様子だ。 そしてさかんに何かを説明している。 店の主人も「誤解だよ・・ 親切に言ってるだけなんだけどな・・」と何か困惑している。 すでに 何事!? と10数人の囲いができていた。

  美智子の父親は、かつて在フランス日本大使館付の料理人だった。 母親は現地の人に、日本のいけ花を教えていた。 そんな両親の元で美智子はパリに生まれ、エコール・マテルネル(幼稚園)からエコール・プリメール(小学校)に通った。  しかし父が病気になり急逝した。 そこでやむなくコレージュを退学し、母親に連れられ、母の実家のあった横浜に帰国した。 そして、横浜で21歳まで過ごし、母の知人の紹介で谷崎と見合いをし、大阪の住人になったのだ。

  「もう何年も使ってないけど、フランス語会話なら聞くことも話すことも、そう問題なくできるかもしれないわ・・」 囲いの外から二人のやり取りを聞いていると、どうやら大きな荷物をいっぱい担いで瀧道を歩く外人さんに、店の主人が「もし大瀧へ行って、また戻ってくるのなら、店へその重そうな荷物を置いていってもいいよ・・ 預かってあげるから・・」と、親切に言ったつもりが、急に言葉も分からないまま荷物に手をかけられたので、ビックリして抗議している・・ という騒ぎの構図だった。

 bonjour

 美智子は前にでて二人の間に入り、流暢なフランス語で店主の趣旨を外人に説明した。 するとその外人さんは ゲラゲラ笑いながら・・ 「そうだったんですか ボクはてっきりこの荷物に問題があって、ここを通れないのかと思っていました・・」 その旨を店の主人に伝えると・・ 「誤解だよ・・」 二人は笑顔で握手を交わし、外人さんは店の主人の親切に感激し、丁寧にお礼を言うと、店の奥に荷物を預かってもらった。

 「bonjour  enchant    merci  beaucoup lln`y  a  pas  de  quoi puis  je  vous  demander  votre  nom? mon  nom  est  michiko」 

「ありがとうございます 貴方にお会いできてとても嬉しいです  私の名前は Jef ジェフ です」 「私の名前はMichikoよ  これから大瀧まで行くんでしたら、私がご案内してさしあげましょうか?」 「メルシー ボークー 本当ですか それはとても嬉しいです 日本の皆さんは本当に親切でとても感激しています  ありがとうございます」 「ドウ エテヴー ヴニュ どちらからおいでですか?」 美智子は気軽に話しかけた。

  美智子には予想外のハプニングだったけれど、久々のフランス語が相手に通じた事や、感謝されたりしたことがとても嬉しかった。 それに今日は一人だし・・

  美智子はジェフと並びながら歩いた。 箕面渓流の水の音、セミの大合唱、野鳥飛び交う森の道の先に音羽山荘そして梅屋敷の横には涼をいただく清流の饗宴ともいうべき箕面川床見えてきた。 箕面川のせせらぎ、心地よい涼しさの中で旬の食材、箕面産ゆずなども使った美味しい料理をいただくものだ。 ジェフは好奇心いっぱいに、その風情を眺めていた。

 昆虫館まえから瀧安寺に着くと、ジェフは目を輝かせた。 「ボクの仕事は建築士で、日本の伝統建築に非常に興味を持ちました。 実は昨年8月に故郷を出発し、アフリカ、中南米、北米と周り、日本には一ヶ月前に着きました。 それから大震災の東北を巡り、東京、松本、飛騨、彦根、そして奈良、京都に着いたのが5日前です。 ここまで各地で見た日本の歴史的建造物や建築美にカルチャーショックを受けました。 実は恋人を失い、人生の目標を見失ったので旅に出たのですが、自分の仕事の目標がこの日本でより明確になり嬉しいです。  3日後に帰国する予定です。 この箕面に立ち寄ってよかったです・・」

  「貴方の故郷はフランスのどちらなの?」 「ボクは南フランスのエクス・アン・プロヴァンスという人口14万人ほどの街です。 パリからTGVで約3時間、飛行機だと90分ぐらいです。 ポール・セザンヌが亡くなるまで絵を描き続けていた街ですがご存知ですか?」 「街は箕面の人口が13万人位だから似てますね。 セザンヌが愛した美しい水の都 パリに次ぐ麗しの都ね・・ 私はまだ行ったことはないけれど、プロヴァンス文化の素晴らしい美しい街だそうね・・」

 美智子も自分の生まれた故郷を話した。 「私はパリで生まれ、育ったの・・ 家は父が料理人をしていた日本の大使館から歩いて15分くらいの所のモンソー公園の近くにあったのよ。 少し東にあるブローニュの森まで、友達と自転車に乗ってよく遊びに行ったわ。 たまには北のモンマルトルの丘まで行って、塔からパリを一望したり、テルトル広場では絵を描いている画家の卵さんらとよく話したりして楽しかったわ・・」

  二人はお互いの身の上話をしながら瀧道を上った。 ジェフはしきりに左右の景観を楽しみながら、それ以上に流暢な仏語を話し、しかもこんなに優しく美しい女性と歩ける事の方を喜んでいた。 美智子は山の道を歩くような靴を履いていなかったので、すこし坂道ではゆっくりと歩いた。 でも長いジェフの足の一歩に追いつこうとすると2,3歩急ぎ足で歩かねばならず、少しつまずいてよろけた・・ 「あ-- 危ないですね  大丈夫ですか?  ボクが気がつかなくてごめんなさい もっとゆっくりと歩きましょう・・」 そう言いながらジェフは何気なく、自然と手をつないでくれた。 そしてしばらくそのまま二人は手をつなぎながら一緒に歩いた。 美智子は夫とも手をつないで歩いた事など一度も無かった。 それに夫はいつも一人で、先へ先へ歩くタイプなので、ジェフの優しい心遣いに、胸がドキドキときめいた。

  箕面大瀧で過ごした後の帰路は、二人ともお互いの事をもっともっと知りたい・・ の感情が残った。

  やがてジェフが荷物を預かって貰っていた店の前に戻り、丁重に感謝の言葉を店のご主人に述べた。 再び大きな荷物を背負ったジェフは、美智子とともに箕面駅へ向かった・・ 何となくこのまま別れるのが辛いわ 私どうしたらいいの・・ それに先ほどジェフと話していた「パリー祭」のことを思い出していた。

 子供の頃、あのシャンゼリゼ通りでみたパリー祭のパレードでみる消防士達の勇姿に、淡い初恋心を抱いていたものだが・・ 似ているわ・・ 美智子は自分の心の葛藤と闘っていた。 駅に着くと、いつしか二人は見つめあったままたたずんでいた・・ 「貴方は今晩どこへ泊まる予定なの?」 「ボクはこれからニシナリの安い宿を探す予定です」 「あの釜が崎のドヤ宿と言われてる所・・? それなら・・  よかったら私の家へ来ませんか・・ 夫と子供達はキャンプに行っていて、明後日までいないので・・」 

 美智子は衝動的にそう言ったものの、自分の心に素直に従ったまでだった。 ジェフは突然の申し出に少しビックリしながらも、満面の笑みを浮かべ有難く受け入れた。

  谷崎家は、箕面山麓の新しい分譲地にあり、3年前に新築したばかりだった。 まだ近隣には家も少なく、近所付き合いも余り無かった。 家の駐車場は建物の北側にあり、その裏は山なので人目にはつかない。美智子は朝方、3人を駅前へ送ってきたワンボックスカーにジェフを乗せ、自宅に案内した。

  朝 バタバタと出かけたので、慌てて片付けた・・ それにしても見ず知らずの人を家に連れてくるなんて・・ こんなにも大胆な事をしている自分が信じられなかった。 美智子は昨年、それまで横浜から呼び寄せ一緒に暮らしていた亡母の離れの部屋に、ジェフを案内した。 坪庭つきの純和風で、華道の先生らしくお花の似合う清楚な部屋だった。  しかし、床の間の掛け軸はまだ初春の梅と鶯のままだったが・・

「きれいなお部屋ですね。 日本を30日ほど旅してきましたが、こんなに美しい日本の部屋で泊まれるのは初めてです・・ ありがとうございます 貴方にお会いできて嬉しいです

merci  beaucoup   enchante   je  suis  enchante  de  faire  votre  connaissance.

 ジェフは感激しながら、重い大きな荷物を部屋に置いた。 「今から私 デイナーの準備をしますね。 今晩は家にある食材なのであまり期待しないでね。 お風呂が沸いたら知らせますから・・」

 美智子はもう自分が自分でないような・・ 自分の言動に戸惑いながらも、いつしか別の世界へと入っていった。

(2)へつづく  


真夏の蜃気楼(2)(3)

2020-07-16 | 第20話(真夏の蜃気楼)

箕面の森の小さな物語 

<真夏の蜃気楼>(2)

  美智子は大柄の長男がもう着なくなった浴衣を出しておいた。 ジェフが日本の風呂を満喫しつつ、初めて着る浴衣にまごついたり、その短すぎる丈を気にしながらも、嬉しそうにしている姿に、つい笑ってしまった。

 料理人の娘だった美智子は、短い時間で何品もの料理を作り、次々とテーブルに並べた。 「わー 美味しそうですね。 ボクも何か手伝います・・」 夕食前に何かお飲みになりますか? よかったらその棚からなにかお酒を出して・・グラスもね」 美智子の夫はお酒が飲めないので、頂き物の高級洋酒やワインが沢山棚にあった。

「これはフランスワインの最高級酒ですよ・・ これでもいいですか?」「勿論よ」

 それから二人は美味しい食事にワインを傾けながら、瀧道での話の続きに花が咲いた。 美智子のこれまでの人生でこんなにワクワクと心踊り、夢中になって話せる人はジェフが初めてだった。 そしていつしか青春時代の恋人どうしのように時を忘れて語り合った。 まもなくハト時計が静かに0時の時を告げた。

 ジェフはふっと我に返り、見つめていた美智子から目を離すと、思い切るように・・ ごちそうさまでした・・ どうもありがとう おやすみなさい」 そう言うと心残りな気持ちを抑え、部屋へ引き上げていった。 美智子は急に取り残されたような、寂しい気持ちに襲われた。 それでも何とかギリギリのところで理性を保っていた。

  時計は深夜2時をまわった。 美智子は眠れなかった・・ この心の思いは何なの?  悶々とし、何度も寝返りをうちながら、ずっとジェフの事を考えていた。 やがて意を決したかのようにベットから起き上がると、心の赴くままに動いていた。

 入ってもよろしいですか?」 美智子はそっとジェフのいる離れの部屋の戸を開けた・・ ジェフはベットの上に座っていた。 「michikoさん  貴方をずっと待っていました・・」 美智子はそのまま倒れるように、ジェフの胸の中に飛び込んでいった。 

 

  次の日の昼過ぎ・・

 二人は森の中にある勝尾寺・二階堂の前にある大きなケヤキの木陰で、ベンチから遠望する奈良の山々を眺めつつ、手を取り合っていた。 肌に心地いい涼しい風が吹き抜けていく・・ そして共に過ごした昨夜の余韻に浸っていた。 美智子はジェフの肩に顔を乗せながら、まるで天国にいるかのような幸せ気分に酔いしれていた。

  今日は日本の寺院建築をジェフに見てもらおうと来たものの、その後 駅前から西江寺をたずねた時も、二人とも異次元の世界に入ったかのように見つめあい、つなぐ手のぬくもりに魅せられていた。

 「そうだわ 今晩のデイナーは美味しい神戸ビーフのステーキにしましょう・・」 二人で駅近の高級スーパーで買い物をした。 共に二人の世界に浸っていて周りが見渡せなかったが・・ 店の外に出ると、大勢の人であふれていた。

「あれ? 今日は何があるのかしら? そうだわ 今日は<箕面まつり>のパレードがある日だったわね」

  やがて10数台のハーレーダビットソンが爆音を響かせて先導し、次いで箕面市長はじめ偉い人々がつづくと、カラーガード隊、青少年吹奏楽団、ダンス、仮装、フロート・・とつづく・・ 何年か前までは一家で見に来ていたものだわ・・ 美智子はふっとそう思ったものの、すぐにジェフの手を握り、すぐに夢の世界に戻った。 横では地元箕面FM局タッキー816のリポーターが実況生中継している。

 

  ジェフはこんなにも美味しいデイナーステーキを食べるのは初めてで感激した。 灯したキャンドルを囲み、ワインを傾け、ブランデーを楽しんだ。美智子がバックグラウンドミュージックに選曲したCDはチャイコフスキーの弦楽セレナーデ~2・ヨハンシュトラウスが賞賛した ”ワルツにフランスの香水をかけたよう” と称される美しい円舞曲が優雅に流れる・・ 二人は自然と手を取り合い踊り始めた・・ が、いつしかチークダンスに代わっていった。

 曲が終わってもそのまま抱き合っていたけれど・・ やがてジェフが選曲した曲が流れはじめた・・ チャイコフスキーの<眠れぬ森の美女> 二人は再び手を取り合いながら、この曲の内容をかみ締めていた。 <魔女の呪いにより100年間 眠り続けた王女オーロラは、希望という名の王子デジーレの口づけによって眠りから覚め、やがて二人は結ばれる・・>というもの。 やがて王子は王女に熱い口づけを捧げた。

 語り、睦合いながら、やがて美智子は生まれて初めて感じる官能的な世界へと入っていった。

 oh・・・ que  c`est  merveillenx!  oh!!  jef,  mon  jef(ああ・・・ なんてすてきなの!   ああ わたしの jef)je  vous  aime,  jef(愛してるわ jef) je  t`aime   je  t`aime   beaucoup  michiko(michiko 愛してます  愛してます・・・) ah・・・ comme  je  suis  heurerse(ああ・・・ わたしは なんて 幸せなのかしら・・・) 

(3)へ続く

 

真夏の蜃気楼(3)

  うっすらと東の空が白みかけてきた・・ 「このままずっと二人でいたいわ・・ もう7月のパリー祭は終わったのかしら?  貴方と一緒に懐かしのパリに行きたい・・」 美智子はいつしか、自分の感情を抑えられない気持ちを抱いていた。 そしてジェフもまた、そんな美智子の気持ちを喜んで受け入れていた。  

 モーニングコーヒーを入れているとき、突然夫から mail が入った。「昼ごろ帰るから、駅まで迎え頼むで  ほなな」美智子は現実の世界に決別するかのように、再び心を固めた。 二人は早くもこれからの生活や、将来のプランを立て始め、その準備話しも始めていた。 「きっと上手くいきます michikoさん 愛しています」「私も愛しているわ  jef]

 美智子はこのまま家を出るつもりで、手早く小さなバックにパスポートやクレジットカード・現金など必要最小限の物をつめこんだ・・ 必要なものは後で買えばいいわ・・

  11時になり、二人は意を決したように家を後にした。 「一昨日の今頃・・ 私は一人で箕面の森の中のカフェでお茶を飲んでいたわ・・  それが今、愛する貴方とここにいるわ・・ とっても不思議な気分よ・・ でも本当に幸せで夢のようだわ・・」

  箕面駅に近づいた。夫はいつも石橋駅に着いたら電話があるはず・・ 二人はもうすぐ始まる別れの儀式と、新しい人生の始まりに緊張と共に心地いい興奮を覚えていた。

  やがて美智子のケイタイがなった・・ 「今、石橋や  あと10分で着くわ ほなな・・」夫のいつものぶっきらぼうな言い方ですぐ切れた。

 「いよいよだわ・・」「michikoさん しっかり話してくださいね  愛しています」 「私は大丈夫よ  別れを告げた後、箕面駅のホームで待っていますからね・・」 二人は短いキスを交わすと、ジェフは車から下り、荷物を降ろして銀行前の信号下に立った。 ここから駅前がよくみえる・・ そして、これから始まる人生の一大事に備えた。  美智子は少し先にある駅前ロータリーへ車を移した。 そして夫に告げる別れの文言を反復していた。

  賑やかだった<箕面まつり>がいつの間にか終わり、昨日のパレードの後片付けをしている人々を眺めていた。

  やがて電車が到着し、人の流れの中に3人の姿があった。 疲れた顔をし、3人ともだらしの無い格好でワンボックスカーの後ろに乗り込んできた。

 次男が開口一番・・ 「ああ疲れた! 腹減ったわ オカン! 暑いわ オレ昼飯 レーメンにしてや レーうどんでもええわ  それに焼きそばつけて・・」 「お前なんや その組み合わせ 炭水化物ばっかやないか  オレはいつものステークフリットと冷たいマメスープに冷奴やな・・」 「兄貴の組み合わせもムリがあるで・・ ハハハハ」 人一倍汗かきの夫は・・ 「やっぱ大阪は暑いな 死にそうやわ 早よ帰って冷たいシャワー浴びて、冷サイダーに枝豆、冷トマトに・・ そんで昼寝やな ワシは家が一番の天国やわ・・」

「オトン帽子飛ばされてな・・ ホンマ ドジやで・・ そやオトン 服破ったとちゃうの?」 「そやそや 忘れてたわ カーサン すまんが、これ縫うて、そんで洗うて、そんでアイロンかけといてんか 明日また着たいねん しかし ようさん蚊にかまれたな かゆうてたまらんわ あんまり 寝られへんかって眠とうてかなわんわ・・」 それぞれが好きな事を一気に言い終わると、靴下や下着を脱ぎ始めたところで美智子はキレた。 ビックリするような大声で・・

 「あなたたち! いい加減にしなさい! その匂い? こんな所で靴下脱がないで! お風呂入ってないの? 汚いでしょ もういい加減にしてよ それにアレコレいっぺんに食べるもの言わないでよね  食べたかったら自分で作りなさい 私、貴方達の家政婦じゃないのよ それに汚い言葉遣いはやめて!  オトン オトンって何よ お父さんをオットットみたいな言い方しないで!  それにオカン オカンって、私をヤカンみたいに呼ばないで!  何ですかその言葉遣いは・・ お父さんもいっしょになってなんですか!」

「それ面白いやん オットットやて ヤカンやて ハハハハ」

  3人が後ろでバカにしたように大笑いしだしたので、美智子は益々怒り心頭になり、一気に現実モードに戻り、次々と怒り言葉が口をついてでた。 「ハイハイ  オカアサマ ゴメンナサイ それより暑いわな オカンの頭も相当熱そうやけど、早よう 車だして~ な・・」 美智子は子供らに催促され、無意識のうちにアクセルを踏んだ。 車はロータリーを回り、銀行前の赤信号で停車した。

  ジェフは先ほどから、車内で美智子が激しく言っている様子を、食い入るように見つめていた。 しかし・・ なぜか車がそのまま動き出した・・?  やがて目の前の信号前に車が停まった。 美智子は我を忘れたかのように、現実の世界からジェフを見つめた。 その顔をみたジェフは全てを察知したかのように、悲しい顔をしてリュックを担ぎ歩き出した・・

  その時、美智子はフッと我に返り、歩き出したジェフの後姿をみて・・ 「待って・・・」そのまま車を置き、ジェフの元へ飛び出そうとドアの取っ手に手をかけた時だった。 後ろで寝ていた息子が・・ 「オカン  何が待ってやねん! 信号なんか待ってくれへんやん 青やで・・ 早よ行かな、後ろつかえてるで・・」

  再び現実の世界に引き戻された美智子は、無意識のうちにまたアクセルを踏んだ・・

  バックミラーから見ると・・ 下を向きながら、大きなリュックを担ぎ、重い足取りで箕面駅に向かうジェフの姿がみえた。 後ろの座席にはだらしない格好をした夫が、もうイビキをかき、口を開けたトドのような寝姿があった。

箕面の森から ケケケケケ・・・ケケケケ・・・ヒグラシの甲高い鳴き声が響いた。

 3日間の真夏の蜃気楼が静かに消えていった。

adieu jef  ne  vous  oublierai  jamais

 (fin)