みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

生きがいに生きる(3)

2020-11-01 | 第9話(生きがいに生きる)

箕面の森の小さな物語 

<生きがいに生きる>(3)

  長距離の山旅を無事終えた哲也は、あの余命宣告から自分の命が後50日もないのでは・・ と内心焦っていた。  家の中で1週間ほど体を休め、この山旅の体験をまとめる・・ と意欲を燃やしていたが、徐々に顔つきが暗くなっていく事に紀子は気付いていた。 「もうあと何日生きられるのかな・・ 間に合わない・・ 後はもう紀子さんとこの家でゆっくり最後を迎えたい・・」

  紀子は一つの目的を達成し弱弱しく話す哲也の顔をしっかりと見ながら・・ 「貴方はこの4ヶ月間、一般の健康な人でもなかなかできないことを諦めずに頑張ってやり遂げたわね すごい事だわ 貴方の最後の夢と言っていた「箕面の森の山小屋に住む」という夢 それ実現させましょ」 そういうと紀子は元気に立ち上がった。

「このままでは惰性に流され、残された日々を無為に過ごしてしまいそうで怖い・・」 「もう時間がないよ・・」と言う哲也を励ましながら・・ 「まだ50日もあるじゃないの・・」と哲也の胸をたたいた。  かつて事業の夢を語る哲也に紀子はそれを現実的に実現させてきた実績があった。「二人は最強のコンビだ! って貴方はいつも言ってたわねきっと この夢も実現できるわよ やってみましょ!」 紀子の行動は早かった。

 哲也の夢ノートには7年前 箕面の堂屋敷山を歩いていた時、その近くで見つけた<売り土地>の看板からだった。 そこから夢を広げた事が何頁にもわたり細かく記されていた。 紀子はそこに書かれたメモを頼りに早速売主に電話をしてみた。 「・・ああ もうとっくに忘れてましたわ」とのこと。 紀子が事情を話すと年契約で、しかも格安で土地を貸してもらえることになった。 「半年も使わないかも知れないけど・・ でも・・ よかったわ」 ノートには山小屋のイメージ図も書いてあった。 「これ なにかの模型?」 同じようなものが京都にある・・ と記されている。 そこで紀子は哲也を共にその京都を訪れた。

 それは下鴨神社の境内にあった。 今から800年以上の昔 「方丈記」を書いた鴨長明が日野山で暮らした方丈(4.5畳)ほどの小さな庵だった。 今もその「方丈記」とソローの「森の生活」を愛読する哲也にとってそれは夢の庵だった。 800年前の鴨長明と180年ほど前のソローにはその人生観に類似する所も多くあった。 それに地元の箕面川ダム湖畔にはその鴨長明が箕面を詠んだ歌碑があった。 みのおやま雲影つくる峰の庵は松のひびきも手枕のもと」と。

 哲也の目に再び精気がよみがえってきた事を紀子は感じていた。 「最後の望みが叶うかも知れない・・」 失いかけた希望の灯りが再び光り始めていた。 紀子は京都から帰ると早速具体的な行動を開始し、僅か3週間ほどで森の中に簡易なあの「方丈庵」を建ててしまった。  規制や規則上 電気も水道も無いけれど、屋根にはソーラーパネルを張り電源とし、雨水の貯水槽を設けて哲也が望む菜園の水遣りはそれで賄えるようにし、飲料水はまとめて特別に業者に運んでもらい、下水道は浸透式として簡易トイレも備えた。

 あの「まだ50数日もあるじゃないの・・」と言った日から20日後哲也は正に夢に見た箕面の森の方丈庵へ引っ越した。 と言っても、寝泊りするのは週末だけとし、平日は体調を見て朝、紀子がヨガの教室に教えに出る時間に併せ、市道・箕面五月山線を上り、近くの山裾まで車で送り、夕暮れ時は近くの箕面ビジターセンター前まで迎えに来る事にしていた。 あの余命宣告の日は後僅かに迫っていた。

  哲也の森の生活が始まった。 哲也が若い頃から愛読し憧れていた鴨長明著の「方丈記」とヘンリーDソロー著の「森の生活」の一端が現実にできることとなったので、その喜びに毎日興奮した。  哲也は来る日も来る日も箕面の森の中を歩いた。 山小屋の横には小さな畑を作り、種をまき、水をやり手入れを日課とした。 あのマルチンルターが「・・今日 地球が滅びるという最後の日にも、私はリンゴの木を植える・・」の言葉を想いつつ、好きな梅の木も植えた。

 頭上を飛び交う野鳥や森の昆虫を飽きることなく観察し、こもれびの下でハンモックに転がり本を読んだり、お昼にはキノコや山菜採りをしてそれでスパゲティを作ってみたり・・ キャンバスを立て、好きな絵を描いてみたり・・ そんな日々の事をブログに書いてみたり・・ と、毎日を思う存分に楽しんだ。  毎日飽きることなくすることしたいことが山ほどあって、哲也は退屈する暇もなく生き生きとした生活に顔は見違えるほど明るく精気に溢れていた。 本当に後余命何日の人なのかしら・・? と、紀子は夫の元気ぶりに驚き喜んだ。

  そしてとうとう6ヶ月の余命宣告の日がやってきた。 その夜、昼間どれだけ山を歩き回ったのか分からないけど、横でグッスリとイビキをたてて眠る夫の姿に紀子は心底安堵した。

  それから週末 紀子は山小屋に泊まる哲也とともに何度も一緒に泊まり、寝袋の中で夜明けまで昔話しをしたり、哲也の箕面の山の話しを聞いたり、いままで全くしなかった世間話しにと話題は尽きなかった。 哲也に死を連想させる兆候は何も見当たらなかった。 このまま穏やかな日々が続いて欲しいわ・・

 

  やがて哲也は体調を見ながら箕面の森で活動する団体のいくつかの催しやイベントにも参加するようになった。 箕面で活動する団体は沢山あり、その中でも里山や森の自然に関する活動も多く、参加することに事欠かなかった。 なにしろ明治の森・箕面国定公園は大阪の都市近郊にあり、963ヘクタールと小さくとも、約1100種の植物と約3500種の昆虫が確認されている日本有数の自然の宝庫なのだ。

  哲也は最初に「みのおの山パトロール隊」のクリーンキャンペーンに参加し、山のゴミを拾いながら山地美化活動を始めた。 「箕面ナチュラリストクラブ」や 「箕面自然観察会」 「箕面の自然と遊ぶ会」 などでは自然を愛する人々からいろいろと学び教えてもらった。

みのお里山ふれあいプラットホーム」では六箇山での間伐作業に汗を流した。 「箕面観光ボランティアガイド」の講習を受け、時には一緒になって一般の方々のハイキングガイドをしたりした。 「箕面ホタルの会」「勝尾寺川ほたるの会」でホタルを楽しみ、「しおんじ山の会」では如意谷で、「外院の杜クラブ」ではあたごの森での作業に汗を流した。 「みのお森の学校」では里山を学んだ。「NPO法人 みのお山麓保全委員会」のイベントにもいろいろと参加させてもらい多くの山の友をえた。 「箕面の森の音楽会」を楽しみ、「箕面市の美術展」では山小屋で描いた箕面の森の絵を出品したりして楽しんだ。

 そして紀子は生徒が増えて忙しくなった自分のヨガ教室だが、それ以上に大切な哲也の為に時間をつくり、二人で小旅行にでかけたり、音楽コンサートや観劇などを楽しみ、たまにはホテルで二人してお洒落しディナーを楽しんだ。

 7年以上の歳月があっという間に過ぎていった・・

  定期的に受診するたびに医師は首をひねりながらその体調ぶりに驚いた。 「このままいけば健康になってガンが消えるかもしれないわね」と、紀子は心の中で喜んだ。 しかし お互いにそれを忘れかけていた頃・・ ある日 突然恐れていたその日がやってきた。 哲也はいつもの山歩きの途中 山の中で突然大量の吐血をし、今まで感じたことの無い激痛に見舞われた。 それは契約しているセキュリティ会社が哲也の異変、異常に気付き、山岳GPSで山中を特定し、救急隊がその山道を上り、意識を失いかけ苦しんでいた哲也を発見し、救急搬送された。 紀子は医師から静かに・・「もうそろそろですね・・」と告げられた。

  モルヒネによるペインコントロールにより生気を取り戻した哲也も、いよいよ天国からのお迎えが来た事を悟り、最後のお願いと一日だけ一人山小屋で静かに最後の時を過ごした。 そしてお世話になった家族や友人、山の友など一人ひとりにお礼の手紙を書き、描きためた小さな油絵を感謝を込めて添えた。 箕面ビジターセンターの駐車場で哲也のGPSモニターを見つめていた紀子は旧修験道から箕面自然歩道を下ってくるいつもの哲也を待っていた。

「もうここで待つことも今日で最後になるのね・・」 そう思うととめどなく涙が流れ落ちた。

 車の後部座席にはこの朝出版社から届いた本が積まれていた。 その一部は箕面市立図書館に収蔵されることになっている・・ この一年ほどの間、哲也はベットに入る前に少しずつ箕面の森での出来事などを綴っていた。 その姿が生き生きとしていたことも思い出される。 「貴方のノートパソコンは生きた証しでいっぱいだわね・・」

  やがて満ち足りたようにいつもの明るい笑顔で哲也がゆっくりと山を下ってきた。 四方の山々に向かって深々と頭を下げている。 「ありがとう ありがとう この生きとし生ける自然界の全てにありがとう・・ 私も千の風になり、この箕面の森を吹き渡れますように・・」

 

 車の助手席に乗った哲也は「紀子さん 貴方のお陰であの余命6ヶ月の宣告の日からこんなにも命永らえ生き生きと過ごす事ができました。 本当に心から有難うございました。 私の人生は貴方のお陰で最高に幸せでした。 ありがとうご・・」 哲也は紀子の顔をしっかりと見つめ両手をしっかりと握りながら、妻への心からの感謝を伝えたが、最後は涙で言葉にならなかった。

  二人の乗った車はゆっくりと森を離れ、箕面ドライブウエィを下り、しばし哲也の終の住処となるYCHホスピスへと向かった。

  10日後、哲也は家族に見守られながら自分が望んだホスピスのチャペル礼拝堂で好きな賛美歌に包まれながら昇天していった・・ 主よみ許に近づかん 昇る道は十字架に・・ その幸せに満ち足りた顔には天使の微笑みが残されていた。

  医師は・・ 「人は早かれ遅かれ100%死ぬんです。 そこで心から人生を満足して死んだ人がやっぱり一番幸せなんです。 そしてそんな人を看取れた家族もまた悔いを持たず、幸せに生きていけるんですよ・・」と語った。

  年が明け 箕面の森に美しいウグイスの初鳴きが響き渡る頃、 あの日 哲也が初めて箕面の山小屋に入った日に植えた一本の梅の木に今年も沢山の花が咲いた。 久しぶりに思い出の山小屋を訪れた紀子は両手を広げ、箕面の森の上空に吹く穏やかな初春の千の風を受けながら一言 笑顔でつぶやいた・・ あなた! 

(完)



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