みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

森で人生の一休み(3)

2021-04-29 | 第18話(森で人生の一休み)

箕面の森の小さな物語

 <森で人生の一休み>(3)

  半年ぶりにハローワークを訪れた啓介は、それから一ヶ月ほどの間に3社の紹介を受け、面接に望んだ。

  AP社では、200人以上の応募者があり、午前中のペーパーテストで70人に絞られた。 それは英語や数学、理科系の問題から一般常識など幅広く、啓介は習った事も聞いた事もない言葉や問題に戸惑った。 しかし、それでも何とか70番目のどん尻で一次試験をパスした。 

 昼からの試験は論文形式だった。 「自分が今最も熱中している事は何か? その意義と問題点について述べよ」 啓介は迷うことなく、この半年間過ごしてきた箕面の山歩きと、自然から受けた感動や感激、それにより自分の人生観が変わった事、それをこれからの実生活で活かしていくことの意義や問題点について、2時間の制限時間以内に存分に書き綴った。

  3日後、電話で「2次試験にパスしたので、次の役員面接に・・」との通知があった。

  当日、AP社の会議室に座ったのは、二次試験にパスしたという7人だけで啓介は少しビックリした。 居並ぶ面接役員の前で、社長から啓介に言われたのは・・ 「仕事以外のことで、これだけ理路整然と自分の気持ちを素直に書いたのは貴方一人でした とても意欲的で感動的でした 全員の心に響くものがありました」 と、笑いながらのコメントがあった。

  啓介の応募したAP社は、今まで自分の働いてきた会社とは縁のないIT関連だったが、その豊富な資金力を使い経営の多角化を図り、外食産業への進出を考えているからとのことで応募したのだった。

  二次面接は仕事に対する姿勢、専門職の世界観など多岐にわたった。 しかし啓介はあの時の経験が役に立った。 それはグッドスター社に入社して10年目に、アメリカのコーネル大学で開かれた外食産業の研修プログラムに会社から派遣され、半年間デンバーで過ごした事があった。 この大学には日本にないホテル・レストラン学部があり、世界中から若い人たちが研修に訪れていた。 啓介は主に外食産業の新業態開発を勉強し、時間を見つけてはアメリカの急成長店舗を巡り、自分なりの研究もしていた。 だからこそ、本社で今までの国内店舗での経験を携え、新たな使命感をもって、会社の新事業企画に全力をそそいでいたのに・・ それなのに。  でも、もうそんな悔しさも徐々に薄らいでいたが、この面接に活かす事ができた。

  役員面接が終わった翌日、AP社から「採用内定」の連絡があった。 実はこの日、他のB社、C社からも内定通知があり、啓介は妻と共に手を取り合って喜んだ。 そして啓介は妻と相談し、あの社長コメントが嬉しかった事と、何かピンとくるものがあってAP社にお世話になる事を決めた。  ほんの半年前、あの暑い日に汗だくで何十社も訪問し、連日不採用通知を受け取り、もう生きていくのさえ嫌になり、息たえだえになっていたあの日々を思うと、夢のような隔世の感があった。

  啓介はAP社に正式に採用され、本社・新規事業開発部門で外食事業担当となった。 直属の上司は社長だった。 自分より若い社長だが、即断即決型で次々と新企画を軌道に乗せていった。

  そして一年後、ある案件が入ってきた。  会議室でその名前を聞いて啓介は驚きのあまりのけぞった。 かつて自分が30年間働いてきたグッドスター社だった。 社長はM&Aを実施し、買収するかどうかの検討チームに啓介を加えた。

  次の週、AP社の社長と検討チームはグッドスター社を初めて訪問した。 啓介にとって、2年ぶりに訪れる本社ビルは懐かしくもあり、複雑な思いにかられた。 案内された社長応接室に入るのは初めてだった。

  グッドスター社は巨額の債務超過に陥り、もはや銀行からも見放され、外部からの資金導入以外に生き残る道はなかった。 グットスター社全役員12名が居並ぶ中、AP社側4名が対峙した。 名刺交換をしたとき、2年ぶりに会うあの専務は「まさか お前!?」と啓介を睨みつけた。

  交渉が始まった。 先ずグッドスター社を代表し専務から、いかにこの会社が素晴らしい会社かと延々と説明があった後、身勝手極まりない条件を提示してきた。 

 AP社の事前資料にはグッドスター社が傾いた原因の一つに、新規事業の大失敗があった。 当時 啓介が担当していた業態開発部門の後任に、業界では名の知れた他社の大物を破格の高給でスカウトし就けていた。 あの専務が啓介を突然 理不尽な理由をつけて退社に追い込んだ事情がそれで分かった。 しかし、そのスカウトした大物は次々と失敗を繰り返し、巨額の損失を出していた。 そしてそれは専務の仕組んだ新規事業計画が大失敗に終わった結末だった。

  初交渉から日を重ね、4回目のM&A交渉の前だった。 事前に啓介は社長から・・ 「グッドスター社のいろんな問題点を精査し、思い切った経営改善策を作成するように・・ 全責任は私が負うから、それを次の交渉で具体的に示すように・・」との指示を受けた。

  啓介は中学校をでて15歳で入社し、45歳で退職するまで30年間下積みを重ね、裏の裏まで知り尽くした前会社の経営体質、同族人事、システム上の欠陥、仕入体制、店舗サービス、人材の育成など156もの改善策を詳細にまとめ上げた。 

  当日、啓介は居並ぶ12人のグッドスター社経営陣を前に、一つ一つを詳細に説明し、問題点を鋭く指摘し、大胆な改善策を次々と提示した。 それらの事柄全てが的確な指摘であり、全役員がグーの根もでなかった。 そして最後に啓介は強い口調で付け加えた。 役員ではないがあの三郎氏(3男)を残し、「同族役職員の引退、経営陣全員の退陣を求める」とし、経営の抜本的刷新を求めた。

 最後のその言葉を聞いた経営陣全員が青ざめた。「まさか そこまで・・」 特に専務は真っ赤な顔をし、大声で怒りをあらわにした。 喧々諤々の怒り声があがり、その撤回要求があがった。 しばらくしてAP社の社長が静かに立ち上がった。 「ただ今弊社の浜崎啓介が述べ伝えた事を100% 受け入れられない限り、当社は本日を持って貴社とのM&A交渉を打ち切ります」と告げた。 ここで交渉を打ち切られるとグッドスター社の倒産は必至だ。 更に全役員は株主から個人的にも損害賠償請求で告訴される可能性が高い。 そうすれば大きな借金まで個人的に背負わねばならなくなるのだ。

  一週間後、AP社がクッドスター社に示した条件はそのまま100%受諾され、М&Aが正式に成立した。 しかも、当初 AP社が用意していた買収額の三分の一の額で買収が完了したのだった。

  啓介はその後、AP社の外食事業部門の責任者となり、買収したグッドスター社を含め、子会社化した数社の社長を兼務する事になった。 「グッドスター社の実務は副社長に就けたあの三郎氏に任せておけば大丈夫だ、社員や取引先からも絶大に信頼されているからな・・」

 

  日曜日・・ あの教学の森の<あおぞら展望所>には、啓介と明美の姿があった。  二人並んで座り、目の前に広がる大阪平野を眺めていた。  恵子が朝作ったランチボックスを広げると・・ 「これは美味そうだな・・」 啓介は早速好物の玉子焼きとサツマイモを両手につまみ口に運んだ。

 明美は啓介の肩に頭をのせ、遠くにキラキラ輝く大阪湾を眺めながら・・ 「また私 けいちゃんにラヴレター書こうかしら? それとももういらない?」 と笑いながら啓介の顔を見た。

 二人が並ぶ箕面の森の頭上を二羽のヤマガラが仲良く飛んでいった。

(完)



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