「ちょっくら出かけて来る。夕方には帰るけん。」
「ほへ?」
朝一番、キョトンとする家内にそう告げて、車で向かった先は、
小倉城である。
ずっと以前から、ここへは行きたかったのだ。
ただしその目的は、城そのものではない。
あった、あった。
あれだ。
旧第12旅団本部正門跡である。
そして、
その真向かいには、
旧小倉第12師団司令部正門跡がある。
これが見たかったのだ。
日露戦争開戦時は黒木第一軍に属し、その後のシベリア出兵など、数々の軍功をあげた国軍最強師団である。
後に、師団司令部は小倉から久留米に移転。
さらにその後、満州に転進する。
この門柱を見るために、遙々100kmの道程をやって来たのだ。
パシャ、パシャ、パシャ
んじゃ、見るもの見たし、とっとと帰ろっと。
・・・んな訳ないんで。
何しろここはお城だ。
さすがに天守閣くらいは見て行くか。
宮本武蔵が描いたと言う達磨図。
これも武蔵の作と伝えられている。
本当を言うと、門柱以外にも、実は幾つか行きたい場所がある。
少し紫川沿いを歩いてみよう。
森鴎外文学碑
かの文豪森鴎外は軍医部長として、小倉第12師団に任官していた。
近くには旧宅も残っているようだが、月曜日は閉館との由。
いずれかの折に、訪ねることにして、次へ進もう。
常盤橋
別名『木の橋』
長崎街道=シュガーロードの起点&終着点である。
対岸に渡ろう。
紫川橋が見えてきた。
別名『鉄の橋』
かつてここに、陸軍橋と呼ばれた橋が架かっていた。
小倉造兵廠跡
この造兵廠で主に製造された兵器は、和紙で作られた風船爆弾だったとか。
防空監視哨
第一施工場の屋上にあったもの。
コンクリートの壁の厚さは33cmもある。
機関砲を覗かせていた窓。
ところで、
日本に投下された2発目の原爆の第一目標は、この小倉造兵廠だった事はよく知られている。
風船爆弾vs原子爆弾。
何たる差!
国力の差と言うのもおこごましい。
ここからは折り返し。
1.5kmほどテクテクと、お城方向に歩いて行くと、
旦過市場に至る。
川面にまで伸ばされた構築物。
小倉の貴重な観光資源となった今、役所としても、今更どうこう出来ないんだろうね。
あまりにも有名なアーケード街。
もう少しゴチャゴチャしているイメージを勝手に持っていたが、予想に反して通路も広く、こざっぱりとしている。
店先に並ぶ惣菜の美味しそうなことったら。
「えーっと、これとあれと、あ、それも。」
「まいどありぃ。」
二人しかいないのに、またもや大量に買ってしまう私である。
二度にわたる火災の爪痕は所々に残るが、旦過市場は元気に復興しつつある。
買い物もしたし、そろそろ小倉城に戻ろう。
お城が見えてきた。
ふー、よく歩いたぜ。