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Tシャツとサンダルの候

阿蘇の鬼官兵衛


晴れ渡る空の下、私達は阿蘇にいる。



彼方に横たわる阿蘇外輪山。

誰もいない駐車場に車を止めた私達は、



「うー、さぶっ!」


身を縮めながら、山道を登って行く。



一筋の白い氷柱が見えてきた。




毎年訪れている古閑の滝である。


「全然、凍ってなーい。」(家内)

「ほんなごと。」(私)



去年の同じ時期には、見事な氷の華を咲かせてくれていたのだが、


「去年の半分やね。」(家内)

「確かに。もう少し寒くならんとダメやったか。」(私)



雄滝と女滝。

これだもの。












仕方ない。

移動するとしよう。




今回、阿蘇を訪れたのには、もう一つ別の目的がある。

戊辰戦争、そして西南戦争と、「鬼」と呼ばれた猛将がいた。

鬼官兵衛こと、元会津藩家老佐川官兵衛である。

これから、鬼官兵衛の足跡を辿りたい。



古閑の滝から国道に戻り、竹田方向へ急坂を登り切った所が、最初の目的地だ。

明治10年、この地で激しい戦闘が繰り広げられた。

世に言う滝室坂の戦いである。

佐川官兵衛は、豊後口警視隊副指揮長として従軍した。



阿蘇盆地に進出した薩軍別働隊は、豊後口から進攻してくる新政府軍迎撃のため、この高台に砲台を築いている。




高台を登って行くと、



5~6分で頂上砲台跡に至る。




今も残る塹壕と土塁。




薄く雪を被る高岳と根子岳。

ここに陣した薩軍兵士らは、どんな気持ちであの稜線を眺めていたのだろう。


移動。



南阿蘇村白水。

滝室の坂で薩軍を撃破した警視隊は、ここ南阿蘇村白水に駐屯した。



最期の地となった二重峠に出陣する際、官兵衛が身を清めたと伝えられる明神池。




奥の建物は、地元で募った南郷有志隊らと軍議を開いた長問屋跡。




軍議が行われたお座敷は、当時のままに保存されているのだとか。



更に移動。



佐川官兵衛最期の地。

今は整備された公園となっていた。






官兵衛辞世の句。

官兵衛は薩軍部隊長と切り結んでいた最中、敵弾に倒れたとある。

享年47歳。



官兵衛にとって、阿蘇での最期の日々は、会津戦争のリベンジ以外、何物でもなかったろう。





石碑を取り囲むのは、故郷会津若松の桜。



「おっちゃん、感動しとるやろ。」

「うん・・・けっこう。」

コメント一覧

minou_yamatai
高岡俊介
こまったもんだ。
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