土曜日は久しぶりの晴天。
さて、何しよう。
朝食を食べながら考えた。
モグモグモグ
手っ取り早く、近場の山にでも登るか。
それとも・・・
そうだ。
前から行きたかったあそこがいい。
「ちょいと、出かけてくる。昼飯はいらん。」(私)
「ほえ?」(家内)
やって来たのは、久留米から100km、北九州市若松区。
全国屈指の石炭積出港だった、洞海湾南海岸通りである。
画像右端の木造の建屋は『ごんぞう部屋』を再現したもの。
『ごんぞう』とは、いわゆる沖仲仕である。
弁財天上陸場
ごんぞう達が乗降した石段が今も残る。
石炭会館
若松区に現存する洋風建築としては、一番古いものらしい。
現在も現役で、幾つかの団体やパン屋さんが入居している。
立入はここまでだ。
通りに出た。
若戸大橋に抱かれるように建つのは、
旧古河鉱業若松ビルだ。
大正8年に建てられたレンガ造り2階建て。
受付表を書いていると、係の人が出てきて丁寧に説明してくれた。
一階大広間
「正面が建物玄関で、この広間は古河鉱業の事務所として使われてました。」
この階段も、
「当時のままです。」
「ほほう。」
2階は幾つかの部屋に分かれている。
各部屋は会議室など、多目的に貸し出しされている。
移動
上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)
大正2年建築
一階から三階まで、建物中央が鉄骨で囲まれ、吹き抜け構造となっている。
このビルも現役。
幾つかの企業と、カフェや雑貨店が入る。
移動
杤木ビル
大正9年建築。
このビルも、普通にテナントビルとして使われていた。
遠い昔、
映画館で見た若戸大橋は、クラゲの如き宇宙怪獣ドゴラに破壊され、幼い私は戦慄した。
最後には、人類の英知の前にドゴラは退治され・・・
また、しょうもない昔話を差し挟んでしまった。
止める。
そんな若戸大橋も、今や国の重要文化財である。
南海岸通りから移動。
火野葦平旧居 河伯洞
玄関の上がり框にある、亀の彫刻をマジマジと見ていると、
「あ、いや。それは削り出しじゃありません。後から貼ってます。」
と、正直に教えてくれたのは、案内人の老紳士。
「あそこば見て下さい。この廊下の梁は、屋久杉の一本ものです。」
「ほほう。」
「欄間とかも、趣向ば凝らしとりますでしょ。」
「本当だ。」
「中村哲さんが、火野葦平の甥っ子って、ご存じでしたか?」
「いえ、全然知りませんでした。へえー。」
火野葦平とその家族のエピソード。
それと同時に、中村医師の人柄や、実際に口にされた言葉など、詳しく聞かせていただいた。
葦平の書斎。
「生前火野葦平は、この庭でライオンば飼ってました。」
「どひゃー!」
「動物好きでしたからね。」
「そう言う問題じゃない気が・・・」
帰り際、昼ご飯の話をしたら、お勧めの店をご教授頂いた。
この件は次回に掲載する。
隣町の戸畑へ移動。
旧安川邸
炭鉱関連企業を次々と創業した安川敬一郎により、明治45年に建設された住宅。
応接間
茶室
大座敷
孫文の書
「世界平和 安川先生」とある。
大座敷内はカフェが併設されている。
庭を眺めながら、ちょっと一休み。
まだまだ近隣には、見所は沢山あるが、また来れば良い。
ボチボチ帰るか。