霧の立ち込める海岸線を、函館へと進む。
途中、白老にポロトコタンというアイヌ民族博物館がある。
ちょっと寄ってみた。
ポロトコタンとは『大きな湖の畔の村』と言う意味なんだとか。
アイヌの村が復元されていた。
アイヌのでは、どの家も、窓の位置から間取りまで、全部同じ造りになるんだとか。
屋内には鮭の燻された物が干されている。
アイヌの保存食である。
これはイミテーションではなく、実際に売店では500円で売られている本物だ。
更に進む。
登別温泉から少し登ると、地獄谷という渓谷がある。
すげえ。
確かに、地獄谷としか言いようはない。
外国人観光客で溢れていた。
日本語を聴くと懐かしく思うほどだ。
お蔭で、狭い通路を占拠して、一々記念撮影する彼らを、何度注意したことか。
えーい、通行妨害じゃろが。止めんか!!
賽の河原。
大湯沼。
地獄谷から1kmほど登ったところにある。
爆裂火口跡に出来た温泉の沼なんだそうだ。
辺り一面に、沼から上がる水蒸気が立ち込めていて、沼の全体像などは確認しようもない。
奥の湯。
大湯沼の奥にある。
坊主地獄さながらの、大きな気泡が浮かんでいる。
この後、洞爺湖畔に移動した。
西山山麓火口散策路。
これは、2000年の有珠山噴火の際に、土地が隆起した為に川が堰き止められて出来た沼。
アスファルトの道路は当時の国道で、写真奥が隆起した一帯。
沼に沈んだ車や建物。
国道と並行する形で伸びていた道に沿って、散策路が作られている。
これは、村落内を走る当時の生活道路である。
斜めに傾いて、階段状に隆起している。
倒れた電柱も、被災時そのままだ。
台地の裂け目ともいうべき火口跡。
村落が道路ごと、ここで裂かれた。
この辺りはこれ以外にも、無数と言っていい大小様々な噴火口跡がある。
すぐ近くには、未だ噴気があがっている所も。
噴火直前まで生活が営まれたであろう建物も、今は草木に覆われていた。
あれから、17年の年月が経った。
洞爺湖
左は中島。対岸の真ん中あたりが昭和新山。対岸右は有珠山。
これで北海道の旅は終わる。
この後、ひたすら函館を目指す。
この日の温泉は、前回函館来訪時に入った七重浜の湯。
宿泊は、津軽海峡フェリーターミナル駐車場である。
なんてったって、明日は早朝7時半のフェリーである。
すでにネット予約して、振り込みも完了している。
寝坊しちゃいましたでは、済まないのだ。
昨日の走行距離419 286km 累積走行距離4722km