![3_e13](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/b/e/be96b3f8.jpg)
何百万年にも渡る地殻変動は、地球の地形を劇的に変えてきた。今は陸地になっているところがかつては海の底だったり、今は山があるところが昔は広大な海だったりした。
故にクジラや古代の海洋生物の化石がまるで水のない高山の山頂や砂漠の真ん中で見つかることは珍しいことではない。
クジラは海岸に打ち上げられて、水中に戻れずに死ぬこともあり、肉は腐り、そのまま骨だけが残される。例えば、フォークランド諸島の海岸には、クジラの骨が散らばっている。
古代の化石や座礁したクジラ以外にも、19世紀から20世紀初頭にかけてクジラが大量に殺され、その墓場が世界中にたくさん残されている。クジラの骨が見ることができる陸地をいくつか見ていこう。
1. 「クジラの丘」アタカマ砂漠(チリ)
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2011年、チリのアタカマ地方、パンアメリカンハイウェイのそばにあるセロ・バジェナで、クジラの骨の化石を調査するチリ人とスミソニアンの古生物学者。
image credit:Adam Metallo / Smithsonian Institution
チリのアタカマ砂漠で、最近発見されたクジラの化石は驚くべきもののひとつだ。
パンアメリカンハイウェイ拡張計画の最中に多くのクジラの骨が発見されたが、それらはセイウチのような顔をした奇妙なイルカや泳ぐナマケモノ、その他の水生生物の骨と一緒に並んでいたという。
![3_e13](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/b/e/be96b3f8.jpg)
2頭の大人のクジラと子クジラの骨
image credit:Nick Pyenson / Smithsonian
近くの岩に小さな藻の化石が残されていて、藻が繁殖するのに大切な酸化鉄も大量に見つかったため、クジラたちは毒性のある藻を摂取したことで死んだと思われる。
死んだクジラ、または瀕死のクジラがかつて入り江だった場所や平坦な砂地に入りこみ、時間をかけてゆっくりと埋没していった。
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image credit:Adam Metallo / Smithsonian Institution
遺骸は数週間の間に起こった連続した4回の波で岸に打ち上げられたと研究者たちは考えている。化石は600~900万年前のものだという。
発見場所は、このような珍しい発見のせいで有名になり、"クジラの丘"を意味するセロ・バジェナという名で呼ばれるようになった。
2. 「クジラ谷」ワディ・アル・ヒタン(エジプト)
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エジプトの砂漠には、世界の中でも最高の古生物発掘現場があり、そのひとつがワディ・アル・ヒタン、別名クジラ谷だ。
カイロから150キロ南西、ナイル川の西側の砂漠にある人里離れた谷で、絶滅してしまったクジラ亜目archaeocetiの貴重な化石や骨が出てくる。
このクジラは、クジラがかつては陸上の生物だった証拠を示しているため、クジラの進化の歴史において重要な段階にある種だ。ワディ・アル・ヒタンの化石は、移行期間中のこのクジラの体型や生活をありありと示してくれる。
5000万年前のこの化石は子どものクジラで、陸上生物から海洋生物への進化の最後の段階に当たるという。すでに、現代のクジラのような典型的な流線形の体型をしているが、頭蓋と歯の構造、後ろ脚には原始的な特徴が認められる。
岩石層のせいで多くの骨が良好な状態で保存されていて、不完全な骨でも胃の内容物まで残っていたケースもある。
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image credit:wally nelemans/Flickr
ワディ・アル・ヒタンで見つかったサメ、ワニ、ノコギリエイ、カメ、エイなど、こうした原始的な生物の化石は、当時の環境や生態学的条件を再現するのを可能にしてくれる。
ワディ・アル・ヒタンの谷は、4000~5000万年前には水の底だった。当時、いわゆるテチス海は現在の地中海の遥か南に広がっていたが、それが北へ後退し、長年の間に砂岩や石灰岩の堆積物が分厚く沈殿して、現在見られるワディ・ヒタンの岩石の形になったと考えられている。
骨が最初に見つかったのは1800年代はじめだが、最初は巨大な海洋爬虫類かなにかだと誤認されていた。1902年になってやっと、クジラだと確認された。
3. 「クジラの骨の道」イティグラン島(シベリア)
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image credit:beringiapark.ru
ベーリング海のシベリアの島イティグランには、"クジラの骨の道"として知られる場所がある。40年前、ソ連の考古学者がここでホッキョククジラの骨を大量に発見したが、頭蓋骨が海岸に沿って550メートルも丁寧に並べられていたという。
肋骨は地面に突きたてられたり、2列に置かれた岩で支えられていて、まるで小道がつらなっているようになっていた。この道の真ん中あたりには、巨大な頭蓋骨と四角い穴があり、かつて大量の肉がたくわえられていたと考えられた。
考古学者たちは、この"クジラの骨の道"は14世紀のエスキモーによって神殿または神聖な集合場所として、このような形に作られたと考えている。
![8_e8](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/b/c/bcde974a.jpg)
当時は一時的な氷河時代で、冬が長引いて、食糧不足によるイヌイットの部族間争いが起きていた可能性があった。
"クジラの骨の道"は、彼らが一緒に問題を解決するために話し合いをしたり、生贄を捧げたり、骨の壁の間にあった四角い穴に肉を貯蔵しておいたりした中立の場所だったのかもしれない。
![9_e6](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/3/8/380828fe.jpg)
だが、地元の人々の話によると、この場所はクジラ漁のハンターが集まり、獲物を解体してその肉を貯蔵しておいた場所にすぎないという。
このシンプルな説は、ユピック族の言葉でイティグランを意味するSikliukという単語が、"肉の穴"を意味するSiklyugakという言葉からきているという事実によって裏づけられる。
4. 「ベルーガの」スピッツベルゲン(ノルウェー)
![10_e6](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/3/4/34f558c2.jpg)
image credit:coolantarctica
昔、捕鯨地だったが今はさびれてしまった場所の多くは、現在ではその名残をほとんど留めていない。
骨がいくつか散乱し、廃墟が残されているくらいだろう。だが、ノルウェーのスピッツベルゲン島には、大規模なクジラ漁が行われていたことをはっきり示す遺物がいくつか残されている。
スピッツベルゲン島は、スヴァールバル群島の中の最大にして唯一人の住む島。17世紀に始まったベルーガ漁が20世紀になっても盛んで、政府がベルーガの保護を始めた1961年まで続けられていた。
捕鯨地のほとんどは、スピッツベルゲン西岸の30キロのフィヨルド、ファン・クーレンに集中している。岬、海岸、湾に沿って、インゲブリグセンブクタのバンセブまで、大規模な漁と解体作業が行われていた名残を見ることができる。
![11_e3](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/6/6/66c4ba0e.jpg)
image credit:coolantarctica
目を引くのは海岸近くに長く伸びる白いラインで、これらはすべて何千というベルーガの骨が積みあがったものだ。
ベルーガは中くらいの大きさの北極圏に生息するクジラ目の哺乳類の一種でシロイルカともいわれる。おもに北極に生息している。移動パターンが予測でき、夏季に広い入り江や周辺の海岸線にたくさん集まってくるため、簡単にハンターの標的になってしまう。
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image credit:coolantarctica
海岸線に連なる大量の骨は、ベルーガおよそ550頭分のものと思われる。これらの骨の山と近くにある船は文化遺産として指定・保護されており、触れたり動かしたりすることはできない。
5. クラクワット族の捕鯨拠点 エチャチスト(カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州)
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image credit:Jim Darling / Hakai Magazine
数世紀もの間、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のトフィーノ島西部は、地元住民が銛で仕留めたクジラをさばいた場所だった。
クレヨコット・サウンド河口が太平洋と接する場所に位置するこの島は、クジラ漁のための舟を漕ぎ出すのに格好の場所だった。さらに、この海岸の砂礫は、クラクワット族の捕鯨や漁の周期的な主要拠点、エチャチストを通過して移動する何千というクジラを仕留めて陸揚げするのにも適していた。
クジラは海岸ですぐに解体され、肉は切り刻まれて冬のために燻製にされ、皮下脂肪はオイルになった。残された骨はうず高く積み上げられ、中には1千年以上前のものもある。
現在では、生物学者がエチャチストにやってきて、クジラの骨を掘り出し、どんな種類のクジラが漁の対象になっていたのか、クジラがどんなものを食べていたのかを調べている。
References:Whale Graveyards | Amusing Planet
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