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コロンブスが1492年に新世界を"発見"したときに、アメリカ大陸で文明が始まったとする考えに、昨今、遅まきながら反論がもちあがっている。
事実、16世紀に初めてスペイン人がメソアメリカに到達する何世紀も前に、マヤの人々は非常に高度な古代文明を確立していた。それは、今日のエンジニアや科学の進歩の先駆けになった、複合的な文明
だったのだ。
はっきりと正しておかなくてはならないのは、マヤの人々が遥か昔に死に絶えてしまった、今はもういない古代の種族だという間違った考えだ。
マヤ民族は現在のわたしたちと共にまだ生きている。今はおよそ1500万人のマヤ人がいると推定されているが、詳しいことは語りたがらない人が多く、正確な数字をつかむのは難しい。
環境や文明の盛衰との関わり方など、古代マヤ人の歴史には学ぶべきところが多い。公共事業から、政治、芸術、コミュニティ、文字まで、マヤの過去と現在について、発見することはまだまだ多い。
考古学的に言えば、我々はまだ、マヤ文明のほんのさわりのところをひもといただけだ。
この夏、メキシコのタバスコ州で、ライダー(Lidar:光による検知と測距)を使った調査を行ったところ、なにげない場所から3000年前の隠れたマヤの建造物が発見された。
その規模は、エジプト最大のピラミッドよりも大きく、これまでマヤ地域で発見されている建造物の中でも最大、最古だ。
この遺跡を発見したアリゾナ大学の猪俣健教授は、あまりにも大きすぎて地上からではわからなかったため、今まで誰も気がつかなかったと考えている。
ライダー技術は、新たな遺跡を発見できるだけでなく、すでに発掘が進んでいる遺跡の詳細を探り出すのにも役立つ。
儀式に使われたか、作物のための畑だった可能性のある場所につながる道は、地上からでは判断は難しいが、ライダーでその存在を確認し、大きさを測定すれば、古代社会の新たな情報が得られる可能性がある。

メキシコ、チアパス州パレンケのマヤ遺跡を中心に行われた、パレンケマッピングプロジェクトから、古代マヤの人たちがどのような生活をしていたのか、さらに多くのことがわかる。
紀元850年から900年の間に放棄されたと言われるこの遺跡の存在は、考古学者の間では1世紀以上前から知られていたが、これまでの調査は、パレンケの儀式の中心についてがおもだった。新たなマッピングプロジェクトは、パレンケの郊外の生活をさらに解明するために計画された。
このマッピングプロジェクトにより、パレンケはマヤの古典期においてもっとも都市化された町のひとつであることがわかった。
人口はおよそ7500人で、20万人以上が住んでいたティオティワカンよりかなり小規模だが、定住密度としてはマヤ地域で2番目に高い。このことから、当時のマヤの人々は、少なくとも古典期後期までは、高度な助け合い共同生活を送っていたと思われる。

さらに、パレンケ社会は多様性に富んでらしい証拠が見つかった。これは、当時の建築プロジェクト、芸術、歴史的記録などが高度に発達していたため、古代マヤ世界全体に見られた社会的多様性の証拠を裏づけている。
さらに、陶工や石工の作業場や、浸食や洪水を防ぐための高台や水路といった公共工事の跡も見つかっている。とくに後者は、現代のマヤの人々の間にも見られる市民意識のあらわれではないかと思われる。

マヤの超自然世界には、日々の生活全般に影響を及ぼすと考えられた数多くの神々がいて、大衆文化におけるマヤ儀式の描き方は、センセーショナルな部分に注目しがちだ。
人間の生贄などはその最たるものだ。
だが、そうしたお決まりな描かれ方よりも、マヤの信仰はもっと複合的なもので、それは現在でも変わらない。
古代儀式には、食べ物の供物、巡礼の旅、芝居、さらには、霊的な意味合いをもつ儀式のための球技までもが含まれていた。古代マヤ最大の都市のひとつで、観光地としても人気の高いチチェン・イツァには、マヤの人々によって建設された巨大な野外球戯場まである。
マヤの宗教神殿の顕著な特徴のひとつは、代表制の議会に似ているということだ。最高神がいたのかどうかはわからないが、何世紀にもわたってマヤ遺跡に残されてきた芸術品からは、共同体主義的な意図がうかがえる。そうした共同体的考え方は、現在のマヤの人たちのコミュニティで実践されている政治にも反映されている。

天文学、建築学、何世紀も続く代議政治だけでなく、マヤ文明は世界の料理にも大きな影響を与えてきた。さらに、継続的に芸術作品を生み出す間に化学処理の手法もマスターした。その詳細は、長年、現代の科学者を悩ませてきた。
トウモロコシとして知られるメイズは、古代マヤと深い関係のある食べ物で、現在のマヤの人々の食生活においても重要な役割を担っている。男女両方の形で表わされるメイズの神々は、人々の生計と生存にとって重要な主要作物なので、マヤの古代神殿でもよくとりあげられる。
歴史家によると、トウモロコシが現代のメキシコで栽培されるようになったのは、およそ1万年ほど前からで、それ以降、トウモロコシの栽培は世界中に広まったという。
しかし、マヤが世界に貢献した食べ物はトウモロコシ(メイズ)だけではない。

チョコレートやバニラも、ヨーロッパ人が新世界から自国に持ち帰った多くの食品のうちのひとつだ。現代のショコラティエたちは、マヤの伝統に目を向けて、洗練されたスイーツを生み出したのだ。
染料や塗料を作り出すのも、マヤの伝統が役にたった。"マヤブルー"は、古代の壁画や焼き物に見られる鮮やかな色合いで、インディゴ(藍)の植物や粘土に含まれるミネラルから抽出する色素だ。
成分を安定させるための処理、色褪せしない塗料の技術は長い間、謎だったが、フィールド博物館の研究者たちが、儀式で使われていた香が結合剤になっていることを発見した。

スペインが現在のメキシコを占領し始め、ヨーロッパはマヤから取り入れた新しい食品や資源で豊かになった。
その一方、マヤの人々は何世紀にもわたって積み重ねてきた文明の歴史やその産物を征服者に破壊されて困窮し、歴史的知識のギャップが残った。現代の研究者たちがその溝を埋めようと努めている。
ひとつの例をあげると、16世紀にマヤの人たちを改宗させるため布教にやってきたカトリックの司祭、ディエゴ・デ・ランダは、貴重なマヤの書物を数えきれないほど燃やし、多くの像を破壊した。
マヤの人々とその神や宗教儀式とのつながりを断ち切ろうとしたのだ。だが、彼のこの試みは一部しか成功しなかったといっていい。
現代でもマヤの人たちは、伝統的なマヤの儀式にキリスト教形式の要素をうまいこと融合させた儀式を執り行っている。
今日でもメキシコにある、瞑想と儀式のためにマヤ人が使った遺跡を探索することができ、そこで古代マヤの音楽や芸術に触れることができる。
そんな場所のひとつが、ロルトゥン洞窟で、ここでは1万年以上前につけられた手形の跡や壁画を見ることができる。膨大な年月をかけてできた自然の石筍は、たたくとえも言えぬ音を奏でる。

ライダーなどの新技術と、足で探索する従来の方法で、マヤの考古学遺跡の新たな面が確実に発見されていくだろう。
新しいパズルのひとつひとつが、世界でもっとも高度な古代文明の全体像をさらに完璧につなぎあわせていき、研究者たちはこの地域の歴史の全貌を知ることになるはずだ。
今日のマヤの人々は、古代文明の相続人として、彼らにとって正当な場所を取り戻している。何世紀にもわたる伝統を維持することによって、ふさわしい尊厳と自治権を得るに値する。
現地を訪れてマヤの人々と触れ合い、彼らの温かさや寛大さを体験すれば、この惑星に住む市民として、わかちあえる絆が強められるはずだ。
マヤの歴史を探究することで、政治、芸術、農業、建築、精神性など、さまざまな分野における人間の知識の進化に新たな光が当てられることになる。
しかし、現代のマヤの人々を知ることは、それだけで文化的な宝で、逆境に直面したときの人間の回復力の研究になるともいえよう。
マヤは非常に説得力のある教訓をもたらしてくれる偉大なる教師であり、わたしたちが学ばなくてはならないことは、まだまだたくさんあるのだ。
References:The Maya People Still Have So Much to Teach Us | Ancient Origins/
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古代マヤの人々に教わるべきこと / istock
コロンブスが1492年に新世界を"発見"したときに、アメリカ大陸で文明が始まったとする考えに、昨今、遅まきながら反論がもちあがっている。
事実、16世紀に初めてスペイン人がメソアメリカに到達する何世紀も前に、マヤの人々は非常に高度な古代文明を確立していた。それは、今日のエンジニアや科学の進歩の先駆けになった、複合的な文明
だったのだ。
はっきりと正しておかなくてはならないのは、マヤの人々が遥か昔に死に絶えてしまった、今はもういない古代の種族だという間違った考えだ。
マヤ民族は現在のわたしたちと共にまだ生きている。今はおよそ1500万人のマヤ人がいると推定されているが、詳しいことは語りたがらない人が多く、正確な数字をつかむのは難しい。
ありふれた風景の中に埋もれた考古学的宝
環境や文明の盛衰との関わり方など、古代マヤ人の歴史には学ぶべきところが多い。公共事業から、政治、芸術、コミュニティ、文字まで、マヤの過去と現在について、発見することはまだまだ多い。
考古学的に言えば、我々はまだ、マヤ文明のほんのさわりのところをひもといただけだ。
この夏、メキシコのタバスコ州で、ライダー(Lidar:光による検知と測距)を使った調査を行ったところ、なにげない場所から3000年前の隠れたマヤの建造物が発見された。
その規模は、エジプト最大のピラミッドよりも大きく、これまでマヤ地域で発見されている建造物の中でも最大、最古だ。
この遺跡を発見したアリゾナ大学の猪俣健教授は、あまりにも大きすぎて地上からではわからなかったため、今まで誰も気がつかなかったと考えている。
ライダー技術は、新たな遺跡を発見できるだけでなく、すでに発掘が進んでいる遺跡の詳細を探り出すのにも役立つ。
儀式に使われたか、作物のための畑だった可能性のある場所につながる道は、地上からでは判断は難しいが、ライダーでその存在を確認し、大きさを測定すれば、古代社会の新たな情報が得られる可能性がある。

image by:猪俣健/ Nature
遺跡をマッピングして、古代マヤの生活をもっと知る
メキシコ、チアパス州パレンケのマヤ遺跡を中心に行われた、パレンケマッピングプロジェクトから、古代マヤの人たちがどのような生活をしていたのか、さらに多くのことがわかる。
紀元850年から900年の間に放棄されたと言われるこの遺跡の存在は、考古学者の間では1世紀以上前から知られていたが、これまでの調査は、パレンケの儀式の中心についてがおもだった。新たなマッピングプロジェクトは、パレンケの郊外の生活をさらに解明するために計画された。
このマッピングプロジェクトにより、パレンケはマヤの古典期においてもっとも都市化された町のひとつであることがわかった。
人口はおよそ7500人で、20万人以上が住んでいたティオティワカンよりかなり小規模だが、定住密度としてはマヤ地域で2番目に高い。このことから、当時のマヤの人々は、少なくとも古典期後期までは、高度な助け合い共同生活を送っていたと思われる。

パレンケマッピングプロジェクト image by:Dr. Edwin Barnhart / Maya Exploration Center
さらに、パレンケ社会は多様性に富んでらしい証拠が見つかった。これは、当時の建築プロジェクト、芸術、歴史的記録などが高度に発達していたため、古代マヤ世界全体に見られた社会的多様性の証拠を裏づけている。
さらに、陶工や石工の作業場や、浸食や洪水を防ぐための高台や水路といった公共工事の跡も見つかっている。とくに後者は、現代のマヤの人々の間にも見られる市民意識のあらわれではないかと思われる。

Pixabay
現代の共同体主義の政治に反映された神性評議会
マヤの超自然世界には、日々の生活全般に影響を及ぼすと考えられた数多くの神々がいて、大衆文化におけるマヤ儀式の描き方は、センセーショナルな部分に注目しがちだ。
人間の生贄などはその最たるものだ。
だが、そうしたお決まりな描かれ方よりも、マヤの信仰はもっと複合的なもので、それは現在でも変わらない。
古代儀式には、食べ物の供物、巡礼の旅、芝居、さらには、霊的な意味合いをもつ儀式のための球技までもが含まれていた。古代マヤ最大の都市のひとつで、観光地としても人気の高いチチェン・イツァには、マヤの人々によって建設された巨大な野外球戯場まである。
マヤの宗教神殿の顕著な特徴のひとつは、代表制の議会に似ているということだ。最高神がいたのかどうかはわからないが、何世紀にもわたってマヤ遺跡に残されてきた芸術品からは、共同体主義的な意図がうかがえる。そうした共同体的考え方は、現在のマヤの人たちのコミュニティで実践されている政治にも反映されている。

Pixabay
現代にも伝わる古代の料理や色素の技術
天文学、建築学、何世紀も続く代議政治だけでなく、マヤ文明は世界の料理にも大きな影響を与えてきた。さらに、継続的に芸術作品を生み出す間に化学処理の手法もマスターした。その詳細は、長年、現代の科学者を悩ませてきた。
トウモロコシとして知られるメイズは、古代マヤと深い関係のある食べ物で、現在のマヤの人々の食生活においても重要な役割を担っている。男女両方の形で表わされるメイズの神々は、人々の生計と生存にとって重要な主要作物なので、マヤの古代神殿でもよくとりあげられる。
歴史家によると、トウモロコシが現代のメキシコで栽培されるようになったのは、およそ1万年ほど前からで、それ以降、トウモロコシの栽培は世界中に広まったという。
しかし、マヤが世界に貢献した食べ物はトウモロコシ(メイズ)だけではない。

iStock
チョコレートやバニラも、ヨーロッパ人が新世界から自国に持ち帰った多くの食品のうちのひとつだ。現代のショコラティエたちは、マヤの伝統に目を向けて、洗練されたスイーツを生み出したのだ。
染料や塗料を作り出すのも、マヤの伝統が役にたった。"マヤブルー"は、古代の壁画や焼き物に見られる鮮やかな色合いで、インディゴ(藍)の植物や粘土に含まれるミネラルから抽出する色素だ。
成分を安定させるための処理、色褪せしない塗料の技術は長い間、謎だったが、フィールド博物館の研究者たちが、儀式で使われていた香が結合剤になっていることを発見した。

マヤブルーを背景に描かれた戦士の絵画 image by:public domain/wikimedia
古い伝統を新しい儀式に融合させる
スペインが現在のメキシコを占領し始め、ヨーロッパはマヤから取り入れた新しい食品や資源で豊かになった。
その一方、マヤの人々は何世紀にもわたって積み重ねてきた文明の歴史やその産物を征服者に破壊されて困窮し、歴史的知識のギャップが残った。現代の研究者たちがその溝を埋めようと努めている。
ひとつの例をあげると、16世紀にマヤの人たちを改宗させるため布教にやってきたカトリックの司祭、ディエゴ・デ・ランダは、貴重なマヤの書物を数えきれないほど燃やし、多くの像を破壊した。
マヤの人々とその神や宗教儀式とのつながりを断ち切ろうとしたのだ。だが、彼のこの試みは一部しか成功しなかったといっていい。
現代でもマヤの人たちは、伝統的なマヤの儀式にキリスト教形式の要素をうまいこと融合させた儀式を執り行っている。
今日でもメキシコにある、瞑想と儀式のためにマヤ人が使った遺跡を探索することができ、そこで古代マヤの音楽や芸術に触れることができる。
そんな場所のひとつが、ロルトゥン洞窟で、ここでは1万年以上前につけられた手形の跡や壁画を見ることができる。膨大な年月をかけてできた自然の石筍は、たたくとえも言えぬ音を奏でる。

ロルトゥン洞窟/iStock
逆境に直面したときの文化的な回復力
ライダーなどの新技術と、足で探索する従来の方法で、マヤの考古学遺跡の新たな面が確実に発見されていくだろう。
新しいパズルのひとつひとつが、世界でもっとも高度な古代文明の全体像をさらに完璧につなぎあわせていき、研究者たちはこの地域の歴史の全貌を知ることになるはずだ。
今日のマヤの人々は、古代文明の相続人として、彼らにとって正当な場所を取り戻している。何世紀にもわたる伝統を維持することによって、ふさわしい尊厳と自治権を得るに値する。
現地を訪れてマヤの人々と触れ合い、彼らの温かさや寛大さを体験すれば、この惑星に住む市民として、わかちあえる絆が強められるはずだ。
マヤの歴史を探究することで、政治、芸術、農業、建築、精神性など、さまざまな分野における人間の知識の進化に新たな光が当てられることになる。
しかし、現代のマヤの人々を知ることは、それだけで文化的な宝で、逆境に直面したときの人間の回復力の研究になるともいえよう。
マヤは非常に説得力のある教訓をもたらしてくれる偉大なる教師であり、わたしたちが学ばなくてはならないことは、まだまだたくさんあるのだ。
References:The Maya People Still Have So Much to Teach Us | Ancient Origins/
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