カルビー、「松本の魔法」で高収益企業へ
「儲ける気のない」社内に衝撃的改革
ビジネスジャーナル
2015年1月30日 06時10分 (2015年1月30日 10時20分 更新)

「かっぱえびせん」でおなじみのスナック菓子大手カルビーは、
東日本大震災が発生した2011年3月11日に東証1部に新規上場した。
初値は売り出し価格と同じ2,100円だったが、
震災の影響で株式市場は混乱し、
週明けの15日には2,000円にまで下げた。
その後、13年9月には1万1,780円を記録。
同年10月に1株を4株に分割しているので株価は下がったように見えるが、
ずっと堅調を続けている。今年1月5日大発会の高値は4,165円。
昨年の高値(12月4日の4,355円)に近い水準で推移している。
15年3月期連結決算の売上高は2,130億円、
営業利益は225億円の見込みだが、営業利益は上振れしそうだ。
株式公開した11年3月期はそれぞれ1,555億円と107億円。
売上高は37%増、営業利益は2.1倍。
営業利益は過去最高益を連続して更新中だ。
09年6月、会長兼CEO(最高経営責任者)に
ジョンソン・エンド・ジョンソンから転じた松本晃氏が就任して以来、
カルビーは大きく変わった。
利益率が大幅に改善し、儲かる会社になった。
かつて1%台だった営業利益率は、15年3月期に10.5%となる見込み。
中期的には15%を目指しており、
「松本の魔法」と評せられている。
なぜカルビーは儲かる会社に変わることができたのか。
14年5月21日配信「DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー」記事のインタビューで、
松本氏は次のように答えている。
「単に儲け方が下手だっただけです。
会社が儲かるには、基本的には3つの要素があります。
『商品の品質』『コストの安さ』『供給体制』です。
カルビーは1番目と3番目はよくできていた。
ところが、2番目のコスト意識がまったくなかった。
儲ける気がないんじゃないか、と思えたくらいです」
カルビーは品質にこだわるあまり、
コストには無頓着だった。松本氏は、
コスト管理をしっかりやれば、もともと持っている力を発揮できると考えた。
組織を簡略化して変動費を下げた。
高コストの温床になっていた低い工場稼働率を一気に高め、
固定費を下げた。これで
売上高営業利益率が大幅に改善したのである。
●衝撃的な組織改革
仕事の仕方が変わったことが、
カルビーの社員には衝撃的だった。
人事評価はシンプルに数字で示し、
社員は結果を出さなければ夜中まで残業しても評価されない。
「コミットメント(C)&アカウンタビリティ(A)」。
約束したことに対して結果責任を負う。…
最初は社内から猛反発があったが、
今ではこのC&Aがすっかり社内の共通語になった。
同時に階層を減らし、部長補佐や部長代行などの中2階ポストを廃止した。
「日本の会社には、わけのわからない階層が多すぎる。
課長でもないのに課長役とか、
部長補佐とか部長代行とか、すぐに中2階をつくりたがるんですね。
そうすることで、上がれない人もちょっと上げて満足させる。
身分と責任を混ぜこぜにして、併存させてしまうわけです。
でも、こんなことをやっていたら、会社はもちません。
生き残ろう、成長しようと思ったら、変えるしかないんです」
(松本氏/同記事より)
●6期連続の増収増益へ
カルビーは1949年、松尾孝氏が広島市で設立した松尾糧食工業がルーツだ。
栄養食品の製品化を目指し55年に、
カルシウムの「カル」とビタミンB1の「ビー」を組み合わせた
カルビー製菓に社名を変更した。
転機は55年にやってきた。あられといえば米菓だが、
米不足から原料が調達できず、
日本で初めて小麦粉を使った「かっぱあられ」を世に出した。
孝氏が次に考えたのは、瀬戸内海で獲れるがそのまま捨てられていた小エビを、
かっぱあられに入れることだった。
試行錯誤の末、たどり着いたのが生のエビを丸ごとミンチにして加える製法。
「かっぱえびせん」である。
かっぱえびせんの発売は、東海道新幹線が開通し東京オリンピックが開催された64年。
「やめられない とまらない」
というCMソングに乗って爆発的にヒットした。
2000年以降、防疫検査を受けていない種イモを使った製品を販売するなど、
カルビーでは不祥事が続発した。
創業家出身で社長だった松尾雅彦氏は、
3代続いた同族経営をやめ、株式上場、外資との資本提携、
後継者を外部から起用することを決断した。
そして08年、指南役として松本晃氏を社外取締役として招いた。
松本氏は72年、京都大学農学部修士課程修了後に伊藤忠商事へ入社。
93年にジョンソン・エンド・ジョンソンメディカル
(現ジョンソン・エンド・ジョンソン)へ入社し、
社長、最高顧問を歴任した。
カルビーは09年、ペプシコーラで知られる米ペプシコグループと
電撃的に資本提携(ペプシコの出資比率20.99%)したが、
その際に松本氏は暗礁に乗り上げていた提携交渉を短期間でまとめ上げた。
この手腕に舌を巻いた雅彦氏は、松本氏に社長就任を要請。
社長就任は固辞したが、
CEO(最高経営責任者)とCOO(最高執行責任者)の役割を
明確化することを条件に会長兼CEOを引き受けた。…
松本氏がCEO就任後、カルビーは6期連続の増収増益へ向けて快走中だ。
16年3月期には売り上げが倍増している北米が寄与する。
16年春以降、北海道のポテトチップス工場を集約し、
空いた拠点で利益率の高い「じゃがりこ」を増産する。
松本氏は派手なパフォーマンスはしない。
仕組みを変えることで企業文化を変え、
カルビーを高収益企業に変身させたのだ。
(文=編集部)
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20150130/Bizjournal_mixi201501_post-2435.html
「儲ける気のない」社内に衝撃的改革
ビジネスジャーナル
2015年1月30日 06時10分 (2015年1月30日 10時20分 更新)

「かっぱえびせん」でおなじみのスナック菓子大手カルビーは、
東日本大震災が発生した2011年3月11日に東証1部に新規上場した。
初値は売り出し価格と同じ2,100円だったが、
震災の影響で株式市場は混乱し、
週明けの15日には2,000円にまで下げた。
その後、13年9月には1万1,780円を記録。
同年10月に1株を4株に分割しているので株価は下がったように見えるが、
ずっと堅調を続けている。今年1月5日大発会の高値は4,165円。
昨年の高値(12月4日の4,355円)に近い水準で推移している。
15年3月期連結決算の売上高は2,130億円、
営業利益は225億円の見込みだが、営業利益は上振れしそうだ。
株式公開した11年3月期はそれぞれ1,555億円と107億円。
売上高は37%増、営業利益は2.1倍。
営業利益は過去最高益を連続して更新中だ。
09年6月、会長兼CEO(最高経営責任者)に
ジョンソン・エンド・ジョンソンから転じた松本晃氏が就任して以来、
カルビーは大きく変わった。
利益率が大幅に改善し、儲かる会社になった。
かつて1%台だった営業利益率は、15年3月期に10.5%となる見込み。
中期的には15%を目指しており、
「松本の魔法」と評せられている。
なぜカルビーは儲かる会社に変わることができたのか。
14年5月21日配信「DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー」記事のインタビューで、
松本氏は次のように答えている。
「単に儲け方が下手だっただけです。
会社が儲かるには、基本的には3つの要素があります。
『商品の品質』『コストの安さ』『供給体制』です。
カルビーは1番目と3番目はよくできていた。
ところが、2番目のコスト意識がまったくなかった。
儲ける気がないんじゃないか、と思えたくらいです」
カルビーは品質にこだわるあまり、
コストには無頓着だった。松本氏は、
コスト管理をしっかりやれば、もともと持っている力を発揮できると考えた。
組織を簡略化して変動費を下げた。
高コストの温床になっていた低い工場稼働率を一気に高め、
固定費を下げた。これで
売上高営業利益率が大幅に改善したのである。
●衝撃的な組織改革
仕事の仕方が変わったことが、
カルビーの社員には衝撃的だった。
人事評価はシンプルに数字で示し、
社員は結果を出さなければ夜中まで残業しても評価されない。
「コミットメント(C)&アカウンタビリティ(A)」。
約束したことに対して結果責任を負う。…
最初は社内から猛反発があったが、
今ではこのC&Aがすっかり社内の共通語になった。
同時に階層を減らし、部長補佐や部長代行などの中2階ポストを廃止した。
「日本の会社には、わけのわからない階層が多すぎる。
課長でもないのに課長役とか、
部長補佐とか部長代行とか、すぐに中2階をつくりたがるんですね。
そうすることで、上がれない人もちょっと上げて満足させる。
身分と責任を混ぜこぜにして、併存させてしまうわけです。
でも、こんなことをやっていたら、会社はもちません。
生き残ろう、成長しようと思ったら、変えるしかないんです」
(松本氏/同記事より)
●6期連続の増収増益へ
カルビーは1949年、松尾孝氏が広島市で設立した松尾糧食工業がルーツだ。
栄養食品の製品化を目指し55年に、
カルシウムの「カル」とビタミンB1の「ビー」を組み合わせた
カルビー製菓に社名を変更した。
転機は55年にやってきた。あられといえば米菓だが、
米不足から原料が調達できず、
日本で初めて小麦粉を使った「かっぱあられ」を世に出した。
孝氏が次に考えたのは、瀬戸内海で獲れるがそのまま捨てられていた小エビを、
かっぱあられに入れることだった。
試行錯誤の末、たどり着いたのが生のエビを丸ごとミンチにして加える製法。
「かっぱえびせん」である。
かっぱえびせんの発売は、東海道新幹線が開通し東京オリンピックが開催された64年。
「やめられない とまらない」
というCMソングに乗って爆発的にヒットした。
2000年以降、防疫検査を受けていない種イモを使った製品を販売するなど、
カルビーでは不祥事が続発した。
創業家出身で社長だった松尾雅彦氏は、
3代続いた同族経営をやめ、株式上場、外資との資本提携、
後継者を外部から起用することを決断した。
そして08年、指南役として松本晃氏を社外取締役として招いた。
松本氏は72年、京都大学農学部修士課程修了後に伊藤忠商事へ入社。
93年にジョンソン・エンド・ジョンソンメディカル
(現ジョンソン・エンド・ジョンソン)へ入社し、
社長、最高顧問を歴任した。
カルビーは09年、ペプシコーラで知られる米ペプシコグループと
電撃的に資本提携(ペプシコの出資比率20.99%)したが、
その際に松本氏は暗礁に乗り上げていた提携交渉を短期間でまとめ上げた。
この手腕に舌を巻いた雅彦氏は、松本氏に社長就任を要請。
社長就任は固辞したが、
CEO(最高経営責任者)とCOO(最高執行責任者)の役割を
明確化することを条件に会長兼CEOを引き受けた。…
松本氏がCEO就任後、カルビーは6期連続の増収増益へ向けて快走中だ。
16年3月期には売り上げが倍増している北米が寄与する。
16年春以降、北海道のポテトチップス工場を集約し、
空いた拠点で利益率の高い「じゃがりこ」を増産する。
松本氏は派手なパフォーマンスはしない。
仕組みを変えることで企業文化を変え、
カルビーを高収益企業に変身させたのだ。
(文=編集部)
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