新幹線を支える日本の部品技術
極限の安全追求が生んだ“絶対に緩まないナット”
SankeiBiz
5月11日(月)8時15分配信

死亡事故ゼロを誇る東海道新幹線。
100万キロ走行で「絶対に緩まないナット」が
全て交換される(写真:フジサンケイビジネスアイ)
世界に誇る日本の高速鉄道「新幹線」。
日本の大動脈、東海道新幹線の開業から半世紀が過ぎたが、
車内の乗客が犠牲になった死亡事故はこれまでに一件も起きていない。
ピーク時でほぼ3分間隔の過密ダイヤ、
最高時速285キロの高速運転を支えているのは、
日本の得意技ともいえる緻密なものづくりの世界。
海外での高速鉄道受注を競う鉄道会社や
鉄道車両メーカーを陰で支える部品会社の存在に
スポットライトを当てる。
◆1編成当たり2万本
東海道新幹線の看板列車「のぞみ」に投入される最新型車両「N700A」。
連日、多くの乗客が利用するこの車両には、
ある特殊なねじが使われている。
車体下部にある車輪を覆うカバーをはじめ、
車体の至るところに使われ、
その数は1編成(16両)当たり約2万本に上る。
そのねじとは“絶対に緩まないナット”と呼ばれる
「ハードロックナット」。
特殊ねじメーカーのハードロック工業(大阪府東大阪市)が開発した。
絶対に緩まないナットとは、どのようなものか。
若林克彦社長は「簡単に言えば、ナットとボルトとの間に
楔(くさび)を打ち込んだもの」と説明する。
ナットを凸形の下ナットと凹形の上ナットの2層に分解。
下ナットの凸部分を少しずらして偏芯を施す。
そこに凹形状の上ナットを締め込む。
するとハンマーで下ナットに楔を打ち込むのと同じ効果が表れる。
しかも一度ナットを締めると、絶対に緩まない。
そして着脱は何十回でもできる。
この絶対に緩まないナットには前身となる製品「Uナット」があった。
大阪工業大学を卒業後、技術者として
バルブの設計に携わっていた1960年、
大阪で開かれた国際見本市で展示されていたねじをヒントとして考案。
61年に脱サラで「富士産業社」という会社を設立し、
ねじ問屋などへ営業活動を始めるが、
「そんなん売れるか」と言われ、門前払いの日々。
そこで大阪中の町工場に大小100個ほど入ったUナットの箱を置いて回った。
最初は人件費や開発費は持ち出しという厳しい状況が続いたが、
徐々に引き合いが入り3、4年後には経営が軌道に乗る。
73年には年商15億円、従業員30人の会社になった。
「高度成長期に入り、大量生産や合理化のための省力化、
省人化へのニーズが産業界全体に高まったことが追い風になった」と、
ハードロック工業の若林社長は当時を振り返る。
「緩まないナット」とのキャッチフレーズで売っていたUナットだが、
ある顧客から「緩むぞ」とのクレームが入った。
掘削機などで激しい振動を与えたら、
わずかに緩んでしまった。
「人を喜ばせようと思って開発したナットで、
顧客を怒らせてしまった。
だったら本当に絶対に緩まないナットをこの手で作って見せようじゃないか」。
幼少の頃からの発明好きだった若林社長の闘志に火がついた。
◆大鳥居がヒント
ところが絶対に緩まないナットのアイデアが浮かばない。
若林社長は毎朝、自宅近くの住吉大社(大阪市住吉区)へ散歩に出かける。
大鳥居をくぐるとき、鳥居の両側にある柱と、
柱を横につなぐ貫(ぬき)とが
交差するところに楔が打ち込まれていることに気付いた。
帰宅後、早速ボルトとナットの間に楔を打ち込むと、
緩まないことが分かった。
ただ1本ずつ楔を打ち込むことは大量生産できず非現実的。
そこで上下2層構造のナットにすることを思いついた。
絶対に緩まないナットを開発した若林社長は、
Uナットの販売会社を協力者に無償で譲渡。
74年にハードロック工業を設立した。
その当時、阪神電気鉄道がUナットを
カーブレール内側の脱線防止ガードをレールに留めるために使っていた。
数分間隔で列車が通るため、どうしても緩みが生じ、
深夜の保線作業で締め直していた。
そこで「1回でいいから」とお願いして、
絶対に緩まないナットを付けてもらったところ、
3カ月たっても全く緩まなかった。
この実績を基に、関西の大手私鉄に拡販、受注を得た。
人件費の削減と安全性の向上につながったことが評価された。
勢いに乗り、76年、旧日本国有鉄道に売り込んだものの、
「そんなに緩まないのなら保線区員の仕事がなくなる」と断られた。
87年の国鉄民営化とJR発足。早速、
若林社長はJR東海の本社を訪れ、
絶対に緩まないナットの採用を呼びかけた。
JR東海は当初、防音壁を留めるためのナットとして採用した。
振動が大きく、市販のナットではすぐに緩んでしまい、
防音壁が外れる可能性があったためだ。
その後、車体にも使われるようになった。
JR東海では100万キロを走行したら、
全てのナットを交換することにしている。
東京-新大阪が約500キロあり、
3~5年ほどで100万キロに達する。完全な消耗品だ。
金属疲労による事故を防ぐためだが、
JR東海からは「ハードロック工業以外のナットは使えない」との評価を得る。
その信頼度の高さは新幹線に限らず、
明石海峡大橋や東京スカイツリーにも採用されたことからもうかがえる。
極限までに安全、安心を求める鉄道の世界。
その世界が日本の中小企業の
ものづくり力を高めてきたことは間違いない。
(松村信仁)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150510-00000000-fsi-bus_all
授業では、ことあるごとに「イノベーション」
について言及していますが「新幹線」自体がイノベーションと考えていました。
「新幹線」を支える技術や運行・運用のシステム(信号技術など)、
一連の技術をもってイノベーションと見るべきでしょう。
極限の安全追求が生んだ“絶対に緩まないナット”
SankeiBiz
5月11日(月)8時15分配信

死亡事故ゼロを誇る東海道新幹線。
100万キロ走行で「絶対に緩まないナット」が
全て交換される(写真:フジサンケイビジネスアイ)
世界に誇る日本の高速鉄道「新幹線」。
日本の大動脈、東海道新幹線の開業から半世紀が過ぎたが、
車内の乗客が犠牲になった死亡事故はこれまでに一件も起きていない。
ピーク時でほぼ3分間隔の過密ダイヤ、
最高時速285キロの高速運転を支えているのは、
日本の得意技ともいえる緻密なものづくりの世界。
海外での高速鉄道受注を競う鉄道会社や
鉄道車両メーカーを陰で支える部品会社の存在に
スポットライトを当てる。
◆1編成当たり2万本
東海道新幹線の看板列車「のぞみ」に投入される最新型車両「N700A」。
連日、多くの乗客が利用するこの車両には、
ある特殊なねじが使われている。
車体下部にある車輪を覆うカバーをはじめ、
車体の至るところに使われ、
その数は1編成(16両)当たり約2万本に上る。
そのねじとは“絶対に緩まないナット”と呼ばれる
「ハードロックナット」。
特殊ねじメーカーのハードロック工業(大阪府東大阪市)が開発した。
絶対に緩まないナットとは、どのようなものか。
若林克彦社長は「簡単に言えば、ナットとボルトとの間に
楔(くさび)を打ち込んだもの」と説明する。
ナットを凸形の下ナットと凹形の上ナットの2層に分解。
下ナットの凸部分を少しずらして偏芯を施す。
そこに凹形状の上ナットを締め込む。
するとハンマーで下ナットに楔を打ち込むのと同じ効果が表れる。
しかも一度ナットを締めると、絶対に緩まない。
そして着脱は何十回でもできる。
この絶対に緩まないナットには前身となる製品「Uナット」があった。
大阪工業大学を卒業後、技術者として
バルブの設計に携わっていた1960年、
大阪で開かれた国際見本市で展示されていたねじをヒントとして考案。
61年に脱サラで「富士産業社」という会社を設立し、
ねじ問屋などへ営業活動を始めるが、
「そんなん売れるか」と言われ、門前払いの日々。
そこで大阪中の町工場に大小100個ほど入ったUナットの箱を置いて回った。
最初は人件費や開発費は持ち出しという厳しい状況が続いたが、
徐々に引き合いが入り3、4年後には経営が軌道に乗る。
73年には年商15億円、従業員30人の会社になった。
「高度成長期に入り、大量生産や合理化のための省力化、
省人化へのニーズが産業界全体に高まったことが追い風になった」と、
ハードロック工業の若林社長は当時を振り返る。
「緩まないナット」とのキャッチフレーズで売っていたUナットだが、
ある顧客から「緩むぞ」とのクレームが入った。
掘削機などで激しい振動を与えたら、
わずかに緩んでしまった。
「人を喜ばせようと思って開発したナットで、
顧客を怒らせてしまった。
だったら本当に絶対に緩まないナットをこの手で作って見せようじゃないか」。
幼少の頃からの発明好きだった若林社長の闘志に火がついた。
◆大鳥居がヒント
ところが絶対に緩まないナットのアイデアが浮かばない。
若林社長は毎朝、自宅近くの住吉大社(大阪市住吉区)へ散歩に出かける。
大鳥居をくぐるとき、鳥居の両側にある柱と、
柱を横につなぐ貫(ぬき)とが
交差するところに楔が打ち込まれていることに気付いた。
帰宅後、早速ボルトとナットの間に楔を打ち込むと、
緩まないことが分かった。
ただ1本ずつ楔を打ち込むことは大量生産できず非現実的。
そこで上下2層構造のナットにすることを思いついた。
絶対に緩まないナットを開発した若林社長は、
Uナットの販売会社を協力者に無償で譲渡。
74年にハードロック工業を設立した。
その当時、阪神電気鉄道がUナットを
カーブレール内側の脱線防止ガードをレールに留めるために使っていた。
数分間隔で列車が通るため、どうしても緩みが生じ、
深夜の保線作業で締め直していた。
そこで「1回でいいから」とお願いして、
絶対に緩まないナットを付けてもらったところ、
3カ月たっても全く緩まなかった。
この実績を基に、関西の大手私鉄に拡販、受注を得た。
人件費の削減と安全性の向上につながったことが評価された。
勢いに乗り、76年、旧日本国有鉄道に売り込んだものの、
「そんなに緩まないのなら保線区員の仕事がなくなる」と断られた。
87年の国鉄民営化とJR発足。早速、
若林社長はJR東海の本社を訪れ、
絶対に緩まないナットの採用を呼びかけた。
JR東海は当初、防音壁を留めるためのナットとして採用した。
振動が大きく、市販のナットではすぐに緩んでしまい、
防音壁が外れる可能性があったためだ。
その後、車体にも使われるようになった。
JR東海では100万キロを走行したら、
全てのナットを交換することにしている。
東京-新大阪が約500キロあり、
3~5年ほどで100万キロに達する。完全な消耗品だ。
金属疲労による事故を防ぐためだが、
JR東海からは「ハードロック工業以外のナットは使えない」との評価を得る。
その信頼度の高さは新幹線に限らず、
明石海峡大橋や東京スカイツリーにも採用されたことからもうかがえる。
極限までに安全、安心を求める鉄道の世界。
その世界が日本の中小企業の
ものづくり力を高めてきたことは間違いない。
(松村信仁)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150510-00000000-fsi-bus_all
授業では、ことあるごとに「イノベーション」
について言及していますが「新幹線」自体がイノベーションと考えていました。
「新幹線」を支える技術や運行・運用のシステム(信号技術など)、
一連の技術をもってイノベーションと見るべきでしょう。