私がお勤めしていた時、清潔感にあふれ、笑顔が爽やかな先輩がいた。
誰に媚びへつらうこともせず、皆に等しく優しい。
話して面白く、でも、ちょっとからかうと少年のように照れるところもあるし、
その割に奥様のことを照れもせず自慢する愛妻家。
しかも色々な悩みを相談すると、いつも適切なアドバイスをくれる。
悪く言う人など一人もいなかったし、皆に好かれてる、
絵に描いたような、ドラマに出てくるような、
そんな先輩だから、憧れていた。
少しして、同じ県内、それも近くに家を購入したこともあって、
社内の部活動の移動や春闘の対策で営業車を使うときには、
毎回一緒になり、当然車内で色々な話をしたことで、
信頼感も増し、私は兄のようにも感じていた。
でも、私が入社して3年ほどで転勤してしまい、戻ってくる前に私は退社してしまった。
それからは年賀状でのやりとりだけ。
本社に戻って来たことは年賀状の住所でわかった。
「今年こそ会いましょう」
年賀状によく書く言葉。
「いつでも会える」
時間をつくらない、自分への言い訳。
この二つの言葉には、
自分の家族や、友人・知人はずっと元気でいるものという前提がある。
何の根拠も無いのに。
本当に突然だった。
大好きな、憧れの先輩の訃報。
そのハガキを手にした時、
そんな…
何で?
なんで?
そうつぶやいたのは覚えている。
それから先はもう言葉が出なかった。
涙があとからあとから出てくる。
日に焼けた笑顔が浮かんできた。
歯が白かったなぁ…
ずいぶん年上だと思っていたけど、全然若かったんだ…
しばらくは何も手につかず、
信じられなくて、ただ呆然としていた。
どれくらいたったのか、どれくらいそうしていたのか、
まったくわからないし覚えていない。
ダーリンからの帰るメールで我に返った。
会いに行こう。
同じ会社で同じようにお世話になった友人に電話したら、
彼女も行きたいという。
そこからバタバタと連絡を取り、
数日後、先輩の自宅へ伺った。
その日まで、まだどこか信じられなかったけれど、
実際にお位牌を目にしてやっと実感した。
ホントに亡くなったんだ…
近くにいるんだから、いつでも会えると思っていた。
そう、会いたいと思えばいつでも。
まだまだずっと先まで奥様と連名の年賀状が届くものと思っていた。
けど、
それって何の根拠もないことだと思い知らされた。
どんなに会いたくても、それはもう叶わない。
「いつでも会える」なら、いつでも会おう。
年賀状に「今年こそ会いましょう」って書くのはもうやめよう。
会いたい人には会っておこう。
もう二度と後悔しないために。
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