みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 21 「太平洋!」

2008年03月26日 | トーダル
 ああ、この喜びよう・・・。

雨が降る中、寒さなど気にせず、ベラルーシ人男性二人は、靴と靴下を脱いで、太平洋に向かって走り出した・・・
 そんなに太平洋の水に自分の体をひたしたいのか・・・
 日本人のほうは、もちろんそんなことはせず、傘をさして、ベラルーシ人が歓喜するさまを眺めたり、写真に撮ったりした。
 
 このほか、トーダルは「お土産にする。」と海岸で小石を拾い集めていた。
 ベラルーシ人2名がようやく、「太平洋、満喫しました。」と足を拭いて、靴を履いた後になって、桂浜の海岸にアナウンスが流れた。
「今日は天候が悪く、波が高いので危険です。海岸に近寄らないでください。」
 しかし、もう遅い。(^^;)

 たぶん、裸足で走り回る酔狂な二人を見て、係員の人がびっくりして、放送したのでしょう。
 日本人観光客はみんなおとなしく、傘をさして、雨の桂浜情緒をしみじみと観賞していたからね。
 一方で、小さいボートに乗って、釣りをしている人がいて、しかも私たちの目の前で、転覆しそうになったので、心臓が止まりかけた。
 どっちのほうが危険なのか。

 その後、雨が降っていたため、坂本竜馬の銅像には行かず、屋内施設、桂浜水族館へ行った。桂浜まで来て、竜馬像を見ないという、高知県の人からすれば、とても叱られそうな選択だったが、本当に天気が悪くて寒かったのです。(言い訳。)
 でも、ちゃんと坂本竜馬のことは、トーダルと捨平に説明しておいたよ。
 捨平は
「サムライなのに、ピストルを持っていたのは邪道である。」
というようなことを言っていたが、そういう自分の職業は何なのだ。
 トーダルはどこの土産物屋に行っても竜馬グッズが大量にあることに驚いていた。やっぱ、資本主義の国ですな。
 ベラルーシで言えば「スカリナ・マグカップ」とか「ラジビル・Tシャツ」などが土産物屋でいっぱい売られているような感覚であろうか。
(そんなお土産、ベラルーシのどこを探してもないのだが、あったら、ほしいと思うマーサ・・・。)


トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 20 「桂浜荘の朝」

2008年03月25日 | トーダル
 翌朝、トーダルは一人朝風呂に入るなど、日本のお風呂が気に入ったようすであった。
 そして、また豪華な朝ごはんに感動していた。画像は魚を焼いて食べているところ。
 しかし、二人とも浴衣が似合っているよね。(捨平はお相撲さん風に見える・・・)
 窓からは昨夜見えなかった海岸が一望できた。しかし天気予報どおり、雨・・・。
 でもそんなことは気にせず、嬉々として海岸へ出発した。
 車で桂浜海岸まで下りながら
「ほら、見てごらんよ。こんな道、土地に不案内な人間が夜中に歩いて海岸まで行くのは、やっぱり無理でしょ。」
とトーダルに言うと、無言だった。(^^;)
 そして、さすがに朝だったので、自ら「ウイスキーで太平洋に乾杯」計画を断念した。  
 
 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 19 「桂浜荘」

2008年03月24日 | トーダル
そもそも、トーダルと捨平は太平洋を見るのをそれは楽しみにしていた。
 確かに大西洋とちがって、ベラルーシから見ると太平洋は遠い。そしてベラルーシには海がないので、どうしてもあこがれてしまうのである。
 私としても
「海ってなあに?」
というベラルーシ生まれのはちの子に、本物の海を見せてあげたいな、という気持ちもあった。
 トーダルはウイーンの空港の免税店でウイスキーを買い、
「海岸でこれを開けて、太平洋に乾杯するんだ。」
とわざわざ持参していた。わーれは海の子♪
 
 しかし、天気の関係で、旅程が変ってしまい、1日目に高松観光を入れてしまったため、その日は急いで高知県入りしなくてはいけなかった。宿泊先は「国民宿舎 桂浜荘」である。この宿についてはこちら。

http://www.katsurahama.jp/


 この桂浜荘は海辺の高台にあり、窓から海が見える。しかし、到着した頃にはとっぷり日が暮れていたため、海がよく見えなかった。
 トーダルはあまりに太平洋を楽しみにしていたので、夕食の後、浜辺に下りて乾杯するとか言い出した。
 しかし、桂浜荘はずっと高いところにあって、夜はとても歩いて下りられるような状態ではなかった。
 それをトーダルに説明し、「暗くて無理だからやめておくように。」と忠告したら、
「こんなに海を見たいと思っている僕の気持ちを、君はどうして分かってくれないのか。君のだんなは大体、ベラルーシ人だろう?」
と訳の分からない理屈をつけて、反論した。
 そのときには、すでに夕食のときに注文した焼酎のため、酔いがだいぶ回っていたものと思われる。

 そう、その日の夕食もそれはすばらしいものだった。「黒潮ご膳」なるのが供され、日本人のマーサも初めて鯨の脂身といった珍味を食べさせていただきました。
 さすが、高知! カツオのたたき用の醤油が別にあるし、やっぱり、海の幸がどれもこれも新鮮でおいしかったです。(^^) 貝殻に入った料理は貝殻をお土産として持って帰ることに・・・。
 トーダルは、また「ベリーベリーナイス。」と繰り返しながら、
「ミンスクにある日本レストランは、本物じゃない! 本物じゃないんだ! これが本物の日本料理なんだ!」
と叫び、捨平は
「当たり前だろ。」
と言っていた。

 そのとき、マーサ両親が
「ご飯の後はお風呂だから、アルコールは控えめにするように。」
と言っていたにもかかわらず、高知の地元の焼酎を頼んでしまい、それをベラルーシ人の男どもはけっこう飲んでしまったのである。

 その後、海が見える展望浴場へ。女性陣は夜景の見えるお風呂につかって大喜び。
 一方、男性陣であるが、私はいっしょに入ってないので(^^;)父から話を聞いたのであるが、お湯につかっている間にトーダルは酔いが回りすぎ、それを自分自身が自覚し、すぐに部屋に戻ると、自ら布団をひいて、すぐに寝てしまった。

 この日の宿は大部屋を二つとって、一つは男部屋、一つは女部屋にしていた。
 お風呂から上がった後、マーサが男部屋に行ってみると、トーダルはすでに寝てしまっていた。
 あれだけ、海が見たいから海岸まで行く、と言っていたのに・・・
 しかも、くーくーいびきをかいていた。
 ついにベラルーシ人のトーダルも高知の焼酎と、温泉の前に屈服してしまったか・・・。

 そして、まだしつこく酒を酌み交わそうとする男二人(マーサ父と捨平)の通訳のため、私も男部屋へ居残らされた。
(それにしても飲みすぎだな。日本酒を京都からしっかり持参しているのも非常に計画的である。)

 夜中になって、私は女部屋に戻る。
 朝、起きると、トーダルは
「同志1名(捨平)のいびきがうるさくて寝られなかった。」
と言っていたが、絶対にこれは嘘だ。

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 18 「栗林公園」

2008年03月24日 | トーダル
 屋島の次は、美しい庭が広がる栗林公園へ。
 捨平は「公園」と聞いて、花壇があるだけかと思っていたらしいが、実際に中に入って、びっくり。
 栗林公園については詳しくはこちら。(くりばやし、ではなく、りつりん、と読む。)

http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kankou/meisyo/ritsurin.htm


 いやあ、広くて、きれいで、繊細で、内容も盛りだくさんの庭園でした。
 池、太鼓橋、灯篭、茶室、滝まであって、外国人が見に来たら、絶対に満足するだろうなあ、と思いました。
 ベラルーシ隊男性陣は、丸や四角にきれいに剪定された木を見て、
「お伽の国に迷い込んだようだ。」
と感動。
 色とりどりの錦鯉が優雅に回遊するのを見て
ト「うわ、大きい!」
捨「今晩の夕食のおかずにどうだい?」(←罰あたりな。)
ト「食べるのもったいないぐらいきれいだな。」
と感心することしきり。

 外国人のお客さんと高松観光に来られたら、ぜひ、この栗林公園へ。お勧めです。
 トーダルは梅の木だの、茶室だの、築山だの、せっせと写真に撮っていた。
(画像参照。)手にカメラを持ったまま、ポーズ。
「この庭園はダイミョー、つまりお金持ちのサムライがつくりました。」
と説明したせいか、サムライポーズ。(^^;)カメラではなく、カタナを持ちたかったのではないか。 
(君もダイミョーぐらいの金持ちになれば、ネマンやしきをこれぐらいの規模に拡大できるであろう・・・。)
  
 滝に関しては
「ノルウエーでもっと大きい滝を見たことがあるから・・・。」
と言うので、気に召さなかったのかと思ったら
「日本の滝は女性的だね。この滝を見ていると、女の人の体形を思いこさせるね。」
と、なぜかにやにやしていた。(←変なの。普通、滝を見てこんなこと連想するか?)

 話はまたサムライに戻るけど、トーダルのサムライに対するイメージも、何か変だ。車中で、日本語を覚えたいから、キリル文字で書いて、とノートを渡された。
「アリガトとアリガトゴザイマシタの違いは何か。」
ときかれ、日本人と結婚してなまじっか日本語を中途半端に聞きかじっている捨平は横から
「ドウモアリガトはどうなのか?」
と口を挟んでくるので、説明に大変である。
 山や海を見ては、日本語できれい、というのはどう言うのか、ときかれ、ノートにキリル文字で「スゴク キレイ」とかついでに「カワイイ」とかの言葉を書いておいた。
 そしたら、その後、やたらでかいバリトン声で
「アリガトゴザイマシタアアア!」「キレイ! キレーイ!」「カワイイ!!!」
と連呼し始めた。
 どうしてそんなしゃべり方をするのかときけば
「サムライだから。」
という返事だった。
 しかし、トーダルは朝日新聞のインタビューで日本のことは
「黒澤明の映画ぐらいでしか見たことがない。」
と答えているので、このサムライイメージは「七人の侍」などの映画から得たイメージと思われる。
 七人の侍って言っても、間違っても勝四郎(木村功)のイメージではなく、菊千代(三船敏郎)か 勘兵衛(志村喬)のイメージである。(^^;)

(この場所で撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 146」などで公開しています。ここをクリック。)


http://photozou.jp/photo/top/180896


 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 17 「屋島」

2008年03月24日 | トーダル
 いよいよ、屋島の山上へ向かう。
 すばらしい眺めが眼下に広がる。
(足元には名物かわら投げに失敗したらしい、かわらけが大量に落ちている・・・。)
 天気に恵まれて本当によかった。またここでも写真を撮りまくる。(^^;)

 かわら投げについての説明など、屋島についてはこのサイトをご覧ください。

http://www2.neweb.ne.jp/wd/yashima/meibutu.htm#kawaranage

(このサイト内をいろいろ開いて読んでみたけど、マーサからすれば、かなり笑える文章があちこちにありました。屋島登山とか、屋島歴史年表とか、四国村とか・・・。屋島に行きたくなること、うけあいです。)

マーサと捨平はここが、かの扇の的の古戦場かと感慨深かった。土産物屋をのぞいても、源平合戦関連グッズがいっぱい売られていて、夢のような世界・・・。
 しかし、屋島の山上から海を眺めながら
「あのあたりで、扇の的を打ったのだろうか・・・。」
「オリンピックの金メダルアーチェリー選手だったら、このような条件で、扇の的に矢を当てることができるのかな?」
「いや、無理!」
「やっぱり奇跡が起こったんだ。」
と話していたが、実際の「扇の的現場」は800年以上経過した今、平家物語にあるような海中ではなく陸地になっているらしい、ということが判明。(ショック・・・。以下のサイトの画像を参照。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
 

 しかし、それでも、実際に源平合戦があった場所に行けて本当に感動しました。
 トーダルも自分の手帳に「与一」とメモしていましたよ。
 (あとはお守りのご利益があれば・・・。)


(この場所で撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 144」などで公開しています。ここをクリック。)

http://photozou.jp/photo/top/180896




トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 16 「屋島寺」

2008年03月23日 | トーダル
 四国に上陸して、まず向かったのが屋島である。
 屋島というのはもちろん、源平合戦で那須与一が扇の的を打った有名な古戦場のことである。
 マーサと捨平は前から行きたいと思っていたので、ようやく夢がかなうことになった・・・しかし、連日の疲れのため、車中でマーサは寝てしまい、このあたりの記憶がない。
 屋島に着いたから起きろ! と言われて目を覚ますと、そこには本当に屋根の形をした島(実際には半島)である屋島の姿があった。

 まずそこで、第48番霊場である屋島寺にお参りした。(屋島寺についてはこのサイトをご覧ください。)

http://www2.neweb.ne.jp/wd/yashima/tera.htm


 ここでもまた弓矢の形のお守りを買ったりするマーサと捨平。(^^;)
 お遍路さんも大勢いて、巡礼のようなものである、とトーダルに説明したら、仏教にもそういうものがあるのか、と感心していた。(厳密にいうと、四国八十八箇所めぐりとキリスト教などの巡礼の旅はだいぶ違うが。)

 トーダルはやはりお寺の門の屋根や、灯篭などを写真に撮っていた。とにかく建築とインテリアに(実用的な)興味があるらしい。

(この場所で撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 142」などで公開しています。ここをクリック。)

http://photozou.jp/photo/top/180896



トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 15 「大鳴門橋」

2008年03月23日 | トーダル
 2月25日、レンタカーで7人乗りの車に乗り込み、四国旅行へ出発した。
 マーサ両親の予定では、まず京都から高知県まで行って、桂浜の国民宿舎に泊まって、太平洋を見て、翌日香川県へ行って、屋島見物などをして高松市内に宿泊し、翌日瀬戸大橋を渡って帰るプランだった。
 しかし天気予報によると、25日は晴れだが、26日は雨という予報だったので予定を変更し、四国に渡ったら、すぐに香川県の観光をし、それから高知に入ることにした。
 
 高速道路を走り続けると、トーダルはトンネルの多さに驚いていた。ベラルーシには山がないので、トンネルがないのである。
 外の景色を見て、日本は山がきれいだと、言っていたら、明石海峡大橋を渡って、瀬戸内海を見て、日本は海がきれいだと言っていた。(どちらもベラルーシにない。)

 淡路島に上陸。南下して、今度は大鳴門橋を渡った。
 渡ったところで、休憩することになり、車を降りて、お茶園展望台に上がった。
 天気がよくて、見晴らしは最高。ベラルーシ隊は特に大はしゃぎである。写真を取りまくった。(画像参照。)
 
 海が見えるお店で鯛めしセットを食べる。はちの子はゆずソフトクリームまで食べられて喜んでいた。(これもベラルーシにはない。)
 お店にテレビがあって、ワイドショーが流れていたが、トーダルは三浦一義さんを指差して
「どうして日本のテレビはこの人ばかり放映してるの? 有名な人?」
皇太子様の映像が流れると
「マーサ一家のご親戚ですか?」
と尋ねていた。(^^;)

 残念なことに先を急がないといけなかったので、有名な渦潮は見られなかった。(でも海面に前兆のような複雑な形の波が立っていた。)

 そして旅の目的地の一つ、屋島へとわれわれは進んだのである。 


(この場所で撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 141」などで公開しています。ここをクリック。)

http://photozou.jp/photo/show/180896/16261962



 
 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 14 「お好み焼き」

2008年03月23日 | トーダル
 2月24日は、特に予定を入れていなかった。
 外は雪がまだ降っていて、金閣寺に観光客が押し寄せたそうである。
 マーサ実家に泊まっていた親戚と記念写真を撮ったりしたが、天気もあまりよくないので、親戚は早めに帰宅の途に着いた。

 その後は、こういう時間のあるときにお土産を買っておこう、ということになった。
 トーダルに何をお土産に買いたいと思っているかきいていたのだが、
「3本線の入ったアディダスの服。フードがついているのがいい。」
と言っていた。
 ところが、ベラルーシ人は体が大きくて、日本人用サイズの服は入らない。しかも春物が売り出される時期になっており、フードがついているタイプのものは店頭から消えていた・・・そのため、京都中を探し回ることになった。
 この日もまたジャスコ京都五条店へ行ったが、ちょうどいいのがなかった。
 トーダルは日本からベラルーシに帰って1週間後にはフランス公演に行くことになっていたので
「いっそのこと、大きいサイズのあるフランスで買ったほうがいいのではないか。」
と提案したが、日本で買うから意味があるのだ、と拒否された。確かにそうだけどさ・・・。自分の体が入らない服を買ってどうするんだ・・・

 同じくジャスコで捨平がLLサイズの長袖シャツを試着せずに購入したら、お腹の部分が入らなかった。(笑)ベラルーシに帰った後で自分よりスリムなお兄さん(でも双子。似てない・・・)に土産としてあげていた。

 トーダルは試着するたびに
「入らない・・・やせなくては!!!」
と口癖のように言っていたが、実際には日本滞在中、ご飯を食べまくっていた。
「ベラルーシに帰ってから、ダイエットする。」
と、これもまた口癖のように言っていた。
 しかし、日本食がいたく気にいったトーダル。ジャスコの食料品売り場で
「ベラルーシに帰ったら、日本料理を作りたいから。」
と、米やら、さまざまな調味料やら、日本酒やらをせっせと買っていた。
 
 そしてお昼ご飯は、ジャスコに入っているお好み焼き屋さんへ。
 またまた日本料理の世界の広さに感動し、その感動の渦の中に吸い込まれていくトーダル・・・
 こういうふうに目の前で作ってくれたりする料理がベラルーシには少ないので、驚いてしまうんだよね。
 作り方を覚えようと、自ら実況中継しながら、デジカメでビデオ撮影していた。
(本当にやせようという気はあるのか・・・)

(Vesna!店内で撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 137」などで公開しています。ここをクリック。)

http://photozou.jp/photo/show/180896/9755960


 その後、別の店へアディダスを探しに行ったが、混んでいて車を止められそうになかったので、あきらめて100円ショップに寄った。
「ここにある商品、一つどれでも100円です。」
と言ったら
「うん、それはいい店だね。」
と言っていたが、あまり買い物はせず、自転車のライトとなわとびぐらいしか買わなかった。何でもネマンやしきで乗っている自転車のライトが壊れたのと、帰国後なわとびをして、ダイエットしようと思ったからだそうだ。

 それから、一旦家に戻り、樋上さんにお借りしていたアンプを返しに行く。昨日のお礼をし、さらに次回のライブ公演でもお世話になるので、ふたたびいろいろとお願いしておく。

 さて、前日のコンサートには日本人だけではなく、ベラルーシ人やそのほかの旧ソ連の国出身のお客さんも聞きに来ていた。
 そのうち東京の留学生が、コンサート当日の晩は大阪に泊まっていたので、コンサートの翌日、京都でトーダルに会うことになっていた。
 そのため、その日の夕方、トーダルは待ち合わせ場所である北野白梅町のイズミヤ前に向かった。
 残ったマーサ家では、来賓(トーダルのこと)がいないので、安心して冷蔵庫の残り物を食べる夕食にした。(^^;)
 というのも、次の日からみんなで2泊3日の四国旅行に行くことになっており、痛んでしまいそうなものは全部食べてしまいたかったのである。
 
 トーダルのほうはベラルーシ人留学生とイズミヤの斜め前にある串八に入ったものの、なぜか串料理を誰も頼まず、手巻き寿司セット(10本入り)を食べたそうだ。
 しかし、串八にはまた別の日に行くことになる・・・
 (どうも食べ物の話ばかりで申し訳ない。これ、トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記じゃなくて、"ゴチソウサマア!"日本滞在記にすればよかったかも。)

 ところで、この日トーダルはホームシックになったことを、帰国後のマスコミのインタビュー内で明かしている。あれだけお好み焼きを食べていたので、ホームシックになっていたとは、誰も気がつかなかったぞ。
 何でも「急に家族に会いたくなった。」とか、インタビューで話している。しかし
「でも翌日から国内旅行に行って、寂しさなど感じる暇はなくなってしまった。」そうだ。
 そう、トーダルの人生を変えたと言ってもいいほどの旅が、もうすぐ始まろうとしていた・・・。


 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 13 「第1回コンサート 打ち上げ」

2008年03月22日 | トーダル
 コンサート終了後は当然片付けをしないといけないのだが、
「ぎりぎり9時までに終わらせたらよい。」
ときいていたのに、実際には8時半までだったので、大急ぎで片付けることになった。

 しかしサービス精神旺盛で、スターだからとえらそうにしないトーダルはステージ終了後も、日本人ファンの頼みに応じて気軽にサインをしたり、いっしょに写真を撮ったりしていた。

その結果、本人は着替える暇もなく、会場の外に出た。そして(いつでもどこでも、こういうイベントの後はそうなのであるが)猛烈にバタバタしながら、楽器などを片付けたのである。
 私としては久しぶりに会えたので、もっとゆっくり話がしたい友人などもいたのだが、結局そんなことはろくにできなかったり、舞台の様子をビデオに録画する予定だったのに、ビデオカメラが壊れていることが判明したり、帰りのタクシーも予約を9時に入れていたので、雪が降る中、震えながら会場前で待ったり、さらに2台のタクシーに分乗したら、連絡がうまくいってなくて、後ろのタクシーの運転手さんは行き先を知らされておらず、その後ろのタクシーに乗ったのが、やっぱり行き先をちゃんと把握していないベラルーシ隊だけであったり、やっとかごの屋に到着したらマーサ父は自宅に荷物を置きに行っておらず、1台目のタクシーもかごの屋に直行しておらず、とりあえず料金を払おうとしても、運転手さんが料金まえばらいだったのかどうか把握しておらず・・・とすったもんだの多い一日だった。
 しかし、一日の締めくくりは楽しい打ち上げ。(^0^) 

 かごの屋・北野白梅町店にて打ち上げ。みなさんご苦労様!
 トーダルと捨平は自分で焼く牛肉がついているお膳セットと、やっぱり自分で蒸すカニ料理を注文して、大喜び。こういう料理がベラルーシにないからねえ・・・。
 
 しかもこの日はマーサ母の兄夫婦と姉(つまりマーサの伯父さん、叔母さんたち)がわざわざ兵庫県からコンサートを聞きに来ており、マーサ実家に泊まることになっていた。もちろん打ち上げの夕食会もいっしょだった。
 トーダルは緊張が解けて、ほっとしたのか上機嫌だった。(みんな上機嫌だったと思うが。)
 そして、かごの屋の座敷に通されたのを幸い、トーダルがギターがギターを出して、歌い始めた。(感動)
 ところが声が大きすぎて、店員さんに注意されてしまった。(^^;)
 迷惑おかけしてすみません。でもプロの歌手の生歌なんで、勘弁してください。

(打ち上げのときに撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 133」などで公開しています。ここをクリック。)

http://photozou.jp/photo/show/180896/9714978


 その後、雪が降る中、帰宅。
 帰宅した後も、親戚そろって、焼酎を飲みながら(←飲みすぎ。というか、お酒に強すぎる人ばかりが勢ぞろいしてたな。)また歌ったり、踊ったり、手拍子したり、近所迷惑なことを夜中までしていたのである。
 すみません。でも、めったにこんなことないんで、大目に見てください。

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 12 「第1回コンサート アンコール」

2008年03月22日 | トーダル
 そして「村祭」終了後、ミュージシャンの方々は、いったん退場。
 幸いアンコールを求める拍手が鳴ったのと、時間の余裕もあったため、トーダルに再登場してもらうことになった。
 ここで、ようやく祭はっぴを着てもらい、ウクライナの民族楽器のたて笛、サピルカを吹いてもらった。(画像参照。)
 普通の笛だと断面図が丸になることが多いが、この笛は正方形になる、というちょっと変った笛である。
(せっかく日本に来たんだから、いろいろ演奏してみるほうがよいであろう、というトーダルとマーサの考えによる。)

 トーダルは即興で民謡を演奏した。ときどきドラムセットのシンバルも手で叩くという芸を見せ、ドレイデルのドラム高橋さんが、客席から座席(だったと思う)を叩くと、それに合わせた笛をトーダルが吹く、と言う具合で、トーダルは大サービス! 観客の皆さんは大うけだった。
 
 その後、「アンコールの拍手が起きたら、この曲ね。」と前もって決めていた「われは海の子」をギター伴奏で歌った。
 (アンコールがなかったら、ほんと、寂しかったですよ。でもそんなことにならなくてよかった!)
 
 その後もまだ、時間があったので、
「もう一度『十五夜お月さん』を日本語で歌います!」
ということになった。
 そのとき、トーダルは
「日本へ行く飛行機の窓から満月が見えました。そのとき、自分の人生の楽しいこと、悲しいことを思い出しました。」
と語った。
(飛行機の中で「満月が!」と騒いでいたが、そんなことを考えていたのか・・・。)

 それが終わった後も、意外と時間があったのと、お客さんが誰一人として席を立とうとしないので、予定に入っていなかったアンコール曲をすることになった。
 それはトーダルがその場で決めたベラルーシ民謡の曲である。
 が、前もってその曲のことを私は知らされていなかったので、トーダルがベラルーシ語で歌の説明をしたとき、うまく日本語に翻訳できなかった。すみません。

 後で教えてもらったところでは、この歌「塩買いの歌」の意味はこういうことでした。
 ベラルーシには海がなく、また岩塩も取れないため、塩は大変貴重で高価な調味料だった。(どれほど貴重なものだったのかを示すエピソードについてはこちらのHP「ベラルーシの部屋」内「ベラルーシの都市 ネスビシュ紹介『スタニスラフ・カジミール・ラジビル、別名 愛公爵』をぜひご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/gh/city/nesvish/index.html

 
 そのため、ベラルーシでは塩買い商人という職業の人が、ときどきウクライナの黒海沿岸地方であるクリミア半島へ塩の買出しに行っていた。
 遠いたびになるので、一度にたくさんの塩を買い付けたい。
 そこで、10頭の馬に10の荷車を列車のように繋げて、陸路はるばる南に延びる道を走って黒海を目指したのである。
 その道が平坦な道なら、長旅も楽なのであるが、商いというものは簡単にいかない。でこぼこ道をがたごとと長い馬車で進んでいく。
 その車輪が凸凹道の凹のほうにはまってしまうと、馬車がガタンと揺れ、塩買い商人の体も上に飛び跳ねる。
 そのため、商人の歌声も飛び跳ねてしまい、歌詞のところどころに
「えっ! えっ!」
というしゃっくりのような声が入ってしまうのである。
 そういう意味だった。トーダルが民謡をアカペラで歌いながら、「えっ! えっ!」と言うので、お客さんたちは「?」という顔をされていたが、この説明をして
「これが新しい歌唱法。」
とトーダルが言うと、また笑われていた。(^^;)

 この歌が終わった後も、お客さんたちが誰も帰ろうとされないので、さらにもう一曲、トーダルがベラルーシ民謡をアカペラで歌った。それは「トルコ街道」という有名なベラルーシ民謡である。
 これはベラルーシからトルコに続く道のことで、露土戦争で死んだベラルーシの兵士の歌である。(悲しい内容の歌詞なので、トーダルは詳しくは内容を説明しなかった。)

 この歌が終わった後もお客さんは誰一人として席を立たなかったことが、このコンサート全ての中で、一番感動しましたよ・・・

 しかしさすがにもう時間がなくなってしまい、うさぎさんがまた挨拶をして、お開きとなった。

 いろいろ変更があったが、トーダルが演奏した曲目は結局こうなった。(たくさん演奏できてよかった!!!)

「朧月夜」
「十五夜お月さん」
「緑の樫の木」(ベラルーシ民謡。アルバム「バラード」収録曲。)
「道」(アルバム「薔薇と踊るタンゴ」収録曲)
「海」(アルバム「長い引き出しの歌」収録曲)
「故郷」
「浜辺の歌」
「村祭」

アンコール曲
 ウクライナの笛の歌(即興演奏)
「われは海の子」
「十五夜お月さん」(日本語バージョン)
「塩買いの歌」(ベラルーシ民謡)
「トルコ街道」(ベラルーシ民謡)

 コンサートに来てくださった皆さん、本当にありがとうございました!
 最後まで聴いてくださって、ありがとうございました!

 
 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 11 「第1回コンサート 本番」

2008年03月20日 | トーダル
 ついに開幕・・・
 まずVesna!オーナーうさぎさんより、開店5周年記念の挨拶と内容の変更のお詫びがあった。
 続いて、マトリョミン合奏部の演奏。急遽、曲の追加があったこと、リハーサルの時間が不足していたとは思えないほど、すばらしい演奏でした。
 トーダルもマトリョミンを初めて聴いて、(いい意味で)笑っていました。(^^)
 
 続いてオルケステル・ドレイデルさんの登場。
 演奏曲も予定では5曲だったのに、6曲に増やしてもらい、しかもリハーサルは誰かさんのせいで、できず申し訳なかったです。(好意的な方々ばかりで、助かりましたよ・・・)
 しかし、さすがプロ! 日本では珍しいクレズマー音楽がたくさん聴けて、よかったです。樋上さんのクラリネット、白石さんのアコーディオン、高橋さんのドラムに皆さん、酔いしれておりましたよ。

(アコーディオン奏者の白石雅子さんの公式サイトはこちらです。ご家族全員に大変お世話になりました!) 

http://acclife.net/index.html


 曲の合間の樋上さんのトークもおもしろかったです。(^^)
 しかし、トーダルはそれを舞台袖で聞いていて
「どうしてあんなにたくさん話をするのか?」
と尋ねてきた。自分もたくさんしゃべらないといけないのか、とあせったらしい。
 そうではなく、参加者の一人が抜けた分、楽しいトークもして時間を稼がないといけないのだ、と説明したら安心していた。

 そういうトーダルも当初の予定では6曲しか歌わない予定だったのが、結局、ずいぶん増えてしまったのである。(ベラルーシ隊はうれしかったが・・・。)
 
 そしていよいよ、トーダルの出番。私から挨拶して紹介の後、トーダルからベラルーシ語で挨拶。
 その後はまず急遽、追加した曲「朧月夜」からスタート。そして次は
「日本語で歌う。」
と公約していた「十五夜お月さん」をまずベラルーシ語で、それから(ときどき紙を見ながらだったけど)日本語で歌いました。(よし!)

 その後アカペラでベラルーシ民謡「緑の樫の木」を歌い(本来はこれはアカペラでは歌わない。)自分の持ち歌「道」と「海」をギター弾き語りで歌った。
 「海」も追加曲で3月1日のライブで歌う予定だったが、第1回コンサートで歌うことにあわてて決めた曲である。
 この歌の間奏部分で、なぜかトーダルが
「クワ、クワ、クワ・・・」
と歌っているので、これは何を意味しているのか尋ねたら
「蛙の鳴き声。」
という答え。
「でも『海』なのに、どうして蛙? 私は水鳥の鳴き声だとずっと思っていたんだけど・・・。」
とつっこむと
「そういう解釈もありうる。」
と言われた。要するに好きなように想像してください、ということらしい。でも
「日本のコンサートでは『クワクワ』は省略する。」
とトーダルは言い出した。
「だって、ふざけてると思われたらいやだから。」
と最後まで、クワクワつき「海」を歌うのを嫌がっていた。
 しかし、「この『クワクワ』がいいのだ」から、歌え、歌え!とマーサに言われ、不本意ながら、本当にクワクワ歌っていた。
(ちなみに3月8日のミンスク公演でも
「この歌を日本で歌ったけど、『クワクワ』歌うのが『ふざけてるのか!』とサムライ日本人から叱られるかもしれないので、歌いたくなかったが、歌わされた。」
と観客の前で、トークしていた。すると、どっと笑う観客がいた。実は意味の深い「クワクワ」のようです。CDの紹介「長い引き出しの歌」参照。)
 ちなみに、コンサート終了後、会場で一番売れたCDは「月と日」だったけど、2番目に売れたのは「長い引き出しの歌」でした。
「『海』が入っているCDはどれですか?」
ときかれたお客さんが何人かいたよ、とトーダルに話したら、驚いていた。
 
 その後、オルケステル・ドレイデルさんと夢の共演、「月と日」収録曲「故郷」「浜辺の歌」「村祭」の日本公演バージョン!
(聴けた人はラッキー、ベラルーシでこのバージョンを聴いた人はいませんからねえ。)
 ステージが順調に進むなか、私はあることを思い出した。「村祭」でうさぎさんと私は、はっぴを着て踊ることになっていた。
 トーダルではないが、私自身は踊りたくなかった・・・。 しかも、朝日新聞の記事を見て、中学校時代の担任の先生が奥様と見に来ていたので、約20年ぶりに見せる教え子の姿が、こんなふざけた(?)ものだったら・・・恥ずかしいではないか!
 しかしステージを盛り上げるため、協力するように、と強制されていた。仕方がないので、リハーサルのときにもちゃんと練習したり、合いの手を入れるため
「あ、それ!」
と叫んだりしていた。トーダルは「もう一丁!」という日本語も覚えさせられていた。このほうが日本のお祭らしい、という樋上さんのアイデアである。
 そして衣装もトーダルには祭はっぴを用意しており、うさぎさんと私には樋上さんから「樋上組」と染めてある本物の年代物もはっぴを貸してもらうことになっていた。
 しかし、そのはっぴを樋上さんが私たちに前もって渡すのを忘れており、私があわてて楽屋へ探しに行ったのである。

 無事、はっぴを見つけ、戻ってくるともう「浜辺の歌」が終わりかかっていた。舞台袖で、うさぎさんは
「思ったより、進行が早くて、予定よりずっと早く終わってしまいそう。時間稼ぎのために、村祭の前に『インタビューコーナー』を入れて!」
と言い出した。そんなこと、全く予定に入っていなかったので、
「何をきいたらいいの?」
「日本の印象とか・・・!」
と言うので、仕方なくはっぴを置いて、マイクを持ってステージに上がった。で、いきなり「インタビューコーナーです。トーダルさん、日本の印象はいかがでしょうか?」
と質問した。(トーダルはプロだから冷静であったが。)
「日本の印象はたくさんあります。多すぎてこのステージの上で、ありきたりな言葉で話したくありません。(つまり日本はきれいだの、すばらしいだの、気に入っただの、といった使い古された表現のこと。)ベラルーシに帰ったら、日本の思い出を本に書いて、ノーベル文学賞をもらおうと思います!」
と言ったら、観客の皆さんは笑っていた。

 しかし、マーサは質問のネタにつまってしまい、そうだ観客の皆さんから質問を募集すればいいんだ、と思いつき、
「何かトーダルにきいてみたいことはありませんか?」
と呼びかけたところ、一人のお客さんが手を挙げて(助かった・・・)
「『トーダル』という名前にはどんな意味があるんですか?」
と質問された。
 ちなみにトーダルというのは芸名で、本名ではなく、その芸名もデビュー時代はトーダルではなくフョーダルだった。(「トーダルの人生 3」と「トーダルの人生 4」参照。)
 簡単に言うとフョーダル(優しくて親切な人)からトーダル(強い男)に変更したのである。

 そのうち、ようやくうさぎさんから「もう時間大丈夫。」の合図があり、「村祭」が始まった。
 しかし、こんな進行具合だったので、はっぴに着替えるタイミングがなくなってしまい、あんなに(買うのも、探すのも)苦労したのに、はっぴを3人とも着ないまま、「村祭」がスタートしてしまった。ドンドンジリドン。

 はっぴを着て踊りが下手なのをごまかそうとしていたマーサの目論見は外れてしまった。仕方なく、踊っていたが客席の中学時代の担任の先生と視線を合わせないようにしながら、下手な踊りを踊った。ああ、恥ずかしい。
 しかし、頼んでもいなかったのに、はちの子がステージに上がって
「あ、それ!」
と叫んだり、樋上さんのアレンジがのりのりであったため、客席はどんどん盛り上がってきた。
 「ドンドンジリドン♪」と手拍子といっしょに合唱してくれる人もたくさんいて、本当にうれしかったです。(^^)

(コンサートの様子を撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 131」などで公開しています。ここをクリック。)

http://photozou.jp/photo/show/180896/9514913


トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 10 「第1回コンサート リハーサル」

2008年03月20日 | トーダル
 2月23日午後3時。第1回コンサート会場である京都府京都文化博物館別館ホールに到着。リハーサルに入る。
 それにしても立派な建物でした。

http://www.bunpaku.or.jp/info_bank.html

 
 本番で挨拶をするようにトーダルもマーサも言われていたのだが、天井が高く、
「エコーがかかるので、話し言葉は聞き取りにくいので、挨拶は簡潔にすますように。」
と言われていた。確かにエコーがかかる・・・
 前日の樋上さんとの打ち合わせでは、問題なさそうだったが、トーダルは、イエー!とかグエー!とか言うベラルーシ語の発声練習の後、
「エコーがきつい。」
と心配し始めた。そして、ドレイデルさんのドラム担当高橋さんに
「もっとメリハリつけて叩けませんか?」
とか、やたら細かい注文をつけ始めた。
 そして、ドレイデルさんと共演する「月と日」収録曲3曲の通しリハーサルの後も
「出だしのところだけもう一度通しでやってほしい。」
と頼んだため、ドレイデルさんとマトリョミン合奏部がリハーサルする時間がなくなってしまった。ごめんなさい・・・。

 トーダルは初めての日本でのステージにかなり、神経質になっていた。本人も後から
「緊張した。」
と話しており、その理由を
「こんな日本人の前で歌ったことがないから、どんな反応が返ってくるのか予想がつかなかった。」
と言っていた。本番前に「コニャック一杯くれー(笑)」とマーサに冗談で言っていたぐらいである。(もちろんそんなものはないし、あげてない。)
 まあ、ベラルーシでコンサートするときも、リハーサルのとき、トーダルはいつも眉間にしわが寄っているけどね・・・(画像参照。)
 やっぱり、いいステージにしたい気持ちが強いからでしょう。

 しかし、ドレイデルさんとのリハーサルに時間をかけすぎ、結局時間がなくなって、ドレイデルさんのリハーサルとマトリョミン合奏部のリハーサルができなくなってしまった。全く申し訳ない・・・
 まあ、普通はそれぞれのグループがそれぞれ別な練習場所で、リハーサルをしておいて、当日は、会場でジェネラル・リハーサル(本番と全く同じ手順でするリハーサル)というものをするだけだと思う。
 しかし、今回のコンサートでは、直前になって出演者の一人が出なくなって、手順が大いに狂ったし、トーダルは外国で普段活動をしている人なので、前もってドレイデルさんと練習ができなかったりで、そういう普通のリハーサルの仕方ができなかった。
 他にもリハーサルのことだけではなく、いろんなことが段取りが悪くて、うまくいかなかったのであるが、言い訳になってしまうけど、Vesna!は普段は雑貨店で、こういう音楽イベントをいつも企画しているわけではなく、初めての経験であり・・・すいませんが、多めに見てください。
 次回(するとしたらだけど)はもっとスムーズにできるでしょう。
(遠慮せずに時間が来たら、トーダルに「はい、リハーサル終わり。」とステージから引きずり下ろすとかね。)(^^;)

 とにかく、プロのドレイデルさんはまだしも、マトリョミン合奏部のみなさんは不安なままでステージに上がらないといけなくなり、悪いことをしましたよ。
 当日は日本とは思えないほど、寒くて雪は降りまくるし、お客様を寒い中、外で待たせるわけにはいかないので早めに開場した結果、マトリョミン合奏部は楽屋で必死で練習することになり、すると当初の予定ではマトリョミン合奏部のメンバーの方が受付を手伝ってくれるはずだったのに、それができなくなったので、マーサ家族(父、母、私、はちの子)で必死で受付係をし、私は出演者の一人がさんかできなくなったので、ご希望の方はチケット払い戻しいたします、という一番「えー」と言われる係までしたよ・・・。
 聴かずに帰ってしまわれた方が3、4名ほどいて、本当に申し訳ないことでした・・・
 (でも帰らず最後まで聴いてくださった方々は、きっと満足してくれたと思います。)
 はちの子はベラルーシの民族衣装を着て、プログラムを渡す係をして、「かわいい。」と言われていた。(こういう工夫をして、ひたすらがんばらねばならぬVesna!・・・) 
 はちの子の民族衣装姿が見たい方はこちらをクリック。

http://photozou.jp/photo/show/180896/9312649


 マトリョミン合奏部の方2名も、着物を着て本当に努力してましたよ。いろんな文化の交流の場としては、おもしろい企画だと私は思ったのだが・・・(あまり日本で行われない種類のイベントということで、次回するならきっと段取りよくできるでしょう。)

 マーサ個人としては10年以上会っていなかった友達や、会いたいと思っていた方々にこの機会にお会いできたし、直前に朝日新聞に掲載された記事を見て、このコンサートのこと(そして私の消息)を知り、中学校の担任の先生が来て下さったし、本当によかったです。 
 
 Vesna!マトリョミン合奏部についてはこちら。

http://www.mandarinelectron.com/matryomin/club_vesna.html


 メンバーの一人である丸尾丸子さんのブログはこちら。
(トーダルのこと、「おとこまえ」って書いてくれてありがとう! 本人に言っておきます。)(^^)

http://yaplog.jp/ganymede/archive/299


 それからこのブログのこのページでマトリョミン合奏部の方々のかわいい着物姿が見られます。 

http://yaplog.jp/ganymede/archive/342




トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 9 「Vesna!にて」

2008年03月19日 | トーダル
 いよいよ2月23日、第1回コンサート本番当日となった。
 この日わざわざ遠方から京都までお越しになるお客さんのために、臨時休業中だった雑貨店Vesna!が特別に開店となった。
 昼間、広島に住むマーサ父の友人ご夫婦や、マーサの遠方に住む親戚が続々とお店に集まった。会うのは10年ぶり、あるいはそれ以上ぶりで、この機会に会えて本当によかった。(しかしみんなの視線は私ではなく、初めて会うはちの子に集中。)

 この日トーダルも初めて店内を見学し、
「日本にあるベラルーシだね。本当に『オモチャヤサン』だあ!」
と笑っていた。
 CD販売コーナーでは自分のCDが販売されていることにご満悦。(画像参照。)

 さらには生まれ故郷のベレゾフカの老舗企業「ネマン・グラス」のグラスまでもが売られていることに驚いていた。
 帰国したら、ベレゾフカの人たちに言っておいてほしい。ベレゾフカ人たちは誰一人としてこの事実(「自分たちの商品が遠い日本でも売られている!」)を知らないであろう。
 トーダルはネマン・グラスを
「ウオッカを飲むには世界最高のグラスです。」
と評していたよ。
(ちなみにトーダルは学生時代、家計を助けるため、ネマン・グラスの商品をポーランドへ売りに行っていたことがある。「トーダルの人生 2 「パラーツ」時代」参照。)

 ところでマーサは朝早くからVesna!近くの美容院に行かされていた。親から
「何だ、その中途半端な頭は!」
「伸ばそうと思って・・・。それにこれでもベラルーシで髪の毛を切ったばかりで・・・。」
「もっと短く切りなさい!」
と言われ、仕方なく美容院へ行ったのである。

 美容院の人に「今日は人前に出ないといけない。」と説明したら、ホットカーラーをぐるぐる巻かれた。
 その後、コンサート会場でこの頭を見た人たちの中で
「あれが今ベラルーシで、はやっている髪型か・・・。」
と思った人が少なからずいたらしい。
 しかし、ここで私は言いたい。これはベラルーシではやっている髪型ではない。
 Vesna!から一番近くにある美容院でしてもらったものである。
 一方、ベラルーシ隊からは受けがよく、捨平からは
「ベラルーシに帰った後も毎日その髪型にしろ。」
と言われたので、そのうち本当にベラルーシではやる髪型になるかもしれない。 

(Vesna!店内で撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 128」などで公開しています。ここをクリック。)

http://photozou.jp/photo/show/180896/9343402




トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 8 「京都観光 金閣寺・龍安寺」

2008年03月18日 | トーダル
 2月22日の午後は、トーダルが共演するオルケステル・ドレイデルさんのリーダー樋上さんとの打ち合わせがあったが、午前中は時間があったので、金閣寺と龍安寺へ行った。

(このとき撮影した画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 79」などで公開しています。ここをクリック。)

http://photozou.jp/photo/show/180896/9066546


 文字通り金色に輝く金閣寺を見て驚くトーダル。自分のネマンやしきも金箔で覆ってみたら、将軍になった気分が味わえるかもしれない、と言ったら、なぜかうけて大笑いしていた。

 トーダルは金閣寺や茶室の夕佳亭などの建物の細かいところを写真に撮っていた。金箔を貼るのは無理でも、和風のインテリアデザインをネマンやしきに生かせないかどうか、思案していた。
「材料を買ってきて、自分で作ってみる。」
と言っている。ベラルーシ人は大体器用だから、トーダルも違い棚ぐらい簡単に作ってしまいそうである。

 その後、龍安寺へ行き、有名な石庭を見学した。石の数を数えて
「言われているとおり確かに14個しか見えない。」
と確認後、石庭の前で座って瞑想に耽るトーダルと捨平。
 あのゴールドでゴージャスで、リッチな金閣寺を見た後に、枯山水の石庭や、「吾唯足るを知る」のつくばいや、十牛図だとかを見るのは、非常に有意義なことである。(日本人にとっても、ベラルーシ人にとってもね。)

 マーサは十牛図が好きで、龍安寺に来ると必ず見るようにしているのだけれど、トーダルは「吾唯足るを知る」のつくばいが気に入り、どうしてこういうデザインなのか? と熱心に尋ねていた。
 他にも桃山時代に植えられたという侘助椿だとか、金閣寺の足利義満手植えの陸舟松だとかに驚いていた。
 トーダルは白い塔の森が大好きで、古い木に興味がある。ベラルーシだと、樹齢300年と言うような木は、白い塔の森のような国立公園に行かないとないが、日本だと街の中の寺や神社に、もっと古い木がたくさんあるので、びっくりしたらしい。

 他にも苔や池や石畳や垣根や門の屋根や建物の壁などを、せっせとカメラに収めていた。
(龍安寺についてはこちら。)

http://www.ryoanji.jp/


それにしても、金閣寺にも龍安寺にも境内の片隅にアイスクリームの自動販売機が置かれていることに、トーダルと捨平はびっくりしていたぞ。
「さすが資本主義国・・・サービスはどこでも何でもありだな。」
と二人はうなっていた。

 その日の午後はトーダルが共演するオルケステル・ドレイデルさんのリーダー、樋上さんと打ち合わせがあり、ご自宅にお邪魔させていただいた。
(オルケステル・ドレイデルの公式サイトはこちらです。)

http://www.geocities.jp/smile_dreydel/dreydel.html


 樋上さんのご自宅は本当に素敵でした。家の中に井戸があったり、お母様の染めの作品が壁にかけられていたり、で芸術一家が住んでらっしゃるおうちだなあ、と思いました。

 「月と日」収録曲のうち、「浜辺の歌」「故郷」「村祭」をドレイデルさんと共演することになっていたのが、樋上さんはちゃんと事前にコンサート用オリジナルバージョンをアレンジしてくださり、楽譜をトーダルに渡してくれた。
 またドレイデルさんがそれそれの自分のパートを演奏した録音も聞いて打ち合わせをした。
 どちらもプロなので、相互の理解がスムーズで何の問題もなかった。
 それにトーダルにギター用アンプまで貸していただいて、お世話になりっぱなし。本当にドレイデルさんと共演することになっていてよかった・・・。

 樋上さんもトーダルもクラリネットが専門なので、音楽談義に花が咲き、樋上さんのクレズマー音楽用クラリネット(初めて見ました。)をトーダルが吹いたりして、楽しかったです。
 いつかドレイデルさんがベラルーシ公演に来たらいいのにな、と思いました。何といってもシャガールが生まれたのはベラルーシだし・・・。

 このように打ち合わせもうまくいったし、観光もしたし・・・と全て順調に進んだように思われるかもしれないが、実際には裏で大変な問題が持ち上がっていた。
 本番直前になって、出演する予定だったテルミン奏者の竹内正実氏が、諸事情のため、参加しないことになったのだ。
 そのため、竹内氏が演奏する予定だった時間を、急遽オルケステル・ドレイデルさんとトーダルが自分の演奏曲を増やして、埋め合わせすることになり、また1曲だけ演奏する予定だったマトリョミン合奏部も2曲に増やすことに、突然決まったのである。

 そのことをトーダルに告げるときに
「・・・こういう事情があって、出演者の一人が出ないことになって・・・。」
とうさぎさんが説明を最後までしないうちから、トーダルは
「分かりました。私が演奏する曲を増やしましょう。」
と言ってくれた。
 ああ、君は何て親切で、物分りがよくて、機転がきいて、サービス精神があることでしょう。
(ただ単に歌いたがりなだけなのかもしれないが。でも、歌手はこうでないと。)
 マーサとしても、せっかくベラルーシからわざわざ来たのだから、トーダルがたくさん歌えるほうがいいのである。
 大急ぎでプログラムを作り直したり、裏方の作業はてんやわんやだったが、ベラルーシ隊からすれば、トーダルの出番が増えてうれしかったのである。

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 7 「鍋料理」

2008年03月17日 | トーダル
 毎日のようにベラルーシ隊はおいしい日本の料理を食べていた。
 トーダルは日本食のバラエティーの幅の広さに驚いていた。
 一言で言えば、ベラルーシ隊は一言の好き嫌いも言わず、出されるもの全てを平らげていたよ。
「いやあ、何を出しても気持ちいいぐらいたくさん食べてくれるから、安心した。」
とマーサ両親は何度も言っていたが、そんなに
「お口に合いますかどうか・・・。」
と心配していたのであろうか?

「日本料理はどれもこれもおいしかった。」
とトーダルは言っていたし、捨平も
「これで1年ぐらい魚料理が食べられなくてもいいぐらい食べた。」
と言っていた。
 特に鍋料理にトーダルは興味津々。
 いろんな具が目の前でぐつぐつ煮える料理ってベラルーシにはないものな・・・。
「好きな具を好きなだけ取ってくださいね。」
と言われたが、全ての物を食べつくしていたよ。
 しかも心優しいマーサ家の友人の皆さんが、ベラルーシのお客人のためにわざわざ広島から、ししゃもの卵入りこんにゃくや、貝殻に入った状態の帆立貝(東京のAさんが北海道旅行に行ったときのお土産)などを送ってくれていたので、帆立貝を鍋に入れたり、こんにゃくを肴に日本酒を飲んだりしていた。

 日本酒に関してはトーダルも捨平も
「冷より熱燗のほうがいい。」
と言って、飲みまくっていた。(^^;) 
 ちなみにトーダルによると
「日本酒と蜜柑の組み合わせが最高!」
と言うことで、冬蜜柑を食べながら、飲んでいました。(飲みすぎ。でも全然酔っ払わない。さすがにベラルーシ人だ。)
 
 さらに、後鍋にびっくり。これで終わりかと思ったら、麺を入れて、まだ食べる、という、「一度の鍋で何回も楽しむ。そして無駄にしない」日本人的発想にトーダルは驚いていた。
 どれぐらい驚いていたかは、画像をご覧ください。
 トーダルは
「鍋料理をベラルーシで作りたい。」
と言っていたよ。 

 さらに雑炊を作ったときも、捨平はさすがに苦手で食べられない梅干しを、
「おいしい。この酸っぱさが、この料理の味を引き立てている・・・。」
とか言いながら、5個も6個も食べていた。
 外国人離れしているよね。

 トーダル×日本料理についてはまた書きます。たくさんネタがあるので・・・。(^^;)

(トーダルと鍋料理の画像は写真共有サイト「フォト蔵」内、「トーダルが撮ったニッポン 75」などで公開しています。)

http://photozou.jp/photo/show/180896/9028520